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ちょっとだけスパイシー

北京国際交流記(16)

2007-12-13 | 北京国際交流記
2日の朝は昨日より遠くまで歩く事にした。
今日の予定はマンションに妻の友人が訪ねてくるのと、
夜に中国でも珍しいお店に連れて行ってくれるだけで時間に余裕があるからだ。

マンションを6時前に出た。
義兄に『サンプゥォー』と言うと玄関まで送ってくれた。

朝早い時間だが交通量は多い。



2台引っ付いたバスはすでに満席状態で、
北京のパワーを見ているようだ。



高層ビルの間にひっそりと静かな路地があったので、
入ってみると北京の古い町並みがあった。
高層ビルより、このような路地のほうが、
私には興味がそそられる。



ゆっくりと歩いて帰ると、
マンションには4番目の姉夫婦が来ていた。
私の為に上海蟹を買ってきてくれたのだ。
しばらくして長男夫婦も来た。
妻の北京に住む兄弟、全員集合である。
さっそく蟹を茹でて宴会が始まった。
4番目の義兄は凄い。
38度の白酒をお茶のように呑む。
ついていけないが、旬の蟹は美味しい!
遠慮しないで食べなさいと言うので、
遠慮なく5匹の甲羅と味噌、太い足を食べ、
細い足を妻に差し上げた。
遠慮なくと言われたから・・・まぁ~良しとしよう


上海蟹をお腹一杯食べ、昼間から38度の白酒を飲んだので、
お昼寝してから夜の宴会に行く事にした。
食って呑んで寝て・・・の不健康な毎日である。

夕方5時に朝陽区郊外の村にある、「紅色経典」と言うレストランに
長男夫婦、4番目の姉夫婦と出かけた。
この店は、「文化大革命」当時の雰囲気を出すお店で、
連日大盛況。予約もなかなか取れないという繁盛振りだそうだ。
妻の親友が予約してくれて12人の宴会となった。

ただし、日本人は行かないほうが良いと何度も忠告を受けた。
先日も日本人を連れて行ったが、途中で気分が悪くなったそうだ。
この年代、中国から見ると日本は悪者で日本を非難する大合唱もあるという。
それを聞くと私の好奇心はムラムラと燃え盛り、どうしても行きたくなった。
赤い五角形の門をくぐると、天井やいたるところに壁新聞が張られ、
毛沢東や周恩来の顔写真など、文化大革命当時をだしている。



舞台が造られた広い店内にはホールのように3方が2階になっていて、
舞台中央に毛沢東の顔が描かれ、壁には赤い布に
「毛沢東 万・万歳(モウタクトウ・バン・バンザイ)」
とかかれた旗が掲げられている。
料理も当時の料理が出され、
舞台では、寸劇や歌が繰り広げられる。
貧しい小作人をいじめる資本家層を、
降紅衛兵が退治するとか、鬼のような日本兵をやっつけるとか、
当時、すべての中国国民に歌わせた歌や踊り、体操など、
ほとんどのお客さんが立ち上がって大合唱している。
30代以下の若い人達は分からないようだが、
40歳後半ぐらいからの人は当時を懐かしみ、
声を張り上げて歌っている。

確かに日本人を非難するような場面もあったが、
それはそれで戦争という決して善くは無い事を行ったのは事実で、
気分が悪くなるという事はなかった。

それより、中国国民が過去を受け止めるだけの、
余裕やゆとりが出来たのだと思う。
たくさんの意味で強くなった中国を見たような気持ちになった。

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