cuminseed

ちょっとだけスパイシー

北京国際交流記(12)

2007-12-09 | 北京国際交流記
万里の長城を11時過ぎに出発し、
北京市郊外にある妻の親友、張仲さんの車椅子製造会社へ向かった。
彼は10月初旬に来日しており、
我家にも宿泊し京都や大阪を案内したところだ。
彼自身が車椅子を利用しており、
彼の工場では車椅子製造の他に、
小学校で使う教育関係の印刷も行っていた。


彼は、日本でお世話になったので、
是非とも食事をご馳走したいと言われていた。

何を食べたいかリクエストはありませんかと尋ねられたので、
「羊肉のしゃぶしゃぶ(羊肉火鍋)を食べたい」と伝えていた。

工場見学のあとさっそく羊肉火鍋屋に、
張さんと副社長の孫さんの運転する車2台で出かけた。



丸いテーブルの中央にお鍋が置かれている。
お鍋は真ん中で区切られ、
一つの鍋で、辛口と甘口の両方が食べられるようになっている。



牛肉や野菜などが大量に運ばれてきた。
その中に白菜を酢のようなもので漬け込み、
細くきったものがあった。
白菜の漬物をお鍋に入れて食べるようなものである。
これが不思議と美味しい!





少し辛口も味見をしようと、
肉と野菜を口に入れたが日本の辛口と違い、
辛過ぎて、咳き込んでしまった!

肉や野菜をたくさん食べた頃、
張さんが、
「中国のうどんも食べてみませんか?」
と注文した。

若い女性の店員がキャスター付のテーブルを押してきた。
テーブルの上には小麦粉を練って長方形に切られたものが数個乗っている。
その一つをつかみ、両手で細長く伸ばして行く。
日本のうどんぐらいになったところでお鍋の中に入れ、
もう一つつかみ伸ばして行く。
にほんのうどんは細長く切るのだが、
この店ではお客さんの目の前で細長く伸ばし、
それをお鍋に入れていくのだ。
腰があり日本のうどんと変わらないような味と食感だが、
汁が羊肉と中国野菜のダシが効いて美味しかった。








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北京国際交流記(11)

2007-12-05 | 北京国際交流記
朝6時半に北京市障害者総合センターのスタッフが運転する車で、
馬さんと私たち4人で万里の長城へ出発した。
北京から近く観光地として有名な「八達嶺」という万里の長城だ。

万里の長城は冷え込んで寒いというので、
薄着しか持っていかなかった私に、
中国製のズボン下を買ってくれていた。

前回は下から歩いて登ったが、今回はロープーウェイに乗るという。

道路が朝早いためか空いていて、
8時過ぎに万里の長城に着いたが、
ロープーウェイがまだ動いていない。
9時からの運転だ。

車を降りて駐車場を少し歩いてみたが
水溜りに氷が張り、凄く寒い。
ズボン下がなければ震えていただろう。
暖房が入った車の中で待つ事にした。

9時前に駐車場に停めてある車を出て、
ロープーウェイ乗り場に行った。

車椅子の方もロープーウェイに乗れるようになっているようだ。



ロープーウェイを降りてからも、
一番高いところまで歩く事にした。
上に行くほど見晴らしがよく、
万里の長城の、雄大さを感じることがでる。
昔の中国の人は凄かったんだなぁ~~~
と感心せずにはいられない景色だ。







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北京国際交流記(10)

2007-12-01 | 北京国際交流記
屋台から北京市障害者総合センターまで帰り、
私だけ北京市聴覚障害者の方とパーティを行っている妻と合流した。
本来なら私も同席すべきなのだが、中国語どころか、
中国の手話も解らない私がいっしょだと妻の通訳がたいへんなのと、
個人的趣味で、どうしても屋台も見たかったからだ。
山中さんと安達さんは、北京滞在の日課となる
「盲人按摩」に出かけた。
5日連続の盲人按摩通いだ。

賈俊启さん夫婦の他に6名のパーティだ。
私が仲間入りしたときは、パーティも終盤近くで、
紹介と挨拶、乾杯と続いた。
画家や書道家、
元中国障害者芸術団の団員でタイ・リーファさんの親友の方など
芸術活動に従事している人達ばかりで、
楽しい裏話を聞かせて(?)もらった。

楽しい時間だったが、
翌日は朝早くから『万里の長城』に行く予定なので、
9時過ぎにお開きとし、部屋に戻った。

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北京国際交流記(9)

2007-11-26 | 北京国際交流記
北京市障害者連合会のスタッフが運転する車は、
予定の6時半を過ぎて、孫さんの待つホテルに着いた。
妻と賈俊启さん夫婦は北京市の聴覚障害者との交流会に出席するため、
北京市障害者総合センターまで乗せてもらい、
私と安達さん、山中さんは孫さんの案内で、
北京の屋台を見学・食事となった。

200メートルほど道路片側の歩道に屋台が並んでいる。
海外や中国各地からの観光客目当てのようだ。
主に串に刺した肉や海産物、野菜、ゲテモノ(?)を
焼いたり揚げたりしたものや、焼ソバやスープなど、
いろんな店が並び楽しませてくれた。








ムカデ







サソリ



タツノオトシゴ








最後にヒトデを食べましたが・・・
他には無い食感と味でした。
お勧めは出来ません。
コメント (3)
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北京国際交流記(8)

2007-11-23 | 北京国際交流記
昼食を北京市障害者総合センター近くのレストランで頂いた。
食後、3つほど隣のビル地下に衣服や日用品の市場があるというので、
馬さんに案内してもらった。
デジカメの電池が切れ掛かっていたのでちょうど良いタイミングだ。

1階には銀行やレストランがある10階建ての大きなビルで、
何度も前を通っていたのだが、地下にこのような市場があるなどとは知らなかった。
ビル横の階段を降りると、小さな店が廊下に沿って並んでいる。
ここは近所の庶民が来る市場で料金は安いが、
日本人が満足する品質のものは少ないらしい。
妻が中国の正月用の飾り、私が電池を買い紫禁城へ向かった。







天安門の前を通り、反対側工事中の神武門に着いた。
フートンの見える道路を通ったが、塀を補修しているのが目に付く。
ここも北京オリンピックのため整備されているのだろう。
門のまえには聴覚障害者の賈俊启さん夫婦が待っていてくれた。
賈俊启さんは、今は定年で勤めていないが30年間紫禁城で働いていた。
私たちを案内するために来てくれたのだ。
門の前で受付の人とやり取りしている。
どうやら、障害者手帳プラス賈俊启さんの顔で、
一人60元のところが私たち一行は無料で中に入れるらしい。







門をくぐり左側に案内された。
2年前には主に左側が工事の最中で右側にしかいけなかった。
今は主に右側の補修工事に変わっている。
赤茶色の高くて長い塀の横を歩き小さな入り口から中に入った。
最初に見学したのは、
『珍妃の井戸』だ。
浅田次郎氏の小説を読んだこともあり、ぜひ見たかった場所だ。
なぜこんな所にぽつんと井戸が?
こんな小さな穴に人間が入るの?
などと考えてしまった。

でもこれは1913年に新しく作られたもので
原寸より小さくなっているそうだ。
ちゃんと説明には書いているらしい。

観光名所と呼ぶにはふさわしく無いかもしれないが、
浅田次郎ファンや中国歴史ファンには興味を持つ場所だ。





陶磁器館や、珍宝館・絵画館・工芸館・時計館を案内してもらった。
その途中、大きく皇后を書いた絵の複製画が展示されていた。
『この絵は私が書いたものです』
と賈さんの奥さんが手話で教えてくれた。
他にも数点、展示されているという。
複製画でも芸術品として素晴らしい。
紫禁城に障害者の功績がたくさんあると思うと嬉しくなってくる。












大和門を越え、牛門にまでやってきた。
衛兵が隊列を組み行進しているのが見えた。
颯爽とした勇姿である。
写真を撮りながら見とれていると、
隊列が私たちの横を通って天安門のほうに進んだ。





さて日も暮れてきたし、
6時半には孫さんと待ち合わせをして屋台に行く予定だった。

天安門の通路に衛兵が並び出口を閉鎖した。
旗を降ろす儀式があり、
20分間は通行出来なくなるという。
のんびりと衛兵の行進を見ていたため、
待ち合わせの時間に遅れそうだ。

出口の前に人がたくさん集まりだした。
モンクを言う人。通してくれとお願いする人などが現れた。
欧米から来た男女二人の観光客が大きな声でわめき散らしている。
飛行機の時間に間に合わないので何とかしてくれと
叫んでいるようだ。

後ろ側に、監視用の車が停めてあった。
その男女が走って大きな声で叫んでいる。
邪魔くさそうに車に乗っていた兵隊がドアを開けた。
どうやら別の出口まで送るようだ。
二人は車に乗り込み反対側に走り出した。

私たちが天安門を出たときには、
街灯がつけられ、天安門にも照明が照らされていた。





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