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10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(19)

2014-04-18 | 旧中山道run!!

旧中山道runも、ここまで来ると「朝のんびりと」というわけにもいかなくなってきた。
いつもの「青空フリー」利用とするなら、中津川発10:10の普通列車に乗ることが目安となってきた。
この列車を逃すと、約2時間後の列車になり、現地(上松駅)到着は13時前後となってしまうのだ。

まぁね、この先、ますます家から遠くなり、もっともっと早起きして行くことになるであろうから、これぐらいでどうこう言ってちゃアカンけどさ。

朝、平日同様に早起きし、家を8時前に出て、大高駅に向かう。
空は気持ちの良い秋晴れで、走りやすいコンディションになりそうだ。
「青空フリー」を片手に、予定通り10:10の列車に乗り、上松駅到着は11時少し過ぎた頃。

久々に「午前中」のうちに現地に着いたのは嬉しいけれど、まだ一歩も走ってないうちから、少々お腹すいたのさ。
かといって、満腹じゃ走りづらいしね~。

駅から上松町役場の方向に適当に歩くと、小さな喫茶店を発見!
ここで今日の行程を再チェックしつつ、軽く腹ごしらえ。
休日のこんな時間に喫茶店なんて、この辺りでは珍しいのか?
客は自分一人だった。

何やらいきなり休んじゃって、緊張感のない感じになり、ウォーミングアップ代わりにのんびりと前回のコースアウト地点、「下町」交差点まで歩く。

この道はつい最近まで、国道19号。
それが最近、バイパスが出来たお陰?で(旧中山道編18参照)、静かさを取り戻したかのような、上松の中心街だ。

「下町」交差点の1本奥の歩行者専用道が中山道ということで、今日はここをスタートとする。
300mほどで突き当たって、右折。

狭い生活道路然とした道だけど、左にカーブした地点にあるのが「本町一里塚跡」。
ちなみにこの右折左折が、かつての枡型でもあるわけね。
そして、この辺りが上松宿の中心でもあったらしい。

すぐに左側、立派な門構えの家が、かつての脇本陣跡らしいけれど、それ以外には取り立てて見所もないのが残念。

小さな橋を渡った所が「十王橋」の信号。
多分、今渡った橋の名前なんやろね。

資料によれば、かつてここに十王堂があり、上松宿の東側出入口だったらしい。
現在も、静かに石仏が並んでいる。

さて、周囲には、数カ所にわたって、「歩行者の皆様へ」とする注意書きの看板が。
要するに「このまま道なりに進むと、危険なので、なるべく中央本線の左側に迂回しろ!」ってことなんだけど。

迂回といっても、周囲の状況や事前の下調べから察するに、5kmぐらい「迂回路」を走ることになるらしい。
当然その道は中山道とは無関係なわけで、「旧街道」を意識している以上、ちょっと受け入れられないなぁ。

いろんな方のHPを見ても、やっぱりここは「中山道」にこだわって直進している方が多い。
そりゃそうだよね。
当然、コスモタイガーも迷わず直進!

といいつつ、ここから先、中山道はしばし消失、ということらしい。
一部は、そのままJR中央本線にそのまま流用されたということだ。
でも中山道に極力近いルートを!となると、やっぱりこの目の前の旧国19を行くしかない。

約1km走ると、今度は右手後方から、トンネルから出てきた国19バイパスと合流。
当然そのまま道なりに進む…わけなんだけど。

実はここがさっきから「危険」と注意されている地点なんやね。
国19バイパス、つまり「木曽高速」の両側には歩道がなく、1mにも満たない路側帯が引かれているのみ。
ネット上でも、「中山道の現代の難所」とされているようだ。

一級国道だしね~、大型車両も多く、かなり飛ばしている車の脇を、怯えながら走る(歩く)ことになる。

確かに怖い!
コスモタイガーのすぐ横を、大きなトラックが爆走していく!
運転手の方も、「こんなところにランナー(歩行者)が!」と思ってるんだろうけれど。

道路を敷設する際に、どうして歩行者を想定しなかったんだろう?
「こんなところ歩く(走る)奴なんかいるか!」と思ったのかな?

「迂回」といってもねぇ、都会のようにいくつも選択肢があるならともかく、木曽川の対岸を5km以上迂回させられては困るしね~。

しばらくはこの「木曽高速」を、細心の注意を払って走るのみ。
NHKの「街道てくてく」をはじめとする、昨今の旧街道ブームの影響か、こんなところでも数人の歩行者とすれ違うんだよ。

って文字にすれば簡単だけど、すれ違うスペースもないから、背後から車が来ないことを確認して、僅かの間隙にササッと!…という感じだからね~。

自動車専用道じゃない以上、当然我々ランナーも歩行者も通行する権利はあるわけで、「注意書き」の気遣いはありがたいけれど、それで済む話ではないように思う。
まぁ、コスモタイガーのような「走る」のは奇特だから別にしても、最低限、「歩行者」の安全は確保してもらいたいものだ。

前方左手に、古い吊り橋が見えてくると、やっと歩道が現れ、ホッとする。
ここだけで結構疲れた!

さらに木曽高速を走る。
やがて左に渡れる橋が見えてくる。
中山道はこのまま木曽高速走るんだけど、あえてこの橋をいったん渡り、木曽川対岸に出る。
対岸からしか見られない名所なんだ。

ここから木曽高速(というか、中山道)を見ると、その下に、石垣のようなものが組んである。
「木曽の桟(かけはし)」ね。

当初の中山道は、険しい崖沿いの窪地の上に、丸太を組んだ筏(いかだ)橋のような道だったらしい。
ところが、旅人の松明が原因で燃えてしまったため、尾張藩が、石垣を建設。
その上に中山道を敷設し直したということだ。
国19になった今も、中山道時代同様、石垣が現役で利用されている。

この対岸からの風景を松尾芭蕉がとても気に入ったらしく、「桟や 命をからむ 蔦かづら」の句碑が残されている。

さて、中山道(というか国19)に戻ろう。
500mぐらい?進んだところ、右手に「沓掛一里塚跡」。
生い茂る草に埋もれてしまいそうな、小さな碑があるのみ。

ここから分岐して登っていく、未舗装路を選択。
この先、すぐに中央本線の線路にぶつかる。

何だか某鉄道会社の敷地に侵入するような不安に襲われるけれど、線路脇の草むらに入ってすぐ、「馬頭観音」を発見!
そう、この草むらの道こそ、旧中山道だ!
ってか、正確には、線路上かもしれないけれど。

ここからは舗装された道がゆるやかに左に折れて続いている。
この辺りで、行政区域が上松町から木曽町(旧木曽福島町)に代わったようだ。

再び19号に合流。
と思ったら、すぐまた右に分岐。
中央本線の下をくぐり、今度は線路を左に見る形で進むと、「御嶽神社」。
もう、御嶽山が近いんだね~。

しばらくは山の中の小道をこのまま走る。
線路を再びくぐって、国19に出た。

すぐに信号のある交差点(元橋)がある。
左に分岐する道路は県道20号で、このまま御嶽山の方へと通じている。

中山道は当然、そのまま国19ね。
でもすぐに右に分岐するけどね。

で、ここでも本来の中山道は消失しているのさ。
分岐した田舎道は左にカーブし、線路に沿ってるけれど、かつてはこの奥の方に直進し、大きく迂回していたらしい。
現在は、自然に還ってしまっていて、走行(歩行?)困難な状態となっている。

仕方なく、線路に沿って走る。
目の前に、古いトンネルが現れた。
当然、江戸時代の遺跡ではないことは明らか。

実はこの道は、中央本線旧線だったらしく、トンネルもかつての鉄道トンネルだったらしい。
現在は、たま~に(多分)車や歩行者が通るのみ。

資料によれば、このトンネルの真上の山を中山道は通っていたらしいけれど、現在も一部が整備され、残されているらしい。

ということで、少し面倒ながら、トンネルをそのまま潜り、いったん国19に出て、反対側から迂回しながら山の上へ。
登りきった所が少し広くなっていて、公園のようになっており、なぜか大きな時計が設置されている。
そこに、中山道がモニュメントとして、保存されているのだ。

山道をそのまま下る。
道順は若干ややこしいけれど、資料や案内板を頼りに走り、国19を超えて、県道461(旧国道19)に沿う道に出る。

そのままいったん県道461に出て、すぐに右の道に分岐。
50mほど先に日産のディーラーがあるのが目印だ。

ここはくねくねと独特のうねりがあり、旧街道らしいオーラを残す道だ。
左手奥、国19沿いに木曽町の合同庁舎が見える。

と、思ったら、右!
まるで民家の庭石のように溶け込み、うっかり通り過ぎそうなシチュエーションで、「塩渕一里塚跡」。
少し先の分岐は右へ。

整理事業?の工事中になっていて少々ややこしいけれど、標識に従い、町役場前を通過、そのまま「木曽福島」駅前に出た。

さぁ、木曽福島駅!
「ワイドビューしなの」も停車する、木曽路の代表的な駅だ。
宿場としても、木曽路最大規模を誇ったとされ、江戸期も現代も、木曽路の中心的な存在だ。

駅前の中山道は、旧街道を意識して薄茶色の舗装が施され、土産物屋や旅館も並んでいる。
特急停車駅で利便性も抜群のため、観光客も多いからね、久々に活気ある風景だ。

そのうちの1つ、威風堂々とした日本旅館「つたや」。
その前で道は二手に分岐。
どっちかっていうと、右の方が中山道に近いらしいけれど。
正真正銘の中山道は、どうやら中央本線の敷地内に眠っているらしい。
つまりこの分岐、どっちも本物の中山道ではないってことやね。

案内板に従い、このまま左(県道269)を選択し、トレーニングを続行!
700mほどて、中央本線の上を渡る形になるけれど、その手前で左折し、川を渡るのが正解だ。
ここから中山道が復活。
そしていよいよ本格的な宿場風景となる。

この宿場も枡型がおおいからね~、案内板を注意しながら走る。
橋渡って突き当たりを左折、すぐに右折。

この辺りが「上之町」(または上ノ段)と呼ばれ、最も旧街道らしさを残す地区とされる。
高札場も復元されている。

道なりに走って、十字路を右折。
今度は「本町」というらしい。

100mほどで、「支所前」の交差点。
ここでちょっと寄り道。

左折し、木曽川を渡った所にあるのが、「山村代官屋敷」。
当時のままの姿で保存され、資料館として整備されている。

ちなみにこの渡った橋、江戸期から山村屋敷往来のためにあったため、かなりの歴史もあるらしいけれど、何度も洪水に遭い、1926(昭和11)年、世界初のコンクリートローゼ桁橋として建設されたとか。
現在では「大手橋」の名前が付いている。

ところで「コンクリートローゼ」って何や?
ごめんね、それがわからないから、凄さを理解できない。
理数系大嫌いなコスモタイガー、そこはスルーさせてね。

それよりも山村って誰?って話の方が俺、好きだなぁ。
元々は木曽氏(木曽義仲の末裔)の家臣だったものの、徳川の世になってからは、木曽の代官としてこの辺りを治めた一族やね。

資料館、見学したい気持ちはあるものの、今、トレーニング中だし!(はいはい)
のんびりし過ぎて、後で慌てるのも困るしねぇ。
ってことで、外から建物を拝見するだけに留めておく。

再び「支所前」の交差点に戻り、中山道を先へ。
今度は右の道に入り、やや高い位置にあるのが「福島関所跡」。
こちらも当時の姿のまま復元され、中を見学できる。

東海道の新居関、箱根関、中山道の碓井関とともに日本の4大関所と云われ、取締りが厳しかったとされる。
この関所を管理したのが、さっき寄り道した山村氏。
この関所があったからこそ、それを前にした福島宿が大きく発展した、というわけだね。

碓井宿は、いずれ巡り合うことになりそうだけど、あとの2つは、すでに東海道編で通過済み。(旧東海道編8、36)
といっても、ホントに素通りしただけなんだけどね。
今の時代に生まれて、有難いことやね。

ってことで、ここでも関所破り!
写真だけ撮ってトレーニング継続!

すぐにさっきまで走ってた道に合流し、直進すると、「関町」の信号で、国19バイパスに吸収される。

100mほどで左の小道に分岐。
そのまま直進すると、200mほどてまた分岐があるからここを右。
頭上には立派な国道(361号)が通る。

さらに200mほどで、再び国19バイパスに吸収。
左手、木曽警察署が目印だ。

「矢崎橋」の信号も直進。
いかにもバイパス的な感じで、中山道らしくない。
きっとここも、山側(中央本線側)に入り込んで、絶壁を縫っていたんだろうね。

400mほどで、右手にコンビニが出現したところで、左の道に入っていく。
すぐに保育園がある。

残念ながら、足を止めるほどの見所は、しばらく期待できない。
というより、この保育園から先も、資料によってバラバラで、どうやら、本来の中山道は中央本線敷設時にかなり破壊されたらしい。
山間に囲まれたわずかなスペースに、いろんな物を建設してきた苦労が偲ばれるね。

案内板が要所にはあるから迷うことはないけれど。
そして手元の資料等を頼りに、いったん国道に出て、線路を越えてからすぐ左折。
この辺りからは再び中山道となる。

のどかな山村風景の中に、ポツンと小さな森があり、入口に鳥居が建っている。
「手習天神」。

木曽義仲の守役、中原兼遠なる人物が、「義仲坊ちゃんが勉強できますように」と願って勧進したということらしい。

さぁ、そしてここからの道順はややこしいんだ。
しっかりリサーチしたはずのコスモタイガーでも、若干迷いつつ進む。

右にカーブした地点にカーブミラーと自販機があり、その間の未舗装の道を下る。
まさに、地元の人が農作業でしか使わないような草道なんだけど、正真正銘の中山道らしい。

民家の庭みたいなところを走らされ、右にカーブすると、小さな橋。
下を見るとちょっと怖い!

川を渡ってすぐ右折、すぐに左折して、草むら?としか思えない悪路へ進入。
ホントにこれで良いのか?と不安いっぱいだけど、道は左に大きく曲がり、資料の通り、ガードレールの隙間がアスファルト道に出る。

あとは鋭角に右後方へ、このアスファルト道を進む。
こんな鋭角は不自然だから、ここもかつては草むらの道が直進し、自然な形でこの地点に出てたんだろうけど。

アスファルト道を進むと、右手に小さなスーパーがあり、すぐに右後方からやってきた県道267と合流する。
周囲は山に囲まれ、のんびりした気持ち良い道だ。

500mほど走ると、忽然と看板が現れる。
町内会の掲示板かと思いきや、「中山道中間点」の文字。(冒頭写真)

京・江戸両側から、67里38町(約268km)。
ついに中間点までやってきた!
あと半分なんだよな~。

と、感慨に浸ってしまいそうだけど、それは地図上の話。
ここからの残り半分の方がはるかに過酷なんだけどね。

ここまでは、なんやかんやと言いつつ、名古屋から比較的近いしね、大きな峠といえば、馬籠峠ぐらいでしょ。(旧中山道編15参照)

ここから先、鳥居峠、和田峠、碓氷峠と、主だったところだけでも3つの厳しい峠越えが待っている上に、そこまでの往復を考えると頭が痛い。

400mほどそのまま走ると、左手にポツンと小さな駅舎が見えた。

「原野駅」。
普通しか停車しない、無人駅で、周囲は売店や自販機の類もない。
今日は過激な峠越えとかもなかったから、まだまだ余力はあるけれど、時計を見るとまもなく15時半になろうというところ。
電車の時刻も考慮しないといけないからね、ここをゴールとする。

今回も20kmぐらい走ったかな?
でも中山道だけなら15~16kmというところか?

自分以外には利用者は誰もいない。
もとい、一人ならぬ一匹居た。
ネコちゃんがベンチの上でのんびりと寛いでいた。
起しちゃったかな?
ごめん。

着替えてから、駅舎の写真をおさめ、あとはまもなくやってくる電車を待つのみ。
周囲には自販機すらないから、冷たいジュースも飲めないけどね。

定刻通りやってきた普通列車に身を任せ、鈍行列車の旅を楽しみつつ、帰路に着くコスモタイガーであった。

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