電停の道が紀州街道で、それを横切る大小路筋。
この大小路筋を東へ向かってスタート!
今も立派な幹線道路で、かつての街道を忍ぶ雰囲気ではない。
阪神高速をくぐり、何やらエレベータまで設置してあるヘンテコな形の歩道橋も超える。
しばらくすると右手に立派な高層ビルが現れる。
堺市役所ね。(冒頭写真)
最上階(地上80m)は展望ロビーになっている。
名だたる古墳群を一望できる人気スポットで、しかも無料!
「あべのハルカスや通天閣よりお値打ちだがゃ~」と感じるし、ぜひ行きたいところではあるが、まだトレーニング開始したばかりだしね…。
大きな交差点は「堺東駅南口」で、その名の通り、正面には南海電鉄高野線の堺東駅。
南海本線堺駅に準じる、もう一つの堺市の玄関口である。
この交差点を右折し、市役所に沿って南下。
50mもするとコンビニがあって、その裏へ入っていくような小道、これがかろうじて残る西高野街道だ。
都会の雑踏から一気に街道らしい道になる。
この瞬間がたまらんな~。
ペースが少し上がる。
変則の5叉路にはお地蔵さんも建ち、正面電柱には「←竹内街道」とあるから、迷うこともない。
南海高野線を踏切で越え、道なりに進む。
市内中心に近いのに、くねくねとうねり、小さな祠があったりと、いかにも旧街道らしく、大阪市内の暗峠越奈良街道を思わせる雰囲気ではある。
やがてYの字分岐となった。
右手には祠が建つ。
「高野山女人堂十三里道標石」なるもので、いわば私設の一里塚といえようか。
江戸末期の1857(安政4)年、地元のお百姓さんたちにより、高野山まで約1里ごとに13基建てられたという。
そしてその全てが現存しているというから素晴らしい。
さらに正面の分岐点には石柱が建ち、ここで竹内街道と西高野街道が判れることを示している。
後ろ髪を引かれるようだが、ここは予定通り、右の西高野街道へと進む。
しばらくして街道は南海高野線をオーバークロス、設置された道標を見逃さないよう走る。
歩道橋を渡り、降りたところが国道310号で、その歩道が旧街道ということになるようだ。
さて、右側には立派な堀があり、その向こうに大きな森が鎮座している。
実はこれこそ、あの有名な前方後円墳、仁徳天皇陵であり、その一部をなす(陪塚)茶山古墳がコブのように出っ張っている。
(翌2019年7月、「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録されました)
さらに100m少々走ったらまた別のコブがある。
大安寺山古墳、という名がついている。
国道をそのまま走り、JR阪和線を陸橋でまたぐ。
左手には三国ヶ丘駅だ。
この辺りで旧街道は完全消失しているようで、しばらくは国310を走るしかないんだよね。
左手にはジョーシン電機が見えるけど、恐らくこの辺りで左にカープし、ジョーシンの敷地内を通っていたんだろうと推測…するしかない。
消失してるからどこで左折してもいいんだけど、国道走っててもつまらないからね。
最初の道を左折して1本東の道を走る。
すると200mほどで互い違いの十字路になるからそのまま直進。
ここからが旧街道復活、となるようで、急に道がそれっぽくなる。
国道310に近づいたと思ったら街道はT字路となり、左折する。
さらにくねくねと市街地の中を走る。
御廊表塚古墳なんてものもあったけど、古墳の看板があちこちあって、気にしてたらキリがないから先へと進む。
この辺は旧街道らしい雰囲気ではある。
数分で中百舌鳥駅が少し離れて見えてくる。
このまま道なりに進む。
さらにくねくねと走れば、国360に再合流。
目の前は大阪公立大学(旧大阪府立大学)である。
きっと旧街道は大学のキャンパス内を通って、左へカーブしてたんだろうな、と地図を見ながら思ったりする。
だからキャンパスの正門(多分…)前の信号から再び左に入る道が旧街道だと、何となくわかる。
ロータリーのような円形の交差路をそのまま進み、左手には立派な公園があり、癒しの風景。
白鷺公園、というらしい。
池を中心に整備され、グラウンドや野球場もあるようだ。
小さなお子さんを遊ばせている家族連れも散見される。
1本道で迷うところもなく、ペースが自然と上がる。
左にため池を見てさらに直進。
左側に見えてきました、祠と道標。
高野山女人堂十二里道標石。
ついさっき見た十三里道標石から約4km走ったことになるね。
旧街道は直線的にひたすら南南東へ向かっている。
大きな鳥居があって、これは出雲大社大阪分祠ということだけど、いずれぜひ本物の出雲大社を拝んでみたいなぁ、と思ったりする。
右手、街道沿いに「惟妙寺」(ゆいみょうじ)。
謂れとかはわからないけれど、静かな佇まいのお寺だ。
すでにランチタイム真っ只中。
でもこんなところでランチタイムなんてするわけない。
立派な高架の下をくぐる。
阪和自動車道だ。
さらに300mほど南下すれば、中茶屋の法界地蔵尊。
新しく手向けられた花が、地域の人たちに愛さているんだなぁと感じさせる。
「中茶屋」の地名からして、この辺りにはかつて茶屋があったんだろうね。
街道ばかり走ってると、地名だけでそんなことを連想するようになる。
くねくねと古い住宅街の中を分かりやすく道は続いている。
800mぐらいか?
Yの字分岐となり、そこに当時のままの道標と祠が建つ。
「延命地蔵菩薩」
ここで視線を道に移すと、旧街道らしい趣ある町並みがかなり残っていて、なかなか楽しく走れる一角ではある。
快調に足を進める。
中茶屋の町並みを出てしまえば、街道らしい雰囲気は残るものの、これといったシャメスポットもなく、快調に足を進める。
「福田南」の交差点で国310を横断し、そのまま直進。
どうやら福田という町(集落)に入ったようで、右手、福田公園という名の児童公園を過ぎ、さらにぽつんと小さな福田地蔵尊。
その先で、さっきの延命地蔵菩薩のところで分岐した道と再合流する。
ここからしばらく、この旧街道は市境の道となり、右側が堺市、左側が大阪狭山市、ということになる。
どこからか、13時の時報を指す鐘?が聞こえてきた。
ちょうど中間点を過ぎた辺りであろうか。
まだまだコスモタイガーのトレーニングは続いていく。
(※次回へ続く)
走った時点ではまだ世界遺産に登録されてませんでしたが、百舌鳥古市古墳群は、周囲が割と発展していて、良い意味でのアンバランスさが楽しめます。
堺市役所はきっと隠れた絶景スポットなんでしょうが、走ってる状態では厳しかったので断念しました。
機会あればぜひ再訪したいところ。
高野へ向かう街道はいくつもあるようですが、主に東高野街道と西高野街道のようで、やはりこの2つは案内も比較的されている上、いい具合に名所旧跡も点在しているようです。
ぜひ機会あれば歩いてみてください。
「あべのハルカスや通天閣よりお値打ちだがゃ~」と言われている堺市役所の最上階の展望ロビーから古墳群を一望してみたいです。
さすが、由緒ある街道は、要所に、高野山女人堂十二里道標などの石祠や道標があって分かり易いですね。