一週間後。
コスモタイガーは「ドニチエコ切符」利用で、上飯田を経由し、再び名鉄小牧線「牛山駅」に降り立った。(冒頭写真)
まだ夏真っ盛りながら、空は白い雲に覆われ、暑さの方は小休止。
まさに街道runには好都合だ。
相変わらず近けりゃ近いでのんびりしてしまうズボラな性格で、すでに時計は正午過ぎ。
駅舎の記念撮影?だけを済ませ、さっそくトレーニング開始。
駅の南側の道を西へ50m先、十字路に出る。
ここから北上するのが上街道で、前回の続き。
のどかな住宅街の中を走る道。
楽しいけれど、特に見所はない。
800mぐらい進んだかな?
少し広い道に出て、顔を左に向けると交差点がある。
「南外山」。
その右角には「天神社」が鎮座している。
上街道は、ここでいったん県道に出て、天神社の裏から再び旧街道が復活。
と思ったのは束の間。
約100m先で「外山神社」にぶつかって、行き止まり。
再び左折し、県道を走る。
次の信号が「北外山」。
小休止、と言いながら、いざ走り出せばすぐに汗が噴出してくる。
どうもこの辺り、完全な形で街道を辿るのは難しいらしい。
手元の資料によれば、実際には県道の左右を、酔っ払いのように?くねくねと曲がりながら北上していたとされる。
「若草町」の信号を渡ったらすぐ右折。
最初の道を右へ曲がって北上。
「小牧南小学校」の手前から、旧街道が復活しているようだ。
県道とランデブーしつつ、小学校の東側をなぞるように緩やかに左へカーブし、道は続いている。
県道25号を横断すると、落ち着いた感じの街並みになってきた。
恐らくこの辺りからが、かつての「小牧宿」なんだろう。
くねくねと曲がった道が、確実に街道であることを伝えてくれる。
緩やかに右へカーブ。
大きなマンションが右に見える。
と、その向かい側!
随分と立派な木造のお屋敷を発見!
小牧市指定の有形文化財、「岸田家住宅」。
岸田家は小牧村の旧家で、小牧宿の脇本陣も勤めていたとされる。
平凡な街中にも関わらず、ポツンと残されているのが印象的だ。
リサーチに従い、ちょっと寄り道。
岸田家の角を左折すると、すぐあるのが、「小牧代官所跡」。
こちらは本陣も兼ねていたらしく、まさにここが小牧宿の中心だ。
そしてこの本陣跡は、さらに遡ると、尾張徳川家の「小牧御殿」の跡、要するに別荘だったんだね。
江戸時代になって、尾張藩が整備した上街道。
宿場を設置した際に、別荘を本陣にしたってことらしい。
街道に戻り、さらに北上。
県道197との交差点には古い道標があり、ここが清洲街道との追分であったことを教えてくれる。
さらに道なりに。
民宿らしきお宿もあったりして、何気に癒される。
広い幹線道路に出て行き止まりとなった。
正面には、「戒蔵院」という由緒ありげなお寺。
その前に古い道標が残る。
「南 名古屋、東 木曽海道 犬山」と読める。
道標に従い、東(右)へ向かう。
ちなみに西へ向かえば、約700mほどで、小牧城。
あの「小牧長久手の合戦」の舞台になった、小牧山なのだ。
名古屋の北にある、地味なベッドタウンのイメージの小牧市だけど、こうしてゆっくり走ってみると、随分と歴史が埋もれていることに感動する。
すぐの信号が「小牧3丁目西」で、ここを左折し、再び北上。
右側は「ラピオ」の名が付いた、大きなショッピングセンタ―になっている。
道なりに走る。
国道155号を横断。
宿場はこの辺りで終了なのかな?
約200mで、県道102に合流。
しばらくは見どころもなく、県道runが続く。
東名高速の下をくぐり、さらに走ると、またしても国道155号。
こちらはバイパスの方だ。
交差点には「小牧原」の名前が付してある。
周囲は人家よりも、大きな工場や物流センターが目立つようになってきた。
いかにも郊外の雰囲気だ。
「味岡口」の信号を渡ってすぐのところが藤岡一里塚跡ということらしいが、特に何もなかったのか、コスモタイガーが見落としたのか、素通りしてしまった。
右手に小牧線が近づいてきた、と思いきや、味岡駅前に出た。
ここで左へと分岐する細い道が目に入る。
間違いない!
これが上街道だ。
喜びは束の間で、約200mで、県道179にぶつかって終了。
本来はこの先も続いていたんだろうけど、現代では、右手すぐの「久保新町」の交差点に出るより他はなし。
ここで県道の番号が「27」に変わったけど、上街道としてはそのまま直進。
600mほど走る。
左側に大きな神社。
久しぶりのポイントらしいポイントだ。
田懸(たがた)神社。
男根を御輿に担ぐ奇祭が有名だとか。
ちなみに最寄の駅は「田県(たがた)神社前」。
この辺りの地名も「田県町」になってしまっているのが、少し残念だったりする。
約200m。
細々と左に分岐する道を発見!
あまりのひっそり感に不安になるけれど、資料によれば間違いなくこれが上街道。
「久保一色」の信号が目印だ。
いいねぇ、一気に古道らしい雰囲気になった。
スーパーとパチンコ屋の合間を縫うように古道が残っている。
残念ながら、パチンコ屋を過ぎるとまた行き止まり。
右折して、再度県道27に出るしかない。
わずか200mほどで、再び左斜めへ入っていく小道がある。
迷わず、この道を選択。
300mほど進んだ右手には、小さな石標が並ぶ一角があった。
「楽田城北の門石仏門」の跡との表記がある。
肝心の楽田(がくでん)城は、ここから300mほど東、名鉄の線路を越えた先に楽田小学校があり、ここがその城跡とされている。
14世紀初めに織田久長なる人物により築城され、小牧・長久手の合戦では、豊臣方の前線基地の役割を果たした。
ということは、今走ってるこの道は、江戸の泰平の時代になって尾張藩が整備した以前から、重要な道として機能していたというわけだね。
さらに進むと、道は右へと緩やかにカーブし、県道27と斜めに交わる。
ここは交わるだけで、旧街道が分かりやすく残っているから迷いようがない。
ここから上街道は、県道188号に指定されているらしい。
400mほど、静かな住宅街の中を縫うように走る。
するとYの字型の分岐点。
正面に可愛らしい教会があるのが印象的だ。
そう、ここが楽田追分ね。
ここまでは上街道と稲置街道の重複区間。(旧上街道編1参照)
稲置街道はここで左に分岐、上街道は右。
左の道も走ってみたい衝動に駆られるが、またの機会にするとして、今日はおとなしく?右を選択。
すぐに名鉄小牧線を横断。
くねくねした道が、明らかに旧街道であることを伝えてくれる。
そして周囲には、田園が広がり、眼前にはこれから分け入っていく山々が近づいている。
ここまで来ると、都会の喧騒から離れた気持ちになり、走っていて楽しい。
当分の間、この道に沿って走るだけで、落ち着いた気持ちで街道runを味わう。
右手に祠のような小さな神社があったりして、ほっこりする。
さらに進むと「朝日」の交差点で、県道16号と交差。
久しぶりの信号だ。
県道188から外れる形になるけれど、街道としては道なりに直進!
600mほどで正面に小さいながらも変電所がある。
周囲は何も無いから、目印としては好材料。
この手前を道なりに右へカーブする上街道。
やがて小さな川を渡る。
「合戦橋」の名前に興味をそそられる。
今度は左へカーブ。
いくつか分岐はあるものの、明らかに1本の道として続いており、この辺りはのどかな風景とともに楽しく走れる。
自動車もほとんど通らない。
「前原」の交差点に到着。
ここも直進。
再び県道188。
左に立派なお寺があって、久し振りのチェックポイント。
「福昌寺」というらしい。
小さな池を右に見て、そのまま進むと、県道188は広くなった。
その向こう側には大きな池があり、「新池」と名が付いているらしい。
道路の右側、少し離れて歩道になっていて、ここが本当の意味での旧街道かもしれない。
国道41号のバイパスのガード下をくぐる。
「城東橋西」の交差点を過ぎ、小学校の脇を通過。
約100m先を右斜めに。
まぁ、要するに県道188に従うだけで、ここは迷うところじゃないけどね。
田畑が多いため、ちらほらと溜池なのか調整池なのか、夏の最中にはありがたい涼しさを感じられる。
このまま県道を走りたいところだけど、その先、県道は左へ緩やかにカーブ。
直進する細い道があり、手元の資料の1つは、そっちへ行くよう指示している。
迷うところだけど、ここは直感を信じて直進!!
右手に用水路のような小川が寄り添う。
尾張パークウェイの下をくぐり、その先約100m。
左手のわずかな踏み跡を辿って民家の脇に下りる。
すると県道186に出る。
おそらくここは厳格な意味での上街道は消失しちゃってるんだろう。
地図をじっくり観察する限り、尾張パークウェイの潜った辺りから、この県道との交差地点までを斜めに通っていた感じがする。
そのまま県道を渡れば線路にぶつかる。
踏切の向こうに上街道は続いていて、とても魅力的な雰囲気が漂うけれど、今日はここでコースアウト。
ちなみにこの線路は、名鉄広見線。
犬山~御嵩間を結ぶローカル線だ。
途中の新可児駅がスイッチバックのような作りになっているけれど、すべての列車は新可児駅で乗換となっており、実質は犬山~新可児・新可児~御嵩間の2つの路線によって構成されている。
そうそう、御嵩駅ね。
中山道に出てきた名前だね。(旧中山道編11・12参照)
線路沿いに200mも走れば、無人駅の善師野駅に到着。
今日のところはここをゴールとする。
実走16~17kmといったところか?
標高としては少しづつ登っているはずだけど、感覚としてはほとんど平坦。
旧街道トレーニングとしては軽めだけど、交通の便を考えると妥当なところ。
まだ16時前。
夕暮れという雰囲気もないけれど、早々に帰宅して、のんびり晩酌にでも預かろうか。
広見線で犬山駅に出て、犬山線で上小田井駅。
ドニチエコ切符買ったからね、ここから地下鉄利用で、旅情色0。
さぁ、上街道、恐らく次回がクライマックスであり、かつ最終回ってことになりそうだ。
そういえば東海道57次(京街道)もリーチ状態だったな。
どっちを先に片付けよう、などと考えつつ、地下鉄でうたた寝してしまうコスモタイガーであった。
小牧には行ったことはありませんが、名鉄を利用してなら学生時代に友と明治村を見学しました。
どのような路線を使ったかまでは、記憶にありません。
ライン下りをして、独りで犬山城にも行きました。
天守閣からの眺めは、ひろやかで絶景でした。
そうですか、大阪の北浜にお住まいとは好立地です。
仁徳天皇が、難波の質素な萱葺きの高津の宮で、高台に登って飯時にも拘わらず飯を炊く煙がみえないと、3年間税と役をやめたのもこの辺りらしいです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d6fdf7ce2e5de96f377796aeae0e84b5
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小牧山城は再建されたもので、城自体はしょぼいですが、名前の通り、高台にあり、結構ボリュームありますよ。
犬山城と明治村は地味な愛知県において、数少ない全国区の観光地、といっても良いのかな?
犬山城は現存天守で国宝にもなってますしね。
毎年2月の犬山ハーフマラソンも伝統ある大会で、公認レースにもなっているため、そこそこ有名どころもやってきます。
明治村もTVのロケに良く利用されてます。
NHK受け?するのか、現在放送中の「半分青い」にも使われましたし、ちょっと前の「花子とアン」もここでロケしました。
背景が明治のままですからね、その時代のドラマなら、これ以上の場所はないでしょうね…。
あとは、民放なら、浅見光彦シリーズ、「美濃路殺人事件」(笑)。
北浜地区。
知人友人に「便利で良いね」と言われますが、平日の北浜しか知らない人はきっとその印象なんでしょうけど…。
土日はひっそり。
飲食店も土日休みが多いし、病院も土日休みが大半。
小さなスーパーが1つあるだけ。
そりゃそうですね、官庁街ですから(笑)。
風邪ひいても、なかなか医者にも行けません…。
結構不便だったりします。
ただ大阪城が近いので、ランニングには困りませんし、少し南下すると、難波宮跡なんていう史跡もあり、興味をそそられます。
さすがにこの時代の歴史はあまり詳しくありませんが、平城京よりさらに時代を遡ることになるのでしょうか?
ブログのネタバレになってしまいますが、高槻市の今城塚古墳。
今は公園になっていて、大人も子供ものんびり過ごせます。
街道runの途中に寄りました。