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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(1)

2017-09-14 | 熊野古道伊勢路run!!

伊勢神宮は、説明不要なほどの超有名なパワースポット。
全国のあまたある神宮・神社の中でもっとも格式高いとされている。
よって伊勢神宮なんて呼び方は通称で、正式には単に「神宮」。
そう、神宮と云えば即、お伊勢さんのことを指す。

大きく分けて「内宮」と「外宮」があることも当たり前といっても過言じゃないほどだけど、それぞれの正式名称は皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)、と称する。
(※伊勢街道runのゴールで来てるからね、伊勢神宮についての詳しい能書き?は、旧伊勢街道編6を参照してね)

今、コスモタイガーが立っているのは内宮。(冒頭写真
正規の作法としては、まず外宮にお参りしてから内宮だけど、熊野街道の出発点がここ内宮だからね…。
それに、伊勢街道runの際、ちゃんと作法通り?にお参りしてるしさ。

てなわけで、まずはお参り。
何せ広大な敷地だからね、若干駆け足気味だけど。








神社なんて若いころはさして興味湧かなかったけど、歳を取ったのかなぁ、癒されるわぁ~。
ただでさえ暑いのに走る気無くしそう…。

とりあえずお参り終了!
宇治橋を渡れば、そこは伊勢街道のゴール地点、そして熊野古道伊勢路の出発点!

目の前には赤福の内宮前支店で、思わず涎が垂れそうだけど、ここでのんびりし過ぎちゃ何しに来たのかわからなくなっちゃう。
さすがにそろそろスタートしないと…。

と言ってもさ、ここから外宮までは、熊野古道=伊勢街道の重複区間。
要するに旧伊勢街道編6を逆走するだけ。
だから細かいルートは省略!

さぁ出発!
おいしそうな香りが漂う中、おかげ横丁をゆっくり走る。
右手に赤福本店。

猿田彦神社も再訪。
一応手を合わせておく。

右折すればすぐに上り坂となり、街道らしい雰囲気となり、しばらくすれば古市集落。
かつての遊郭街の繁栄はなく、静かな街並みが横たわる。

ってか、内宮と外宮の間に遊郭!
昔の人はお参りの最中にそんなことして遊んでたのか!と勘繰ってしまう。

道なりに走るだけだからこの辺は地図確認もいらない。
近鉄鳥羽線を超えてしばらく。
右手に「マリア保育園」は記憶に新しい。

で、御木本道路に再会し、そのまま右へ行けば、今度は「外宮」の大きな森が左手に。
なるべく正確に旧街道を走りたいしね、最初の変則交差点で右にランデブーする道(県道37号)にここで入る。
とはいえ、逆走してるだけだから、そんなに気にする必要もないんだけどね。

「外宮北」の大きな交差点。
すぐ左手には外宮の正門。

さすがに観光客らしき人が多い。
外国人も多く、さすがお伊勢さんだ。

さぁ、ここも当然お参りね。
といってもここが目的地じゃないから、サクッとね!




もっともこの外宮参道自体が熊野古道の一部らしいんだけど。
だから外宮をお参りすることは寄り道でも何でもない。


観光客の奇異の眼差しの中、汗だくだくで境内を小走り、順路に従ってお参りを済ませ、「北御門」から敷地の外に出る。

すぐ前の信号を左折して、某電話会社の大きなビルの前を通過。
ここも伊勢街道で通ってる。
実はもう少し伊勢街道との供用区間が続いてるんだよね。
がまんがまん!

反対側に横断しておこう。
で、すぐに右側に一見してわかる古い建物。

はい、「小西萬金丹薬舗」。
もう2回目だから、特に感慨もないけど、シャメだけ撮っておこう。

道路の反対側には小児科もあるようだからね、現代では処方箋も扱ってるのかな?などと、どーでもいいことを考えてみたりする。

筋向橋。
はい、本日の第1チェックポイント。
供用区間はここまで。

狭くなってるけれど直進するのが、すでに制覇した伊勢街道。
逆からだと目立たないねぇ。

で、熊野古道は道なりに左。
そのまま県道(22号)を走ることになる。

いよいよここから本当の意味での熊野古道!
初めてのコースだけに、テンション上がってきた!

といってもしばらくは見どころらしきものはなく、市街地を走るだけ。
「津久留」という信号から、県道は徐々に左にカーブし、まもなくガソリンスタンドがあるのが目印。

街道はいったんここで途絶。
正面は宮川。
ここで堤防に上がるため、右の脇道に入る。

お伊勢さんのおかげで少し信心深くなったかな?
小さな祠があったから、軽く手を合わせておく。

河川敷のだだっ広い公園を500mほど北上。
堤防の上に登り、すぐに県道(37号)に入って橋を渡る。
「度会橋」ね。

渡ったらすぐ左。
反対側の堤防道路ってことだけど。

約200m。
右に降りていく道がある。
ここに「柳の渡し」の案内板が掲げてあり、その隣には熊野古道伊勢路の幟がはためいている。


そう、街道が途絶した理由ね、対岸からここまで渡し船だったんだ。
そしてここから再び歩いたんだ。

それにしてもここからの宮川の風景、素敵だなぁ。
思わずシャメしてしまった。


案内板の裏手には何やら資料館のような建物がある。
尾崎咢堂記念館。
誰それ??
いずれにせよ熊野古道とは関係なさそうだから、このままスルー。
(※帰宅後調べたところ、戦前に活躍した政治家、尾崎行雄の雅号だそうです。)

突き当りを左折すれば、「地蔵堂」というお寺がある。
久しぶりに街道らしい、静かなうねり道となった。

道なりに左、そして「板東」というバス停を過ぎたら右へ。
自動車修理工場を過ぎると、突然家並みが途絶え、両側、田んぼが広がる風景となった。

汁谷川という小川に小さな橋が架かっていて、ここに庚申塔が建ち、この道が熊野古道であることを教えてくれる。
そしてここで行政区域が伊勢市から玉城町へ変わるらしい。

左に城田幼稚園、城田郵便局を見て直進、さらに上地町の信号で県道を渡る。
踏切でJR参宮線を横断。

ひたすら真っ直ぐ西へ道が伸びている。

再び集落の中に入ってきたなぁと思ったら、「小林政太郎生家の碑」。
ごめん、誰??

すぐ、外城田(ときだ)川を渡ると、田丸地区。
ここはいかにも旧街道らしい雰囲気が残り、足取りが自然とゆっくりになってしまう。

国生神社、光明寺。
いいねぇ、街道らしい史跡だけど、トレーニング優先ね♪

T字路になった。
右折。

さらに50m、百五銀行の手前で左折。
升形かな?
城下町風情だねぇって、実は城下町なんだけどね。

どうやらこの道は県道(530号)に指定されているらしく、田丸地区の人々にとっては重要な生活路線なのか、車の往来が多い。

150mほど進むと、変則十字路となり、県道はここで左折。
というより、熊野古道もここで左折!

実はここ、追分なんだね。
道標も残されていて、「右紀州街道」は確実に読める。


説明書きによれば、ここで初瀬(はせ)街道と熊野街道(熊野古道)が合流し、そのままお伊勢さんに向かう。
もちろんこれは京・大阪方面から歩いてきた人を想定してるわけで、伊勢から走ってきたコスモタイガーからすると、ここで2つの街道が分岐するってことになる。

もちろんコスモタイガーも左折(南下)するんだけど、せっかくここまで来たんだからと、あえて直進し、初瀬街道へ。

といっても初瀬街道、リサーチなんて全くしてないからね、今回は目的対象外。
目指すは目の前にある田丸城跡!
JRさわやかウォーキングのパンフレットなんかでたまに案内されていて気にはなっていた城跡さ。


田丸城。
南北朝時代、南朝方の北畠親房・顕信によって築城されたとされる。

その後、1342(康永元)年、足利尊氏によりいったん落城するものの、再び北畠氏により再建され、紆余曲折ののち、紀州藩の管轄となった。
城代として、家老の久野家が治め、幕末まで続いたものの、明治維新により取壊しとなった。

お堀を渡れば、左に玉城町役場、右には村山龍平記念館。
これまた何者なのかしらないけど、立派なハコモノがある。

その奥は玉城中学で、隣に保育園。
要するにこれらが今も城跡にあって、今も昔も玉城町の中心なのだ。

残念ながらのんびり城跡めぐり、とはいかない(泣)。
とあえず本丸跡に登り、田丸の街を見下ろして、自己満足終了。
はい、下りましょう!

シャメも取らずに下り、追分地点に戻り、熊野古道に復帰。
南下し、踏切を渡る。

ここでゴールにすることも頭をよぎる。
田丸駅はすぐ左手にあるからさ。

逆にここをスルーすると、JR参宮線とはおさらばだから、一気に不便になる。
でもちょっと物足りないんだよね。
前半はほとんど「供用区間」だったし。

ってことで、トレーニング継続。
案内板に従い、踏切のすぐの分岐を右折、道なりに左、右と走る。
東海道に例えるなら、「○○曲がり」ってやつだね。
何回曲がってるか勘定してないけどさ。

T字路で左、南下すると、その先、水路のような外城田川で行き止まり。
ここにあるのが庚申堂。

左折して県道530に戻り、外城田川を渡る。
「田丸大橋」の名がついている。

「勝田」の交差点。
ここで右折。
しばらくはこの県道13号がお相手。

1kmぐらいはただ走るだけ。
「勝田西」の交差点に、古い道標を発見し、わずかな痕跡を感じるのみ。

その先に二股。
ここも県道(右)を選択。

右手にポツンと立ってるお地蔵さんが「接待地蔵」。
地中に埋もれていた台座が発見され、お地蔵さんは新しく建立されたとか。
単調な県道runの中で、久しぶりのチェックポイントだ。

ちらほらと民家があるものの、のどかな風景の中、ひたすら県道を走る。
立ち止まるような見どころもない。
ただ、道がうねってることが、かすかに街道らしさを伝えてくれる。

どれぐらい走っただろう?
右手にガソリンスタンド。
そこから約200m。
右に分岐する小道をようやく発見!

やっと街道らしい道になった。
地図によれば、「原」という集落らしい。
直線に延びる静かな風景に見入ってしまった。


階段を上がった所に「巡礼道引観音」なる多数の石仏があるらしいけれど、先を急ごう。

道は90度左へカーブ。
そのまま県道を渡って直進。
突き当りを右折。
街道名物?の郵便局を通過。

くねくねと街道らしい道が続き、この辺りは楽しいけれど、県道runが意外に疲れた。
しかも暑い!
いつの間にか行政区域は「多気町」になった。

Y字型の地点に出た。
正面には由緒ありげな古刹、「永昌寺」。


お参りを済ませ、左の道を選択。
お寺の裏、といってもいい距離だけど、ここでまたY字分岐があって、狭い左の道へ。

道なりに右へ曲がったところに、いかにも登っていく感ある狭路があり、ここに道標がある。

現代版の道標も並んで建ち、このまま今の道を進むのが和歌山別街道で、この狭路を入っていくのが熊野古道と案内してくれている。
つまりここが追分ってことだね。


さて困った!
体力的にはまだ余力あるけどさ、ここから足を踏み入れると、ますます「交通機関皆無区間」に入っていくことになる。

それどころか、このまま走れば、熊野古道伊勢路最初の峠越え「女鬼峠」に分け入ることになる。
すでに時計は15時を過ぎている。
厳しいなぁ。

かといって、今ここでやめてどーするの?という話。
一応、さっきの永昌寺の前に「野中」の停留所があって、多気町営のバスがあるらしいんだけど、戻って確認したら、1日1往復!
しかも朝7時台(泣)。

まぁ、明らかに地元の人たちの朝、出勤・登校のためもの。
よそ者には使えねぇ~。
とりあえずもう一回、永昌寺を記念にシャメっておく。


北上して「野中」の交差点。
この辺りはそういう名前の集落なんだろう。

地図で確認すると、目の前をまっすぐ(北上)する県道119号。
この道をひたすら走れば多気駅。
強いて言うならこの多気駅が最寄り駅ということになる。

多気駅自体は、ワイドビュー南紀も快速みえも停車する紀勢本線の主要駅で便利だけどね。
若干の起伏と約5kmの道のりがあるからしんどいなぁ。

しかも多気集落は、伊勢本街道(初瀬街道)の宿場町。
さっきの田丸城跡の追分からお城の北側走れば、素直に多気にでるわけで、何とももったいない話。

でも迷ってる時間がもったいない。
それならそれで多気駅発の列車に間に合うように走らないと!
トレーニングと思ってもうひと踏ん張りするか!

途中、外城田神社という何やら由緒ありげな鬱蒼とした神社もあるけれど、当然リサーチなどしていないからスルー。

多気集落に入れば、そこかしこに、伊勢本街道を示す手作り案内板があったりして、またまた興味を注がれるけど。

多気駅に到着。
簡易の着替えを済ませ、駅前の雑貨屋でパンとジュースで空腹を満たしながら、改めて今日のコースを復習。

熊野古道伊勢路だけでほぼ18km、その後の多気駅までほぼ5km。
寄り道含めれば、24~25km程度走ってる上に、スタート前の内宮で結構歩いてるし。
暑い中、これだけ走って歩けばそりゃ疲れるわ!

そんでもって、次回はこの無駄?な5kmを走って熊野古道に復帰ってことになる。
だからあれほど「変なところでゴールすると次回困るよ」って言ってるのにねぇ。

やっぱり田丸地区を適当に散策ランして距離稼いで、田丸駅から帰った方が無難だったかなぁ…。
でも余力があれば少しでも先に行きたいという本能には勝てなかった…。

多気駅から名古屋へは「快速みえ」なら乗換なし!
だけどね、高いんだ!(1,830円)
第3セクター伊勢鉄道を通過するのが大きいんだよね。

伊勢街道runの際に有効活用した「快速みえ」だけど、それは「青空フリー」という優れモノがあったから。
それにまだ空は明るく、このまま名古屋に戻るには少々もったいない。
正直、さっぱりしてから帰りたい。

ってことで、普通列車で2駅、松阪で下車。(200円)
駅前の観光案内所のお姉さんに教えてもらった銭湯へ。

徒歩5~6分といったところか?
「ひょうたん湯」。

スーパー銭湯じゃなく、昔ながらの銭湯!
懐かしいな。

そして今後、熊野古道伊勢路をやっつけていく上で、ここ松阪が重要な拠点となることは間違いない。
このひょうたん湯を知ったことも大きな収穫で、何度となく利用することになりそうだ。

さぁ、いい休養になった。
ここからは近鉄急行で名古屋まで。(1,260円)
多気からだと1460円だから、JR利用に比べてほとんど風呂代が浮いた感がある。
しかも松阪からなんて、まず絶対というほど座れることも経験で知っている。

初っ端から前途多難を思わせる熊野古道に思いを馳せながら、うたた寝で帰るコスモタイガーであった。


コメント (4)
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