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cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガーのつぶやき(11)~MGC

2017-09-01 | つぶやき/更新中

2017北海道マラソンが先日終了。
これはマラソン界において、2020年東京五輪に向けての第一歩。

代表枠は男女ともに3枠。
その前哨戦が始まったってこと。

マラソングランドチャンピオンレース。
略してMGC。

その前段、というか1次選考にあたるのが「MGCシリーズ」で、この北海道マラソンが緒戦。
いよいよ始まったなという感じ。
そして選考方法が明確になって走りやすいだろうなぁという感想。

「MGCシリーズ」の詳細な説明は、日本陸連等の専門のサイトに譲るとして、かなり端折った説明をすると…。
「MGCシリーズ」が1次選考で、「MGCレース」が最終選考。

1次選考たる「MGCシリーズ」は、2017・2018年度が対象で、その指定大会は…。

男子。
福岡国際・東京・びわ湖毎日・別大毎日の4大レースに夏の北海道を加えた5レース。

女子。
さいたま国際・大阪国際・名古屋ウィメンズの3大レースに北海道を加えた4レース。

あとはワイルドカード枠。
ついこの間終了した世界陸上ロンドン大会を含む、日本陸連の指定した海外マラソン大会において、あらかじめ設定された記録を出した者。

上記の条件を満たした者だけが、最終選考たる「MGCレース」の出場資格を得ることになる。
その「MGCレース」は2019年9月以降に開催というところまでは決まってるようだ。
そしてこの「MGCレース」において、男女2枠は決定!の段取りらしい。

残り1枠は、その後に行われる「MGCファイナルチャレンジ」で決めることになるとか。
とはいえ上記「MGCレース」の出場資格を有していること、つまり1次選考は通過していることは最低条件らしいから、何やら予備大会のようなイメージもあったりするけれど。

評価したいのは、それぞれの大会に応じて、きちんと順位・タイムが明確に設定されていること。

上記北海道マラソンだと、男子の場合、日本人1位で2時間15分以内、若しくは2位~6位なら2時間13分以内。
女子なら同様に2時間32分以内と2時間30分以内。
明確に数字と順位が設定されれば、目標も立てやすいし、見る側も明確な尺度を持って見れる楽しさがある。

従来は、「~を考慮して」とか「~を期待できる」なんて文言が入ってたため、選考の度にゴチャゴチャしてたからね。

ケースもレベルも違うものの、コスモタイガー自身も若かりし頃、ある駅伝大会のメンバーに選ばれる側の人間になった経験もあり、その顛末は機会あれば記述したいとは思ってはいるけれど、曖昧な基準のまま話を進め、あとになってすったもんだするのは、走る本人にとってもかなりのストレスで、選ばれたところですっきりしないし、テンションも上がらない。
観る側だって、そんなドタバタ見たくもないだろうし。

そして国内で政治的な綱引きをしている間に、世界から置いて行かれちゃった感がある。

さて、この新方式でまずは2年間、「MGCシリーズ」を楽しみに見てみよう。
次回のMGCレースは、11月12日の「さいたま国際マラソン」の女子ってことやね。

選考にまつわる話は、自分の体験などを交えながら、もう少し深く掘り下げたいところだし、思うところも少なからずあったりする。
何だかそのための前書きのような話だけど、今回はこの辺にしておこう。

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コスモタイガーのつぶやき(10)~中日ドラゴンズベストナイン

2017-08-18 | つぶやき/更新中

コスモタイガーはカレンダー通りの勤務で、いわゆる「盆休み」なんてないけれど。
ただ世間はお盆ムードだし、地元愛知県に本社のある某自動車メーカーに至っては10連休?とかで、羨ましい限り。

ってことで、長文書く気持ちになれないから、今回は軽めの他愛もないネタで(笑)。

独断と偏見でドラゴンズの歴代選手によるベストナイン。
ただし、指名打者制(笑)。

もっともコスモタイガーが野球というものに興味を持ち、ドラゴンズを応援し始めたのが小学校低学年のころで、与那嶺監督時代。
それ以前のドラゴンズは、資料や記録を通じて知識として知っているだけのため、印象などあるはずもなく、残念ながら対象外としたい。

以下、打順・ポジション・選手名・主な背番号・左右の別。(敬称略)

1.(中)アロンゾ・パウエル 30 右
2.(二)高木 守道 1 右
3.(右)福留 孝介 1 左
4.(一)落合 博満 6 右
5.(三)レオ・ゴメス 4 右
6.(遊)宇野 勝 7 右
7.(指)大豊 泰昭 55 左
8.(左)大島 康徳 5 右
9.(捕)谷繁 元信 27 右

こんな感じかな~。
少しだけ解説。

生え抜きとかFAとかで評価に差をつけるのはコスモタイガーの中ではあってはいけないこと。
単純に「ドラゴンズでどれだけ活躍したか」で選びました。

もっとも困ったのが2代目ミスタードラゴンズ、立浪和義の扱い。
プライベートではいろんな噂もあった立浪選手だけど、アスリートとしての評価にケチつけるつもりなど全くない。
でもさ…、守るところがない(汗)。

入団時はショート、コンバートされて途中からセカンド。
一時は外野(レフト)もやって、やがてサードに落ち着き、晩年は代打男。

結構あちこち守ってるから、それぞれのポジションにそれ以上の大先輩がいらっしゃる。
ってことで、ベストナイン漏れ。

1番パウエル。
当時のチーム事情で、クリーンナップ、特に4番打つことが多かったけど、HRが少なかったことと、勝負弱さが目立った。
でも3年連続首位打者の技術はもっと評価されるべきものだと思うし、歴代の外国人打者として秀逸だと思う。
1番で使ってたら、かなり相手チームにとっては脅威だったのでは?と今でも思う。

4番は落合さん。
説明不要!
もうこの人しかいないでしょ!

5番。
ゴメスとモッカで悩んだ。
モッカは1982年(昭和57)優勝時の外人選手でファンからの人気は最も高かったんじゃないかな。
最後、胴上げされたよね。

でもゴメスにした。
それは、守備の差、かな。
ゴメスも上手いとは思わないけれど、モッカよりはたぶん上。
ライバル巨人戦での勝負強さも印象的だった。

7番。
大豊と山崎(武司)。
これも迷ったけど、大豊。
理由、左だから。
ここ山崎にすると、左バッター、福留だけになっちゃう。

キャッチャーも対抗馬目白押しで悩んだね~。
木俣達彦、中尾孝義、中村武志。

「打つ」だけなら中尾だけど、ひ弱なイメージはマイナスだな。
故障ばかりしてたし。

あとの3人は頑丈だったからな~。
でもやっぱり記憶に新しい谷繁だわ。
名球会打者だしね。

でも監督になるのは少し早すぎたかな?
あと、あまりにGMの存在が重すぎた。
もう少し好きにやってる谷繁監督を見たかったな、と、今年の解説を聞いていて思ったりする。

でもそれと捕手としての評価は別。
たぶん日本球界の長い歴史において、野村・谷繁のお二方が最高の捕手だと思う。

続編として、投手編・監督編もそのうち書いてみたいけれど、今日はここまで。


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コスモタイガーのつぶやき(9)~ある町内会のお話

2017-07-07 | つぶやき/更新中

人生訓、というほど大袈裟なものではないけれど、コスモタイガーは「極論」が大嫌い。
極論を言う人物ほど胡散臭いものはない。

酒席等での軽いジョークとしてならともかく、現実の世界で、ポンポンと威勢のいいことやカッコいい言葉を発する人間ほど信用できないものはない。

本人が突っ走る分には本人の勝手なんだけど、このタイプの人間は、えてして周囲を巻き込んでいく傾向にあったりする。
その上、巻き込むだけ巻き込んでおいて、あらぬ結果が出たとして、責任を取るわけでもない。

もっとも本人は「周囲を巻き込んでる」という自覚がなく、それどころか、誰に頼まれたわけでもないのに、「俺がパイオニアとして道を切り開いてるんだから、お前らも付いてこい!」とか「自分たちが本来あるべき姿を皆に見せてるんだ!それをもっと広げていくんだ!」的な妙な正義感を振りかざしたりするから、本当にタチが悪い。

10年ぐらい経つのかな。
自分の近しい人物の所属する、ある町内会でのお話。

町内にある児童公園に花を植えよう、という話になった。
いくらかの事務手続きはあったのかもしれないが、すぐに花好きの会員(まぁ、たいがい、現役を退いた方々が多いんだけど…)が集まり、実行に移された。

住宅街の中にある、結構大きな公園だ。
週に1回程度集まって、おしゃべりを楽しみつつ、花を愛でながらの作業は少しづつ進む。
花好きの人にとっては、格好のライフワークとなり、良きコミュニケーションの場でもあった。

もちろん単なる花好きのサークル活動のようなもので、自由参加。
体調悪かったり所用があればお休みすることもごく当たり前で、妙な義務感もなく、大半が気軽に参加していた。

公園の花壇作りは一通り終了。
とはいえ、これで活動を終わらせてはもったいない。
せっかくのご縁だから、と話は拡がりを見せ、川沿いの遊歩道や、道路脇の歩道にも…という話になってきた。

それでも「週に1回、楽しく集まる」という基本線は崩されることなく、ワイワイガヤガヤと楽しく活動は続けられた。

このまま続けば、良い話やなぁ、で終わるんだけど。
いつ頃からか、この集まりはギクシャクし始める。

当然ながら、この手の集まりには、音頭取りをする人たちが必ずいる。
言葉は悪いが「仕切りたがり屋」の人たちだ。

そんな人たちだけが「勝手に」(敢えてこう書く)どこかに集まり、今後の活動方針みたいなものを話し合っていたらしい。
いつしか「単に花を植えてるだけじゃ意味がない。もっと世の中に自分たちの活動の素晴らしさを積極的に発信していこう!」という話になっていく。

大勢の参加者同士の侃侃諤々の議論の結果、というのであればともかく、実際は音頭取りの数名だけで「勝手に」決めただけの話だ。
それどころか、元来「皆でお話ししながら単に花植えるのが好き」な人の集まり。
突然「世の中に発信」なんて言われてもね、というのが本音。

それでもまぁ、しょせん気軽な趣味としてやってることだし、花が好きなことに嘘はないし、少しだけ町の美観に貢献した満足感もあったりして、ギクシャクしながらも集まりはしばらく続いた。

ところが話はさらに大きくなる。
町内会の役員なんかも巻き込んでの大宴会を定期的に催し、何となく参加せざるを得ない雰囲気に…。

さらには誰かが売込みでもしたのか、地域のコミュニティ雑誌や新聞社が取材に来ることに。
そしてそのために見映えするよう、大勢の会員が無理矢理?に召集され、活動シーンの撮影にお付き合い。
もっとも掲載は地域版とか市内版の片隅ではあるけれど。

勢いは留まるところを知らず、今度は主要道路という主要道路沿いに花壇を作り、町全体を花の街にして、地域の活性化に一役買うんだと、息巻くような事態になってきた。
当然、それに呼応するように、会合や活動の機会も右肩上がりに増えていく。

自分たちは社会的に意義あることをやってるんだ!
単なる趣味の集まりじゃない!
それが証拠に新聞社だって取材に来て自分たちに特別な視線を送ってるんだ!

そんなことを口走るようになったらしい。
新聞や雑誌の片隅に掲載されたことが、彼らにとって、「自分たちは特別な団体」とする拠り所になっているらしく、ますます饒舌になる。

大半のメンバーは、確かに花は好きだし、活動の意義や素晴らしさも理解できないわけではないけれど、そうはいってもそれぞれに家庭もあり、それなりに多忙な毎日を送っているわけで、花を中心とした生活など送れるわけもない。

それどころか優先順位からすれば、現実には2番手・3番手。
どんなにカッコいい言葉を並べたところで、他に仕事や家庭があり、花植えで生計を立ててるわけではない、という絶対的な事実がある以上、趣味としか表現のしようがない。

かくして集まるメンバーは完全に意見が割れ、音頭取りを中心とする一部のメンバーを残して大勢が去ることとなった。
去り際に「花が好きじゃないのか!」「俺たちを否定しやがって!」と一喝されたらしい。

自分の近しい人は去った側で、残ったメンバーがその後どうなったのか知る由もないけれど、問題点は明らかだ。
とはいえ、えてしてこんな場合、当事者に自覚症状がないから深刻だ。

花が好きか嫌いかと問われれば、別地区に住み、このメンバーや町内会とは何ら関係ない自分だって花は好きだ。
毎朝、出勤前に自宅のわずかな庭の花や野菜に水をやるのも案外楽しい。

花は確かに綺麗だし、町じゅう花だらけになるのに反対する理由はない。
っていうより、花を「嫌い」と言い切れる人なんて、ほとんどいないんじゃないの?

何より花を優先したい、食事と就寝以外は花中心の生活がしたい、という考え自体、別に肯定も否定もしない。
価値観は人それぞれだもんね。
むしろそれが可能な環境は、羨ましくもある。
奥さん(若しくはご主人・ご家族)に感謝しないとね。

しかしながら、「自分がこんなに頑張ってるのに!」と云わんばかりに、周囲に同じ価値観を求め、理解させようというのは、明らかに間違っている。

そして「みんなで一緒に分かち合う!」とか「協調性」とか「チームワーク」とか、もっともらしい言葉を駆使して正当化しようとする。
でもそんなのは彼らの常套手段。
要は自分の思いを一方的に押し付けているだけ。
しかもその結果に対して、何ら責任を取るわけでもないし、取れるわけもない。

どんなに素晴らしい言葉を散りばめようと、何がしかの思想・何らかの行動を他人に強いることは、単なる「強要」に過ぎない。

そもそも誰に頼まれたわけでもなく、自分が率先して(あるいは自分の意思で)音頭取りしておきながら、その思いを分かってくれなど、何とも無責任かつ恩着せがましい話ではある。

むしろこの手の話、コスモタイガー的には、本当に花が好きなら、そもそもこんな状態にならないんじゃないの?
あなたたちは花が好きなんじゃなく、花を道具にして、自分が目立ちたいだけなんでしょ!

花を植え、町の美化に貢献してるんだ!と自分に酔い、そんな自分をいろんな人に認めてもらいたいだけなんだろうね。
もはや、純粋に花そのものを愛でる気持ちは、どこかに忘れ去っているようだ。

挙句の果て、「花が好きじゃないのか」と一喝するなんて、もはや状況判断がまったくできてない証左。
「花最優先じゃない→即嫌い」という論法自体、黒じゃなければ白と決めつけるような話で、極論過ぎるし。

そもそも特別かどうかは第3者が判断すべきことで、自分たちで自分たちのことを「特別」なんて表現してる時点で、完全にNGだ。
いわゆる自画自賛というやつで、人としてこの上なく恥ずかしい話。
(もっともこれを恥ずかしい思う冷静さがあれば、最初からこんな話にならないんだろうけど)

ましてや否定だの批判だの、言いがかりも甚だしい。
上の近しい人は、「志を同じくする人だけでどーぞ」と言って帰ってきたとか。
言い変えれば、「やりたきゃあなたたちだけで好きなようにやってください。ただし周りを巻き込まないでね」と言うだけのシンプルな話。

「やるな!」とは一言も言ってない。
むしろ「どーぞお好きなように」と言ってるわけで。
にも関わらず、これが否定に聞こえるなんて、どこをどう解釈してるのか、理解に苦しむ。

やりたい人同士が仲間内でやること自体は肯定も否定もしない。
単純に興味の対象ではないというだけ。
興味がないことは否定のしようもない。
ただ「強制」されたことに対しては、はっきり「NO」と言う。
当たり前の話だよね。

自分のテリトリーを守ってるだけなのに、それすら否定しているのはどっちだ?
「NO」と言っちゃまずいのか?
つまり、文句言わず、黙って命令に従えと。
彼らに寄れば、それが「協調性」であり、「一緒に分かち合う」ということらしい。

あるいは「凄いね~、立派だね~」と心にもない世辞を言われたいのだろうか?
かといって、そんな世辞を真に受けとって、余計に暴走されちゃ、なお迷惑。
(また、そういう人種は、えてして真に受けとめる傾向にもあるし…)

さて、ここまで書いてふと思う。
自分が長く居るランニングの世界にも、同類が居たりするんだな、と。
幸い、親しくしている人たちの中に、そんな輩はいないけど。

極端な価値観を持って暴走したり、妙な正義感を振りかざしてことさら周囲に同調を求めたりしたところで、大多数は冷めた目で見ているわけで、本人達は浮いてるんだけどね。

単に自分自身が趣味に興じてるだけなのに、他人に何かを強いることの正当性などあるはずもなく、言語道断だ。
少なくとも自分はそんなみっともない人種にはなりたくないものだ、と改めて思うコスモタイガーなのだ。

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コスモタイガーのつぶやき(8)~完全リレー(2007年日本シリーズ)

2017-06-16 | つぶやき/更新中

先日、巨人が3人の継投によるノーヒットノーランを達成ということで話題になった。
それでコスモタイガー自身も思い出し、どうやらネット上でも話題になっている感がある、あの試合のことを書いてみよう。

今から10年前の2007年。
この年から始まったクライマックスシリーズを勝ち上がり、2年連続で日本シリーズを戦うことになったドラゴンズ。

この頃のドラゴンズは強かったからねぇ。
2004年・2006年とリーグ優勝してるため、4年の間に3回も日本シリーズを経験するなんて、ドラゴンズファンとして初めての経験。

そして日本シリーズの対戦相手は前年と同じ、北海道日本ハム。
まさに前年のリベンジの舞台となった。
ただし、ホームとビジター(アウェー)は逆になり、初戦と第2戦が札幌、第3~5戦がナゴヤ、6~7戦は再び札幌に戻るパターン。

初戦こそ敗れたものの、そこから3連勝で、日本一に王手!
この時点でドラゴンズの日本一は1954(昭和29)年の一度のみ。
自分の生まれる遙か前、杉下投手・西沢選手を中心として、宿敵西鉄ライオンズを倒した、ということは知識としては知っているけれど、それ以来の53年ぶりの日本一に王手をかけることになった。

第5戦(ナゴヤドーム)の先発は、後半戦になって台頭し、自己最高の6勝をあげた山井大介投手。
あとのない日ハムは、絶対的エース、ダルビッシュ投手。

シリーズ全体の流れは確かにドラゴンズだけど、さすがに今日ばかりは日ハムかな?と、思いつつ、でも第6・7戦は札幌ドームだから、今日決めないとまずいんちゃうか?などと心配し、始まる前から落ち着かない。

平田選手の犠牲フライで序盤に1点を先制したものの、それ以降点が取れる雰囲気はなく、重い展開。
そりゃ、球界のエースたるダルビッシュだもん!そうそう点は取れんよな。

気になるのは山井投手。
見たこともない快投(怪投?)をしている。

5回・6回。
1本のヒットも打たれていない。
いや、各イニング3人ずつ片付け、ランナーすら出していない。

7回も。
そして8回も!

8回終了して、完全試合まであと3人!
TV越しにも異様な雰囲気は伝わってくる。
こんな状況はさすがに落合監督すら予想してなかっただろうけれど、何より今日は53年ぶりの日本一がかかっている。

咄嗟に思ったことが2つ。

このまま続投して完全試合&日本一となれば、まるで出来過ぎた映画のような話で凄いことだけど、その保証はない。
しかもわずか1点差。
むしろヒットでも打たれたらショックが大きく、あっという間に逆転される確率は充分にあるし、そうなれば単なる1敗じゃすまないだろうな、残りの2戦は札幌ドーム=アウェー状態だから、流れは完全に日ハムに行ってしまう。

もう1つ。
このまま続投したならば、山井投手が胴上げ。
(その後2014年に最多勝を獲得する山井投手ではあるが、この時点においては)この1年間、主戦として投げてきた投手ではない。
それどころか1軍にもローテーションにも定着すらしていない、年間5~6勝の投手だ。
クローザーなら岩瀬仁紀投手だし、エースとして大車輪の活躍したのは川上憲伸投手で、相応しさということならこの2人以外には考えられない。
普段の公式戦じゃないんだ。
ペナントレース・クライマックスと、150試合超戦ってきた蓄積として今日のこの試合があるんだからさ。
その積み重ねが山井ってのは、応援してきたファンとして、なんか違う気がするな…。

天秤にかけるなら、当然、完全試合という個人記録なんかより、53年ぶり日本一の方が圧倒的に優先順位がある。
ドラゴンズファンとして、初めてリアルに見る日本一なのだ!

冷静な顔をした落合監督がベンチから出てきて、審判に投手交代を告げている。
クローザー岩瀬が当たり前のようにブルペンから出てきた。
この瞬間、日本一を確信し、涙が止まらなくなってしまった。

その岩瀬投手も凄い!
何やら異様な雰囲気の中、当たり前のように3人でピシャリと抑え、2投手による完全リレーで、ドラゴンズ日本一!
バンザーイ!!
ドラゴンズファンとして最高の夜となった。

スポーツニュースをはしご。
大勢が祝福ムードの中、何やらこの投手リレーに批判的な評論家や識者もいるらしい。

この投手リレーに対する批判は、ネット上でも結構あったようだけど、コスモタイガーは何で?の一心のみ。

中には著名なスポーツジャーナリスト(を名乗るおじさん)までが「野球に対する冒涜だ!」などと批判の言葉を浴びせている。

は?
何言ってるの?

あのさ~、お言葉返すようだけど、普段、ドラゴンズの野球を見てたの?
ドラゴンズファンの待ち焦がれた思いをどこまで理解してるの?
落合野球をどれだけ理解しているの?
プロの物書きとして、綿密な取材をもとにした発言とは到底思えない。

日頃ドラゴンズの野球なんかロクに見てもいない連中が突然出てきて、出来過ぎた映画のようなエンディングを勝手に思い描き、それが成らなかったからと駄々をこね、批判だけしてくる。
感動という名の宝物に泥を塗られた気分で、本当に気分が悪かった。

ドラゴンズファンという立場を抜きにしても、別段問題があるとは思えない。
(競技としての)スポーツは基本、勝ち負けを競うところにあるわけで、明確なルール違反は論外ではあるけれど、ルールの範囲内で、勝つ確率を最大限に追求するのは当たり前のこと。
むしろそれを怠ることの方が、ファンに対して失礼だ。

あの時点では、山井の続投より、岩瀬にスイッチした方が、「日本一」への確率は格段に高まった。
ただそれだけのこと。

むしろ「勝つ確率」を高めるための戦略や戦術こそがスポーツの真の醍醐味なのにね~。
そういえば高校野球でも妙な批判があったのを思い出す。

数年前に、ファールばかりを打って、最後は四球を選ぶ小柄な2番打者がいた。(名前は失念)
小柄でパワーで劣る彼が強豪校でレギュラーを取るには、いろんな努力や過程ががあったんだろう。
「何が何でも出塁するんだ」という気概。
ファールで粘るのも立派な戦術だ。
相手投手も守備陣も疲弊するし。
あっぱれと感心したものだ。

2005年春の甲子園。
地元愛工大名電が優勝。
ここでも賛否があった。

名電のほぼ全員が打席に立つとバントの構え。
ランナーいなければセフティバント。
いたら送りバント・スクイズバント・プッシュバント。
とにかくバント・バント・バント…。

相手の守備が撹乱し、やがて大量点につながっていった。
そして決勝戦でもその野球にブレはなく、頂点に立った。
お見事!

さらに遡ると、あの有名な松井の5打席連続敬遠。
明徳義塾と星稜高校だったかな?

強打者を敬遠し、次の打者と勝負する方が勝つ確率が高いと判断したのであれば、迷わずそうすべきだし、結果として松井君のバットを完全封鎖し、明徳義塾が勝利をモノにしたんだから、作戦として大成功だ。

むしろ星稜が5回も「ただ」でランナーを1塁に出してもらいながら、ことごとくそのチャンスをつぶしたことの方が、戦術上問題だったのでは?と思ったりする。
教育教育というならば、チャンスをものにする精神力や、どんなことにも手順や作戦があることを身を持って体験できる、何よりの機会じゃん!

小よく大を制すの言葉もあるけれど、選手層の薄い弱小チームが、強豪チームに勝つために、体の小さい人が大きい人を倒すために、知力・体力を尽くして戦術を駆使することは、賞賛こそすれ、何で批判されるのか全く理解できない。
応援する側からしても、それこそがスポーツの最高の醍醐味なのにね~。

正々堂々、という言葉を履き違えているのでは?と勘繰りたくなる。
正々堂々という言葉を免罪符にして、「作戦」や「戦略」を否定されちゃ叶わない。

それを否定されてしまったら、スポーツは単なる「力比べ」「技量比べ」の場になってしまい、本質から完全に外れてしまう。
彼らにとってスポーツは、単なる「くらべっこ」なんだろうか。

極論すれば、「盗塁なんて汚い!スキを見て走るなんてせこい!」とか。
「変化球なんてずるい。堂々と直球勝負せい!」とか。
「バントなんてみみっちい!堂々とバットを振ってこそ男だ!」とか(笑)。
そんな話にもなりかねない。

パワーとパワーのぶつかり合い、といえば聞こえはいいけれど、そこには駆け引きとかゲーム性を全く感じない。
これが彼らの言う、「正々堂々」ってことなんだろうか?

「力任せ」や「ド根性」だけがスポーツじゃない。
むしろムキになって、根性論や力に頼る方がよほどナンセンスだ。

どのスポーツにも程度の差こそあれ、「戦術」「戦略」は必ず存在する。
そしてそれこそが最大の醍醐味なのに、それを否定する考え方には、到底迎合できないコスモタイガーなのだ。

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コスモタイガーのつぶやき(7)~社会科

2017-06-02 | つぶやき/更新中

小中高といずれもコスモタイガーの最大の得意科目は「社会科」。
特に地理、次が歴史。

小学校の5年だったか6年だったか、クラスで成績1番の秀才M君も、社会科のテストだけは、コスモタイガーに手も足も出せなかった(笑)。
そりゃそうだよね、小さいころから時刻表ばっかり見てたから(爆)。

さらに遡って小学校3年か4年の授業参観。
社会の授業で、黒板に大きな日本地図が掲げられ、「都市の名前を言うから、正確な位置を示しなさい。自信のある人!」なんて言うから「かーんたん!」なんて言いながら自信満々で挙手。

最初の2問は政令指定都市で、問題なく正解した気がするが、生意気なガキとでも思われたんだろう、先生もいたずらで少しマイナーな?都市を言い始めた。

「明石!」
なんだ、新幹線に西明石駅があるじゃん、はい、ここ!

「高崎!」
なんだ、群馬県の大きな街じゃん、高崎線もあるし、はい、ここ!

ということで全問正解。
不思議と今も覚えてる光景だ。

勉強してると、教科書が基本!なんて良く云われたけど、もちろんそれも正解だとは思うけど、コスモタイガーの場合、社会科に限っては「時刻表」が教科書みたいなもの。(笑)
鉄道路線網を中心に地名がびっしりと書き込まれ、日本の地図が自然と頭に叩き込まれる。
時刻表オタク・鉄道ファンが全国にどれだけいるか知らないけれど、「鉄道だけ異常に詳しく、地理はさっぱり」というケースはほとんどないだろうと思う。

青森県の産業は~、なんて授業聞いてても、青森県の場所すらわかってなければ聞いてても面白くないだろうし。

「太平洋ベルト地帯」と聞けば、東京名古屋大阪に繋がる工業地帯。
新幹線があるから移動に便利だよね、と子供ながらにすぐに鉄道と結びつけて考えることができた。
いわゆる丸暗記じゃなく、「なぜ?」と疑問に思いつつ、好きな鉄道といろいろ関連付けて覚えていくから面白いよね。

歴史も同じ。
年号と事実だけをひたすら丸暗記すれば、受験対策や偏差値稼ぎとしてはOKなんだろうけれど、それじゃ面白くも何ともない。
ちょっと乱暴な言い方をすれば、ただ「記憶力」の訓練をしているだけだ。

関ヶ原の合戦とか長篠の合戦なんて名前はわかってても、それが日本のどこで起きたのか?なぜその場所なのか?なぜ戦いが起きたのか?が理解できてないと、歴史の楽しさなんて全く感じないだろう。
歴史こそ、「点」じゃなく、「線」で理解する学問だもんね。
(関ヶ原の合戦については、さわりだけ、旧中山道編6、7参照してね♪)

源平の合戦で活躍した、木曽義仲や源義経と、平家軍との戦い。
倶利伽羅峠とか、屋島とか壇ノ浦といった地名が絶対に出てくるけど、それぞれの場所、ちゃんと時刻表巻頭地図に載ってるからね、頭の中にスッと出てくるし。

羽柴(豊臣)秀吉の備中高松城の水攻めからの中国大返し。
ここから明智光秀と戦う山崎の合戦までの距離感とかが咄嗟に判るから、自然と歴史も得意になる。

地理も歴史も共通にして最大に重要なのは、「位置関係」を把握すること、かな。
時刻表オタクや鉄チャンは、この位置関係を把握する能力が抜群に長けてるからね、だから両方得意な方が多いと思う。

コスモタイガーの感覚では、地理と歴史は相乗効果とでも云えばいいのか?
一緒に連動してるイメージだから、この2つを分けるなんて、とてもナンセンスな気がする。

「漂走記」の中でも書いたと思うけれど、鉄道と旧街道の関係もそうだ。
あえて分類するならば、鉄道は「地理」に属し、旧街道は「歴史」に属すると思うけれど。

人が集まれば集落となり、集落と集落を行き来したり物資を運んだりするために道ができる。
主要な道は街道となり、さらに人が集まり、宿場もできる。

時代とともに、今度は物資をより早く運ぶため、より多くの人を運ぶために鉄道ができる。
街道沿いに鉄道が発展するのは必然であり、鉄道の敷設とともに産業がますます発展する。

その町の歴史の積み重ねがあって現在(地理)があるわけで、地理と歴史を別々に学ぶということ自体、疑問に思ったりしたものだ。

例えば地理のテストで、「長野県の特産を1つ上げろ」、と出題されたら、「りんご」と回答すれば○。
丸暗記の試験ならこれで終了。

でも、なぜりんご?と思い始めると面白い。
遡って調べてみると、ここ信濃の国はかつて養蚕が盛んだったことがわかる。
でも第2次大戦後の高度経済成長により、日本の産業構造は大きく変わり、繊維工業が衰え、重化学工業中心に。
だから養蚕では飯が食えなくなって、多くの農家がりんごに転換したんだね。

じゃ、そもそも養蚕はなぜ始まったの?
これも調べる。

もちろんいろんな理由があるんだろうけど、一言で無理矢理おさめれば、初代松代藩主、真田信之公が、養蚕を奨励したってことかな。

浅間山の麓。
火山灰が多い痩せた土地で、稲作には不向きだったんだよね。
それを知って養蚕を奨励したってわけね。

真田信之。
昨年の大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村のお兄さん。
大泉洋さんが好演してた、あの信之ね。

「真田丸」は夏の陣で幸村が華々しく散るところで終わっちゃうけれど(主人公が幸村だから当たり前だけど…)、その大坂夏の陣終了後、兄信之は徳川家康の論功行賞により、上田10万石から松代13万石に加増。

もっとも「加増」とは名目で、肥沃な上田から、火山灰だらけ?の松代(現長野市松代地区)への転封は、実質的には大減収だったとも言われている。

豊臣方についた弟の幸村の活躍が強烈に怖かったってことだね。
家康からすれば、この際、胡散臭い?真田にはなるべく遠くに行って欲しかったってのが本音なんでしょう。
(確かに江戸からだと、上田より松代の方が遠く、主要路線・主要街道からも外れてるってことも、普段から時刻表見てればすぐわかります、はい。)

信之もそんな仕打ちにめげず、松代の土地に合う養蚕を奨励し、徐々に松代藩を立て直していったんだね。
信之が亡くなった際には、かなりの備蓄があり、のちの真田家を随分と助けることとなった。

そんな真田家は、江戸中期に「真田騒動」という内紛も経験、恩田木工民親という名家老を輩出しつつ、その後も幕末の混乱期を無事すり抜け、現在も連綿と続いている。

って長くなっちゃったけど、地理で「長野=りんご」というだけで、「なぜ?」「なぜ?」を繰り返していけば、ここまで歴史は広がるのだ。
別の言い方をすれば、どこまでが地理でどこまでが歴史なのかも曖昧な感覚。

にも関わらず、高校になってから、いつしか「地理」と「歴史」は別物として扱われ、どちらかを選択しろ!と。
コスモタイガーの中では「そんな殺生な…。繋がってるのに…」という感じ。

まぁそれでも、「地理」の方がやや得意だったし、主戦場(時刻表♪)に近いと云う妙な意地があって、「地理」を選択したものの、片肺飛行を強いられた気分はずーっと続いた。

受験戦争から随分と月日がたち、大人になってから、学校によっては、或いは年代によっては「地理歴史」と1つの科目として扱われていたという話も聞いたけれど、羨ましい限り。

お世辞にも優等生ではなかった上、理数系が大の苦手だったコスモタイガーにとって、地理歴史はそれをカバーする圧倒的な得点源だっただけに、両方で勝負できたら、もう少しマシな結果になったかもしれないなぁ。

もっとも自分も年を取って丸くなった?のか、別の角度で考えてみたりすると、理系人間からすると、「物理と化学を分けるのはおかしい!」なんて突っ込みも入りそうだし。

それより何より、大人になって「知りたい!」と思ったことは凄く身についているけれど、受験のために学んだ知識なんて、この年齢になると全くと言っていいほど役に立ってない。
それこそ勉強が全てじゃない。
今となってはどうでもいい話なんだけどね。



コメント (3)
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