練習というのは非常に大きな意味があります。脳の中にはCPUに相当するプロッセッシングユニットがありますが、すべての思考をCPUがやってるわけではありません。CPUの周囲には、論理ブロック、計算ブロック、運動ブロックなど、非常に多くのサブルーチンが存在します。ある計算をするとき、CPUは必要な計算ブロックを呼び出すだけなので、非常に速く回答が得られるのです。だから何度も経験したことのある計算(思考)および運動はスムーズに運ぶわけです。10年以上の自動車運転歴をお持ちの皆様、一度「運転サブルーチン」を呼び出さずにCPUを使って運転してみてください。とてもギクシャクすると思いますよ。「自意識過剰のムカデの苦悩」もこれと同じ話です。練習する、あるいは稽古するという行為は、頭の中に必要なサブルーチンを作るということなのですね。
だから、じゃんじゃん練習しましょう。(^^)
だから、じゃんじゃん練習しましょう。(^^)
私たちは日々、考えたり行動したり特に意識することなくやっていますが、それら「すべて」は生まれてから現在に至るまでの訓練(練習)の蓄積なのだと思います。だから自然に考え振る舞うことができるのでしょう。
誰の言葉だったか忘れましたが「ある問題が解けるということは、以前にその問題を解いたことがあるということだ」という一節があり、私はまったくその通りだと思います。
車の運転ももちろん80時間程度の練習ですべてマスターできるはずがありませんね。だからこその初心者マークということなのでしょう。
それですね、他にも大きな意味があると思います。
「体の記憶」というヤツです。
数ヶ月も同じことをやると体が覚えてくれる、というモノです。
つまり、それを目的に「練習する」ワケですね!
画像のように「クルマの教習」もそうですが、「ギターやキーボードなどの楽器の練習」もそうです。
そういう観点からだと「クルマの教習」というのは教習所で完全に身につくものではない・・・というのは誰にでもわかりそうなモノ・・・なんですけどね!