ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

不足補う現実的視野持て

2006年10月09日 | 出産・育児

分娩が正常に経過している間の分娩介助は助産師が主役であるのは当然だと思いますが、正常分娩は分娩が終了した時点で初めて言えることであって、正常に経過していた分娩の途中で突然異常が発生することはいくらでもあります。

分娩が始まる前に、正常分娩と異常分娩とを分けることは絶対に不可能で、どの妊婦さんにも異常は発生し得ます。例えば、常位胎盤早期剥離、羊水塞栓症、肩甲難産、分娩時大出血、重症胎児仮死など、産科疾患の多くは発症の直前まで全く何の兆候もなく、突如として発症することが多く、いったん発症すれば、発症直後からの大勢の専門スタッフによる分単位の緊急対応が必要となります。異常が発生してから、あわてて救急車で病院に搬送するような体制では大切な母児の命を助けられない場合も少なくないと思います。

異常が発生した時点で直ちに迅速かつ適切な対応ができる産科医のバックアップ体制が絶対に必要です。すなわち、助産師と産科医、新生児科医、麻酔科医などが、チームとして、しっかりと協力体制を組んでこそ、初めて安全でいいお産ができると思います。また、異常が起こった際には、直ちに基幹病院に母児を搬送する施設間の連携・緊急患者搬送システムの整備が重要です。

助産師と産科医とで、お産の取り扱いの主導権争いをしているような場合ではないと思います。

****** 朝日新聞、2006年10月2日

不足補う現実的視野持て

北川浩明 虎ノ門病院産婦人科部長

 お産(妊娠分娩)では、正常に経過していても母児の生命を守るために緊急的な処置を必要とすることが珍しくなく、安全性の確保が最も優先される。加えて自然な営みであるが故に、妊産婦さんが満足感を得られるよう助産的な支援を行うことも同じく大切だ。

 わが国のお産は、1950年には4千人以上もいた妊産婦の死亡が04年には49人にまで減少した。しかし、これまで安全性を維持してきた病院・開業診療所・助産所の連携システムが、「看護師内診問題」を契機に助産師のいない診療所でのお産ができなくなろうとして崩壊しつつある。

 「内診」を厳格に助産行為ととらえたために産科医療の現場が混乱して、妊産婦さんからの信頼が揺らぐ事態となったことは遺憾だ。医師、助産師、看護師の3者はよりよいお産を目指して努力してきたパートナーではなかったか。

 「助産」の範囲を決定することも必要だろうが、医師の立場からすれば、そこに厳格に線引きをするのは、「理想」を追い求め過ぎていると感じる。それよりも必要なのは現場で求められている問題の可決で、不足している助産師をどう増やしていくかの施策だ。

 ところが現状は、助産師学校や短大の専攻科の数は減って、看護師が助産師資格を得る道は非常にけわしくなっている。また、4年制看護大学は増えたものの助産課程の定員は少なく、わずか半年程度の教育期間では、十分な専門性を学ぶことはできない。

 不足しているのは産科医も同様だ。厚生労働省はこれに対処するため、地域の中心病院に産科医を集める「集約化」を打ち出した。現実的な施策ともみえるが、安全なお産のために自宅から遠方の医療施設に入れば生活は中断され、夫のお産立ち会いは難しく、子どもには母親のいない生活を強いることになる。それが望ましいとは思えない。

 「安全で安心、満足のいくお産」は、少子化対策としても、健全な家族の形成の上でも重要な課題だ。その実現には、地域での周産期センター・総合病院・開業診療所・助産所間のネットワーク作りが必要と考える。それには「看護師内診問題」に時とエネルギーを費やすのではなく、医師や助産師、看護師の「ひと」の増員、病院や診療所の「もの」の整備、そのための「カネ」の問題を解決していかなければならない。

 いま緊急の課題として、将来の国造りのための施策が問われている。国家的な戦略ができて初めて、産科に従事しようとする医師も増えるであろう。

(朝日新聞、2006年10月2日)