癒着胎盤で母体死亡となった事例
第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問
第12回公判 1/25 遺族の意見陳述
【今後の予定】
3/21 検察側の論告求刑
5/16 弁護側の最終弁論
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第十二回公判について
【周産期医療の崩壊をくい止める会】
ロハス・メディカル ブログ
福島県立大野病院事件第12回公判(速報)
第12回大野事件公判!
【産科医療のこれから】
大野病院事件についての自ブロク内リンク集
医療崩壊を食い止めるために
飯野奈津子(NHK解説委員)
****** 医療維新、2008年1月28日
福島県立大野病院事件◆Vol.8
「警察関係者に感謝申し上げたい」
遺族が意見陳述、加藤医師の真相究明と責任追及求める
橋本佳子(m3.com編集長)
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「患者の命を預かる立場として責任を取ってください」(女性の夫)
「なぜ事故が起こったのが、真相を究明してもらいたいです」(女性の父)
「警察と検察にお礼を申し上げます」(女性の弟)
1月25日に開かれた福島県立大野病院事件の第12回公判では、遺族の意見陳述が行われ、死亡した女性の夫、父親、弟はそれぞれこう述べた。被告である加藤克彦医師の責任追及、事故の真相究明を求めるとともに、警察や検察に対する感謝の意を表した。
昨年1月から始まった計11回にわたる公判を経てもなお、医療側と遺族の溝が深いことが浮き彫りになるとともに、医療事故の過失の有無を刑事裁判で争うことの意味を改めて考えさせられる意見陳述だった。
異状死に関する意見書は証拠として採用されず
この日の公判は午前11時に開廷、午前中は証拠調べが行われ、1時間10分の休憩をはさんで、午後2時すぎには終了した。25人分の一般傍聴券を求めて並んだのは64人。遺族の意見陳述が行われたわりには、注目度はさほど高くはなかった。
午前中の証拠調べでは、検察側が請求していた加藤医師の捜査段階の供述調書について、その任意性を認め、証拠として採用した。
一方、弁護側が証拠請求した周産期医療や胎盤病理の専門医計3人の鑑定意見書の採用も決定した。これら3人は法廷で証人尋問も受けている。ただし、異状死の届け出を定めた医師法第21条についての法学者の意見書は、証拠として採用されなかった。加藤医師は、業務上過失致死罪のほか、21条違反にも問われているが、21条については大野病院の院長と加藤医師本人に対する尋問だけで結審することになる。
「自分の行動、言動に責任を取ってください」
午後に意見陳述したのは、前述のように、帝王切開手術で死亡した女性の夫、父親、弟の3人だ。3人とも、肉親を失った悲しさをそれぞれの言葉で表現しながら、メモを手に10分弱ずつ意見を述べた。
夫の意見は、加藤医師個人の責任追及が主眼だといえよう。そのポイントを要約すると以下のようになる。
「術前の説明では、『前置胎盤であり、出血も予想され、子宮摘出の可能性もあるが、輸血は1000mL用意しています。また何かあれば応援を頼みます』などと万全の体制で臨むと聞き、そこまでしてもらえるのか、すべてを医師に託したい、と思いました」
「手術当日は、子供は無事生まれましたが、妻はなかなか戻ってきませんでした。病院に聞いてもはっきりとは言わず、曖昧な返事でした。ようやく医師が現れると、いきなり『亡くなりました』と言われました。その後、手術の説明を聞きましたが、とても納得できる内容ではありませんでした」
「今回の件で一番お話したいのが、責任についてです。私は二児の父親として、責任を持って育てています。手術を受けるに当たって、自分ではどうしようもありませんので、すべてを信頼している医師に託しているのですから、命を預かる立場として責任転嫁はしないでください。何かが欠けているのか、ミスをしたのかなどを考えてください。弁護士は医師に何も問題がないと言います。緊急時の対応や手術にミスがないのなら、なぜ妻は死んだのでしょうか」
「事故後は、悲しい、寂しい、つらい日々です。妻の笑顔がなくなり、これからこの状況で暮らしていくと考えると暗い気持ちです」
「自分の行動、言動に責任を取ってください。言い訳しても一人の人生が変えるわけではありません。一人前の大人として、しっかり責任を取ってください」
「一般社会の中で、医療は聖域でした。素人の関与は許されないと思っていました。それが今回の事件は、社会の出来事になりました。真に開かれた医療を求めていきたいと思います」
「娘は、大野病院でなければ、亡くならなかった」
父親は、加藤医師への不信感を表すとともに、「真相究明」を求める言葉を何度も繰り返した。
「まさか命を落とす状況だとは思っていませんでしたが、加藤医師が18時45分ごろ来て、突然、『亡くなりましたが、今、蘇生をしています』と言いました。その後、説明を聞きましたが、坦々を話すので、すべて疑問に思いました。記録を見ると、そこには娘が生きたくて必死にがんばった姿が残されていました。くやしいと思い、また何かおかしいと疑問を持ちました。事故の真相を究明してほしいと思い、カルテなどのコピーをもらうなどの行動を取りました。病院を後にするとき、解剖の申し出がありましたが、即座に断りました」
「事故後の12月26日に加藤医師から聞いた話と、法廷での説明がなぜ違うのか、不思議な気持ちでいっぱいです。示談の話もありましたが、なぜ事故が起きたのか納得できず、お断りしました」
「娘は大野病院でなければ、亡くならなかったと思います。なぜ事故が起きたのか、事故を防ぐことはできなかったのでしょうか。(真相究明に当たる)警察の関係者には感謝しています」
「癒着胎盤は、産婦人科医にとっては一生に一度遭遇するか否かの極めて稀な症例、1万人の妊婦に1人という稀なものであり、大量出血はまれなどと言われ、娘はダメだったと言われても、それは人格侵害、誹謗中傷であり、遺族はますます逆境に追い込まれます」
「事前に、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンを取るよう、なぜ勧めてくれなかったのでしょうか。なぜ真実の説明と対応をしてくれなかったのでしょうか」
「術前には院内外のアドバイスがあり、手術中には幾度も他の方が(他の医師に応援を頼むかなどの)警鐘を鳴らしたのに、それを無視した加藤医師の行為は許せません」
「医療機関の管理体制を強化し、二度と悲しい事故は起こさないようにしてください。再発防止と安全管理にまい進してください」
さらに、弟は次のように不信感を示した。
「手術中、長時間待っていましたが、病室に待機していた家族に一報をし、院内が緊急体制になっていれば、納得できました。本当に最善を尽くしたのでしょうか、と不信感を持つのは当然のことだと思います」
「(事実が解明できなかったときに)光を差し伸べてくれた警察、検察にお礼を申し上げます。このようなミスは二度と起きないでほしいと思います。この無念な思いは、天国にいる姉の思いを代弁したものです」
事件の発端は説明不足、晴れぬ遺族の思い
大野病院事件が医療界に与えた影響は大きく、萎縮医療などを招き、臨床の現場に混乱をもたらした。その一方、医師法第21条が問題視され、死因を究明するための組織、“医療事故調”設置の議論につながった。
一つの事件を契機に世論が動き、制度の見直しに発展する――。医療界に限らず、社会問題がこうして改革されるケースは多いが、大野病院事件はその典型といえよう。
しかし、大野病院事件の当事者にとって、この裁判はどんな意味があり、どう受け止めているのだろうか。遺族はこれまでの公判を傍聴した上で、この日の意見陳述に臨んだ。公判で周産期医療や胎盤病理の専門家たちの話を聞いても、弁護側と検察側のやり取りを目の当たりにしても、「なぜ死亡したのか」、その疑念は晴れなかったのである。どんな判決が出るか分からないが、加藤医師が有罪か無罪か、いずれであっても真相究明がされたと受け止めるのだろうか。今回の事件において、術中および術後の説明・対応が十分でなかったことは否めないだろう。それによって生じた病院への不信感が根底にある以上、遺族の思いは、刑事裁判によっても晴れないこともあり得る。
なお、論告求刑と最終弁論は、当初予定より1週間遅れ、それぞれ3月21日、5月16日に行われる。
(医療維新、2008年1月28日)
****** OhmyNews、2008年1月26日
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080125/20149
「病院には真相明らかにしてもらえなかった」
福島県立大野病院事件で遺族が意見陳述
【軸丸靖子】
「『天国から地獄』という言葉が、そのまま当てはまる状況だった」――。
福島県立大野病院産婦人科で2004年12月に帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条違反に問われている事件の第12回公判が1月25日、福島地裁で開かれた。
公判が始まって丸1年。残った証拠調べを終えて結審となったこの日、初公判から傍聴を続けていた女性の遺族3人が意見陳述に立ち、無念と、加藤医師に責任を求める決意を改めて述べた。
「ミスなかったなら、なぜ妻は死んだのか」
最初に陳述に立った女性の夫は、手術前に加藤医師から説明を受けたときのことを振り返り、「輸血を用意し、万が一に備えて応援医師も依頼してあるという加藤医師の言葉に、『そこまでしてもらえるのか』と安心して、すべてを託した」「『天国と地獄』という言葉があるが、それがそのまま、当てはまる状況だった」と語った。
帝王切開手術当日。予定通り、女性が手術室に入って、まもなく赤ちゃんが生まれた。
「ところがいつまで経っても妻が戻ってこない。看護師に聞いてもはっきりしない。そのうちに奥の部屋に呼ばれて、先生が突然、『申し訳ありません。亡くなりました。いま蘇生しています』と頭を下げた。手術の説明を受けたが、とても納得のいくものではなかった」
夫が繰り返しのは「責任」という言葉だ。柔らかい語り口ながら、激しい言葉使いで医師を非難した。
「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」
「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。病院は不測の事態のための設備を整えているはず。ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」
「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。責任を取ってほしい。取ってもらいます」
警察・検察に感謝する
続けて陳述に立った女性の父親は、事故後の医師と病院の対応に不信感がつのった、と話した。
「状況を淡々と説明する加藤医師の姿に疑問を持った。医療記録には、生きたくて必死に頑張った娘(女性)の姿が残っていた。悔しい、何かがおかしいと思って、カルテのコピーをもらった。遺体の解剖は拒否し、悔しさを胸に、病院をあとにした」
「事故から半年後に病院から示談の話が来たが、時期尚早と話し、交渉は立ち消えた。病院の壁は厚く、なぜ事故が起きたのか、真相が明かされないまま、ただ時間が過ぎていった」
警察・検察が捜査に動いたことは、遺族にとって朗報だったという。しかし公判で弁護側は、癒着胎盤の発生率は1万分の1程度できわめてまれである、予見は難しい、女性の胎盤が通常より大きく、異常も認められる、とする証言を重ね、医療過誤を否定した。
これに対し、女性の父親は、「『だから助からなかった』といわれるのは、娘の人権を否定し、誹謗中傷するもの」と断罪。
「医師不足問題と今回の問題も別問題だ。患者に安心と安全を与える医療を実現してほしい」と結んだ。
女性の弟もまた、手術中に家族への説明がなかったことを批判し、「その状況に光を差し伸べてくれたのは警察・検察。亡き姉に代わって感謝したい」と話した。
公判で審理されなかった医師法21条(異状死の届け出)違反については、書面審理となる。次回は3月21日で、検察が論告求刑を行う。弁護側の最終弁論は5月16日。判決はその2、3か月後になる見込み。
◇
医師と患者のあいだに横たわる、絶望的な不信感
丸1年にわたった大野病院事件の裁判が、福島地裁で結審した。
争われたのは癒着胎盤の予見可能性、胎盤はく離にクーパーを使用した妥当性、胎盤剥離の中止と子宮摘出への移行などという、いずれも高度な医療上の判断の是非。それに、医学の素人である裁判所、弁護士、検察が取り組んでいる。
有罪となれば、被告である執刀医は「犯罪者」だ。もともと産科は医師が患者から訴えられるリスクが高い診療科だが、大半は民事。それが刑事事件に発展したために「結果が悪ければ罰せられるのか」と全国の医師が猛反発した。おりからの医師不足、医療崩壊に拍車をかける事件として、政界、行政からも裁判の行方が注視されている。
公判では毎回、精力的な応酬が繰り広げられた。私も初回から取材を続けた。しかし結審まで見て、残されたのは、医師と患者のあいだにある不信の溝の深さへの、単純な絶望感だ。
産科で「訴訟リスク」が高い最大の理由は、出産という人生最良の瞬間を心待ちにする夫婦が、事故で一瞬にして絶望の淵に突き落されてしまうためだ。
妊婦は健康な状態で入院する。この点が、病気やけがで入院する人と決定的に違う。その状況で、分娩中に何かが起こると、生まれた子どもに脳性まひなどの障害が残ったり、母体に危険が及んだりする。これが産科医に対する訴訟の多さにつながる(産科無過失補償制度が実施に向けて進んでいるのはそのためだ)。
今回の大野病院事件でも、女性の遺族は、「天国から地獄」という表現で、こうしたずっと以前から言われている問題を指摘した。
「病院は真相を明らかにしてくれなかった」「納得のいく説明がなかった」という指摘もまた、小説『白い巨塔』の時代から言われている医療界の問題だ。
もう何年も前から、医療機関には医療安全対策を講じることが求められている。そのマニュアルには、何か起きたらリスクマネジャー(事故防止や事故対応の担当者、医師や婦長クラスの看護師が多い)がすぐに患者・家族に知らせ、病院長以下が直接、迅速に対応するよう、書かれている。遺族への説明には、リスクマネジャーや病院長らが同席し、担当医1人に任せない。こうした気配りが、医師―患者間の信頼関係を維持し、医療事故を“紛争”に発展させないための最善の策だからだ。
弁護団代表の平岩敬一弁護士は、「本当は、遺族へのケア――『これはこういうことなんですよ』と説明してくれることが、必要なんだと思う」ともらす。
それは、司直が手出しする話ではなく、医療界が率先して担うべきことではないだろうか。
大野病院事件の遺族の意見陳述には、ここまでこじれずに済んだのでは、と思われる部分が多々ある。無論、患者側にも問題はあるだろう。医療に何かを求めるなら、もっと医療を理解しなければならない。そもそも日本の医療は多くを求められるレベルにない。そのことが、一般に知られなさすぎることも事実だ。
医師と患者が、互いに理解を怠ってきた長年のツケが、この事件に回っているのではないか。加藤医師、女性の遺族とも、その被害者なのではないかと、思われてならない。
(OhmyNews、2008年1月26日)