ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

長野県・上伊那地方の産科医療提供体制について

2008年09月27日 | 地域周産期医療

上伊那地方では、従来、町立辰野総合病院(辰野町)、伊那中央病院(伊那市)、昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)の3公立病院のそれぞれの産婦人科で分娩を取り扱ってきました。この3病院には、(信州大学より)それぞれ2~3人の産婦人科医が派遣されてました。

平成17年に、町立辰野病院・産婦人科の常勤医がいなくなって、同院での分娩の取り扱いを中止しました。また、本年4月に、昭和伊南総合病院・産婦人科の常勤医がいなくなって、同院での分娩の取り扱いを中止しました。また、ほとんどの産婦人科の開業医の先生方も、高齢のため次々に分娩の取り扱いを中止しました。そのため、上伊那地方では、地域内のほとんどすべての分娩が伊那中央病院に集中するようになりました。

伊那中央病院は、信州大学の全面的な支援により産婦人科の常勤医を6人に増員し、施設も増築して、分娩件数の急増に対応しています。

地域基幹病院の産婦人科常勤医が減り続けて、地域産科医療が崩壊する危機に陥っている場合は、大学病院からの緊急避難的な人的支援がなければ、その地域の産科医療は絶対に生き残れません。しかし、存亡の危機に瀕している地域基幹病院の産婦人科は県内に多く存在し、大学病院からの人的支援にも限界があります。また、一部の地方だけが大学病院の手厚い支援を享受し続けることも不可能だと思います。やはり、それぞれの地域の状況に応じて、医師確保や病診連携など地域産科医療の崩壊をくい止めるための最大限の自助努力を継続してゆく必要があると思います。

上伊那地方の地図

Kamiinamap

昭和伊南総合病院が県から救命救急センターに指定された頃(30年前)、同病院は伊那谷(上伊那地方+飯田・下伊那地方)の中央に位置し、伊那谷随一のメディカルセンターとしての役割を果たしてました。当時は、飯田・下伊那地方に小児科や麻酔科の併設された産科施設が一つも無く、飯田・下伊那地方の産科重症患者もどんどん昭和伊南総合病院に搬送されてました。当時は伊那中央病院も飯田市立病院も狭くて古いボロボロの建物で、伊那谷の病院群の中では昭和伊南総合病院が唯一抜きん出てました。

しかし、その後の30年の間に事情もかなり変わってきたので、南信地区に新型救命救急センターを3カ所設置することになり、2年前、昭和伊南総合病院の救命救急センターを30床から10床に縮小し、諏訪赤十字病院(10床)、飯田市立病院(10床)が新型救命救急センターとして新たに指定されました。昭和伊南総合病院と伊那中央病院とは同じ上伊那地方にありますが、同地方の救急患者の多くが最近では伊那中央病院に搬送されるようになっている事情もあって、現在、上伊那地方の救命救急センターをどの病院に指定するのか?が地元での大きな問題となっています。

****** 中日新聞、長野、2008年9月23日

外来診療棟オープン 伊那中央病院産婦人科

 伊那市の伊那中央病院で22日、産婦人科外来診療棟のオープニングセレモニーがあった。婦人科、産科の診察室と内診室を従来の倍となる4室ずつ設けるなどして外来診療の充実を図った。

 昭和伊南総合病院の出産取り扱いの休止などにより、入院や外来患者が増加、診療施設が手狭になったことから整備をした。新診療棟は本館南側に建設し鉄骨平屋約290平方メートル。産科、婦人科の診察室と診療室のほか、問診室や注射・点滴室、指導室を設けた。出産や入院のための病棟改修も整備済みで、事業費は計約1億1000万円。これまで産婦人科外来に使用していたスペースは整形外科の診療などとして活用する。

 同病院によると、産婦人科の常勤医は6人。月90-110件ほどの出産、外来診療をする。「常勤医が8人ほどになればありがたいが。新外来棟の完成により、不便さが少しでも解消されるのでは」と話した。

(以下略)

(中日新聞、長野、2008年9月23日)


福島県立大野病院事件を無駄にしないために

2008年09月26日 | 出産・育児

コメント(私見):

近年における産科管理の進歩により妊産婦死亡は著明に減少しましたが、未だに、羊水塞栓症、血栓性肺塞栓症、癒着胎盤、子宮破裂、常位胎盤早期剥離などで、母体の救命が非常に難しい重症産科疾患も一定の頻度で発症します。これらの産科疾患はまれな発症率ではありますが、いったん発症すれば急速に重症化し、最終的に救命できない可能性もあり得ます。

例えば、羊水塞栓症は、8000~30000件の分娩に1回の割合で起こる非常にまれな疾患です。分娩中や分娩直後に、突然、急激に血圧が下がり、呼吸循環状態が悪化してショック状態になるものです。重篤なものは引き続き呼吸停止、心停止となります。非常にまれな疾患ではありますが、もし発症した場合には、致死率は60~80%にも及ぶとされています。事前に発症を予測することは不可能です。本疾患が発症した場合は、発症直後にショックに対応した治療を迅速に行い、引き続いて集中治療室(ICU)での集中的な呼吸や血圧の管理、DICの治療などを行います。麻酔科医、循環器科医など大勢の専門医達がチームで治療に当たる必要がありますが、重篤例での母体の救命はきわめて困難な場合が多いのが現状です。(羊水塞栓症について

これらの非常にまれな産科疾患について妊産婦やその御家族にしっかりと説明し、分娩のリスクについて一定の理解を得ておくことは非常に重要です。しかし、まれなリスクをあまりに強調しすぎて妊婦さん達を不安にさせてしまうのもどうかと思われますし、いくら事前に説明があったとしても、実際に妊産婦死亡となれば、残された御家族に納得してもらうのは非常に困難です。

来年1月からスタートする産科医療補償制度は、分娩機関が分娩1件に対して3万円の掛け金を支払い、分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児に対して、分娩機関の過失を証明しなくても総額3000万円の補償金が支払われる制度(無過失補償障制度)です。補償対象がかなり限定されるため、余剰金が生じる可能性も指摘されています。もしも、かなりの余剰金が生じるのであれば、妊産婦死亡や母体の重度後遺症などもこの制度の補償対象に加えることを検討していただきたいです。

****** 周産期医療の崩壊をくい止める会

福島県立大野病院事件を無駄にしないために

――妊産婦死亡した方のご家族を支える募金活動を始めます――

 2008年9月22日

 周産期医療の崩壊をくいとめる会 代表 佐藤章

 さる8月20日に一審福島地方裁判所で加藤克彦医師に対する無罪判決が出されてから1カ月になります。加藤医師の現場復帰も決まりました。ご支援くださった多くの方々に厚く御礼を申し上げます。

 しかしながら、これで物事がすべて片付いたと考えては、加藤医師も単に医療に従事する貴重な時期を無駄にしただけになりますし、何より亡くなった方やそのご家族が救われないと考えます。

 当会としても、様々な取り組みを今後も続けていきたいと考えております。

 出産の際に不幸にしてお亡くなりになった方を忘れず、そのご家族を支援する活動を、当会として新たに始めることといたします。

 日本の妊産婦死亡率は世界屈指の低さを誇りますが、それでも年間50人ほど、お亡くなりになる方がいらっしゃいます。残されたご家族は悲しみの中、乳児を抱え大変なご苦労をなさることになります。来年からは脳性マヒを対象とした無過失補償制度も始まりますけれど、その救済の網からも漏れてしまっているのが現状です。こうした方々の生活の少しでも支えとなるよう、広く募金を募り、それを原資に支援のお金をお贈りして参ります。

 次の口座で募金をお受けいたします。ご賛同いただける方の、ご協力をお願い申し上げます。

口座名:周産期医療の崩壊をくい止める会
口座番号:みずほ銀行、白金出張所、普通1516150

連絡先:周産期医療の崩壊をくい止める会 事務局
E-mail;perinate-admin@umin.net
TEL 080-7031-3032  担当 松村

周産期医療の崩壊をくい止める会


一人産婦人科医長体制について

2008年09月23日 | 地域周産期医療

私も二十年ほど前に、一人産婦人科医長を2年間経験しました。その前は大学病院に勤務してました。

大学病院には大勢の医師が在籍しマンパワーには全く問題がありませんでしたが、当時(二十数年前)、若造の身では手術の執刀はほとんどできませんでしたし、自分にとって納得できない治療方針でも上司がこうだと決めたらその方針には否応なく従わざるを得ない立場にもだんだん嫌気がさしてました。『自分にとって納得できる医療を自由に実践したい!』という思いが日に日に募っていた頃に、突然教授室に呼び込まれて、とある地方病院での一人産婦人科医長勤務を命ぜられました。

いきなり、比較的暇な生活から、病院に連日連夜こもりきりのハードな生活に一変しました。外来診療の合間に1日5~6件の緊急手術を執刀したり、徹夜明けで広汎性子宮全摘の執刀をしたりと、今から考えるとその労働条件は良質な産婦人科医療を提供するのには全く不適当でしたが、当時は自分の納得できる医療を思う存分に実践できることが内心うれしくてたまりませんでした。充実感にあふれた非常に楽しい毎日でした。

しかし、どんどん仕事量がうなぎ登りに増えてきて、体力的にも気力的にも一人の医師の限界をはるかに超えてきて、科の維持のためにはマンパワーを充実させることが必須条件だと痛感しました。自分の場合は、たまたま一人産婦人科医長時代は最初の2年間だけで済んだので、若さの勢いで何とか乗り切れました。現在の科の仕事量は当時とは全く比べものにならず、一人産婦人科医長の体制に戻るのは絶対無理だと思います。

また、一人医長の体制だと大勢のスタッフがすべて自分の思い通りに動いてくれるので、たいへん居心地がいい面があります。しかし、我流でも何でもまかり通ってしまう弊害があります。医師が二人になり、三人になり、四人になりとだんだん増えていけば、医師間の意思統一を図るためには、我流では医師全員の納得が得られなくなるので、標準医療に従わざるを得なくなります。長年、一人医長でやっていると複数医師の体制では全くやっていけない体質になってしまいます。そういう境遇からはなるべく早く脱却した方がいいと思います。


大野病院事件の教訓

2008年09月21日 | 大野病院事件

コメント(私見):

産科医療において、母児が急変して、医療側が救命を目的にできる限りの対応をした事例については、刑事裁判で争うこと自体が非常に不適切で、このような事例の解決方法として、刑事裁判は医療側にも患者側にも無益なシステムだと感じました。

刑事裁判は有罪か無罪かの争いですから、弁護側は最後まで『問題がなかった』と主張せざるを得ないし、検察側は職務上何としてでも有罪を立証しようと全力を注がざるを得ません。最後に勝敗が決するまで、どこまでいっても対立するしかないシステムで、このような事例の解決方法としては大きな違和感を感じます。

大野病院の事例のような非常にまれで予後不良の産科疾患の救命率向上のためには、症例を集積して詳細に検討し、『今後、同様の症例に遭遇したら医学的にどのように対処していけばいいのか? また、今後、産科医療提供体制をどのように変革すれば、同様の症例に対処することがが可能になるのか?』について、医療側、患者側、医療行政側などが、一つのテーブルで真摯に話し合うことができる新しいシステムを創設する必要があると思います。

産科医療では、一定の頻度で母体・児の死亡や重大な障害が発生する可能性があり、しかも、こうした重大事故が突発的に発生するのが産科医療の最大の特徴です。こうした事例で、母体や児を救命するためには非常に高度の医療技術を要しますし、多くの医師や助産師・看護師などで構成される医療チームの力を集学的に駆使して、はじめて母児の救命が可能となります。

日本の産婦人科医療の特徴は、諸外国と比べて施設当たりの産婦人科医数が極端に少ないことです。大野病院の事例でも産婦人科の一人医長体制が問題となりました。総産婦人科医数をすぐに増やすことはできませんから、産婦人科医数に対して極端に多すぎる施設数を思い切って適正数まで減らし、施設当たりの平均産婦人科医数を早急に(欧米並みの)6~7人まで増やす必要があると思います。

産婦人科医と施設数の特殊性

産婦人科施設数 産婦人科医数
日本 10,660 14,501
USA 5,326 35,619
England 455 3,232
(1992-1994)

産婦人科医数/施設数

Photo

          日本       USA      England

****** 共同通信、2008年9月22日

問われる一人医長の安全性 集約化には慎重論も

 妊婦の死亡をめぐり、産婦人科医に無罪が言い渡された福島県立大野病院事件の判決から1カ月。事件で浮き彫りになったのは、医師一人の態勢で地域のお産を支える「一人医長」の安全性の問題だ。医療現場では過度にリスクを回避しようとする動きが広がる。大規模病院への集約化には慎重な意見も根強く、身近な「お産の場」のありようが問われている。

 ▽揺れる心情

 「医師が自分一人なら、良いと感じた医療をやりたいようにできる。1人の患者を継続して診られる利点もある。ただ、難しい症例に遭遇したら、と考えるとやはり怖い」

 石川県輪島市の市立輪島病院。産婦人科の青山航也(あおやま・こうや)医師(32)が揺れる心情を吐露した。3年前に富山県高岡市の病院から転勤、金沢大の医局から派遣された一人医長だ。

 産婦人科の外来患者は1日に約20人。ほかに8人の入院患者がいる。診察や分娩(ぶんべん)などすべてを一人でこなす。3日に一度は夜中に呼び出される。月に2日程度、大学から応援の医師が来る日にしか休めない。

 こうした勤務状況は珍しいことではない。日本産科婦人科学会が2005年に分娩を取り扱う1273の病院を調査した結果、約4割にあたる486施設で医師が2人以下で勤務、うち187施設は一人医長だった。

 ▽事件の影

 大野病院事件で逮捕された産婦人科医も一人医長で、癒着胎盤という珍しい症例にぶつかり、妊婦が死亡。刑事責任を追及される事態となった。この影響で、お産の取り扱いを中止したり、難しい患者を避けたりする一人医長の病院が各地で相次いだとされる。

 「相談できる相手がいないことは(一人医長の)デメリット。無罪判決は出たが、逮捕された事実は変わらない。今は、リスクの高い症例には手を出さない方がいいと思っている」と青山医師。生命に危険を伴うようなケースがあれば、施設や人員の整った病院を患者に紹介するつもりだという。

 ▽選択

 厚生労働省の調査によると、お産をめぐり2007年に国内で亡くなった妊産婦は35人。それ以前の3年間も毎年50人前後で推移しており、関係者は「日本のお産の安全性は、世界トップクラス」と言う。

 ある産科医は「これ以上の安全を求めるなら、一人医長を減らし、患者の利便性を損なっても大規模施設に医師を集めるしかない。大野病院事件は、国民にその選択を求めているのではないか」と指摘する。

 厚労省は集約化を推進しているが、住民からは反対する動きも出ている。青山医師は疑問を投げかける。「集約化すれば、患者は遠くの病院まで通わなければならなくなる。それを『仕方がないこと』としていいのか」

 日本産科婦人科学会も産科の態勢の在り方について検討を進めている。

 同学会で医療提供体制の検討委員長を務める北里大医学部の海野信也(うんの・のぶや)教授(52)は「地元でお産をしたいという妊婦のニーズが予想以上に強いことに気付かされた。今後は集約化と同時に、分娩を扱う開業医を地域に残せるような方策も模索する必要がある」としている。

(共同通信、2008年9月22日)


産科医療補償制度、余剰金が生じる可能性

2008年09月19日 | 出産・育児

コメント(私見):

来年1月からスタートする産科医療補償制度は、分娩機関が分娩1件に対して3万円の掛け金を支払い、分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児に対して、医療機関の過失を証明しなくても総額3千万円の補償金が支払われる制度(無過失補償障制度)です。

補償対象がかなり限定されるため、かなりの余剰金が生じる可能性も指摘されています。もしも、かなりの余剰金が生じるのであれば、妊産婦死亡や母体の重度後遺症などもこの制度の補償対象に加えることを検討していただきたいです。

近年における産科管理の進歩により妊産婦死亡は著明に減少しましたが、未だに、羊水塞栓症、血栓性肺塞栓症、癒着胎盤、子宮破裂、常位胎盤早期剥離などで、救命が非常に難しい母体疾患も一定の頻度で必ず発症します。これらの母体疾患は、非常にまれな発症率ではありますが、いったん発症すれば急速に重症化し、最終的に救命できない可能性もあり得ます。

非常にまれな産科疾患について妊産婦やその御家族にしっかりと説明し、分娩のリスクについて一定の理解を得ておくことは非常に重要です。しかし、まれなリスクをあまりに強調しすぎて妊婦さん達を不安にさせてしまうのもどうかと思われますし、いくら事前に説明があったとしても、実際に妊産婦死亡となれば、残された御家族に納得してもらうのは非常に困難な場合が多いです。妊産婦死亡や母体の重度後遺症などについても、無過失補償制度を創設する必要があると思います。

****** CBニュース、2008年9月16日

産科補償制度、「余剰金は返さない」

「余剰が出るのではないか」「財務の透明性を要求すべき」―。来年1月から「出産育児一時金」を3万円引き上げることを承認した厚生労働省の社会保障審議会医療保険部会(部会長=糠谷真平・国民生活センター顧問)で、産科医療の無過失補償制度(産科医療補償制度)の運営に対する注文が相次いだ。一分娩当たり3万円の掛け金と国からの補助金などを合わせると、余剰金が生じるのではないかとの指摘に対し、厚労省側は「(重度脳性まひの)原因究明も一つの大きな柱になっている」と理解を求め、余剰金が出ても制度に加入している分娩機関に返還する予定はないと回答した。【新井裕充】

(以下略)

(CBニュース、2008年9月16日)


周産期医療提供体制は今後どうなるのか?

2008年09月15日 | 地域周産期医療

1人医長の産婦人科医が、たった1人で全てのリスクを負って、年中無休・24時間営業で頑張り続ける一昔前の産科診療スタイルは完全に終焉を迎えつつあります。

現代の周産期医療は典型的なチーム医療の世界となり、産科医、助産師、新生児科医、麻酔科医などの非常に多くの専門家たちが、勤務交替をしながら一致団結してチームとして診療を実施しています。その周産期医療チームの中で、産科医は少なくとも4~5人は必要です。実際問題としては、産科医5人体制であっても決して十分とは言えません。新生児科医や麻酔科医も、同様にそれぞれ少なくとも4~5人は必要です。

また、助産師は各勤務帯に複数配置する必要があり、最近は助産師外来を充実させる社会的ニーズも高まり、基幹病院へ分娩が集中して正常分娩の件数も増加していますから、助産師も30人~40人程度は必要と思われます。当科においても、最近、分娩件数が従来と比べて倍増しましたが、業務内容を詳細に検討してみると、今まで開業の先生方が担っていた正常分娩の件数が著明に増えているだけで、異常分娩の件数は従来と比べてほとんど増えてないことが判明しました。ですから、医師と助産師との役割分担をうまく調整すれば、医師への負担がそれほど過重にならないで済む可能性も見えてきました。

地域内に周産期医療の大きなチームを結成し、毎年、新人獲得・後進育成などのチーム維持の努力を積み重ねて、この医療チームを十年先も二十年先も安定的に維持・継続していく必要があります。

しかし、体制が十分に整わないうちに、過重負担に陥った医師達が次々に離職するような事態となれば、地域の周産期医療提供体制はもろくも崩壊します。ですから絶対に無理は禁物です。また、病院独自で新人獲得の努力を続けるにしても、今は少ない医師の奪い合いの状況ですから、人員確保の自助努力が毎年うまくいくとは限りません。危機に陥った際の大学病院からのサポートは絶対必須条件です。大学病院との緊密な連携と人事交流、病診連携の推進、産科医と助産師との役割分担、医療秘書の活用など、地域の皆で一致協力し、ない知恵をふり絞って工夫を積み重ねていけば、この難局を乗り越えていけるのではないかと思います。


出産育児一時金、来年1月から38万円

2008年09月13日 | 出産・育児

コメント(私見):

出産育児一時金が、来年1月から3万円増額されて、現行の35万円から38万円になることが決まりました。今回の出産育児一時金の増額は、すべての分娩機関が『産科医療補償制度』に加入することを前提に実施されるものです。しかし、分娩機関の同制度への加入率は、9月11日現在で、73.4%(病院・診療所:76.7%、助産所:53.3%)にとどまっているとのことです。同制度に加入していない分娩機関で出産する場合は、重度の脳性麻痺を発症しても補償金3000万円が支払われません。

医学の進歩によって、近年、妊産婦死亡や周産期死亡は激減しましたが、脳性麻痺の発症頻度(出生1000に対して2~4件程度)は減ってません。分娩を取り扱う以上、いくら取り扱う分娩の件数を少なくしぼって、低リスク分娩だけに限定しても、、一定の頻度で脳性麻痺が発症することは避けられません。これは、自然の摂理としてあるがままに受け入れなければならない厳粛な事実で、それを『社会の一般常識』としてしっかり定着させることが重要だと思います。

欲張ってあまり補償対象を拡げすぎると議論百出となってしまい、いつまでたっても無過失補償制度を創設できないので、とりあえずは、正期産の重度脳性麻痺のみに補償対象をしぼって、まず制度の運用開始を成功させようという考え方はあながち間違いではないと思います。正期産の重度脳性麻痺だけでも年間500~800人は発症しているわけですから、まず社会制度としてこの人たちの補償を確実に行うことからスタートし、その後だんだん補償対象を拡げていけたらいいのではないかと思います。この産科医療補償制度をまずは小さく産んで、今後、大きく育てていってほしいと思います。

個人的には、今回の産科医療補償制度は、強制加入の自動車損害賠償責任保険のような必要最低限の強制保険だと感じています。補償対象が、『出生体重2000g以上かつ在胎週数33週以上で、身体障害者等級1級、2級に相当する重度の脳性麻痺児』とかなり限定され、支払われる補償金も計3000万円と低額で、妊産婦が加入すべき保険として考えると、これだけでは全く不十分です。しかし、全妊産婦、全分娩機関を対象にした最低限の強制保険ということであれば仕方がないかなとも思います。将来的には、妊産婦死亡などにも給付されるもっとちゃんとした任意保険がいろいろと開発されて、自動車保険のように、『最低限の強制保険とセットでオプションの任意保険にも同時加入するのが世間の常識』となれば理想的だと思います。

****** 共同通信、2008年9月12日

来年から出産一時金38万円  新補償制度開始で3万円増

 厚生労働省は12日、出産時に赤ちゃん1人当たり35万円が公的医療保険から支給される「出産育児一時金」について、支給額を3万円引き上げ38万円とすることを決めた。年内に政令改正し、来年1月から実施する。同日開かれた社会保障審議会医療保険部会で報告し、了承された。

 引き上げは、来年1月から通常の出産にもかかわらず脳性まひの赤ちゃんが生まれた場合、医師に過失がなくても妊産婦に補償金計3000万円を支払う「無過失補償制度」が始まるのに伴い、制度の掛け金(出産1回あたり3万円)を医療機関が負担することで出産費用の上昇が見込まれるため。

(以下略)

(共同通信、2008年9月12日)


医師不足対策

2008年09月10日 | 医療全般

医師不足対策の柱は医学部の定員を増やすことですが、その効果が出るまでには10年近くかかりますので、短期的な施策も必要となります。

卒後初期研修に対しては、『医学部の臨床実習とあまり変わりがない』という批判も少なくありません。『卒前臨床実習をもっと充実させた上で、卒後初期研修の2年間を1年間に短縮する案』や、『後期研修(専門医研修)を制度化し、診療科別の医師数に一定のルールを設ける案』なども検討項目に挙がっているようです。

卒前教育は文部科学省の管轄で、卒後臨床研修は厚生労働省の管轄ですから、両省が(縄張り争いをせず)しっかりと連携して頂きたいと思います。

また、やっと諸々の検討が始まったばかりなのに、総選挙で政権交代があった場合に、長期的方針が大きく変わってしまうようでも困ります。「国家百年の計」で人材を育成していく必要があります。国民的課題なので、超党派の関係議員の方々による長期的展望に基づいた一貫性のある対応を期待します。

****** CBニュース、2008年9月9日

臨床研修見直しで議論開始、年内に結論

 医師不足を招いた一因とされる臨床研修制度を見直すため、厚生労働省と文部科学省は9月8日、「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」の初会合を開き、意見交換した。「10年はかかる医学部の定員増よりも早く医師不足に対応できないかを議論するもの」(事務局)で、月1回のペースで行い、年内をめどに報告書をまとめる。検討結果が制度に反映されるのは早くとも2010年4月からだという。

(中略)

 舛添要一厚生労働相は「新研修制度は、プライマリーケアを育てるなど良い側面もある。問題の所在を見極めたい」としながら、「授業に魅力がなければ学生は来ない。医師を一人前に育てるにはどうするべきか、ここにメスを入れないといけない」と述べた。

(以下略)

(CBニュース、2008年9月9日)


医療紛争解決、裁判ではなく話し合いで

2008年09月10日 | 医療全般

****** 読売新聞、2008年9月9日

医療紛争解決、裁判ではなく話し合いで…日弁連が全国普及へ

 医療事故を巡る訴訟が増える中、日本弁護士連合会は、裁判ではなく話し合いで紛争を解決する「医療ADR(裁判外紛争処理機関)」を、全国に普及させることを決めた。

 昨年、東京の3弁護士会が合同で作った医療ADRをモデルに、来春までに全国5か所以上で新たにスタートさせる。当事者にとって負担が重い訴訟の代替手段として利用されそうだ。

 医療ADRは、医療を巡るトラブルについて、当事者からの申し立てを受け、仲裁者が間に入って解決策を探る仕組み。医療という専門性の高い分野では、過失の有無や、医療行為と事故の因果関係の立証などが難しく、裁判で法的責任を明確にするには審理に長い時間がかかる。最高裁によると、医療訴訟の提訴件数は昨年944件と、この10年間で約1・6倍に増え、平均審理期間は約2年に上る。

 このため、交通事故や住宅を巡るトラブルなどの解決手段として使われてきたADRを医療問題にも活用する動きが出始め、愛知県弁護士会が積極的に取り組んできたほか、東京の3弁護士会も昨年9月、医療訴訟の経験豊富な弁護士計30人を仲裁委員として登録し、医療ADRを設置した。患者側、医療機関側のいずれかから調停の申し立てがあれば、双方に1人ずつ委員がつき、さらに中立の委員も交えて話し合う。今年7月までに45件の申し立てを受け、2~3回の協議を経て、数十万~数百万円の支払いや謝罪などを内容とする和解が7件成立した。

 こうした動きを受け、日弁連ADRセンターは来春までに、全国の高裁所在地のうち高松を除く7か所に、医療ADRを整備することにした。東京方式をモデルに、各地の弁護士会が運営する紛争解決センター内に医療ADRを新設してもらう予定だ。

 日弁連ADRセンターの渡部晃委員長は「患者側だけでなく、医療機関側の事情に詳しい弁護士が仲裁に入るので公正中立な解決を得られやすい。冷静に話し合えば、裁判で消耗せずに双方が納得して解決できるケースもある。紛争解決の一つの選択肢として普及させたい」と話している。

(読売新聞、2008年9月9日)


産科医療補償制度、すべての分娩機関に加入を呼び掛け

2008年09月06日 | 出産・育児

コメント(私見):

多くの場合、脳性麻痺の原因の特定は非常に難しく、分娩機関側に過失があったかどうか?の判断も非常に困難です。一般に『出産は正常が当たり前』と思われていますが、現実には、どの分娩機関であっても一定の確率で脳性麻痺などの不幸な結果も起きています。この一般の認識と現実とのギャップが、産科訴訟多発の原因の一つともなっています。

産科医療提供体制を立て直すために着手すべき課題は多くありますが、産科医療補償制度の創設はその中でもまず最初に着手しなければならない非常に重要な課題です。いよいよ来年1月1日から産科医療補償制度の運用が開始されます。

この産科医療補償制度では、分娩機関が支払う掛け金(1分娩当たり3万円)が補償金の財源になります。運営組織である日本医療機能評価機構は、契約先の民間損害保険会社(東京海上日動火災保険など6社)に保険料を支払います。事故発生時には、分娩機関が運営組織を通じて保険金を受け取り、脳性まひ児と家族に補償金として計3000万円を支払う仕組みです。来年1月以降の分娩に適用し、補償対象は年間で500~800人と見込まれています。

この制度では分娩機関が1分娩あたり3万円を負担することになるので、妊産婦が医療機関の窓口で支払う出産費用がその分増額されることが予想されます。そのため、厚生労働省は「出産育児一時金」の支給額を、現行の35万円から3万円引き上げ、38万円とする方向で検討に入ったとのことです。

分娩機関が制度に加入していないために補償を受けられない事態を防ぐため、厚生労働省や同制度を運営する日本医療機能評価機構では、すべての分娩機関に加入を呼び掛けてきました。しかし、全国3345か所の分娩機関のうち同制度に加入しているのは、9月3日現在2319か所で、加入率は69.3%(病院・診療所:72.5%、助産所:50.2%)にとどまっていることが判明しました。加入は8月にいったん締め切られましたが、加入率が低いため期間を延長。来年1月の制度創設に間に合うよう、9月中の加入を引き続き呼び掛けています。

産科医療補償制度の加入に関する問い合わせは、
日本医療機能評価機構 03(5800)2231 まで。
詳しくは、同機構のホームページで。

参考記事:産科医療補償制度の開始

******
日本医療機能評価機構のホームページより引用:

 我が国の産科医療については、過酷な労働環境や医事紛争が多いことなどにより、分娩の取扱いをやめる施設が多く、産科医療の提供が十分でない地域が生じています。

 さらに、産科医になることを希望する若手医師が減少していることなどの問題点が指摘されており、産科医不足の改善や、今後の産科医療提供体制の確保は、我が国の医療における優先度の高い重要な課題となっています。

 こうした課題を解決し、安心して産科医療を受けられる環境整備の一環として、産科医療補償制度の早期創設が求められております。

 本制度は、脳性麻痺となった児およびその家族の経済的負担を速やかに補償するとともに、事故原因の分析を行い、将来の同種事故の防止に資する情報を提供することなどにより、紛争の防止・早期解決や産科医療の質の向上を図ることを目的としています。また、原則として全ての分娩機関の加入が求められるなど、多くの関係者や社会のご理解によって支えられる制度であります。

(引用終わり)


加藤先生の無罪確定

2008年09月04日 | 大野病院事件

コメント(私見):

加藤克彦先生に無罪を言い渡した福島地裁の判決が、9月3日に控訴期限を迎え、9月4日午前零時で無罪が確定しました。

極めてまれで予測も困難な癒着胎盤という疾患に対し、現時点における標準的な医療行為が実施され、明白な過失はなかったにもかかわらず、結果の重大性を理由に担当医が逮捕、起訴された本事件で、2年半の歳月をかけてやっと冤罪を晴らすことができました。

しかし、県警はいまだに「法と証拠に基づいて必要な捜査を行ったもので、(医師の)逮捕に間違いはない」とコメントしてますし、検察も「起訴自体は法律と証拠に基づいており、間違っていない」と言い切っていますので、法律が現状のままであれば、今回のような冤罪事件がまた何度でも繰り返される可能性があります。

今回のような冤罪事件が再び繰り返されることがないように、法律が改正されて、医療事故の原因究明に当たる第三者組織「医療安全調査委員会」(仮称)が早急に創設されることを希望します。

******  Japan Medicine、2008年9月5日
大阪府医師会が主催した「舛添厚生労働大臣と語る会」での講演内容より

◆舛添要一・厚生労働相

大野病院事件は警察の誤り

 福島県立大野病院事件については、医師と患者の信頼関係不足が最大の要因との考えをあらためて強調した。診療関連死への対応をめぐっては、超党派による協議で産科無過失補償制度や医療事故調査委員会の設置などの政策提言につなげてきた経緯を紹介。一方で、「医師には第三次試案でも不満があるのは理解できるし、医師にも患者にも不信感がある中ではどんな委員会も試案も合意を得るのは困難。8割程度納得できるならいったん制度化して、駄目な部分はその後改正していくという考え方もあるのではないか」と、医療側に柔軟な対応を求める場面もあった。

  大野病院事件自体については、「警察が介入したことが一番の問題。(この事件で)医師を犯罪者にする原点が間違っている」と警察側を厳しく批判した。

(Japan Medicine、2008年9月5日)

****** m3.com医療維新:
福島県立大野病院事件◆Vol.26 より

◆福島県立医科大学産婦人科教授・佐藤章氏

 8月20日の判決のときと同じですが、ほっとしたというのが正直な思いです。同時に今回と同様なことが二度と起こらないようにすることが重要だと考えています。

 今回の件は、県が設置した「県立大野病院医療事故調査委員会」の報告書が発端になっています。ですから、今議論されている“医療事故調”に期待しています。ただ、そのあり方は今後、様々な検討が必要でしょう。またやはり医療について医学的に調査できるのは、医師自身です。“医療事故調”と一体化させるか、別に作るかという議論はありますが、医師自身が医療事故を調査・分析する仕組みが必要だと考えています。

 さらに、業務上過失致死傷罪を医療にどう適用するか、その議論も重要です。医学的根拠がある医療行為を実施した場合には、たとえ医療事故が生じても業務上過失致死傷罪を適用しないなど、見直しが必要だと思います。

 医療事故の再発防止には、質の高い調査が必要ですが、以上のような点を整理しないと関係者が正直に事実を述べることができず、医療事故の再発防止などは期待できません。

 なお、加藤克彦先生とは、近いうちに会って、今後について相談したいと考えています。

(m3.com医療維新:福島県立大野病院事件◆Vol.26 より)

****** 日本医師会
日医ニュース第1128号(2008年9月5日)

福島県立大野病院事件判決に対する日医の見解を公表

 平成十八年二月に,福島県立大野病院で帝王切開時の癒着胎盤に伴う産婦の失血死により,業務上過失致死罪と医師法第二十一条違反容疑で,担当医が逮捕,拘留,その直後に起訴された事件で,被告人である産婦人科の医師を無罪とする判決が,八月二十日,福島地裁から出された.これを受けて,木下勝之常任理事は,同日,記者会見を行い,今回の裁判所の判断は妥当なものであるとする日医の見解を明らかにした.

 同常任理事は,まず,亡くなられた患者さんとその遺族に対して,改めて哀悼の意を表明.そのうえで,今回の事件を「産婦人科医だけでなく,医療界や,社会に大きな衝撃を与えるものであった」と振り返るとともに,その問題点として,(一)医療事故が発生してから一年以上が経過し,その間,この事故の調査が行われ,地域の周産期医療を担い続けてきた医師が,逃亡や証拠隠滅の恐れがまったくないにもかかわらず,突然逮捕,拘留され,その直後に起訴されるという極めて不当な事件であったこと,(二)専門医が判断すれば,通常の医療行為を行ったが,残念ながら力が及ばず不幸にして亡くなられた事例であり,刑事罰の対象にはなり得ない事件であるにもかかわらず,刑事司法の判断によって「医師の過失が重大である」とされ,刑事訴追されたこと―を指摘した.

 今後については,今回の判決を契機として,現在議論がなされている新たな死因究明制度における原因究明と再発予防に向けた取り組みを法制化し,医療の管理を今までのような刑事司法が行うのではなく,専門家集団である医師自らが行う仕組みの構築を目指していきたいとの考えを表明.さらに,医療の専門家である医師には,医療事故の防止に努めるとともに,医療を受ける患者と真摯に向き合い,相互の理解に努め,医師・患者間の溝を埋めていくよう,一層の努力をしていくことを求めた.

(日医ニュース第1128号、2008年9月5日)

****** MTpro 記事、2008年8月27~29日掲載

                医療ライター・軸丸靖子

上司の経験した「医師逮捕」――検証・福島県立大野病院事件

(上)医療者安堵させた無罪判決

 「無罪!」「無罪!」「無罪!!」

 8月20日福島地裁。鈴木信行裁判長の主文言い渡しを聞き終わらないうちに傍聴席の記者たちは一斉に席を立ち,速報で伝える言葉を声を殺して叫びながら法廷を飛び出していった。一瞬驚いたようにそちらを見た被告は,裁判長を向き直ると一礼し,席に戻った。1年半にわたった「福島県立大野病院事件」公判はこうして被告・加藤克彦氏の無罪を認め,閉廷した。

 事件についてあらためて詳報する必要はないだろう。2004年12月17日,大野病院で帝王切開手術を受けていた女性(当時29歳)が出血多量で死亡し,執刀していた産婦人科医の加藤氏が業務上過失致死と医師法21条(異状死の届け出義務)違反の罪で逮捕・起訴された。100以上の医学界・医師会が逮捕不当の抗議声明を出した一方で,“萎縮診療"を促し,地域医療崩壊のスピードを加速させたといわれる事件だ。

 事実認定ではほぼ検察の主張を認めながらも結末では医療界を安堵させる,という落としどころでとりあえず一審の幕を引いた(※)事件はしかし,旧態依然とした医療界に「体質変化」という課題を突きつけたように思える。

 ここでは「医局員が逮捕される」経験をした福島県立医科大学産科婦人科学教授の佐藤章氏の話を中心に,3回に分けて事件を振り返り,社会が医療に何を求めているのかを整理してみる。

※検察には2週間の控訴期限がある

「有罪なら産科医療はもっとしんどくなっていた」

 判決後の会見冒頭に,亡くなった女性患者への哀悼と遺族への謝罪,医療界挙げての支援への感謝を丁寧に述べた加藤氏。判決の感想を問われると表情を和らげ,

 「(「被告人は無罪」という言葉を聞いて)ホッとしました。分かっていただけて良かったと感じました」

と答えた。その様子を会見場の隅で見守っていた佐藤氏もまた,安堵を口にした。

 「(無罪と言っても)マイナスだったものがゼロに戻っただけです。喜ぶというんじゃなく,ホッとしたというのが正直なところ。無罪になったといっても逮捕・拘留されたという事実は消えない。それだけ大変な社会的ダメージを受けたのですから」

 「この事件が,産科医療に携わる医師が減る流れに輪をかけたことは否めません。有罪になっていればもっとしんどくなっていたでしょう。無罪判決でその流れに少しストップがかかったかもしれない。ただ,これで産科医療全体が上向きになるとは言えませんが」

「ミスをした覚えはないと言っていた」

 佐藤氏は,大学医局での直属の上司として,加藤氏を大野病院へ派遣していた立場だ。その佐藤氏の視点から,問題となった手術当時の様子を振り返る。

 2004年12月17日。大野病院で手術が始まったのが午後2時半過ぎ,女性の死亡が確認されたのは同7時1分,佐藤氏が連絡を受けたのは午後8時ごろだった。

 「医局へ連絡があったという報告を受けました。癒着胎盤で出血多量(による死亡)だったのだと。『それならなぜ大学病院へ寄越さなかったのか』と聞いたら,事情を知っていた医局員が『いや,全前置胎盤の患者で前回帝王切開歴があるけれど,子宮前壁への癒着はないことを確認しているということで彼に任せたんです』という説明でした。ああそれなら,と思いながら,早いうちにカルテを持って報告に来るよう伝えたんです」

 手術があったのが土曜。加藤氏は翌日曜に保健所へ届け出をし,月曜に県立医大へ説明に赴いている。

 「(患者が亡くなったと聞いて)医局内には『まずいな』という雰囲気は確かにありましたよ。でも,加藤氏は術中エコーまでやっているのです。普通はそこまではやりません。そのくらい慎重に,癒着がないかどうか確認していた。公判で検察はそれを逆に解釈(癒着を予測していたから慎重だったのだろうと)していましたけれどね。実際,前回帝王切開創がある子宮前壁はスルッと問題なく胎盤剥離できている。問題の癒着は子宮後壁にあったんですが,それは現在の検査ではどうしても分からない部分なのです」

 「加藤氏には,カルテを元に何があったのか全部聞きました。ミスはなかったのかとも何度も尋ねましたよ。何かまずいことがあったのか,隠すほどにまずいことになるから正直に言え,と。でも『いや,ミスをした覚えはありません』とはっきり言っていました。子宮摘出を終えてホッとしたところで心臓が止まったんだと。彼としてもびっくりしたのだと思います」

 経緯に納得した佐藤氏は,それでも民事訴訟になる可能性はあると考え,手技や判断の理由も含めて全てカルテに記載しておくよう指示して,加藤氏と別れた。

初めから事実と違った医療事故調査報告書

 だが事態は違う方向に進んだ。

 翌2005年1月に福島県病院局が設置した医療事故調査委員会は,「出血は子宮摘出に進むべきところを,癒着胎盤を剥離し止血に進んだためである」とする報告書をまとめたのである。

 報告書はA4サイズ7枚,本文部分わずか4枚。他科の応援医師を要請すべきだった,輸液が足りなかった,手術途中で患者家族に説明すべきだった――と包括的に反省事項をまとめた内容だ。明記はしていないものの,一見して「子宮摘出せず胎盤剥離に進んだのは医師の判断ミス」と読めた。

 無罪判決後の会見で,報告書について問われた加藤氏は,

 「あの報告書が出た時点でやはり違和感がありました。当時の病院事務長に抗議というか,話をしたんですが,患者さん(遺族)への補償のためということを盾に何もいうことができない状態になってしまって。今日の日が終われば,県病院局や事故調査委員会とも話ができると思っています」

と話している。

 佐藤氏も,公表前にこの報告書を見せられたとき,「事実と違う」と抗議したと話している。

 「ここ(県立医大の教授室)に県病院局と事故調の委員長が来て,こういうことになったので,と説明されました。私は『ミスとは書いていないがそう読める。事実と違うから書き直してくれ』と言いましたが,『いや,こういう風に書かないと保険会社から保険が下りないからこうしたい』と,承諾を求められてしまいました。今思えば,もっと私が強く(書き直しを)求めれば良かったのです。まさか刑事になるなんて思わなかったですから」

 結局,加藤氏,佐藤氏とも言いたいことを飲み込み,患者遺族が了承したということで県病院局は2005年3月末に報告書を公表し,「女性の死亡は執刀医の医療ミス」として謝罪会見を開いた。県の担当者や大野病院院長が頭を下げる写真が地元紙の社会面トップニュースになった。

 これを見た富岡署は捜査に動き出す。翌月には大野病院へ家宅捜索が入り,加藤氏も任意事情聴取を数回受けた。ただ,この時点で立件されると考えている関係者はいなかった。

 ところで,同報告書には患者遺族も納得していない。

 病院の説明ではミスはなかったと言っていたのに報告書ではやっぱりあった,となっているのだから無理もない。本文部分A4サイズ4枚という報告書は,どう割り増して見ても詳細なものとはいえない。医学の素人であるからこそ,この報告書では遺族は納得のしようがなかっただろう。

 亡くなった女性の父・渡辺好男さんはその後,県がその報告書を元に示談金交渉に訪れたときも,「まだ報告書の内容しか分かっていないのに(示談金は)時期尚早」といって,手術に関する質問を県の担当者に投げかけて帰した。そのまま,県の担当者とは連絡が途絶えたという。

(中)「加藤が逮捕されました」「えっ?」

逮捕って,どうしたらいいのか

 2006年2月18日土曜早朝,加藤克彦氏は逮捕された。

 初公判後の会見で,加藤氏はこの日の様子をこう説明している。

 数日前に警察から連絡があり,家宅捜索に入るから自宅待機しているようにと指示を受けていた。朝から2時間ほどの捜索のあと,富岡署へ同行するよう言われ,取調室に入ったところで逮捕状が読み上げられた。医師不在になった大野病院には,とりいそぎ近隣の病院から応援の医師が入った。

 佐藤氏はその数日前から医局員数人とハワイであったセミナーに行っていた。帰国便に乗る前まで何ごともなかったのが,成田に着いて医局にかけた電話で,緊急事態を知らされたという。

 「『逮捕,逮捕されました』というから『逮捕って何が?』と聞いたのです。そうしたら『加藤が逮捕された』『えっ?』と」

 佐藤氏が福島に着いたのは午後7時過ぎ。助教授が大学の顧問弁護士に連絡しており,翌日に接見してもらう手はずは整っていた。あとはどうしたらいいのか。あちこち相談したかったが,週末で誰もつかまらない。

 悶々としながら,週が明けた月曜朝一番に日本医師会(日医)に相談の電話をかけた。だが日医には,民事訴訟に関する相談窓口はあるが刑事は関知していないので受けられない,と言われてしまった。

 「窓口がないなら仕方がない。それから作ってもらっても間に合わないですから,頭を切り換えました」

 日本産科婦人科学会へ連絡し,幹事だった澤倫太郎氏の紹介を受けて,医師法21条に詳しいという安福謙二弁護士と会った。さらに「刑事に詳しい弁護士を頼んだほうが良い」と助言を受け,いわき市にいる大谷好信弁護士も頼んで,弁護士3人の体制を組み,勾留中の加藤氏に毎日接見してもらえるようにした。

 さて次はどうしたらいいのか。何をすべきなのか。そんなとき,深夜12時過ぎに佐藤氏の自宅の電話が鳴った。東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワーク部門特任准教授の上昌弘氏だった。

夜中の電話,事態は社会問題へ

 「それまで直接知らない方だったのですが,私の友人である医師から聞いたという話でした。『加藤医師を守る会を作りましょう,佐藤先生の名前を使っていいですか?』ということで,それはもちろん,となりました。政治家を巻き込んだ動きにしようなんて全く考えていなかったのですが,とにかく加藤氏を守る,こんな逮捕はあってはいけない,それを訴えたいという気持ちでした。こんなに世の中が動くとは思いませんでしたよ」

 上氏らの働きかけで,すぐにメーリングリストなどを使った署名運動が立ち上がった。参議院議員らは国会質問で事件を取り上げた。加藤氏起訴から数日後の3月17日には,鈴木寛参議院議員(民主党)らの調整で当時の川崎二郎厚生労働大臣に陳情書を手渡すことになった。その時点までに集まった署名は6,520人。

 「逮捕・起訴への抗議なのだから,本当は厚労省に訴えても筋違いであって,法務省や総理大臣に陳情しなければならないのですが,リジェクトされたんですよ。そうこうしながら話し合ううちに,会の名前も加藤氏個人を冠したものから『周産期医療の崩壊を食い止める会』に変更しました」

 「上氏や代議士の先生方には,こういう問題はおかしいから,会を作って社会的に知らしめて,何が問題なのか国民がわかってくれるようにすることが大切なんだと言われて,私も賛同しました。ただ初めは,陳情や記者会見なんて抵抗がありましたよ。それですぐに釈放してくれるわけではないのですから。でも,(産婦人科医の1人として)『結果が悪ければ即逮捕』という前例を作ってはいけない,という気持ちでした」

 参議院議員会館で開かれたこのときの会見を私(記者)も取材していた。社会部事件担当記者よりも,医療担当記者が多く来ているのが目についた。この会見で,福島県の一地域で起きた出来事は産科医療崩壊を象徴する事件に変質した。

 政治家を巻き込んだこの動きはその後,医療安全調査委員会(医療版・事故調)創設の議論をスピードアップさせていくことになる。

高まった医療崩壊への危機感

 加藤氏の逮捕・起訴が現場の医師らに与えた影響について,日本産科婦人科学会産婦人科医療提供体制検討委員会・委員長の海野信也氏(北里大学産婦人科学教授)は「気持ちの変化が一番大きなものだった」と指摘する。

 「現場の人間の診療に対する姿勢,スタンスが変わった,ということは確実に言えます。大野病院事件は,それまでは『難しいかもしれないが何とか頑張ろう』と思っていたケースでも,『そこまでやってはいけない』と言われたようなもの。医師たちは少しセーブするようになり,それまでは一次医療機関で診ていた症例を二次医療機関へ,二次で診ていた症例を三次へと回すように,少しずつシフトしました」

 「その善し悪しはまた別です。より設備の整った安全な医療機関にかかりたいというのは患者ニーズに合っていることかも知れませんから。ただ,それが医療体制のバランスを崩したことは間違いないのです。日本の医療はそれに応えられる体制にはなっていないのですから」

 大野病院事件は,加藤氏1人のものではなくなっていた。佐藤氏が述懐する。

 「加藤氏が保釈されたとき,迎えに行った平岩敬一弁護士(弁護団長)が食事の席で言ったそうです。『もうあなたの自由でこの問題は動きません。問題はあなたのことを通り越していて,あなたの考え方では動かない。われわれに従うしかありません』と。加藤氏はよくわからなかったんじゃないでしょうか。留置所にいるときは,世間がそんなに騒いでいるとは思わないでしょうから」

 医療体制,特に産科医療体制崩壊への危機感は加藤氏への支援活動につながった。福島県産婦人科医会の「加藤克彦先生を支える会」などに寄せられた寄付金はかなりの額になっているという。加藤氏の保釈金(500万円)と弁護士費用はここから支払われている。

 「ありがたいことです。本当によく集まりました。民事訴訟もそうですが,刑事も大変なお金がかかります。検察側はいくらでもお金を使えるでしょうが,こっちはそうじゃない。そういう意味でも,本当に早く解決してほしいんです」

(下)事件が医療界に突きつけた課題とは

さじ加減感じられた判決

 大野病院事件の判決要旨はすでに多くのメディアで報道されているとおり。事実認定では検察側の主張をほぼ全面的に認めながらも,結論部分では無罪とした。

 「99.9%有罪」が常識の刑事裁判(医療訴訟ではこの確率はもう少し低いが)において無罪を宣告する場合の,微妙なさじ加減がうかがえる落としどころといえるだろう。

 判決文のなかで検察側の主張が認められたのは,

(1)患者の死因は出血性ショックによる失血死であるとされた点,
(2)胎盤剥離と死亡との因果関係を認め,弁護団のいう羊水塞栓や産科DIC(播腫性血管内凝固症候群)の可能性は却下された点,
(3)胎盤は子宮前壁にもかかっていたと認められた点,
(4)胎盤癒着の予見可能性と結果回避可能性がともに認められた点

――など何点もある。公判で加藤氏が再三否定した供述調書の任意性も,実にあっさりと認められた。

 そのうえで業務上過失致死にあたらないと結論づけられたのは,結果回避が「可能」であっても「義務」であったとは言えない,という理由からだ。

――検察の主張する「癒着に気づいた時点でただちに剥離を中止し,子宮摘出に移るべき」という行為は可能ではあったが,臨床現場における標準的行為とは立証されていない。現場の医師に行為義務を負わせるほどの標準的行為というならば,少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠である――

 簡単に言えば,検察側は立証責任を果たしていないと指摘したものだ。控訴するならそこのところ,特に臨床面からの立証が不可欠ですからね,とも読めるだろう。

 一方,違憲論議もある医師法21条については,公判でのやりとりは結局されずじまい。それにもかかわらず,判決に「診療中の患者が,診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は,そもそも同条にいう異状の要件を欠く」という明確な判断基準が示されたことは,傍聴人としても新鮮な驚きだった。

 この判断については,弁護団長の平岩敬一氏が高く評価しているので紹介しよう。

 「かなり踏み込んだ解釈で,今後の判決にも大きな影響を与えるのではないでしょうか。通常裁判所は憲法論議には踏み込みたがらないものですが,今回の場合,そこに踏み込まなくても十分に判断できたということでしょう。あいまいだった異状死の基準が明確になったことで,(これまでは通報していたケースでも)かなりのものは通報しなくて良くなると思います」

県の苦しい言いわけ「処分取り消しもあると思う」

 判決公判の閉廷から3時間後。会見を開いた福島県病院局の言い分は苦しいものだった。2006年3月に「医療ミスだった」とした県の謝罪会見は,誤りとまでは言えなくても,事実を正確に説明したものではなかったことが証明されたわけだ。県の認めた報告書が加藤氏と患者遺族の双方を刑事裁判に巻き込んだことは,誰の目にもあきらかだった。

 記者陣から「報告書は患者遺族への賠償を前提にしたものだったと加藤氏は語っている。実際はどうだったのか」と問われた福島県病院事業管理者の茂田士郎氏は,

 「事故調査報告書というのは,賠償を前提にしたものではなく,あくまでも再発防止のためのものです。別に法的な意味はないと思っています。今回の判決の方がより正しいと思っています」

 「(県の報告書を受けて減俸の行政処分を受けた加藤氏に対しては)判決が確定してから,報告書に重大な誤認があれば,処分の取り消しということもあると思っています。加藤氏に医療ミスはなかったと証明されて良かったというのが本音です」

とくぐもった声で述べた。

 言い訳にしか聞こえない,と県を責めても仕方がない部分はあるだろう。判決より前にも私(記者)は県病院局へ取材していたが,事件当時の担当者らは異動でとっくに入れ替わっていた。事件当時の資料は警察に押収されているから,記録も記憶もない状態だ。

 現在の担当者から「おそらく」という注釈付きで,

 「報告書を受けて謝罪会見をしたときは,医師の逮捕や刑事訴訟なんて考えていなかったのだと思います。報告書は遺族に申し訳ないという気持ちを前提にしたもので,医療ミスの有無という議論は,当時はなかったのではないかと思いますよ」

 という説明を聞くのが精一杯だった。

刑事訴追を呼び込んだ原因は

 とはいえ,少なくとも加藤氏は「遺族への賠償のため」と思って医療ミスを認める報告書を受け入れた。それから3年半が経つが,患者遺族への賠償はなされておらず,遺族はいまも医療側の説明に納得していない。では,事故調査報告書が果たした役割はいったい何だったのか。

 判決後,患者の父・渡辺好男さんは初めて会見に臨み,小さな声ながらはっきりと,医療者が行った事故調査の欠点を指摘した。

 「当初から真実を知りたい,病院で何が起きたのかを知りたい,ただそれだけを追求してきました。裁判で真相究明ができたとは思わないけれど,裁判になったことで,自分たちだけでは知りうることができないことが分かりました」

「事故調査委員会とか,そういう,自分たちに説明する段階で,本当に事実を把握していたのでしょうか。医療界からは警察・検察の介入に抗議する声があがっています。しかし,娘の事故について,ほかの機関で警察・検察と同等の調査ができたのでしょうか。助産師さんや先輩医師がアドバイスしていたことについても,県の事故調査委員会は把握していたのでしょうか。現在も疑問を持っています」

 「患者のいう真相究明」がすべての面で必ず優先するとは,私(記者)個人は考えていない。だが,渡辺さんは医療界にとても大事な指摘をしていると思える。事故調査は病院側の都合を優先しただけで,当事者の誰にも事実を示してはいなかった。中途半端な事故調査で矛を収めようとした医療界の体質が,「司法介入」という混乱を呼び込んだとはいえないだろうか。

 医療への司法介入に抗議するからには,医療界にはそれに見合う原因究明と自浄作用の機能を発揮することが求められるはずだ。

 佐藤氏は言う。

 「医師のあいだにも,専門家集団として自浄作用を発揮しなければという気持ちはあるけれど,実際に立ち上げて具体的にしていくのが遅かったのです。社会通念をキャッチしていなかったのでしょう。駄目な医師を排除してこなかったから,社会的には『医師はかばい合いをしている』としか思われないのです」

 「加藤氏の事件だって,最初のころは『なぜそんな医者をかばうのか』という声がありました。それは違うと分かって欲しかった。そういう意味で,『周産期医療の崩壊を食い止める会』の運動が広がったのは良かったのだと思います。僕は,事件が解決したら,そこのところの運動をするつもりです」

 大野病院事件を機に,医療安全調査委員会(仮称,いわゆる医療版事故調)創設への動きが高まっている。実施までにはまだいろいろ議論を重ねる必要があるだろう。取材をするなかでも,厚労省主体の第三者組織より,医師会など医師が主体になり,医師自ら医師を処分までする組織を作るべきだという意見を数人から聞いた。「医療のことは専門家である医師が一番よく分かるから」という理由だった。

 事故調については議論を重ねて良いかたちにしていけばいい。ただそのかたちは,患者が医療への信頼を取り戻せるような,徹底した事故調査を行うものであって欲しいと願う。そうでなければ,大野病院事件のように医師・患者遺族ともに深く傷つく事件が,また起きてしまうだろう。(了)

(MTpro 記事、2008年8月27~29日掲載)


東御市民病院が婦人科外来を開設

2008年09月02日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

「上小(じょうしょう)医療圏」(人口:約22万人、分娩件数:約1800件)は、長野県の東部に位置し、上田市、東御(とうみ)市、青木村、 長和町などで構成されています。

同医療圏では、国立病院機構長野病院・産婦人科が地域で唯一の産科二次施設としての役割を担ってきましたが、昨年11月に派遣元の昭和大学より常勤医4人全員を引き揚げる方針が病院側に示され、新規の分娩予約の受け付けを休止しました。来年3月まで常勤医1人の派遣が継続されますが、現在は分娩に対応してません。現在、同医療圏内で分娩に対応している医療機関は、上田市産院、上田原レディース&マタニティークリニック、角田産婦人科内科医院の3つの一次施設のみです。ハイリスク妊娠や異常分娩は、信州大付属病院(松本市)、県立こども病院(安曇野市)、佐久総合病院(佐久市)、長野赤十字病院(長野市)、篠ノ井総合病院(長野市)などに紹介されます。分娩経過中に母児が急変したような場合は、救急車でこれらの医療圏外の高次施設に母体搬送されることになり、医療圏内に母体搬送を受け入れる産科二次施設は存在しません。

分娩経過中はいつでも母児の状態が急変する可能性があり、分娩取り扱い施設では、『帝王切開と決定してから児が娩出するまでに30分以内』を常に達成できる態勢が求められています。常勤医が大勢いてもこの条件を常に満たすことは非常に難しく、時間帯によっては帝王切開の決定から児娩出までに30分以上かかる場合もあり得ます。まして常勤医1人の態勢でこの条件を常に満たすのは絶対に無理だと思います。

現代の周産期医療は典型的なチーム医療の世界で、産科医、助産師、新生児科医、麻酔科医などの非常に多くの専門家たちが、勤務交替をしながら一致団結してチームとして診療を実施しています。地域内に周産期医療の大きなチームを結成し、毎年、新人獲得・専門医の育成などのチーム維持の努力を積み重ねて、チームを10年先も20年先も安定的に維持・継続していく必要があります。どの医療圏においてもそのような不断の地道な努力が必要であることを、行政、市民などにも十分理解していただく必要があります。

産科二次施設が休止に追い込まれた医療圏では、産科一次施設での分娩取扱いの継続も今後ますます厳しくなっていくことが予想されます。冷静に考えて、公立の産科一次施設を今作ったとしても、果たしてその施設を何年間維持することが可能なのでしょうか? この問題に対して各自治体の首長がそれぞれ個別に対応していたんでは、いつまでたっても地域の産科医療提供体制立て直しの第1歩を踏み出すことすらできません。

次世代のために、医療圏全体でよく話し合い、長期的構想のもとに一致協力し、国・県・周辺の医療圏・大学などとも十分に歩調を合わせて、地域の産科医療提供体制をゼロから(途中で投げ出すことなく)気長に再構築していく必要があると思われます。

****** 朝日新聞、長野、2008年9月10日

婦人科外来診療始まる 東御市民病院

 東御市民病院は9日、新たに婦人科外来の診療を始めた。来年度に予定する産科の設置に向けた布石となる。非常勤として担当する木村宗昭医師(63)は「助産師主体の自然なお産が出来るようなバースセンターを目指したい」と語った。

 婦人科外来は、毎週火曜日(午前9時~正午、午後2~5時)に開く。

 同病院の産科設置は、4月の市長選で初当選した花岡利夫市長の公約。設置の際、木村医師が常勤医師として同科を担当する予定だ。

 木村医師は、目指す産科について「赤ちゃんを産んだお母さんが『また産みたい』と言ってくれるような、幸せを実感できる施設にしたい」と話した。理想と考えるのは「自然なお産」という。女性の「産む能力を引き出すこと」を軸に助産師、看護師を主体とした「医者付き助産院」のようなバースセンターを構想する。

 「妊婦さんから信頼され、魅力ある施設にするのが私の役割」と産科設置に強い意欲を見せた。【鈴木基顕】

(朝日新聞、長野、2008年9月10日)