ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

平成22年度 研修医マッチングの結果

2010年10月29日 | 医療全般

医師臨床研修マッチング協議会は、10月28日、2010年度研修医マッチング結果を発表しました。研修医マッチングとは、国家試験に合格し医師免許を取った研修医が最初の2年間の臨床研修を受ける病院を決めるため、研修希望者と病院の双方が希望を出し、コンピューターで組み合わせる方式です。厚生労働省が2004年度から臨床研修を義務化した時に導入され、毎年10月に翌春の国家試験受験予定者を対象に実施されます。学生らは研修を受けたい病院を第1希望から順位を付けて登録し、病院側も面接などをもとに受け入れたい学生を選んで登録して、コンピューターで研修希望者と病院の組み合わせを決定します。

全国のマッチング参加者が8331人、参加病院が1029、総定員計10692人に対するマッチ者は7998人で、順位希望登録者に対するマッチ率は96.0%でした。

長野県内のマッチング参加病院は25病院、総定員計157人に対し、マッチ者は112人となり、充足率は71.3%でした。

信州大学医学部附属病院は4プログラム合計の総定員56人に対してマッチ者は40人で、充足率は71.4%でした。産婦人科研修プログラム(定員2人)、小児科研修プログラム(定員2人)は定員を満たしました。診療科自由選択研修プログラム(定員14人)のマッチ者は8人、信大と県内関連病院の統一研修(定員38人)のマッチ者は28人でした。信州大学医学部附属病院のマッチ者に対する自学出身者の割合は72.5%でした。

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飯田市立病院は今回、定員6人に対しマッチ者数は4人でした。今年は残念ながらフルマッチは達成できませんでしたが、今回の当院のマッチ者の中に産婦人科志望者が含まれていたのでひとまず安心しました。他に、信州大学とのたすき掛けで当院で研修する研修医も1年目と2年目それぞれ数名づついると思います。当院の初期研修プログラムの場合、1年目で産婦人科研修が1か月間全員必修になっていて、2年目の研修はほとんど全期間が自由選択となっています。現在、初期研修医は計15人在籍し、常時、1~2人の初期研修医が産婦人科研修をしてます。また、産婦人科・後期研修医も2人在籍してます。最近は若いスタッフや研修医が増えて、職場の雰囲気に活気が出てきました。スタッフの数が増えたので、ほぼ毎日のようにカンファランスを実施するようになりました。抄読会も定期的に実施するようになりました。若い研修医達と共に、日々楽しく学んでいきたいと思います。

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長野県内のマッチ者数(計112人)の内訳
定員充足率71.3%(112/157)

信州大学医学部附属病院 40人(定員56人)
 信大と県内関連病院の統一研修 38人(定員28人)
 信大診療科自由選択研修 8人(定員14人)
 信大産婦人科研修 2人(定員2人)
 信大小児科研修 2人(定員2人)
県厚生連佐久総合病院 15人(定員15人)
長野赤十字病院 8人(定員9人)
相澤病院 6人(定員12人)
県厚生連長野松代総合病院 6人(定員6人)
諏訪赤十字病院 6人(定員6人)
諏訪中央病院 5人(定員5人)
飯田市立病院 4人(定員6人)
長野中央病院 4人(定員4人)
長野市民病院 3人(定員4人)
安曇野赤十字病院 2人(定員2人)
県厚生連安曇総合病院 2人(定員2人)
県厚生連小諸厚生総合病院 2人(定員4人)
県厚生連篠ノ井総合病院 2人(定員4人)
波田総合病院 2人(定員2人)
伊那中央病院 1人(定員2人)
県立須坂病院 1人(定員2人)
国立病院機構長野病院 1人(定員2人)
佐久市立国保浅間総合病院 1人(定員2人)
松本協立病院 1人(定員2人)
県厚生連北信総合病院 0人(定員2人)
県厚生連富士見高原病院 0人(定員2人)
県立木曽病院 0人(定員2人)
昭和伊南総合病院 0人(定員2人)
市立大町総合病院 0人(定員2人)


飯田下伊那地域における産科医療提供体制の変遷(最近二十年間の歩み)

2010年10月27日 | 飯田下伊那地域の産科問題

二十数年前まで、飯田下伊那地域には周産期二次医療機関が存在しなかったため、周産期の異変は地域内の医療機関では対処できない場合が多くありました。当時、当地域で分娩を取り扱っていた産婦人科の先生方は、周産期の異変が発症する度に大変苦労されておられました。児の救命はあきらめざるを得ない場合も少なくありませんでした。

1989年4月、信州大学産婦人科より筆者(山崎)が赴任し、飯田市立病院に産婦人科が開設されました。その当時の飯田下伊那地域では、分娩を取り扱う施設は十施設以上ありましたが、産婦人科医の高齢化により地域の分娩取り扱い施設は年々減り続けました。2000年頃には地域の分娩取り扱い施設は計6施設(飯田市立病院、下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院、椎名レディースクリニック、羽場医院)となり、その6施設で地域の分娩(年間1500~2000件)を分担して取り扱いました。

2005年の夏頃に、その6施設のうちの3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院)がほぼ同時に分娩の取り扱い中止を表明しました。この3施設分を合計すると、年間約800~900件の分娩受け入れ先が突然なくなってしまうことになりました。地域から多くのお産難民が出現する事態も予想されましたので、関係者たちは非常に大きな危機感を持ちました。そこで、2005年8月に当地域の各自治体の長、医師会長、病院長、産婦人科医、助産師、保健師などが集まって、産科問題懇談会を立ち上げ、この問題に対して今後いかに対応してゆくかを話し合いました。

飯田市立病院(2005年当時の常勤産婦人科医3人、小児科医4人、麻酔科医3人)は、県より地域周産期母子医療センターに指定され、地域における唯一の二次周産期施設として、異常例を中心に年間約500件程度の分娩を取り扱ってました。産科問題懇談会での話し合いの結果、周辺自治体からの資金提供もあり、飯田市立病院の産科病棟・産婦人科外来の改修・拡張工事、医療機器の整備などを行ってハード面を強化し、常勤産婦人科医数も(信州大学の協力が得られて)常勤3人体制から常勤4人体制に強化されることになりました。また、分娩を中止する産科施設の助産師の多くが飯田市立病院に異動することになりました。

しかし、飯田市立病院だけでは、地域の分娩のすべてに対応することは不可能で、分娩取り扱いを継続する2つの産科一次施設(椎名レディースクリニック、羽場医院)にも、できる限り(低リスク妊婦管理を中心とした)産科診療を継続していただくとともに、地域内の関係者の協力体制を強化して産科医療を支えあっていこうということになりました。具体的には、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦さんの妊婦検診を地域の産婦人科クリニックで分担してもらうこと、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有化すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者さんのみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。また、産科問題懇談会は継続して定期的に開催し、いろいろな立場の人達(市民、医療関係者、自治体の関係職員など)の意見を広く吸い上げて、何か問題が発生するたびにそのつど対応策を協議し、その結果を情報公開して、市の広報などで市民全体に周知徹底させてゆくことが確認されました。

2006年4月以降、飯田下伊那地域の分娩取り扱い施設は3施設のみとなり、予想通り飯田市立病院の年間分娩件数は倍増し約1000件となりましたが、2006年から2007年秋にかけては、共通カルテを用いた地域の連携システムが比較的順調に運用され、それほど大きな混乱もなく地域の周産期医療を提供する体制が維持されました。また、2007年6月には飯田市立病院の常勤産婦人科医は5人となりました。

当時、長野県内の他の医療圏でも、産婦人科医不足の状況は急速に悪化し、国立病院機構松本病院、国立病院機構長野病院、県立須坂病院、昭和伊南総合病院、安曇野赤十字病院など、各地域を代表する基幹病院産婦人科が、次々に分娩取り扱い休止に追い込まれる異常事態となりました。

そして、比較的順調に推移していると考えられていた飯田下伊那地域の産科医療提供体制にも、2007年10月以降、急速に暗雲がたちこめ始めました。飯田市立病院と連携して妊婦健診を担当していた下伊那赤十字病院と西沢病院の常勤産婦人科医が転勤し、平岩ウイメンズクリニックの院長先生も一時期健康上の理由で休診されました。さらに、飯田市立病院産婦人科の複数の常勤医が2008年3月末で辞職したいとの意向を表明しました。いくら立派な連携システムが存在しても、そのシステムを担う人達が次々に地域から立ち去ってしまっては、システムを運用することができなくなります。やむなく、2007年11月2日に開催された産科問題懇談会にて、翌2008年4月からの分娩制限(里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止)を決定しました。

その後、信州大学の多大な支援により、飯田市立病院は常勤産婦人科医5人の体制が維持できることとなり、2008年3月10日に開催された産科問題懇談会にて、翌4月から実施が予定されていた分娩制限を一部解除することを決定しました。また、2008年4月より、助産師外来を大幅に拡大し、超音波検査を専任の検査技師が担当するシステムも導入しました。

2010年4月、信州大産婦人科より芦田敬医師が赴任し、飯田市立病院産婦人科は常勤医6人の体制となりました。また、2010年9月、市立岡谷病院より施顕璋医師が下伊那赤十字病院産婦人科に常勤医として着任しました。当地域の産婦人科医数の減少傾向にも徐々に歯止めがかかりつつあります。

最近の飯田下伊那地域の年間分娩件数は約1600件程度で、最近数年間の年間分娩受け入れ数の内訳は、飯田市立病院が約1000件程度、椎名レディースクリニックが約400件程度、羽場医院が約200件程度でしたが、羽場医院が2011年2月をもって分娩の受け入れを中止することを公表し、当地域の産科関係者の間に再び激震が走っています。

飯田市立病院では、近い将来に地域の全分娩が集中する事態も想定し、分娩受け入れ数の更なる拡大に対応できるように施設を整備する計画(第三次医療整備計画)を策定中ですが、新しい周産期病棟、産婦人科外来は2013年にならないと完成しません。2年も待てない状況となってきたので、緊急避難的に2011年2月までに産科病棟、産婦人科外来の拡充工事を実施して、2011年3月以降に分娩受け入れ数を若干増やせるようにする予定です。

思えば、この二十年間だけでも、当地域の産科医療提供体制は大きく変遷してきました。幾度となく壊滅的な危機的状況にも直面しましたが、その度に多くの人々が協力して危機を一つ一つ乗り越えてきました。状況は常に大きく変化しています。ある時期に非常にうまくいった方策であっても、それがいつまでも通用するとは限りません。今後もその時その時の状況に応じて臨機応変に対応し、時代とともに変革を続けていく必要があります。


長野県の周産期医療の現状について

2010年10月25日 | 地域周産期医療

全国の平成21年の出生数は1,070,035、出生率(人口千対)は8.5、出生の場所別の出生数の割合は、病院:51.6%、診療所:47.2%、助産所0.9%、自宅・その他:0.2%でした。それに対して、長野県の平成21年の出生数は17,310、出生率(人口千対)は8.1、出生の場所別の出生数の割合は、病院:69.2%、診療所:29.7%、助産所:0.7%、自宅・その他:0.2%でした。

すなわち、全国的には病院での出生数は診療所での出生数とほぼ同数ですが、長野県では病院での出生数が全体の約7割を占めています。

総合および地域周産期母子医療センター(9施設)の分娩件数(平成21年)は6,332で、県全体の分娩件数の34.6%を占めました。

地域周産期母子医療センター(8施設)の分娩件数は増加傾向にあり、平成21年の1施設当たりの平均分娩件数は765.4でした。信州大付属病院:732件、佐久総合病院:819件、諏訪赤十字病院:405件、伊那中央病院:1,131件、飯田市立病院:1,001件、長野赤十字病院:761件、篠ノ井病院:850件、北信病院:424件。

長野県の周産期3次医療は、県立こども病院と信州大付属病院とが担っています。

長野県は計10の医療圏(佐久、上小、諏訪、上伊那、飯伊、木曽、松本、大北、長野、北信)に分かれていて、周産期2次医療は各医療圏内でほぼ完結することが期待されてます。

しかし、上小医療圏では、現在、地域周産期母子医療センターである国立病院機構長野病院が分娩取り扱い休止中で、地域の周産期2次医療をほぼ100%近隣の医療圏に依存しています。従って、上小地域の周産期医療にとって、今、最優先で取り組むべき課題は、周産期2次医療を地域内で完結させることだと思います。将来の地域周産期医療を担う若手医師が地域に大勢集まって来るように、医療提供体制を根本的に変革する必要があります。五年後、十年後に周産期2次医療が地域内で完結しているために、今、最優先で実行しなければならないのは何なのか?ということを、地域で真剣に議論すべき時だと思います。

****** コメント(10月26日記載)

今回、上小医療圏が国の地域医療再生計画に選ばれ、三十数億円の税金が地域医療再構築のために投入されます。それだけの資金をうまく使うことができれば、周産期2次医療体制再構築の基礎を築くことがある程度は可能ではないかと思われます。

しかし、いくら国や県や大学などが働きかけようとも、地域の住民がそれを望まなければ医療体制再構築の方向に動いていくことは難しいのかもしれません。もしかしたら、上小地域の場合は、周辺医療圏の医療体制がしっかりしているのと、新幹線の駅があって交通の便が非常に良いこともあって、地域の住民がそれほど困り切った状況にまでは追い込まれてないのかもしれません。

飯田下伊那医療圏の場合は、二十数年前、地域内に小規模な産科診療所や助産所が多数存在しましたが、周産期2次医療機関は存在しなかったため、周産期の異変は地域内ではほとんど対処できない状況にありました。当時の産科診療所の先生方は周産期の異変が発症するたびに非常に苦労されてました。母児を救命するためには、患者さんを遠く昭和伊南病院や信州大学まで母体搬送するしか手はありませんでしたし、多くの場合は児の救命をあきらめざるを得ませんでした。当時は周辺医療圏も似たような状況で、地域の周産期2次医療を周辺医療圏に全面的に依存することはできませんでしたし、交通の便は県内最悪の地域ですから、当時、地域の住民が困り果てて何とかして欲しいという気運に満ちあふれてました。地域周産期2次医療体制を一から構築するために、多くの人々が全面的に協力してくれました。飯田下伊那地域の周産期2次医療体制は、この二十年間で大きく変化し続けてきました。今後も時代とともに変革を続けていく必要があると考えてます。

****** 参考記事:

最近の産婦人科診療体制の動向について

「上田地域の周産期医療の展望」~信州大学の先生方による医療講演会~

****** 毎日新聞、長野、2010年10月21日

上田市:助産師を積極活用へ 新産院の基本計画発表

 上小地域の周産期医療の柱となる新上田市産院の建設に向けて、同市は20日、一般市民向けに基本設計を発表した。市民ら約20人が建物の概要や機能、完成予想図などの説明を受けた。新産院は延べ床面積が現在の市産院の約2倍となり、医師だけでなく、助産師を活用した分娩(ぶんべん)を積極的に取り入れていくという。

 新市産院は、鉄骨3階建て・延べ床面積約2970平方メートル。病床数は27床で、出産に家族が立ち会える病室を3部屋新設する。立体駐車場も併設し、総事業費13億円を見込む。11年度末に開設の予定で、13年度の分娩数の目標は630件(近年は平均約480件)という。築40年以上が経過している現産院の待合室が狭い▽トイレが男女共用▽エレベーターが無い--などの問題点も改善する。

 一方、新市産院への移行後に分娩費用の値上げも検討されている。また新市産院は核家族化などにより家庭での育児が困難な母親を支援する施設「ゆりかご」も併設する。

 市産院の村田昌功副院長は「新しい市産院は長野病院の近くに建設され、連携してより良い医療環境を作り出せる」と強調した。【渡辺諒】

(毎日新聞、長野、2010年10月21日)


キリマンジャロ登頂、帰国報告

2010年10月22日 | 登山・トレッキング

(記載:堀澤信 医師)

上司の暖かい支援のもと、10月9日から18日まで10連休をいただき、アフリカはタンザニアのキリマンジャロ山(5895m)に登ってきました!

標高差5000m、気温差45度!

本当に本当に苦しかったけど、感動体験でした!

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CONGRATULATIONS!
YOU ARE NOW AT
UHURU PEAK TANZANIA, 5895M AMSL.
AFRICA'S HIGHEST POINT
WORLD'S HIGHEST FREE-STANDING MOUNTAIN

おめでとうございます!
あなたが今いる場所は、
タンザニアのウフル頂上で、海抜5895mです。
アフリカ大陸の一番高い地点です。
世界で一番高い独立峰です。

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(写真提供:堀澤信 医師)


分杭峠(ぶんぐいとうげ)

2010年10月20日 | 登山・トレッキング

分杭峠(標高:1424m)は、長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境界にある峠で、国道152号が通ってます。 静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道として古くから利用された秋葉街道の峠の一つです。

分杭峠は、一部の人々から、『健康に良い気を発生させるゼロ磁場地域』と称され、マスコミにも大きく取り上げられました。十年ほど前に中国の有名な気功師(張志祥)が来日した際、分杭峠に『気場』を発見したとされています。 日本最大、最長の巨大断層地帯である中央構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり合っている、という理由から、『エネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである』と称されています。しかし、これは科学的に解明されたものではなく、疑似科学の一つと見なされています。

2009年秋にテレビ・ラジオ・雑誌で分杭峠のゼロ磁場が大きく取り上げられて以来、分杭峠に来る観光客が急増しました。国道152号線や現地の『気場』がマイカーで大混雑したため、現在、『気場』に通じる林道はバリケードで閉鎖され、車は24時間通行できません。また、分杭峠の大駐車場も閉鎖され、付近の道路もすべて駐車禁止となっていて、シャトルバスに乗って分杭峠の大駐車場まで行き、『気場』へはそこから林道を15分ほど歩いて行くことになります。分杭峠に行くシャトルバス乗り場は、分杭峠から国道152号線を5kmほど北に行った国道沿いにあり、そこにマイカーを駐車して乗り換えます。

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大鹿村側からみた分杭峠(国道152号)。この地を訪れる観光客が多くなったため、現在、この付近は駐車禁止となってます。

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伊那市側からみた分杭峠(国道152号)。7月中旬の大雨の影響で、分杭峠~大鹿村に通じる国道152号線の一部区間が、道路崩落により当分の間全面通行止めとなっています。

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分杭峠の大駐車場(シャトルバスの発着地)から、伊那市側を望む。

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『気場』に通じる林道。現在、一般車は進入できません。

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『気場』には多くの観光客が滞在してました。観光客の多くが、沢を少し登って丸木橋を渡ったところにある取水口から水を汲んでました。ポリタンクを持参して水を汲みに来る人も多く、順番待ちで大勢の人が並んでました。

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杖突峠(つえつきとうげ)

2010年10月19日 | 登山・トレッキング

杖突峠(標高:1247m)は、長野県伊那市高遠町と茅野市の境界にある峠で、国道152号が通っています。ここからは八ヶ岳、霧ヶ峰、美ヶ原、北アルプスまで望め、眼下には諏訪湖、茅野市、諏訪市の街並みを望むことができ、信州三景観の一つに数えられています。

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蕎麦処・峠の茶屋(杖突峠)で、おいしい十割蕎麦をいただきました。

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杖突峠より、八ヶ岳、茅野市方面を望む。

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2010年10月17日撮影

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杖突峠より、蓼科山を望む。

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2010年10月17日撮影

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杖突峠より、諏訪湖、諏訪市方面を望む。

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2010年10月17日撮影

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杖突峠付近のキャンプ場(座禅草の観察遊歩道)を散策しました。

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2010年10月17日撮影

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杖突峠の西に守屋山があります。守屋山は諏訪大社のご神体であり、かつて杖突峠で神降ろしの儀式が行われていました。御柱祭りで有名な柱は神様の杖であるとされ、神様が天からご降臨して来られて初めてその杖をお突きになる場所がこの杖突峠なのです。

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2010年10月17日撮影

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2010年10月17日撮影

登山道入口から30分ほど登りましたが、日没が近くなったので途中で引き返しました。次の機会には山頂まで行きたいと思います。


山登りの魅力

2010年10月17日 | 登山・トレッキング

当科所属の産婦人科医六人のうち若手の二人(後期研修医)が学生時代に山岳部で、一人は今、夏季休暇を取得してアフリカのキリマンジャロ山に行ってます。もう一人は先月、夏季休暇を取得してノルウェーの山に行きました。他にも、当院の初期研修医のうちの二人が山岳部出身で、彼らは週末にはよく山に登ってます。

私は今までの人生で、ほとんど山登りをしたことがなかったんですが、身近にいる山男たちの影響を若干受け、最近になり近場の里山ハイキングや軽装・日帰りで行ける山登りを始めたところです。

山の頂上まで行くと気分爽快になり、天気が良ければ、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山などを見渡すこともできて、『よーし、次はあの山に登るぞ!』という気持ちになります。また、週末の山登りに備えて、職場のホームグラウンドである4階病棟まで行き来するのに、エレベーターは使わず階段をよく使うようになって、お腹の脂肪が今後少しづつ減ってくれることも期待してます。

さらに、山ではいろいろな動植物との出会いもあります。ただし、蝶、野鳥、カモシカ、猿、猪などとの出会いならまだいいんですが、熊とだけは絶対に出会いたくないです。リュックに鈴を付けてチリンチリンと音を鳴らしながら山登りをしてますが、そんなことで熊が退散してくれるのか全く不明です。万一、山道で熊とばったり出会ったら大変ですから、単独で里山ハイキングに行くよりも、多くの登山家がいる有名な山に行った方がはるかに危険が少ないと思います。


笠松山登山

2010年10月15日 | 登山・トレッキング

飯田市伊賀良にある笠松山(標高:1320m)に登りました。梅ヶ久保公園からの登山道で登って、日本トレッキング乗馬体験施設からの登山道で下山し、往復で約3時間の行程でした。

日本トレッキング乗馬体験施設からの登山道は、かつて笠松馬道と言われていたらしく、大平街道の脇道として飯田の町と大平宿を結んでいたもので、地域物流にとって大事な役割を担っていたそうです。登山口の一番観音から山頂展望台の三十三番観音まで、道すじに石仏(馬頭観音)が置かれてました。

飯田市街の後ろには、北から座光寺富士、風越山、笠松山、高鳥屋山と4つの里山が並んでます。風越山は有名ですが、笠松山は地元の人以外にはあまりその名を知られてません。

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風越山の遠景
飯田市立病院4階西病棟の窓から撮影(2010年10月15日)

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笠松山の遠景
飯田市立病院4階西病棟の窓から撮影(2010年10月15日)

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笠松山の頂上展望台から南アルプスの山々、飯田市街を望む。

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南アルプス案内図

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(クリックすると拡大)

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笠松山頂上への登山道

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トリカブト

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頂上付近では紅葉が始まってました

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下山途中にアサギマダラに出会いました。

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笠松山道案内図、三十三馬頭観音巡り

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八番観音

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十番観音

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十六番観音

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十九番観音

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富士見台高原ウォーキングコースの散策

2010年10月11日 | 登山・トレッキング

富士見台高原は長野県阿智村と岐阜県中津川市の境界にある標高1739mの山で、ゆるやかに起伏する面積約1000ha、一面にチシマザサの生い茂った高原です。山頂に立つと恵那山、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの360度の大パノラマが楽しめます。近くには古代東山道の中で最大の難所といわれた神坂峠があります。昔は山伏岳と称されていましたが、明治初年に富士教信者が富士遥拝所をこの頂上に設けてから、富士見台と称されるようになったそうです。

本日は富士見台高原ロープウェイで山頂駅まで行き、そこから富士見台高原の頂上までのウォーキングコースを散策しました。ゆっくり歩いて上りは約2時間半、頂上で約30分休憩、下りは約2時間程度で往復約5時間程度の行程でした。

紅葉の見頃はおそらく1~2週間後だろうとのことでした。今年は夏の暑さの影響で紅葉が例年よりも遅いそうです。

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富士見高原ロープウェイ(ヘブンスそのはら):
全長2500m、高低差600m、所要時間10分。

ロープウェイ車窓からの眺望

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富士見台高原ロープウェイの山頂駅(標高:1400m)

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エブンスそのはら、園内マップ

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センターハウス・レストラン前のお花畑

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りんどうコース

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富士見台高原ウォーキングコースからの眺望

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頂上を目指して登っているところ。
富士見台高原萬岳荘を経由する登山コース。

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富士見台高原の頂上(標高:1,739m)

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富士見台高原頂上の標識

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頂上より南アルプス・飯田市方面の眺望

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頂上より木曽駒ケ岳方面の眺望

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頂上より北アルプス方面の眺望

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頂上より中津川市方面の眺望

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頂上より恵那山方面の眺望
恵那山の頂上は雲に隠れて見えませんでした。

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神坂峠(みさかとうげ)を経由する登山道で下山しました。神坂峠は信濃と美濃の国境で、海抜1,585m。縄文時代から通行のあった峠で、古代・中世には東山道最大の難所として有名だったそうです。

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標高の高い場所から紅葉が深く色づいてきました。
神坂峠より(2010年10月11日撮影)

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富士見台高原ロープウェイの山麓駅(標高:800m)

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最近の産婦人科診療体制の動向について

2010年10月10日 | 飯田下伊那地域の産科問題

最近の産婦人科施設数に関するニュースで、産婦人科・産科を標榜する病院数は、一貫して減少し続け、過去20年間で4割減となったと報じられました。

その一方で、最近は産婦人科志望者が増加傾向にあり、産婦人科基幹病院の産婦人科責任者に対する産婦人科動向意識調査では、『1年前と比べて良くなっている』との回答が過去3年間連続して増加したとの調査結果が発表され、産婦人科医の現状認識が改善傾向にあることが示されました。

これは、我が国において、産婦人科診療体制の変革が徐々に進んでいるためと考えられます。もちろん現在の姿が最終段階というわけではなく、これからも時代とともに産婦人科の診療体制はどんどん変化し続けると思います。

例えば、私が勤務する病院が属する医療圏においても、20年前には産婦人科を標榜して分娩を取り扱う施設数は十数施設ありましたが、年々施設数が減少し続けて、今では産婦人科標榜施設は5施設(2病院、3診療所)のみとなり、そのうち分娩を取り扱う施設はわずかに2施設(1病院、1診療所)のみとなり、過去20年間一貫して減少し続けてます。その一方で、産婦人科基幹病院である当科の診療体制は、20年前には産婦人科医1人、助産師2人のみだったのに対し、現在では、産婦人科医6人、助産師37人となり、当科の業務量は劇的に増大し、地域の産婦人科診療体制は20年前と比べると大きく変化しました。しかし、現在の姿は長い歴史の中のほんの一断面に過ぎず、当然、今後も大きく変化し続けます。医療圏ごとに状況は異なりますが、どの医療圏においても産婦人科診療体制の変革は徐々に進行しつつあります。それとともに、産婦人科診療全般が20年前とは大きく変化しました。私自身も、20年前と現在とでは日常やっていることは全く異なります。診療全般のやり方や考え方が大きく変化し続け、数年前の常識は現在では全く通用しなくなってます。

定年が近づくとともに、時代の変化についていくことがだんだん難しくなっていくのは、誰しも避けられないことです。どの職場においても、我々のようなロートルに期待される最も重要な役割は、若い人達をむりやり古い型にはめることではなく、時代の流れを察知して、若い人達が次の時代でも大活躍できるような環境を整備することにあると思います。

****** 2010年9月24日、キャリアブレイン

産婦人科病院、20年で4割減少-医療施設調査

 産婦人科・産科を標ぼうする病院数は昨年10月1日現在1474施設で、前年から22施設(1.5%)減少したことが、厚生労働省が9月22日に発表した2009年の「医療施設調査・病院報告」で分かった。この20年間では約4割の減少となった。激務などによる医師不足が指摘され、全国で診療休止や閉鎖が相次いだ産婦人科・産科の実態を反映している。
 産婦人科・産科の内訳は、産婦人科が1294施設(25施設減)、産科180施設(3施設増)。1990年には計2459施設だったが、減少が続いている。

(以下、略)

( 2010年9月24日、キャリアブレイン )

****** 2010年10月4日、キャリアブレイン

産婦人科医の現状認識、改善続く―日産婦学会の意識調査

 日本産科婦人科学会はこのほど、現場の産婦人科医に現状認識などを尋ねた「産婦人科動向意識調査」の結果を公表した。調査結果によると、1年前に比べて産婦人科の状況が「良くなっている」としたのは44%で、「悪くなっている」の17%を大きく上回った。2008年の調査開始以来、「良くなっている」は増加が、「悪くなっている」は減少が続いており、産婦人科医の現状認識は年々改善されている。
 調査では、08年から毎年7月に、同学会の卒後研修指導施設の産婦人科責任者を対象に同じ質問をしている。「調査対象は、ほぼすべての産婦人科基幹病院を網羅していると考えられる」(同学会)という。3回目となる今年の調査では、対象744施設のうち458施設から回答を得た。回答率は62%。
 調査結果によると、産婦人科全体の状況が1年前より「良くなっている」と答えたのは44%(「良くなっている」5%、「少し良くなっている」39%)。08年の18%、昨年の37%から増加が続いている。一方、「悪くなっている」と答えたのは17%(「悪くなっている」3%、「少し悪くなっている」14%)で、08年の47%、昨年の24%から減少が続いている。
 良くなっていると感じる理由(複数回答)は、「産婦人科志望者の増加」が85施設で最も多かった。以下は、08年と昨年の調査で最も多かった「一般の方・マスコミの理解の深まり」26施設、「待遇の改善傾向」22施設などと続いた。
 一方、悪くなっていると感じる理由(同)は「産婦人科医の不足」が21施設で最も多く、「分娩施設の減少」7施設がこれに続いた。また、今回の調査で初めて「地域格差の拡大」が6施設から指摘された。

(以下、略)

(2010年10月4日、キャリアブレイン)


蓼科山登山

2010年10月03日 | 登山・トレッキング

本日は蓼科山(たてしなやま、標高:2530m)に登りました。蓼科山の登山ルートは、(東の大河原峠や南の登山口バス停など)東西南北からルートがありますが、今回は北側からの登山ルート(蓼科山七合目・一の鳥居 → 将軍平 → 蓼科山頂)で登りました。

蓼科山は、八ヶ岳連峰の最北端に位置する孤峰で、コニーデ型火山にトロイデ型火山が噴出してせり上がってできた二重式火山です。諏訪富士とも呼ばれています。

参考: コニーデ型火山(成層火山)は、ほぼ同一の火口からの複数回の噴火により溶岩や火山砕屑物などが積み重なり形成された円錐状の火山で、代表的な山は富士山などです。トロイデ型火山(鐘状火山)は、粘性の大きな溶岩が地上に噴出して生じたドーム状の火山で、代表的な山は昭和新山などです。二重式火山はカルデラ(火山活動によって形成された大規模な凹地)内で噴火があって新しい火口が形成されたもので、代表的な山は阿蘇山などです。ただし、このコニーデ、トロイデなどの火山地形の分類(シュナイダー、1911)は過去の分類用語で、火山研究者の間では現在ほとんど使用されてないそうです。

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一の鳥居(蓼科山七合目、北側からの登山ルートの登山口)

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2010年10月3日撮影

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最初はなだらかな坂でしたが、

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2010年10月3日撮影

しだいに岩が多くなり、傾斜も急になりました。

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2010年10月3日撮影

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将軍平で小休止し、蓼科山頂を望む。

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2010年10月3日撮影

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将軍平からはごつごつした岩だらけの急坂でした。登る途中で小休止し、眼下に広がる蓼科高原の風景を楽しみました。

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2010年10月3日撮影

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蓼科山頂に設置された周辺案内図。

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2010年10月3日撮影

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蓼科山頂上の指標。

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2010年10月3日撮影

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蓼科山頂は岩塊に埋めつくされ、円形で直径約100m。

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2010年10月3日撮影

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蓼科山頂から白樺湖方面を望む。

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2010年10月3日撮影

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蓼科山頂から八ヶ岳連峰を望む。

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2010年10月3日撮影