コメント(私見):
病院の産科部門が次々に閉鎖され、全国的に分娩施設が激減し続けています。この産科崩壊の影響は、地方だけにとどまらず、ついに都心の大病院にまで及んできつつあると報道されています。
もしも、県内の主な病院の産科がことごとく全滅してしまえば、県内のどこに行っても分娩ができなくなってしまいます。
従って、各医療圏で、最低でも一つの産科には残ってもらう必要があります。万一、現行の(行政上の)医療圏の中では残りそうな産科が一つもないような場合には、新たに『産科医療圏』を設定しなおす必要がでてくるかもしれません。
県全体の問題として、長期的視野に立って対応していかないと、この問題の解決は難しく、もはや、一自治体だけの単独の努力で解決するのは不可能に近いと思われます。
****** 産経新聞、2007年2月8日
医療を問う 自治体の危機
地域から1人もいなくなった産婦人科医を、厚遇によって確保した自治体がある。世界文化遺産に指定されている熊野古道の伊勢路が通る三重県尾鷲市だ。
市が独自に招いた医師への報酬額は5520万円。市立病院「尾鷲総合病院」の常勤医師の平均年収の3倍以上、院長や市長よりも高い。
「賛否はあると思うが、産婦人科医がいなくなるリスクと報酬を比べたとき、リスクの方が大きいと判断した。この地域で子供を出産できなくなるということは、社会資本がなくなるのに等しい」
伊藤允久(まさひさ)市長(54)は、市立病院から産婦人科医が1人もいなくなることの重大性を、かみ締めるように語った。
昨年7月、尾鷲総合病院で出産ができなくなった。市内には他に出産ができる病院がない。妊婦は車で南に約1時間走った熊野市など3市町でつくる紀南病院(三重県御浜町)や、北へ約1時間半の松阪市内の病院などで出産するしかなくなった。
尾鷲総合病院に医師を派遣してきた三重大学医学部が、医師の勤務状況の改善と医療の質の維持を目的に産婦人科医を引き揚げ、紀南病院に集約したためだ。
尾鷲総合病院では15年度264件、16年度235件の出産があった。険しい山に囲まれた尾鷲市は、台風や豪雨の際には各所で道路が寸断される。年間200件以上の出産を、1時間以上離れた病院で行わねばならないのは重大問題だった。
昨年2月下旬に大学側から医師集約化の方針が打ち出されて以降、伊藤市長は産婦人科医の確保に奔走した。市民だけでなく、市出身者らからも寄せられた産婦人科医常勤を求める署名は、市の人口を上回る6万人以上。それが市長に重くのしかかった。そしてようやく出会えたのが、津市内で開業していた50代半ばの医師だった。
尾鷲に来るにあたり医師は自らの医院を閉じなければならなかった。市はそれに見合う報酬と、病院内に毎日24時間常駐できる居室の確保、助産師5人態勢の整備を約束した。
昨年9月、医師が病院に住み込み、産婦人科が再開。外来が戻りはじめ、今年3月までの7カ月間に87人の赤ちゃんが産声をあげた。
伊藤市長は「これがベストとも、永続できるとも思っていない」という。そして「集約化は必要だが、隣に1時間以上かかるような病院まで医師を引き揚げるべきではない」と訴える。
4月26日、東京都内で、公立病院を持つ自治体首長でつくる全国自治体病院開設者協議会の総会が開かれた。自治体病院長でつくる全国自治体病院協議会の小山田恵会長(75)=岩手県立病院名誉院長=はあいさつで、医師不足に苦しむ首長らにあえて言った。
「医師の確保は、見果てぬ夢である。現状においては集約化と統合しかありえない」
医師の集約化という「総論」には賛成でも、自分の病院から常勤医がいなくなるという「各論」には大半の自治体が反対にまわるからだ。
小山田会長は、医師が集まらない原因は「勤務条件の厳しさ」に尽きるという。
尾鷲市の取り組みについては「産婦人科医が1人ではいけない。1億円出してでも2人以上雇わねば。できないなら、医師が確保できない状況を前提に対策を考えるべきだ」と指摘する。
ただ、悲観ばかりしているわけではない。
「いま一つだけ光がある。新しい臨床研修医制度で、約2900人の若い医師が全国の自治体病院で研修している。若い、能力のある医師を全力で育てよう。もう少しの間苦難に耐えれば、自治体病院に医師が残る」
(産経新聞、2007年2月8日)
****** 朝日新聞、三重、2006年12月25日
産婦人科医不足問題
◇◆確保綱渡り 研修見直しを◆◇
全国的に産婦人科医師が不足するなか、人口2万2千人足らずの尾鷲市が、この問題に直面した。三重大からの派遣医師が市立尾鷲総合病院から引き上げた後、市が昨年9月に採用した男性開業医(55)の年間報酬が5520万円と高額だったことが話題になった。
男性医師は24時間院内で寝泊まりし、新生児を150人以上とり上げた。その後、今年9月に伊藤允久(まさひさ)市長との交渉で、男性医師は「精神的に疲れ、これ以上できない」と契約解除を告げた。
勤務した1年間の思いや報酬、産婦人科医不足の問題について、私は直接、本人から聞きたかった。しかし、病院事務局を通じて何度も申し込んだ取材は、拒否された。
結局、医師が辞める理由は、市長の言葉から間接的にしか知り得なかった。理由は、昼夜を問わない勤務から年2日間しか休みが取れなかったにもかかわらず、減額の報酬が示されたことや、高額報酬を問題視した議会でのやりとりに不信を持ったことだった。
市民の声を聞くと、妊婦や子どもがいる主婦から、この医師にいてほしいと願う声が多かった。3人の子を持つ妊婦からは「これまでの派遣されてきた先生と比べ、経験が豊富で安心できる」という声も聞いた。
一度も医師に会えないまま迎えた退職日。病院事務局に聞くと、「退職の儀式はなく、本人からもあいさつもなく、病院を後にした」と答えた。地域から熱望されて来た医師の去り際としては寂し過ぎる。
今、後任の野村浩史医師(50)がほかの医師らと同じ待遇で勤務している。来年4月には1人増え、医師2人体制になる。伊藤市長は「後任が見つかったのは奇跡。運がよかった」と喜ぶ。
しかし、喜んでばかりもいられない。地域での医師不足を引き起こした要因に、04年度に導入された新卒医師が2年間経験を積むため自由に研修先を選べるようになった「新たな臨床研修制度」があげられる。
多くが出身の大学病院ではなく、設備などがいい一般病院に流れたため、大学病院が人手不足に陥り、研修後も新卒医師は戻らなくなった。この制度が続く限り、再び医師がいなくなる可能性は常にある。
地域での対応には限界がある。国には、この制度の抜本的な見直しが早急に求められている。(百合草健二)
◇◆「産声を再び」地元の願い◆◇
使われなくなった分娩(ぶんべん)室。扉には鍵がかけられていた。暗い室内に入ると、分娩台と新生児を置く台が隅に片づけられ、部屋全体ががらんとしていた。新しい命が芽生え、喜びがあふれるはずの場所がこんな空虚な空間になるなんて……。せつなさが募り、いたたまれなくなった。
志摩市の県立志摩病院で11月から、常勤の産婦人科医がいなくなった。週2回の婦人科外来だけは残ったが、出産はできなくなった。志摩市や南伊勢町に住む妊婦が出産するなら、前もって入院をしない場合は車で30分以上かけて山道を抜け、伊勢市内の病院に向かうしかない状態だ。
病院に助産師は6人いるが、経験者は少ない。器具を消毒したり、お湯を沸かしたり、常に準備を整えておかないと対応できない。「急に産気づいた妊婦が駆け込んできても、今は断るしかない」と、田川新生(しんせい)院長はあきらめ顔だ。他の病院への転院を希望する助産師もいるという。
同病院の産婦人科をめぐり、派遣元の三重大が今年、医師の引き上げ計画を具体化させた。病院側は抵抗して何度も話し合ったが、結局産科はなくなった。
リスクが高く難しい出産でトラブルが起きた際の訴訟に備えて、最終的に医師の負担をなくすという意味では三重大の論理も確かによくわかる。全国的に産婦人科の勤務医が不足している状況からすると、やむを得ないと思う。
だが、地域を取材すると、住民の志摩病院への期待感が痛いほど伝わってきた。里帰り出産を希望する人が病院に直接不安を訴えることもあったという。「地元住民の多くは、産科がなくなって初めて、ことの重大さに気付いたのでは」と田川院長。
現時点では、県も志摩市も改善策を打ち出せないのが実情だ。だが、病院は独自の産婦人科医探しを続けるという。病院には来年8月、新しい外来棟ができあがる。そこには産婦人科の部屋も機材も設置される予定だ。
田川院長はこうも話した。「いつかはこの地域でお産を再開させたい。とかく暗くなりがちな病院を明るくしてくれる産声が聞こえなくなることが、こんなにさびしいものだとは」。私には1歳11カ月の娘がいる。ひとごととは思えない取材だった。(岩堀滋)
◎産婦人科医の現状 厚生労働省の04年の調査では、全国の医師総数27万人に対して産婦人科医は1万100人。10年間で医師全体が約5万人増えた中、産婦人科医は約千人減少。一方、一人当たりに対する医療ミスによる訴訟の確率は産婦人科が最も高い(04年司法統計)。県内に産婦人科医は144人おり、うち三重大関連は55人(06年9月現在)。6年前に比べ20人減った。志摩病院を含む県内4病院が、同大の医師引き上げで産科休診中。
(朝日新聞、2006年12月25日)
****** 朝日新聞、三重、2007年1月27日
予定の産科医、辞退
★尾鷲総合病院 2人態勢 持ち越し★
産婦人科の医師不足に悩む尾鷲市は26日、市立尾鷲総合病院(五嶋博道院長)に4月に着任する予定だった2人目の産婦人科医が「本人の都合で着任を辞退した」と明らかにした。同日の市議会全員協議会で病院事務局が報告した。
同病院は、前任の産婦人科医が昨年10月に退職し、後任として着任した野村浩史医師(50)と、4月に着任予定だった県外の男性医師(65)による2人態勢になる予定だった。昨年9月初旬、男性医師に内定を出していた。
病院事務局によると、野村医師の着任直後から「自分の着任時も同じように報道されるとプライバシーが守れない」と難色を示し、辞退を申し入れてきたという。市側は説得を続け、昨年末に再交渉したが、本人に着任の意思はなかったという。
病院事務局は「まだ決定には至っていないが、別の医師と現在、交渉している。早く2人目を確保したい」と話した。
(朝日新聞、2007年1月27日)
****** 伊勢新聞、2007年1月27日
内定の医師が辞退 尾鷲総合病院産婦人科 新たに交渉進める方針
【尾鷲】尾鷲市の伊藤允久市長は二十六日、市立尾鷲総合病院が確保を目指していた二人目の産婦人科医師(65)との交渉が決裂した、と発表した。今後は病院側が現在、接触している別の医師と交渉を進める方針を示した。市議会全員協議会で明かした。
同病院によると、六十五歳の医師は昨年九月初旬、同病院を訪ね、現在勤務する県外の病院を定年退職後の今年三―四月ごろ赴任する意向を示していた。が、「(同病院で勤務する)産婦人科医師への報道などを非常に気遣い、それを理由に断りの連絡を受けた」という。
病院職員らが説得を続けたが、意志が固く、決裂となった。
同病院は現在、別の医師から問い合わせがあり、交渉を進めている。「先方にも事情があり、解決いかんによっては来てもよいと言っており、動向を見守っている」状態だという。
三月からも当面、一人勤務となる現在の医師について、同病院は「以前、同病院で副院長を務めていた産婦人科医師の応援を受け、毎月一回二泊三日の休み」を確保できることになったとし、医師の業務軽減やサービス向上を目指し「助産師外来を新年度から実施したい」と方針を明らかにした。
(伊勢新聞、2007年1月27日)
26:20~
このケースの場合は、僻地医療であって、一人の産科の医師でその広域地域のリスクのある出産、分娩を、一人でずっと担ってこられました。そしてそれは、いろいろと専門家の方のご意見も聞かせていただいてますが、少なくとも初歩的なミスであるとか、あるいはその、例えば酔っぱらって手術をしたとかですね、道義的に許されないようなことではない・・・真摯に対応して、しかもそれがもしとことん法律的に突き詰めて、更正要件的に業務上過失致死に当たるのかどうか、ということは最終的にはこれは裁判所が決めることだとは思います、その可能性はあるからこそ検察は起訴したのかもしれません。
しかしながら、僻地医療をたった一人のお医者さんで担っていて、真摯に対応して、しかも初歩的な医療ミスではない、高度な医療の非常にレアなケースへの対応、残念ながら力及ばずお母さんが亡くなられてしまったというケース・・・ご本人も道義的な責任を強く感じておられる。
これを逮捕して、起訴をして、刑事処分をする・・・なるほどリスクの高い医療をやったら、全力を尽くして、真摯に全力を尽くしても結果が悪ければ刑事責任を取らされる可能性があるんだと、こういうメッセージを政府は全国の高度医療に携わっている医師の皆さんに発信をしてしまったんです。
で、起訴をする前でしたので、こういう時のためにこそ法務大臣の指揮権という制度があるんじゃないんですかと、私は指摘をしました。そして、起訴というのは起訴便宜主義ですから、更正要件に該当したら全て起訴をするということではない、それが起訴をしなければならない、起訴するに値するかどうかというのは、検察が判断できる、その事件ごとに、と、いうことであります。