ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

人生の岐路

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

思えば人生には多くの岐路があり、多くの出会いがあり、多くの人々に導かれて、私はここまでやって来ました。

もう50年以上前のことになりますが、高校生の頃、私は数学と英語が好きで、大学受験の時は名大理学部と南山大外国語学部英米学科とを受験しました。当時はオープンキャンパスなんてものはなくて、田舎の高校生が大学キャンパスを見学する機会はほとんどなく、受験日当日に生まれて初めて大学のキャンパスを見ました。名大理学部の方の受験生はほとんど男性ばかりでしたが、南山大外国語学部の方の受験生は女性が多くキャンパスの雰囲気は非常に華やかでした。あの華やかな世界では生きていけないと直感し、地味な名大理学部の方に進みました。名大生時代は下宿にこもって趣味の数学と英語の勉強に没頭しました。そんな数学・英語漬けの日々の中で、立ち寄った本屋さんで(故)大塚敬節先生の漢方医学の入門書に出会いました。たまたまその本を立ち読みしたのが医学の世界との接点で、突然湧き上がった漢方医になりたいという気持ちをおさえきれず、医学部受験を決意して信大に願書を提出しました。

受験のために初めて訪れた松本の雰囲気に魅了され、ここに移り住みたいと強く思いました。運よく入学が許可され、松本での生活が始まりました。医学部6年の時に、医学生が市民に医学の世界を解説する医学展という行事が開催され、私も医学生として参加し、趣味の東洋医学についての展示発表をしました。その時、当時産婦人科講師の(故)飯沼博朗先生が顧問になって医学生の面倒を見てくださいました。飯沼先生が「産婦人科では漢方や鍼灸を実践できるよ」と産婦人科入局を熱心に誘ってくださいました。偉い尊敬する先生から直接誘っていただいて感激し、その場で産婦人科入局の決意表明をしました。大学院生の私を婦人科腫瘍学の世界に誘って研究を指導してくださったのは、当時産婦人科講師のNH先生でした。大学院では子宮体癌の臨床病理学的研究に従事しました。大学院修了後は、当時産婦人科助教授のTY先生の御指導で婦人科細胞診の勉強を始め、しばらくは明けても暮れても細胞診修行に没頭しました。

信大産婦人科に入局して7年経過し、これからどこでどうやって生きていくべきかと思い悩んでいた矢先に、飯田市立病院に新規開設される産婦人科の初代部長に、(故)福田透教授が私を指名してくださり、平成元年4月に松本市から飯田市に家族を引き連れて引っ越して来ました。飯田市立病院産婦人科が開設された当初の2年間は、一人医長で頑張りました。その後、日本医大講師(医局長)だったHH先生が就任してくれました。HH先生とは全く面識がなかったんですが、たまたま初対面の日に異所性妊娠の緊急手術を手伝ってもらって意気投合し、そのまま縁あって14年間よき相棒として一心同体となって一緒に働きました。HH先生は長年にわたり苦楽を共にしてくださって、いくら感謝しても感謝しきれません。福田先生の後を継いで信大教授となられたFS先生は、しばしば飯田まで手術指導に来てくださって、非常に多くのことを学ばさせていただきました。FS先生の後を継いで信大教授となられたKI先生もしばしば手術指導に来てくださって、多くのことを学ばさせていただきました。日本医大教授だったKH先生は、10年以上にわたり腹腔鏡手術の指導に毎週来ていただき大変お世話になりました。また、信大産婦人科教室の先輩や後輩の多くの先生方が常勤や非常勤で入れ替わり応援に来てくれました。KI先生の後を継いだ信大教授のST先生からも非常に多くのことを学ばさせていただきました。

飯田市立病院産婦人科は、開設以来いつつぶれてもおかしくない危機的状況が長く続き、常に自転車操業を続けてましたが、この地で偶然出会った多くの人々に助けられ支えられて、何とかこの世の中にかろうじて生き残り、その後奇跡的に大発展を遂げました。

飯田下伊那地域における産科医療提供体制の変遷(平成の30年間を振り返って)

いつのまにか30年の月日が流れ、私の飯田市立病院での任期も平成31年3月で無事に終了しました。現在、飯田市立病院では優秀な医局の後輩医師達が地域の産婦人科医療の中核を担ってくれているので安心してます。私は定年退職後、縁あって西澤産婦人科クリニックに就職し、藤田医科大出身の先生方と主に不妊症診療に従事してます。また毎日多くの産婦人科の患者さんを飯田市立病院に紹介し、市立病院の先生方には日々大変大変お世話になってます。

できればなるべく長く健康状態を維持し、微力ながら地域医療に貢献していきたいと考えてます。初心に立ち返って漢方医学の勉強も再開したいです。また、「ライフスパン、老いなき世界」デビッド・A. シンクレア(著)、「開かれたパンドラの箱、老化・寿命研究の最前線」今井眞一郎(著)などを読んで、アンチエイジング医学の世界に興味を持ち、自分の体で実践し始めました。現在は、間欠的断食、有酸素運動、筋トレ、週末登山、水中運動、ヨガ、サウナ・冷水浴の励行のほか、NMN、メトホルミン、レスベラトロール、ザルティア、八味地黄丸などを毎日内服してます。信大産婦人科医局の大先輩であるTK先生は私より少し前からアンチエイジング医学の実践を始めていて、この分野でも有益な助言をよくいただいてます。ともに百歳まで元気で現役続行することを目指してます。