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◇クラシック音楽CD◇シゲティのバッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ(全6曲)

2011-02-25 11:25:50 | 器楽曲(ヴァイオリン)

バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ(全6曲)

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

CD:VANGUARD CLASSICS 08 8022 72

 ヨーゼフ・シゲティ(1892年―1937年)は、ハンガリーのブタペストに生まれた名ヴァイオリニスト。叔父の影響を受けてヴァイオリニストになったようで、ブタペスト音楽院で正式に音楽の勉強を行った。1940年にはアメリカに移住し、米国議会図書館においてアメリカ亡命中のバルトークを伴奏者に行なった数々の録音は、現在までその名演ぶりが語り継がれているほどだ(ただ音質が優れないため誰にも薦められ録音ではない)。日本にも来て演奏を行っている。晩年はスイスで後進の指導に当り、前橋汀子なども教え子の一人。そのためか、前橋汀子の演奏を今聴くと、私などは何となくシゲティの演奏を思い出してしまうことがある。シゲティの演奏は、少しも気を衒うことなく、曲の本質にぐいぐいと食い込むエネルギーの凄さは、比類のないものだ。このため、シゲティの演奏にヴァイオリンの華やかさを求めても何も得られない。リスナーとしても、ひたすら、その曲の本質に迫るシゲティの殉教者のような姿を追い求めるしかない。

 バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(BWV1001-1006)は、3曲ずつのソナタ(BWV番号は奇数)とパルティータ(BWV番号は偶数)合計6曲からなっている。3曲の「ソナタ」は、緩—急—緩—急の4楽章の典型的な教会ソナタの形式からなる。一方の「パルティータ」は、第1番と第2番がアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという組曲の4楽章形式をとり、第3番は前奏曲、ルール、ガヴォット、メヌエット、ブーレ、ジーグと舞曲を配置している。バッハ以降の無伴奏のヴァイオリン曲はというと、そう目立った作品は出ていないように思われる。ただ、イザイとバルトークの無伴奏ヴァイオリンソナタが、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを継承している曲のようである。これらの2曲はバッハへ対する信仰みたいな熱い思いがあってはじめて作曲できたようにも思われる。そう考えると、おいそれと今後そう簡単に作曲できるジャンルの作品でもないのかもしれない。

 このバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータについては、数あるクラシック音楽の中でもある特別な位置にある、と言っても過言ではないであろう。それはヴァイオリンという楽器の持つ可能性をここまで引き出した曲というのは、未だに聴いたことがない。何かヴァイオリンが奏でる音が宇宙全体に響きわたっているようにも聴こえて来るから不思議なのだ。中野雄氏は「新版 クラシックCDの名盤」(文春新書)の中でバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータについて次のように書いているので引用させてもらうことにする。「バッハの偉大さは(凄さと言った方が適当かもしれない)、もともとが旋律楽器であるヴァイオリンに和声感を持つ音楽を演奏させようと試み、得意の対位法を駆使して、それを見事に成功させたとこにある。しかも、精巧無比な作曲技法を用いながら、紡ぎ出した音楽はあくまでも人間的で、深い意味内容を持つ。もし奏者に人を得れば、その響きから神の声を聴くことも不可能ではない」。つまり、奏者がバッハが意図したものを表現できるか否かが、この曲集をより一層価値あるものに押し上げるということに帰結するのである。

 その意味でヨーゼフ・シゲティは、全部で6曲からなるこのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを演奏するのに最も相応しい奏者であると言い切ってもいいだろう。何故なら、シゲティの演奏は、余計な装飾物を最初から排除して、曲の本質にストレートに切り込んで行くから他ならない。リスナーは、この6曲についてだけは、ヴァイオリンの表面的華やかさから一時離れて聴かねばならない。装飾物を追い求めて聴くとバッハがこの6曲で言いたかった本質を見失う結果に終わってしまうこと必然だ。バッハは歌劇を1曲も作曲しなかった。何故作曲しなかったのか、バッハに直接聞きたい気もするが、この6曲の無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを聴いていると何となくその理由が分るような気がする。バッハが求めていたのは、音楽を通して宇宙の真理のようなものを追い求めたかったのではなかろうか。歌劇は余りにも人間臭く、とても宇宙の真理には近づけない。だからといってバッハは人間臭さに無頓着であったわけではない。むしろ身近な人間臭さには関心は大であったろう。例えば「コーヒーカンタータ」のような日常の市民生活に根ざした曲を書いている。ということはバッハは、一時の絵空事のような御伽噺には与したくなかっただけかもしれない。それにしてもシゲティの演奏は、ここでも考えられないほどの求心力を持ち、それが宗教的な高みにまで高まっていることに驚嘆する。これは永遠の名盤中の名盤なのである。(蔵 志津久)


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