二度霰(あられ) その後は青空 あたたかに とまあ、くだらない唯の五七五にしただけのことです。でも霰という語が入っているから季語はしっかりと入っていたんだ。
今日は一日荒れるな、おまけに寒い日だな、覚悟しようと思っていたのですけどね。あたたかと言いましたが、思ったほどは寒くならなかったという程度です。
まあ、いくぶん暮らし易い方に変ったので良いですけど。いつも、そうなってくれる ・・・・・・ はずは無いよね。
こういうところで、一日中山を眺めて暮らせるほど時間がゆっくり流れると良いのですけどね。無いとすると、この風景は何のためにあるのでしょうか。
この頃は、時間がやたら速く過ぎて行きます。子どものころは遅すぎて退屈ばかりしていたのですが。
時間の経過の速さは年齢によってかなり違うものだと、ずいぶん遅くなって気がつきました。
いっそのこと、気がつかなければ良かったのかも知れませんが、気づいてしまったのですからもう遅いです。
市民センターに行き、数人の民生委員とこれから行われる行事の打ち合わせをしてきました。別にわくわくするようなところではないですが、外に出るのも良いものですね。
家にいると、「 裏山の下草を刈ろうかな、いやガソリンが切れているんだよね。でも、どんどん遅くなると年末になってしまうんだよな。」 などと、やるべき仕事が次々あって焦ってきたりしますからね。
まだいました。枯れ葉を手で拾い集めていたら、気づかずにつかんでしまいました。つかまれた方ではあわてたんじゃないかと思います。
「 ごめんね 」 と謝りました。なぜ謝ったかといいますと、この頃辛いだろうなと同情したからです。結局は冬を越せない運命なのでしょうからね。気の毒です。世の倣(なら)いですから、変わる、あるいは変えるわけには行かないのでしょうね。
この風景は私が撮影したもので、番組の中から取ったものではありませんが、火野正平の 「 こころ旅 」 を見ていると、よくこういう町の中を通過する場面があります。
かつては、おそらくは昭和中期ころまでは栄えた町並みの名残かなと思われるところがあちこち、いや日本全国津々浦々、ほとんどの街中はこのようですね。
商店はシャッターを閉めてしまっているか、そうでなくても店をやめて、ただ出入り口になっているのでガラス戸にしてある。そういう家がずらーっと並んでいる。という風景です。
何が悪かったのか。どうしてこうなったのか。思い当たることはいろいろありますが、たいへん残念ですね。
そういえば、子どもだった私など、町に行って買い物をしようとしても、店の人たちは優しくはなかったな~。どっちかと言うとつっけんどんだったりしたものでした。
温か味を感じたことは、ほとんど無かったですね。
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