六三郎は母の80才を祝って「老松」(1820年)を作った。
そしてそれを料理屋で披露した。
従来長唄は、歌舞伎から離れては存在しない、といっても過言ではないほど
歌舞伎べったりの音楽だった。
それが、歌舞伎を離れて独り立ちをする場を持つとは。
団十郎(7代目)の信頼を得、森田座での不動の地位を得た
六三郎だからこそ許されたことなのだろうが、
長唄界にとっては天地がひっくり返るほどの大事件だった。
後世これを、劇場長唄と区別して、お座敷長唄と称することになるが、
つまりは歌舞伎からの独立をとげた、初めての純観賞用長唄ということになる。
そしてそれを料理屋で披露した。
従来長唄は、歌舞伎から離れては存在しない、といっても過言ではないほど
歌舞伎べったりの音楽だった。
それが、歌舞伎を離れて独り立ちをする場を持つとは。
団十郎(7代目)の信頼を得、森田座での不動の地位を得た
六三郎だからこそ許されたことなのだろうが、
長唄界にとっては天地がひっくり返るほどの大事件だった。
後世これを、劇場長唄と区別して、お座敷長唄と称することになるが、
つまりは歌舞伎からの独立をとげた、初めての純観賞用長唄ということになる。