goo blog サービス終了のお知らせ 

西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

「私はなぜ辞職したか」

2012-02-09 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「私はなぜ辞職したか」


東京音楽学校では早速校長慰留の署名運動が始まった。
まさかこのような結果になるとは思いもしなかった吉川は、
驚いて署名したが、それが洋楽教官たちの反感を買う結果になるとは、
夢思いもしなかった。

そして、小宮は6月19日の毎日新聞に、
「私はなぜ辞職したか」という文を寄稿した。

「文部省から邦楽科設置の要請があり、
校長としてそれに従わなければいけないはめになったが、
私は 自分の信念としてそれに従うことはできない。

そもそも大学に何を入れるかという問題に、文教委員会などが
口をはさむべきではない。
政治家に芸術など分かるはずはないのだから、
芸術は専門家にまかせておけばよろしい」
という趣旨だ。

 〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚

小宮校長辞職

2012-02-08 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
小宮校長辞職


文部省を通じ、邦楽科の大学設置を知った小宮は、
負けを認めざるを得なかった。

小宮の66年の人生で初めてかも知れない負けだ。
よほどプライドが傷ついたのだろう。

このままいけば芸術大学の初代学長の椅子が待っている身なのに、
小宮は職に留まることを潔しとしなかった。
5月27日、小宮は辞表を提出した。

 〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚


大願成就

2012-02-07 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
大願成就


小宮の喚問の後、
文教委員会は東京芸術大学に邦楽科を設置することを決定。
文部省を通じて公表された。

ああ、苦節1年、やっとこの日を迎える事ができた。
これで邦楽は、日本唯一の国立芸術大学に、晴れて籍を得たのだ。

邦楽科設置実行委員、及び吉川の胸中はいかばかりであろうか。

今後は小宮豊隆校長が東京芸術大学の初代学長に就任し、
邦楽科設立の具体案の協議が始まるはずだ。


 〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚

小宮の喚問

2012-02-06 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
小宮の喚問


確かに吉川の期待どおり、CIEは迅速に動いてくれた。

吉川らが帰ったあと、
CIEは文部省に邦楽科設置を勧告。
文部省は文教委員会に諮問。
文教委員会は4月8日、小宮を喚問。

吉川は傍聴券を手に入れ、質疑応答の一部始終を見守った。
総じて文教委員は、邦楽科設置に好意的な発言をするのだが、
残念ながら、小宮を納得させるに足る発言はなかった。

諮問は5月11日にも行われたが、
小宮の考えは頑として変わらない。

 〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚



CIEに直訴

2012-02-04 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
CIEに直訴


CIE2代目局長のドナルド・R・ニュージェントは、
吉川たちを快く迎えてくれた。

「芸術大学に邦楽科を入れないのは、進駐軍の政策ですか」
と、切り出した吉川の言葉に驚いた様子のニュージェントは
「とんでもない、誰がそんなことをいっているのか」と尋ねた。

東京音楽学校の小宮校長の話などをし、
十分な手応えを感じた吉川一行は
いそいそとCIEを後にした。


 〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚