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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

播磨町散策記 on 2021-11-25 その12 野添大西の塞の神

2022年02月28日 03時52分18秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第12回野添大西の塞の神を写真紹介します。

塞の神は、村に悪い病気が入らないように村の境界に置かれた神様です。

 

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その9 大歳神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その10 上の池 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その11 お好み焼き夢工房でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の3枚の写真は野添大西の塞の神の近・中・遠景

良く管理されており大切にされていることが判ります。

上の写真は現地説明板

所在地の住所は播磨町西野添3丁目5付近

 

説明板の記述をそのまま転記しておきます。

塞神(さいのかみ)

「塞神」は室町時代(1334-1573)以前に生まれ集落(村)の守り神として祀られた、

と言われている。別名、「斎神」と書き「さえのかみ」とも呼ぶ。

この神は「道祖神」(どうそしん)のことで「日本書記」に表れる「来名戸神」(くなどのかみ)

と考えられている。

昔、この神は道路の辻や、村境・峠、等の路傍にあって、外部から侵入する疫病や悪霊を

防ぎ、村人の妊娠、出産、幼児守護、良縁、和合の神と伝承されている

 平成17年4月 大西南、講中 野添5丁目70

播磨町文化遺産散策マップの地図塞の神の位置が示されていますので添付しておきます。

塞の神の塞の字は「要塞」で用いられているように防ぐという意味があります。

サイノカミは、多くは村の出入り口で祭られ、病気・貧困・災害等の邪神が村へ入りこむのを防ぐ神様なのです。
また、サイノカミは道祖神(どうそしん)信仰と結びつき、旅の安全を守った神様です。

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その11 お好み焼き夢工房でのランチ

2022年02月27日 04時55分59秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第11回で散策の途中ランチを食べたお好み焼き夢工房を写真紹介します。

 

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その9 大歳神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その10 上の池 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

お好み焼き 夢工房の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町宮北1丁目1−6 TEL:079-437-1917

営業時間:11:00~21:00  定休日:日曜日

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

 

上の2枚の写真は当日いただいた「モダン焼き」600円(税込)

小さなお店ですが店内には近所の常連の方々が昼飲みを楽しみながら和気あいあいの

雰囲気でした。

ビールを飲みたいとも思いましたが自制してお水をたっぷりいただきました。

上の2枚の写真は店内のメニュー表です。

上の写真はお店の外観

上の写真は夢工房の暖簾

上の写真は兵庫県のコロナ対策の掲示

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その10 上の池

2022年02月27日 04時48分06秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第10回で播磨町宮北1丁目のため池上の池を写真紹介します。

 

 

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その9 大歳神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は上の池(かみのいけ)

上の写真は上ノ池の位置を示した地図

上ノ池は今里伝兵衛が建設した新井(しんゆ)用水から引水した「ため池」です。

新井用水は加古川下西条平松の五ヵ位洗堰から分水し古宮(播磨町)の大池までの

13Kmの水路です。

今里伝兵衛は播磨町では郷土の偉人として有名な人物です。

今里伝兵衛に関連したブログをいくつか作成しているのでリンクしておきます。

 新井用水の大中埋樋 in 播磨町 on 2019-3-17 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 今里伝兵衛ゆかりの石灯籠と頌徳碑(しょうとくひ) in 播磨町 on 2012-6-9 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 播磨町 新井の逆サイフォンと今里傳兵衛の功績 on 2011-11-27 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

大池に設置された今里伝兵衛の顕彰碑の説明板で次のように紹介されています。

説明板より引用させていただきます。

「溜池や野井戸による灌漑しか方法がなかった当地はしばしば干ばつに悩まされて
いました。
このため、今里伝兵衛は関係23ケ村の庄屋を集め、西条平松五ケ井洗堰
(加古川市神野町)より分水路
を古宮大池まで開削する案を示して同意を得、明暦元年(1655)正月から着工し
翌年3月に完成しました。
働いた人夫延べ16万4千人、延長3里18町(約13Km)に及ぶ公示は、全てが
順調に進んだわけではなく、
大中堤樋にも見られる逆サイホン式通水などの技術を駆使し灌漑面積600ha、
当時の石高で1万石の良田を作りました。
この翁の功績をたたえ、一対の石灯籠---左
は宝暦13年(1763)5月新井郷の人々が伝兵衛翁百回忌法要に、そして、
右は昭和3年(1928)11月に
今里伝兵衛16代子孫の今里粂太郎(いまざと くめたろう)が翁の従五位追贈の
栄誉を記念し、
また正面の玉垣門は、安政5年(1858)の200回忌法要を記念して建立したものです。
左の記功碑は、明治聯合土木会を創設し、用水管理と水利慣行改善事業に尽力した
坂田啓太郎の功績を顕彰し、明治41年(1908)8月新井郷関係者が建立したものです。
これらは、野口村二ツ屋(加古川市野口町)大歳大明神に建てらていましたが、
敷地整理のため、昭和55年12月に当地に移築されました。
平成3年3月  播磨町教育委員会」

上の写真は新井用水の13Kmの水路を示したものです。撮影:2019-3-17

 出典:新井水道の大中埋樋の現地説明板

加古川下西条平松の五ヵ位洗堰から分水し古宮(播磨町)の大池までの経路

上の写真は新井水道の⑦大中埋樋付近のため池と水路で上の池の位置を示した

 出典:新井水道の大中埋樋の現地説明板 撮影:2019年3月17日

 

 

東播磨地域(明石市、加古川市、高砂市、稲美町、播磨町)は全国有数のため池密集地で

「ため池王国」と呼ばれるほどです。

作家の玉岡かおるさんを初代会長としていなみ野ため池ミュージアム運営協議会が

結成され、離農や宅地化で危機に瀕しているため池を有効活用する運動が進められて

います。

上述のいなみ野ため池ミュージアム運営協議会と兵庫県東播磨県民局が纏めた

「東播磨ため池歳時記」には播磨町内の「北池」「妹池」「大池」が紹介

されています。

コメント (2)
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播磨町散策記 on 2021-11-25 その9 大歳神社

2022年02月26日 04時44分23秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第9回で播磨町宮北2丁目の大歳神社を写真紹介します。

大歳神社は全国各地にあり、五穀豊穣、村を守る、家内安全、安産、長寿などを願うために

各村に設置されたもので本荘大歳神社もその一つである。

 

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

所在地住所:兵庫県加古郡播磨町宮北2丁目19-5

主祭神は大歳神(大年神 おおとしがみ)

 

上の2枚の写真は拝殿(本殿)

上の写真は境内の松と燈籠

 

由緒などは未調査で不明

 

『古事記』において須佐之男命(すさのおみこと)と神大市姫(かみおおいちひめ)との間に生まれた神様。お正月の飾り物は、元々この年神を迎えるためのもので、門松は年神の依代であり、鏡餅は年神への供え物とされます。恵方神とも。

 

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兵庫県立図書館に談話室「雀庵」が誕生

2022年02月25日 04時29分34秒 | 神戸市以外の兵庫県

2022年2月22日(火)、明石公園内にある兵庫県立図書館に本を返却するため、

寄っていました。

訪問時、2月9日より旧新聞閲覧室だった場所に新たに談話室「雀庵」開設されて

いましたので写真紹介します

雀庵(すずめあん)については昨日(2月24日)の神戸新聞朝刊22面で紹介されて

いました。その記事によれば雀庵の命名の由来は「おススメ」から着想したとのこと。

 

上の写真は外から見た談話室「雀庵」の外観です。

上の写真は県立図書館が作製したPR用の掲示

県立図書館のサイトにも掲載されています。

談話室では昼食を食べることもできます。

上の写真は内部の様子です。椅子10席、テーブル10台がゆったりと置かれています。

当日、早速食事に利用させていただきました。

上の写真は壁面の掲示及びパンフレット(兵庫県の観光、お知らせ、図書館、美術館

博物館からのPRリーフレット)の掲示

上の写真はおススメ本交換コーナーの本棚

上の写真はおススメ本交換コーナーの利用案内

上の6枚の写真は当日、置かれていた本

今回、持ち込みの本が無かったので持ち帰らず。

 

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺

2022年02月23日 04時59分20秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第8回蓮花寺を写真紹介します。

蓮花寺は梅谷七右衛門清政が正徳2年(1712)に再建し、本堂を修復しています。

また、清政は32歳で亡くなった息子、孟政の供養のため蓮花寺に供養塔を建てています。

蓮花寺は播磨町生まれの偉人として有名なジョセフ・ヒコが両親の為に建てた英文の

墓があることで有名です。

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

蓮花寺の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町北本荘7丁目1−33 TEL:079-437-8615

宗派:高野山真言宗 山号:青雲山 御本尊:阿弥陀如来

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

 

上の2枚の写真は梅谷七右衛門清政が32歳で亡くなった息子、孟政の供養のため建立した供養塔

(宝篋印塔)山門の前横にあります。孟政は延享5年(1748)2月に没した。

以下の文章は令和3年度播磨町郷土資料館特別展「梅谷七右衛門清政と播磨町の先覚者たち

の資料からの引用です。

清政は跡継ぎの男子には恵まれませんでした。梅谷七右衛門孟政(以下「孟政」)は8番目に生まれた男の子でした。それまでに生まれた7人のうち、6人までが女の子、残る1人の男児は満3歳で亡くなりました。したがって孟政が清政にとって希望の星であったことは想像に難くないことでした。孟政は元禄8年(1695)の火事で焼失していた地蔵堂と地蔵菩薩立像を再建・修復しましたが、そのわずか2年半後の延享5年(1748)2月、32歳の若さで亡くなりました。残された父親、清政の悲しみがどんなに深かったか、察するに余りあります。彼は蓮花寺に孟政のための供養塔を建て、菩提を弔いますが、2年後の寛延3年(1750)、地蔵堂の境内に魚類成仏の供養塔として立派な宝篋印塔(魚介類供養塔)を建てて魚類の霊を慰めました。或いは息子の若死にが、自分たちの魚類殺生の祟りとでも考えたのではないでしょうか。

上の2枚の写真は蓮花寺の本堂と「青雲山」と書かれた本堂の扁額

梅谷七右衛門清政が荒廃していた蓮花寺の再建を檀家の人達に呼びかけたのは

享保17年(1732)の頃、あまり協力が得られず、ほとんど独力で妻鹿村にあった

廃寺を買い取り、移築のうえ蓮花寺として再建しています。

阿閇神社より薬師如来坐像を引き取り修理したのもこの頃です。

上の写真は本堂の左手にある大師堂

上の写真は訪問時、工事中の山門。山門の上部に梅谷七右衛門清政が寄進した鐘が

あったが、太平洋戦争で金属供出された。

上の写真は工事前の山門 撮影は2011年頃

上の写真は山門の近くにある梅谷家の墓

梅谷七右衛門清政の直系ではないとお寺の方から聞きました。

上の写真は境内の弘法大師ほか。神仏習合で左手に境内社も写っています。

 

ジョセフ・ヒコによる両親と家族の墓  (通称「横文字の墓」)について

上の写真はジョセフ・ヒコによる両親と家族の墓の正面

心観浄念信士  多分義兄?
弘覚自性信士  多分祖父   安政三丙辰(1856)十二月二十三日
修善即到信女  実母     嘉永三庚戌(1850)五月十有八日
秋覚良秀信士  養父     元治甲子年(1864)七月廿有八日

養父の名前は浜田 吉左衛門
上の右に書いた年月日(旧暦)は没年(墓石の左側に書かれています)です。

 

上の写真はジョセフ・ヒコによる両親と家族の墓の裏面

英文で書かれていますので通称「横文字の墓」と呼ばれています。

Erected
to the
Memory
of his
Parents &
Family
by
Joseph Heco
December
1870

上の写真は右側面で明治庚午年(1870)11月の銘が刻まれています。

上の写真は左側面。上述したように没年が書かれています。

上の写真は現地説明板

ジョセフ・ヒコの一生

ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)は日本で最初に民間新聞を発刊したことで知られています。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)でここではメインとしてこの名前を踏襲するが、アメリカ彦蔵(アメ彦)、浜田彦蔵、ジョセフ彦、浜田彦太郎、墓碑に彫られた浄世夫彦などの別名もある。日本名では浜田彦蔵で幼名は彦太郎天保8年(1837)9月20日に現在の播磨町古宮に生まれました。嘉永4年(1851)、満13歳のときに漂流し、アメリカ船(オークランド号)に助けられてアメリカサンフランシスコに行きます。1年後に香港経由で日本に帰還させられる予定であったが、その年(嘉永5年)10月に香港より再びアメリカへ渡航(2度目)しそして、安政6年(1859)22歳で日本に帰国し領事館通訳などの職につきます。しかし翌年(安政7年)2月に職を辞め、貿易商館を開く。当時は尊皇攘夷思想が支配しており外国人だけでなく外国人に関係した者もその過激派によって狙われる時代であったため、ジョセフ・ヒコは身の危険を感じて文久元年(1861)9月17日に3度目のアメリカに戻った。文久2年 (1862)10月13日、横浜に帰り再び米国領事館通訳の仕事を始めるが、文久3年( 1863) 9月30日、領事館を辞任し商売を始める。この年の秋には漂流記を上梓。さらに元治元年6月28日(1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて、英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。これが日本で最初の日本語の新聞と言われる。ただしこの新聞発行は赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。慶応2年( 1866) 12月25日(新暦換算)、横浜を去り長崎に向うここで伊藤博文や木戸孝充と知り合いとなる。慶応4年(1868)9月22日生まれ故郷の古宮に帰郷した。東京を中心に活動した。以下の略歴を略す。明治30年( 1897) 12月12日、心臓病で死去。青山の外国人墓地に葬られる。

播磨町が作製したジョセフ・ヒコの生涯を解説したYoutube動画

 播磨町(兵庫県)『新聞の父ジョセフ・ヒコ物語』

 

ジョセフ・ヒコの年表(外部リンク)

 播磨町 ジョセフヒコ年表 (harima.lg.jp)

 

ジョセフ・ヒコのはじめ物語
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)はギネスブックに残るようなはじめ物語が多数
ありますので紹介します。

1)日本人として禁教後最初にキリスト教の洗礼を受けた。
    1854年10月30日 USA ボルチモアの教会
    名前は Cathedral of The Assumption B.V.M
B.V.Mはラテン語でBeata Virgo Maria出英語では
    Blessed Virgin Maryとなり聖少女マリアと直訳できる。
    この教会は1806年に建てられたものであるが現在もある由緒ある
    教会である。

2)日本人として初めてUSAの大統領(ブキャナン大統領)と合う
    1857年 11月25日

   1962年3月12日にはリンカーン大統領とも会っています。

3)日本人として初めてアメリカの市民権を得る
   1858年6月30日

4)日本人で初めて6,000mの深さの海底を調査。
   1858年9月~11月 測量船の小帆船 クーパー号(ブルック艦長)

5)日本のアメリカ領事館で初めての日本人通訳
   1859年 5月29日 事前に駐日公使ハリスと上海で合流

6)日本で初めて新聞 海外新聞を発刊
   新暦で元治元年(1864)6月28日 旧暦では1864年5月25日

7)初めての国立銀行条例をつくる。
   1872年渋沢栄一の下で英国人のシャンド(Alexander Allan Shand)と協働でつくった。

8)神戸で初めての電灯にヒコの精米所の蒸気機関が使用される。
    1884年12月

9)日本人初めての英文の自伝書 The narrative of a Japaneseを発刊
    上巻は1892年 下巻は1895年に刊行
 
ジョセフ・ヒコ関連ブログ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社

2022年02月22日 03時48分47秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第7回で前回(第6回)に紹介した阿閇(あえ)神社の隣にある清澄稲荷神社

を写真紹介します。

清澄稲荷神社は単に稲荷神社や清澄大明神として表記されています。

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

清澄稲荷神社の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目10−31

御祭神:古事記での表記は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 

    日本書記での表記は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

    和妙類聚抄での表記は宇介乃美太万、宇加乃美太万(うかのみたま)

 

上の写真は清澄稲荷神社の拝殿

 

上の写真は正面の一の鳥居から千本鳥居を経て拝殿に入ります

千本鳥居の扁額には正一位 清澄稲荷と書かれています。

 

ウカノミタマ神は、稲の精霊を神格化した神とされています。名前の宇迦は食(うけ)と

同じ意味で食物の事をさし、基本的な性格は五穀・食物を司る神です。

穀霊、食物の神を祀る稲荷神社での狐は神使(しんし)で様々な法具を持つなどバラエティ

に富む。

総本社の伏見稲荷大社には宇迦之御魂神以外に大宮能売大神、佐田彦大神、四大神、

田中大神の5神を稲荷大神として祀り、全国に3万以上の稲荷神社を束ねています。

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社

2022年02月17日 04時41分59秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第6回で阿閇(あえ)神社を写真紹介します。

梅谷七右衛門清政は享保15年(1730)阿閇神社の社殿の修復に尽力し、松の苗木を植え

松林を保護しました。さらに阿閇神社の新しい神輿も奉納し神事を復活させました。

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

阿閇神社の基本情報
住所:兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21  TEL:079-435-2918

御祭神:住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と息長帯姫命(神功皇后)

     底筒男命(そこつつのおのみこと)

     中筒男命(なかつつのおのみこと)

     表筒男命(うわつつのおのみこと)

     息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)

創建:はっきりとした年代は不明だが「住吉大社神代記」天平3年(731)に阿閇社があり

   創建は731年より古い

公式サイトが無いのでWikipediaにリンク:阿閇神社 - Wikipedia

  旧・加古郡阿閇村、本荘城跡

 阿閇神社のGoo地図を添付しておきます。

 

 

阿閇神社本殿

上の写真は左(北)から一宮(表筒男命)、二宮(中筒男命)が写っています。

現在の本殿は元禄15年(1702)の建立で一間社春日造り、桧皮葺きの4棟。

上の写真は左(北)から三宮(底筒男命)、四宮(息長帯姫命)が写っています。

上の写真は違う角度から撮った右(南)より四宮(息長帯姫命)、三宮(底筒男命)、

二宮(中筒男命)

本殿は元禄14年(1701)5月大阪の宮屋藤兵衛に皇子造一間社仕様書を出させ工事に

着手し元禄15年(1702)11月に完成した。

播磨風土記にも阿閇神社の記述が見られ、播磨国守護の赤松氏が国家安泰を願い

祈祷もよく行われていたようである。

本殿が西向きなのは赤松氏の方を向いていると考えられています。

上の写真は阿閇神社本殿(県指定文化財)の現地説明板

上の写真は阿閇神社の由緒が書かれた現地説明板

上の2枚の写真は阿閇神社本殿と割拝殿の正面

二の鳥居は両部鳥居で柱上端に台輪(だいわ)が付いています。扁額は「阿閇社」。
     

上の写真は阿閇神社本殿の全景(遠景)

割拝殿と後方に四座の本殿があります。

上の写真は違う角度から撮った本殿

御神木

神輿など保管庫

阿閇恵比寿神社

 

上の写真は境内摂社の阿閇恵比寿神社(事代主命、三穂須須美命)と現地説明板。

播磨町が臨海工業地帯ちして益々発展し、魚業、農業、海運などの産業振興、住民の

家運隆盛を祈念し島根県松江市美保関町の美保神社より昭和40年(1965)に勧請。

事代主命・三穂須美命を奉斎し、蛭子命を合祀しています。
合祀神社
 本荘 字東所 蛭子神社
 本荘 字宮ノ東 蛭子神社
 本荘 字西浜 蛭子神社

上の写真は恵比寿社の側面

入り口の鳥居

柱には向かって左の柱に敬神尊王、右に寶祚無窮(ほうそむきゅう、皇位は永遠)と

記されています。

 

梅谷才助が奉納した石垣

本荘 梅谷才助の銘が刻まれています。

梅谷才助と梅谷七右衛門清政の関係については未調査で不明

入り口の常夜灯と手水舎

上の写真は常夜灯と手水舎

燈籠(常夜燈)で寛政年間(1789-1799)に建立されたものです。

 

祭礼について播磨町郷土資料館展示

上の写真は秋に行われる御祭りの行列(模型展示 in 播磨町郷土資料館)

撮影:2021-11-20

10月第3日曜日に行われる秋祭りは享保15年(1730)に東本荘村庄屋の梅谷七郎右衛門清政が

100年余り途絶えていた祭を復活させたものです。

氏子地域は播磨町の本荘・古田・宮西と加古川市別府町西脇(西脇という地名はこのことに

由来する)、平岡町八反田の各地域である。

上の写真は巻物による阿閇神社祭礼の様子を描いたもの(播磨町郷土資料館の展示)

撮影:2021-11-20

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藤江別所遺跡と藤江の的射(2022年は中止) on 2018-4-14

2022年02月16日 03時17分57秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日は2018年4月14日に明石市の無形民俗文化財に指定されている神事、御崎神社の

「藤江の的射」の見学に行った時に出合った藤江別所遺跡について紹介します。

記事を書くきっかけは2022年2月3日、明石市立文化博物館の常設展示で藤江別所遺跡の

車輪石の展示があったからです。

藤江別所遺跡

御崎神社の近くに藤江別所遺跡があり平成5年(1993)に発掘調査が行われ、直径

約5mの井戸跡と 井戸から古墳時代の土器と共に車輪石と呼ばれる腕輪さらに銅鏡も

出土しています。 この地方を支配していた首長が鉄分を多く含んだ赤い湧水を神聖し

祭祀を行っていた場であろうと考えられています。

藤江別所遺跡は藤江川河口から約300メートル遡った左岸沖積地(段丘崖下)に位置する。

昔はこのあたりまで梅が入り込み、入江となっていました。

付近は「鉄船(かなふね)の森」と呼ばれ、かつて鉄を積んだ船が沈められたため

鉄気の水が湧き出したと伝わる。発掘調査時点でも水が湧き出ていたとのこと。

以下、Wikipediaより引用。

発掘調査で井戸1基と溝2条が検出されている。井戸は弥生時代後期から江戸時代に

至る長期間に祭祀対象として機能した特異な遺構で、下層からは弥生時代後期-古墳時代

の祭祀遺物が、上層からは古代-近世の祭祀遺物が認められる。特に、古墳時代中期の

4世紀末葉-5世紀初頭には古墳副葬品と共通する車輪石・銅鏡等が埋納されており、

この井戸祭祀が首長層によって執行される象徴的・政治的性格を強く帯びたもの

であった様子が示唆される。また溝からは弥生時代後期の土器が出土している。

上の写真が藤江別所遺跡の発掘現場です。

現在は明石市藤江ポンプ場となっています。

所在地の住所は明石市藤江428

上の写真は藤江別所遺跡の位置を示したもの 赤丸

出典:明石の古墳 (2011) Page28

上の写真は空から見た藤江別所遺跡とその周辺

出典:明石の古墳 (2011) Page28

 

上の写真は現地説明板です。

上の2枚の写真は藤江別所遺跡の井戸跡から出土の状況

出典:明石の古墳 (2011) Page29

上の写真は藤江別所遺跡から出土の弥生時代後期から終末期の土器群

出典:明石の古墳 (2011) Page30

上の写真は藤江別所遺跡から出土の古墳時代前期末の土器群

出典:明石の古墳 (2011) Page30

上の写真は藤江別所遺跡から出土の車輪石と小型銅鐸

出典:明石の古墳 (2011) Page31

 

上の写真は藤江別所遺跡の井戸から出土した車輪石、小型鏡、勾玉など

出典:明石の古墳 (2011) Page49

明石教育員会の稲原昭嘉さんが発掘調査した藤江別所遺跡の井戸跡から車輪石(碧玉製)

1個、小型鏡9面、勾玉2個、古墳副葬品と同じ組み合わせの遺物を出土した稀な遺構です。

鏡は倭製の素文鏡、重圏文鏡、櫛歯文鏡、珠文鏡で直径2.6cmから6.5cmの超小型の鏡です

車輪石は白水瓢塚古墳の副葬品の車輪石の一つと形式が近い。

上の写真は白水瓢塚古墳の棺内に副葬された品々で一番上が車輪石です。

出典:明石の古墳 (2011) Page18

白水瓢塚古墳の棺内の被葬者は女性であると推定されています。奈良メスリ山古墳との

類似性からメスリ山古墳の被葬者の妃の1人であった可能性もあります。

妃の1人であったとすれば生前は奈良に住み、死後、故郷の伊川谷(白水瓢塚古墳)に埋葬

されたことになります。

車輪石の外形は卵形で中央に直径6.5cmの正円形の孔が開いています。緑灰色をしており、

石材鑑定によると和歌山から四国にかけて産出する緑泥片岩とされています。

形態上から4世紀の終わりから5世紀の初めにかけてのものと推定されます。

上の写真は明石市立文化博物館の常設展示での藤江別所遺跡の車輪石 撮影:2022-2-3

その他の出土品としては土器113、銅鏃1

山本三郎さん(元兵庫教育委員会)によって五色塚古墳との関連でこれまで論じられて

きましたが遺物の年代からすると、この井戸跡はむしろ白水瓢塚との関係も考慮すべき

車輪石とはその形が車輪に似ていることから江戸時代の学者により名付けられました。

この石製の腕飾りは弥生時代の九州北部でよく用いられたいた南海(奄美・沖縄諸島)産の

オオツタノハなどの貝を加工した腕輪が原形となっています。弥生時代には、司祭者の装身具

として使われていましたが、古墳時代になると呪術的なものとして扱われるようになりました。

石製の腕飾りは碧玉(へきぎょく)に似た石でつくられており、近畿地方を中心に古墳時代前期

(4世紀)の古墳から多く出土しています。

 

関連サイト:

 藤江別所遺跡/明石市 (akashi.lg.jp)

 

 

藤江の的射

「藤江の的射」については2018年の様子についてYoutube動画で紹介します。

コロナの影響で2022年のイベントは中止されました。2021年に続き2年連続の中止です。

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その1 行列行進とお祓い

明石市御崎神社「藤江の的射」 on 2018-1-14 その2 大前による的射

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その3 大前+弓立衆による的射

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その4 餅まき

藤江の的射については下記ブログで纏めています。

 明石市御崎神社の「藤江の的射」見学記 on 2018-1-14 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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御座候 たんたん 姫路フェスタ店でのランチ on 2022-2-13

2022年02月14日 04時37分21秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日は2022年2月13日(日)、姫路フェスタ5番街の担々麺の店「御座候たんたん」

で頂いたランチを写真紹介します。

 

御座候 たんたん 姫路フェスタ店の基本情報

住所:姫路市駅前町188番地1 フェスタ5番街 TEL:079-221-3566

カテゴリー:担々麺

営業時間:10:00~20:00

公式サイト:御座候|トップページ (gozasoro.co.jp)

 

御座候 たんたんは姫路でしか食べられない名物の担々麺とジャンボ餃子が看板メニュー

のお店です。前回2022年1月15日に訪問時は間違ってみそごまではなく醤油味の担々麺を

注文してしまったので、念願のゴマみそ味の担々麺は初めての経験です。

上の写真が当日いただいた野菜いり担々麺 ゴマみそ 390円(税込)です。

期待通りの美味しさでした。

当日はあまりお腹が空いていなかったので名物のジャンボ餃子は注文しませんでしたが

次回訪問時には是非、ジャンボぎょうざを注文したいと思っています。

上の写真はお店の外観です。以前は御座候の売店が左手にあったのですが訪問時は

担々麺の椅子席が増強されていました。(2月8日にリニューアルされたようです)

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