goo blog サービス終了のお知らせ 

CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺

2022年02月14日 04時13分18秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第5回で妙智山 少林寺を写真紹介します。

少林寺と梅谷七右衛門清政との関連は未調査で不明。無関係か?

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

妙智山 少林寺の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目2−8 TEL:079-435-0252

宗派:曹洞宗 山号:妙智山

 

創建、由緒など詳しい情報は判らなかった。

 

上の写真は妙智山 少林寺の山門から正面の遠景

上の写真は少林寺の本堂

上の写真は入り口付近にあった地蔵尊

上の写真は墓地の観音像

上の写真は墓地 永代供養墓

上の写真は墓地 代々住職の墓

上の2枚の写真は本堂の床下に収蔵されている鬼瓦など

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔

2022年02月12日 04時51分07秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

の梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第4回で梅谷七右衛門清政が寛延3年(1750)に建立した魚介類供養塔について

写真紹介します。

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は兵庫県加古郡播磨町本荘2丁目16にある魚介類供養塔です。

設置場所は本荘中公会堂の横の小さな通路の奥にあります。

上の写真は現地の説明板です。

そのまま、転記しておきます。

 この宝篋印塔(ほうきょういんとう)には「魚類成仏」の四文字が見られ

「寛延三年に問屋中」とあり、寛延三年(1750)に当地の魚問屋が魚類成仏の供養

として建立したことがわかります。公民館を改築するために解体してこの位置に移転しました。

そのとき中から銅板に記した梵字(ぼんじ)の願文(がんもん)が現れましたが、

解読せず写真に記録して再び収めたということです。

寛延三年といえば、その前年に播州一円は百姓一揆によって地方の豪農・富商が襲われた年です。

当地方(現:播磨町)の魚問屋の財力やその繁栄のほどがしのばれます。

     昭和573月  播磨町教育委員会

上の写真は寛延三庚午 卯月(4月)吉祥日 と書かれています。

以下の文章及び写真は令和3年度播磨町郷土資料館特別展「梅谷七右衛門清政と播磨町の

先覚者たち」の資料からの引用です。

清政は跡継ぎの男子には恵まれませんでした。梅谷七右衛門孟政(以下「孟政」)は8番目に生まれた男の子でした。それまでに生まれた7人のうち、6人までが女の子、残る1人の男児は満3歳で亡くなりました。したがって孟政が清政にとって希望の星であったことは想像に難くないことでした。孟政は元禄8年(1695)の火事で焼失していた地蔵堂と地蔵菩薩立像を再建・修復しましたが、そのわずか2年半後の延享5年(1748)2月、32歳の若さで亡くなりました。残された父親、清政の悲しみがどんなに深かったか、察するに余りあります。彼は蓮花寺に孟政のための供養塔を建て、菩提を弔いますが、2年後の寛延3年(1750)、地蔵堂の境内に魚類成仏の供養塔として立派な宝篋印塔(魚介類供養塔)を建てて魚類の霊を慰めました。或いは息子の若死にが、自分たちの魚類殺生の祟りとでも考えたのではないでしょうか。

平成7年(1995)1月の阪神淡路大震災でこの供養塔が倒壊した時に、内部にあった

銅板(願文)を調査し、この塔の詳細な建立理由が判明しました。

上の写真は上述の願文(銅板)

上の写真は願文の大意

上の写真は本荘中の地蔵菩薩立像(江戸時代)

 

梅谷七右衛門清政の年譜について播磨町の下記サイトから確認できます。

 播磨町 梅谷七右衛門清政 (harima.lg.jp)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺

2022年02月10日 04時15分46秒 | 神戸市以外の兵庫県

長い間、中断していた表題のシリーズを再開します。

播磨町散策シリーズの第3回で梅谷家4代目の梅谷七右衛門清政と関係が深い金泉寺

の墓地を中心に写真紹介します。

金泉寺は昔、尼寺でしたが現在は無住の寺となっています。

シリーズ過去のブログ

第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

金泉寺の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町本荘2丁目12−32 

宗派:浄土真宗 山号:海寿山 別名:角之坊

 

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

上の2枚の写真は金泉寺の遠景です。無住の寺にも拘わらず、地元の有志により

よく管理されているようです。

上の写真は入り口の地蔵尊

金泉寺の由緒

宝永7年(1710)、本荘村の中では屋敷が不足し、屋敷を持てない百姓も多いなか、

大水が出て喜瀬川が氾濫し堤や水門が流出しました。東本荘村の庄屋、梅谷七右衛門清政は

藩の命によりその復旧に当たりました。この時、5年の歳月と延べ3万人の人足を投入して

敷地を拡げる工事を行いました。

こうして新しく生まれた土地は土地境界を明確にした上で、村内の屋敷を持たない百姓

38軒を選んで与え、自立させました。またこれを機会に、村の中にあった三味(埋め墓)

を川の東に移し、その跡地には新しくお堂角の坊(金泉寺)を建て、堂守を置いて朝夕読経を

させたうえ、毎年7月7日に施餓鬼を行って、この地に葬られた人々の供養を怠りませんでした。

梅谷七右衛門清政、29歳 時は正徳2年(1712)のことでした。

上記文章は下記サイトより引用しました。

 播磨町 梅谷七右衛門清政 (harima.lg.jp)

上の2枚の写真は本堂と本堂に架かる扁額

宝暦5年(1755)、梅屋七右衛門清政は金泉寺(角之坊)に唐戸を建て半鐘を釣りました(72歳)

上の写真は累代の堂守の墓群

上の写真は梅谷家の墓群

梅谷七右衛門清政の直系かどうかは未調査で不明

この周辺は梅谷姓が多いようである。

本庄・梅谷氏は最初、平郡姓を名乗っていました。元禄(1688-1704)の頃、加古郡口里村

(加古川市尾上町)の梅谷氏から妻を迎え、その後、寛保年代(1741-1744)に松平姫路藩主

に仕え、梅谷に改姓し、七右衛門を襲名しています。

関連動画:

 東播フォーカス第59回「梅谷七右衛門清政とゆかりの文化財」

 

上の写真は享保3年(1718)の年代が判読できた墓石

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石市の休天神社境内の梅 on 2022-2-3

2022年02月08日 05時03分59秒 | 神戸市以外の兵庫県

2022年2月3日に明石市の休天(やすみてん)神社を訪問しました。

休天神社は別称「明石天満宮」とも呼ばれています。

今回は境内の梅が奇麗であったので写真紹介します。

上の写真は拝殿前の梅

上の写真は拝殿の左横の梅

 

休天(やすみてん)神社の基本情報

住所:明石市大蔵天神町2−7 TEL:078-911-3143(稲爪神社)
御祭神:菅原道真
御利益:所願成就、学問・学業成就、厄祓い
創建:5代目の明石城主の松平日向守信之により延宝7年(1679)創建
   明石駅家の長が菅原道真公を祀る祠を延喜3年(903)に建てたのが起源
巡拝:菅公聖蹟二十五拝の第15番

 

聖跡二十五社天満宮
松浦武四郎は明治18年1月までに西日本の天満宮二十五社選んで聖跡とし、小神鏡と石標を奉納
聖跡二十五社天満宮は以下のとおりです。

第一番   菅原院天満宮 
第二番   錦天満宮   
第三番   菅大臣天満宮 
第四番   吉祥院天満宮 
第五番   長岡天満宮  
第六番   与喜天満宮
第七番   威徳天満宮
第八番   道明寺天満宮
第九番   佐太天神宮
第十番   大阪天満宮
第十一番  露天神社
第十二番  福島天満宮
第十三番  長洲天満宮
第十四番  網敷天満宮
第十五番  休天神社
第十六番  曽根天満宮
第十七番  大塩天満宮
第十八番  滝宮天満宮
第十九番  御袖天満宮
第二十番  厳島神社摂社天神社
第二十一番 防府天満宮
第二十二番 網場天満宮
第二十三番 太宰府天満宮
第二十四番 上宮天満宮
第二十五番 北野天満宮

上の2枚の写真は聖跡二十五霊社順拝双六とそこに描かれた旧天神社の拡大図

明石の駅長と菅原道真と従者が描かれています。

 

これからは休天神社の境内の写真を紹介していきます。

上の写真は境内の全景です。国道2号線に架かる歩道橋より撮りました。

上の写真は休天神社の入り口の鳥居と年間行事の掲示
3月25日に行われる春祭りは有名で菅原道真が身の憂いを祓うために雛形を作って
祈ったという言い伝えにもとづく「雛形神事」や「御湯立神事」が行われます。

春祭りに参加した方のブログがありましたのでリンクさせていただきました。
 http://akashi.ganbaro.org/rireki/blog-entry-1384.html

梅花祭は2月25日に行われます。

 

上の写真は拝殿

上の写真は拝殿入り口の天満宮の扁額

上の写真は本殿

写真には写っていませんが、本殿脇に「菅公踞石」の石碑があります。
菅原道真公が座って休んだといわれている菅公踞石は大蔵院に保管されていたが、
延宝7年(1679)休天神社に移設されたそうです。
明石駅家の老いた駅長が菅原道真公を偲び菅原道真が腰かけた石を御神体として
祀ったと伝えられています。延喜3年(903)のことでした。

上の写真は境内の菅原道真所縁の縁起牛

上の写真は菅原道真が詠んだ有名な歌が掲示されています。 撮影:2018-4-29

2022-2-3訪問時は外されていて存在していません。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて 春なわすれそ
最後の部分「拾遺和歌集」「大鏡」「源平盛衰記」では「春を忘るな」になっています。
「宝物集」「十訓集」「古今著聞集」「延慶本平家物語」「太平記」では
「春な忘れそ」になっているそうです。

上の写真は「管公駐駕駅長宅址」の石碑
休天神社は明石の駅家(うまや)の跡とされています。
明石の駅家のあった場所は諸説あって、太寺2丁目バス停の近くだったという説もある。
そこには「菅公旅次遺跡」という石碑が建てられています。菅原道真公は延喜元年(901)
大宰府への旅の途中でここに立ち寄り、明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受けます。
菅原道真公が讃岐守だったとき、何度か立ち寄ったことがあるらしく、面識があった
駅長は左遷されて大宰府へ向かう菅原道真公に同情的でした。

菅原道真が駅長に送った歌が残されていますので紹介します。(菅家後集より)
駅長(えきのおさ)驚くことなかれ 時の変改(へんがい)するを
   一栄一落(いちえいいちらく) 是れ春秋

 (駅長無驚時変改 一栄一落是春秋)

意訳:駅長そんなに驚くことはないぞ 時勢が変わり今や私が配流の身になって
   落ちていくことを、春に咲き、秋に落ち葉するのは、自然の摂理
   人の世の栄枯盛衰もまた同じなのだから

上の写真は入り口の看板ですが駅長無驚時変改 一栄一落是春秋

と書かれています。

上の写真は手水舎

上の写真は東側の鳥居

上の写真は奉祭記念碑の周辺

上の写真は明治100年を記念して植樹された松

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石市平和資料室の観覧記 on 2021-10-26

2022年02月07日 05時49分38秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年10月26日、明石市立文化博物館の2階にある「明石市平和資料室」の展示を

観覧してきましたので写真紹介します。

明石市平和資料室は明石で77年前の終戦の年(1945)に6回の空襲があり、多数の

市民が犠牲となったという身近に起こった史実を、戦争を体験していない児童生徒にも

分かり易く伝え、平和の尊さを次世代に継承していくという目的で、開設年月日は

令和3年(2021)1月19日。入場料は無料です。

これからの写真は特記が無い限り展示からの写真です。

入り口を入ると正面に「空襲の跡をたどる-明石と戦争」と題した大きなパネルがあります。

(上の2枚の写真)上の展示・市域図の寸法は縦2m、横5m

 

明石空襲

下記の6回の空襲があり、合計1,496人が空襲の犠牲になった。

昭和20年(1945)1月19日 3時51分 米軍8機による川崎航空機工場への
空襲があり263人の死者が出た。

昭和20年6月9日9時54分、明石公園で米軍9機による空襲があり269人の死者が出た。

昭和20年6月22日、川航、林、宮ノ下、門田などの空襲で25人の死者がでた。

昭和20年6月26日8時51分と9時56分、公園前、鷹匠町、三番町ほかの空襲で142人が犠牲。

昭和20年7月7日 0時15分と1時35分 の空襲で市街地の63%が消失し355人の犠牲者が出た。

昭和20年7月28日 明石川水道管橋への空襲

上の写真は明石公園の明石空襲の碑で6回の空襲の記録を簡略に纏められています。

さらに詳細な記載は下記サイトが詳しい。

明石空襲 (asahi-net.or.jp)

上の写真は昭和20年(1945)1月19日の空襲で炎上する川重の航空機工場(川崎航空機)。

上の写真は平和資料室のリーフレットよりコピーしたもの

上記したデータと数値が違っています。

上の写真は西新町の山陽電車の明石車両工場に爆弾が落とされ31人が犠牲に20両以上の

車両が全焼した。

関連ブログ:山陽電鉄空襲犠牲者之碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の写真は空襲による被害状況を示した地図

上の写真は昭和20年(1945)1月19日の明石空襲を伝える神戸新聞

戦争体験者の声(Youtube動画)

 1)元特攻少年兵 伊原 昭さん

 2)兵庫県遺族会 明石支部長 宗像 邦彦さん

 3)明石空襲の様子について語る 西村 寛さん

 4)明石空襲や機銃掃射の様子を語る 福田 洋子さん

広報あかし2021年8月1日号 平和特集関連動画 戦後76年・平和を語り継ぐ

明石市平和資料室でも動画を観れます。

上の写真は七夕の誓い こちらも動画になっており見ることができます。

伊原昭さんの体験記

上の写真は松本ヤスさんの体験記

 

戦前の明石市

上の2枚の写真は戦前の明石市の説明パネルと写真掲示

戦地に出征する庶民

上の写真は戦地に向かう兵士を見送る場面(国鉄明石駅ホーム)

上の写真は召集令状(赤紙)

 

明石駅周辺地区の戦争遺跡

上の写真は最初に紹介したパネルを明石駅周辺地区を拡大したものです。

番号に従って紹介していきます。

①大蔵院 1944年、鐘を供出 1954年(昭和29年)戦没者を刻んだ鐘を再建

大蔵院への訪問記(下のリンク)

 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

②中崎のラジオ塔

中崎遊園地のラヂオ塔への訪問記(下記リンク)

 明石市相生町の中崎遊園地内のラジオ塔 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

③国道2号線の標識

 

④月照寺の鐘

 1943年に鐘を供出。1978年に子午線上に鐘楼堂が再建されました。

上の写真は月照寺の遠景 手前に鐘楼が写っています。 撮影2022-2-3

⑤トンボの標柱

 戦争で被害を受け1956年に移転復旧した。明石市立天文台の北側にあります。

表示柱の上部は地球を表しており、球の上にはあきつ島=日本の異名を象徴した
トンボ(あきつ)が載っています。

⑥長寿院の明石城15代藩主松平斉宣(1840-1844)の御霊屋

⑦雲晴禅寺

 

 空襲で焼け、山門だけが残った

 

⑧大聖寺

 戦争で亡くなった人々の慰霊墓があり毎年慰霊祭が行われています。

 上の写真は明石市と川崎重工が戦後に建立した慰霊碑 撮影:2020-7-2

 詳細は大聖寺の明石空襲慰霊碑 on 2020-7-2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

⑨明石空襲の碑

 戦没学徒を慰霊するために建てられました

上の写真は2019年4月10日に撮影の明石空襲の碑

 詳細は下記ブログで纏めています。

  明石空襲の碑 on 2019-4-8 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

⑩中部幾次郎の碑

 初代の像は金属供出された戦後再建

 

上の写真は2021-10-5に撮影の中部幾次郎の銅像

 訪問記は下のリンク

  中部幾次郎の銅像 in 明石公園入り口 on 2021-10-5 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

⑪ほんまち三白館周辺

 延焼を防ぐため、周辺の建物はあらかじめ取り壊された

⑫岩屋神社の常夜燈

 神社から海までの沿道にあった常夜燈が空襲で倒壊、一部が境内に残る

⑬本誓寺の焼け残り地蔵尊

 寺は空襲で全焼したが、地蔵尊だけ焼け残った

⑭宝林寺の聖観音像

 寺は全焼したが御本尊の聖観音像は防空壕に入れて無事だった

⑮善楽寺の平清盛五輪塔

 空襲で焼けて黒ずんでいる

 

㉖中崎忠魂碑

 大正8年(1919)に起工 帝国在郷軍人会明石市分会が主催して建立

 第1次世界大戦までの戦没者の慰霊碑。毎年8月15日に慰霊祭を実施

撮影:2021-10-5

戦時下のくらし

上の写真は戦時中のくらしの説明文

出典:平和資料室のリーフレット

 

戦時中の子供たちは学校にもろくに登校できずひもじい思いをして勤労奉仕、消火訓練

学童疎開などを経験した。

上の写真は防空壕と戦時中の服装

 

上の写真は戦時中に使用された「衣料切符」 出典:平和資料室のリーフレット

上の写真は空襲後の樽屋町周辺 出典:平和資料室のリーフレット

上の写真は終戦直後の国道2号線

追悼式

上の写真は毎年8月15日に行われる追悼式の様子と実施場所 

出典:平和資料室のリーフレット

明石の子供たちへ

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK大河ドラマ「青天を衝け」第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」の紀行で紹介された高砂の今市札

2022年01月06日 05時17分49秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年6月20日(日)に放送されたNHK大河ドラマ「青天を衝け」第19回

「勘定組頭 渋沢篤太夫」の紀行で姫路城と共に高砂の今市札(銀札)と一橋家の会所

のあった高砂・今市地区が紹介されました。

放送された紀行の内容については下記サイトに記載されています。

 紀行|第19回「兵庫県姫路市・高砂市」|大河ドラマ「青天を衝け」|NHKオンライン

本ブログでは高砂の今市札(銀札)と一橋家の会所のあった高砂・今市地区に的を

絞り記載していきます。

 参考資料

  1)高砂市を歩く(335) 中島・今市を歩く(11) 今市札 - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

  2)神戸新聞 2021年4月24日 夕刊

    (神戸新聞NEXT 大河ドラマ主人公・渋沢栄一、播磨で商才開花!? 類いまれなビジネスセンス発揮|総合|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

  3)239.pdf (takasago-cci.or.jp) 高砂商工会議所報 なびつま 平成27年1月 Page8

  4)新ひろかずのブログ(1) 渋沢栄一と高砂(1) - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

  5)新ひろかずのブログ(2) 渋沢栄一と高砂(2)・今市札(藩札) - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

 

播磨には一橋家が飛び地として高砂(今市、中島、曽根)の領地を有していました。

徳川慶喜の家臣であった渋沢篤太夫(渋沢栄一)は一橋家の財政を立て直すために、播磨の

特産品である木綿や菜種油に注目、これらの産物を一橋家が管理すべく慶応元年(1865)

8月28日から約1か月間、高砂の今市村山口家に逗留して一橋物産会所の開設の準備をしました。

この地域、特に今市村は米、木綿、塩の集散地として賑わっていました。

 

今市札(銀札)

上の写真は工楽松右衛門旧宅の座敷(8帖)に展示の今市札(銀札)遠景 撮影:2022-1-4

上の写真は工楽松右衛門旧宅の座敷(8帖)に展示の今市札 一匁札の拡大版 撮影:2022-1-4

上の写真は今市札(俵:左に展示)の解説説明パネル 撮影:2022-1-4

上の写真は今市札(裏:右に展示)の解説説明パネル 撮影:2022-1-4

 

上の写真は一橋家木綿預手形(今市札)の説明板 撮影:2022-1-4

 一橋家は当時、十分な引替準備金がありませんでした。

 そこで、渋沢篤太夫(渋沢栄一)は裕福な者から借銀をして準備金を用意することを考えました。

 この出資者は、揖東郡日飼村(たつの市)堀彦左衛門(2500両)、加東郡垂水村(加東市)藤浦常八(1250両)、多可郡下比延村(西脇市)広田傳左衛門(800両)のほか地元・今市村伊藤長次郎(600両)、同村入江十郎(300両)、同村鈴木又蔵(200)両、同村入江亀太郎(150両)、その他一人(120両)、四人(200両)50両ずつ、一人(60両)で、総額6380両を集めました。利息は年8朱で10年返済でした。

 これらの出資者はすべて、一橋物産会所及び引替所の役職に就いています。

 一橋家の発行する手形は、大きな信用を作りあげることに成功しました。

 そのため、一橋家領の木綿預手形は一匁のものはいつでも一匁と額面通り流通したといいます。

上の写真は5匁札(表)の展示  撮影:2022-1-4

 

一橋家の会所のあった高砂・今市地区

上の3枚の写真は今市地域の歴史ある民家の街並み 出典:Googleストリートビュー

上の写真は加古川の舟での運搬拠点を示したものです。 出典:工楽松右衛門旧宅の展示

現在、荒井中学校があるあたりは洗川が流れており今市は高砂港と同じように加古川の舟

による運搬の集積地であり、賑わっていたとのこと。

伊藤長次郎と鈴木長左衛門は今市地区における豪商であり、多分、渋沢栄一との交渉の

中心人物であったと推定されます。さらに、製塩で財を成した曽根の入江十郎も渋沢栄一

との交流があったそうである。

曽根の旧入江家についてはブログを作成していますのでリンクしておきます。

 兵庫県指定重要有形文化財 旧入江家住宅 on 2018-1-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

初代伊藤長次郎の時代(江戸時代末期)は干鰯、綿、木綿、さらに米、麦、油、素麺を

扱い財を成した。しかし明治10年(1877)ころから姫路木綿の価格が下落し綿織物などの

農村家内工業は衰退していきました。農家は肥料の買入れにも困るようになり、

綿作農業は、急速に衰えました。

そこで伊藤家先代は、積極的に土地を買い入れた時期は明治10年代の初め頃から17-18年頃で

きわめて短期間に517町4反5歩まで買い進めました。

明治26年(1893)には県内最大の地主で、播磨11郡で田畑456町、宅地6町、山林48町を

所有していました。

今市地区で目立つ建物として浄土真宗本願寺派の総江山 正覚寺があります。(下の写真)

出典:Googleストリートビュー

この寺は江戸時代に鈴木長左衛門の寄進により建立されました。

正覚寺の住所は高砂市今市1丁目11-4

 

一橋家の物産会所はどこにあったのか

一橋家の物産会所は今市村の鈴木長左衛門の空き家が利用されました。

現況がどうかについては未調査

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 in 姫路市手柄山中央公園 on 2021-12-9

2021年12月28日 05時15分13秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年12月9日、姫路市手柄山中央公園にある太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

を訪問し慰霊とともに写真を撮ってきましたので紹介します。

「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」は、太平洋戦争中の空爆その他による犠牲者で、

軍人軍属以外の50万9,700人余の死没者を供養し、その霊を慰めるとともに、世界の

恒久平和を祈念するため、昭和31年(1956)10月26日に建立されました。

 

上の写真は太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(1)

手前右には昭和40年(1965)2月、常陸宮同妃両陛下お手植えの松

上の写真は太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(2)

手前には平成18年(2006)10月、高円宮妃殿下お手植えの松

上の写真は太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(3)

手前には昭和31年(1956)10月、秩父宮妃殿下お手植えの松

上の写真は太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(4)

手前には昭和33(1958)10月、皇太子殿下(現上皇様)お手植えの松

平成27年(2015)5月28日(木) 午後には秋篠宮殿下がご参拝・ご供花されました。

上の写真は太平洋戦争全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(5)全体遠景

前に描かれた日本地図に112戦災都市(1都、99市、12町)の位置が刻まれています。

側柱には1本毎に戦災都市の被爆年月日、死没者数、罹災人口および歴代復興担当市長名が

刻んであります。

上の写真は側柱の一部、全国戦災都市112戦災都市(1都、99市、12町)

死没者数 509,800名 被災人口 9,551,100名 復興担当官庁 建設省計画局

上の写真は鹿児島市の被爆年月日(昭和20年3月18日移行8回)、死没者数(2,427名)、

罹災人口(115,386名)および復興担当市長名(勝目清) 前市長(岩切重雄)

上の2枚の写真は現地説明板

日本語の説明板について転記しておきます。

この塔は先の大戦で空爆の犠牲となられた方々の慰霊に資するため、全国からの浄財により

1956年(昭和31年)10月26日に建立されました。

現在は109都市(東京都を含む)が加盟する財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会

維持管理を行っています。

中央の塔身部は刀を地中に埋めた形で「もう戦争はしない」ということを表現しており、

側柱には建設にかかわった全国戦災都市連盟(113都市加盟)の被災記録などが刻まれています。

竣工以来、毎年10月26日に塔前においてこの浄域に眠る加盟都市50万9700余柱の犠牲者

を追悼する平和祈念式典を挙行しています。

一般戦災死没者の追悼について総務省のサイトへリンクしておきます。

 総務省|一般戦災死没者の追悼 (soumu.go.jp)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路市一色堂の鶏卵万頭

2021年12月24日 05時20分07秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年12月9日、姫路市山陽百貨店の地下で一色堂の名物製菓の鶏卵万頭を購入して

食べました。美味しかったので写真紹介します。

購入したのは10個入りで500円(税込)。初めて購入しました。

インターネットで調べたら販売されているのは山陽百貨店だけみたいです。

当日(12月9日)に4個、奥様と食べて美味しかったですが翌日(12月10日)に

下の写真(6個)を電子レンジでチンして食べたら味が落ちてそれほどでもなかった。

蒸して食べた方が良かったのかな?

上の写真が2021年12月10日に食べた一色堂の鶏卵万頭

 

下記サイトに山陽百貨店での写真が掲載されていたのでリンク

 

一色堂の鶏卵饅頭【姫路お土産】 | 姫路の種 (budou-chan.jp)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石市立文化博物館の企画展「明石の布団太鼓」が開催中です

2021年12月24日 03時44分46秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日はクリスマスイブです。皆様はどのようにお過ごしですか・・・

さて、本日は明石の布団太鼓について書いていきます。

明石市立文化博物館の企画展「明石の布団太鼓」が下記要項で開催中です。

興味のある方は是非ご観覧ください。

私は12月17日(金)に観覧しました。

企画展 「明石の布団太鼓」の基本情報

開催期間:2021年12月16日~2022年1月16日 場所:明石市立文化博物館

開館時間:9:30~18:30(入館は18:00まで) 休館日:月曜日 年末年始(12/29~1/3)

入場料:大人200円 大学・高校生150円 中学生以下は無料

公式サイト:明石市立文化博物館 (akashibunpaku.com)

企画展のリーフレット:

 

企画展の中身は城内撮影禁止のため写真紹介できませんが明石に残る約40余の布団太鼓の

芸術的な価値を紹介するものです。

上の写真は明石の布団太鼓の一覧。解説文が添えられています。

布団太鼓についてWikipediaより解説文を引用紹介します。

ふとん太鼓(ふとんだいこ)とは大阪府河内・泉州地方や、兵庫県播磨・淡路その周辺で担がれる大型の太鼓台のことである。
祭りの飾り山車の一種であり、形状的な最大の特徴は、正方形の巨大な布団を屋根にあたる部分に逆ピラミッド型に積む点にある。
布団だんじり、布団神輿、布団屋台などとも呼ばれる。
重さは1.0t~2.0tあり、約50~70人ほどで毎年各神社の祭礼で派手な演出と共にいきおいよく担がれている。現在では少なくなったが戦前は一カ所の神社で約10台以上、宮入されていた所(開口神社、菅原神社)もある・・・

会場の入口の布団太鼓については撮影OKであったのでこちらについて写真紹介します。

上の3枚の写真は西二見の布団太鼓の展示と説明板

常設展示で以前からこの場所に置かれていました。

上の2枚の写真は企画展に合わせて特別に展示された旧御旅町の布団太鼓

上の写真は今回の特別展示が明石の布団太鼓プロジェクトの協力で実現したことを示すパネル

上の2枚の写真は旧御旅町の布団太鼓と明石の布団太鼓の特徴を記したパネル

明石の布団太鼓について詳しく纏められているサイトがありましたのでリンクさせていただきました。

 【YouTube動画】 明石(5)- 布団太鼓 | 明石へ行こう☆ 更新履歴 (ganbaro.org)

明石の布団太鼓に関するYoutube動画を添付(Gooで共有)して筆をおきます。

明石のこころ第一回~夢まつりへの途・前編

明石のこころ第二回~夢まつりへの途・後編

明石のこころ第三回~布団太鼓入門編

明石のこころ第四回~岩屋神社編

平成28年 岩屋神社秋大祭(布団太鼓魚の棚商店街巡行)

50年ぶりの復活!明石市岩屋神社布団太鼓映像 播州の祭り

明石岩屋神社太鼓台(2016)伊勢音頭抜粋

明石のこころ第五回~伊弉冊神社編

明石のこころ第六回~王子神社編

王子神社 秋祭り2018

明石のこころ第七回~林神社編

明石のこころ第八回~林神社 廃絶編

明石のこころ第九回~穂蓼八幡神社

穂蓼八幡神社 布団太鼓巡行

明石市御厨神社(上西)の布団太鼓 on 2018-10-21

平成28年 明石市大久保町大久保町 住吉神社 秋祭り 本宮 東屋台練り

’19あかし伝統夢まつり6 松陰 西大窪 大窪 山ノ下 中之番

【秋祭り】明石市藤江の青龍神社の秋祭り【Autumn festival in Akashi City】

2012鳥羽八幡神社秋祭り公園2

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大庄水産 明石駅前店でのランチ on 2021-12-17

2021年12月21日 05時02分35秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年12月17日、大庄水産 明石駅前店でランチをいただきましたので

写真紹介します。訪問は2回目のお店です。

明石へは明石市立文化博物館の企画展「明石の布団太鼓」を観覧するために出かけていました。

 

大庄水産 明石駅前店の基本情報

住所:明石市東仲ノ町11-25  テネシービル 1F・B1F  TEL:078-917-6211

ジャンル:居酒屋、海鮮丼、魚介類、海鮮料理

営業時間:11:30~14:00、17:00~23:00 定休日:なし(無休)

経営は庄屋グループ

 

地図は前回訪問時のブログに掲載していますのでリンクしておきます。

 大庄水産 明石駅前店でのランチ on 2020-7-2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は当日いただいた刺身定食 1,200円(税込)です。

新鮮なお刺身で美味しくいただきました。

あら汁も美味しい。

前回訪問時と異なっているのはおかわりコーナーが設置されました。

食が太い方にとっては朗報だと思います。

上の写真のように ごはん、みそ汁、いか塩辛、納豆、生たまご、味付きのり

無料で食べ放題です。

上の写真はお昼の定食です。

しらす丼 1,400円(税込)、明石鯛漬け丼1,850円(税込)、イカとろろ丼1,400円(税込)

ウニイクラまぐろ丼2,800円(税込)などのメニューもあります。

上の写真は刺身盛りのメニュー表

上の写真は単品の貝浜焼きのメニュー表

上の写真はお酒類のメニュー表

上の写真はお店の外観です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする