CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑

2021年11月28日 07時04分36秒 | 神戸市以外の兵庫県

播磨町散策シリーズの第2回でジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町の

播磨小学校の敷地内に建てられた浜田彦蔵の碑を写真紹介します。

 

シリーズ過去のブログ

第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 

上の2枚の写真が新聞の父濱田彦蔵の碑です。

この碑は昭和35年(1960)12月12日に建立されたもので、ジョセフ ヒコ記念会の

会長であった近盛晴嘉氏がジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の偉業を讃えた碑文を

執筆されています。

ジョセフ・ヒコの一生

ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)は日本で最初に民間新聞を発刊したことで知られています。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)でここではメインとしてこの名前を踏襲するが、アメリカ彦蔵(アメ彦)、浜田彦蔵、ジョセフ彦、浜田彦太郎、墓碑に彫られた浄世夫彦などの別名もある。日本名では浜田彦蔵で幼名は彦太郎天保8年(1837)9月20日に現在の播磨町古宮に生まれました。嘉永4年(1851)、満13歳のときに漂流し、アメリカ船(オークランド号)に助けられてアメリカサンフランシスコに行きます。1年後に香港経由で日本に帰還させられる予定であったが、その年(嘉永5年)10月に香港より再びアメリカへ渡航(2度目)しそして、安政6年(1859)22歳で日本に帰国し領事館通訳などの職につきます。しかし翌年(安政7年)2月に職を辞め、貿易商館を開く。当時は尊皇攘夷思想が支配しており外国人だけでなく外国人に関係した者もその過激派によって狙われる時代であったため、ジョセフ・ヒコは身の危険を感じて文久元年(1861)9月17日に3度目のアメリカに戻った。文久2年 (1862)10月13日、横浜に帰り再び米国領事館通訳の仕事を始めるが、文久3年( 1863) 9月30日、領事館を辞任し商売を始める。この年の秋には漂流記を上梓。さらに元治元年6月28日(1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて、英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。これが日本で最初の日本語の新聞と言われる。ただしこの新聞発行は赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。慶応2年( 1866) 12月25日(新暦換算)、横浜を去り長崎に向うここで伊藤博文や木戸孝充と知り合いとなる。慶応4年(1868)9月22日生まれ故郷の古宮に帰郷した。東京を中心に活動した。以下の略歴を略す。明治30年( 1897) 12月12日、心臓病で死去。青山の外国人墓地に葬られる。
 
ジョセフ・ヒコのはじめ物語
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)はギネスブックに残るようなはじめ物語が多数
ありますので紹介します。

1)日本人として禁教後最初にキリスト教の洗礼を受けた。
    1854年10月30日 USA ボルチモアの教会
    名前は Cathedral of The Assumption B.V.M
B.V.Mはラテン語でBeata Virgo Maria出英語では
    Blessed Virgin Maryとなり聖少女マリアと直訳できる。
    この教会は1806年に建てられたものであるが現在もある由緒ある
    教会である。

2)日本人として初めてUSAの大統領(ブキャナン大統領)と合う
    1857年 11月25日

   1962年3月12日にはリンカーン大統領とも会っています。

3)日本人として初めてアメリカの市民権を得る
   1858年6月30日

4)日本人で初めて6,000mの深さの海底を調査。
   1858年9月~11月 測量船の小帆船 クーパー号(ブルック艦長)

5)日本のアメリカ領事館で初めての日本人通訳
   1859年 5月29日 事前に駐日公使ハリスと上海で合流

6)日本で初めて新聞 海外新聞を発刊
   新暦で元治元年(1864)6月28日 旧暦では1864年5月25日

7)初めての国立銀行条例をつくる。
   1872年渋沢栄一の下で英国人のシャンド(Alexander Allan Shand)と協働でつくった。

8)神戸で初めての電灯にヒコの精米所の蒸気機関が使用される。
    1884年12月

9)日本人初めての英文の自伝書 The narrative of a Japaneseを発刊
    上巻は1892年 下巻は1895年に刊行
 
ジョセフ・ヒコ関連ブログ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 舞鶴への2泊3日の旅行記 on... | トップ | 神戸市の垂水日向遺跡(垂水... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神戸市以外の兵庫県」カテゴリの最新記事