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奈良市 菅原遺跡で円形建物跡が見つかる 行基の供養仏塔か

2025年07月24日 14時45分03秒 | 奈良情報
部屋の書類を整理していた折、2021年5月21日付けの神戸新聞朝刊に標題の内容の
記事を見つけた。そこで、記憶に留めるためにブログ記事を書くことにした。

上記内容は2021年5月20日、元興寺文化財研究所が発表した。

菅原遺跡は平城京西京極(西四坊大路)の外側(西側)にある。平城宮朱雀門が南面する二条大路の西の延長線と西三坊大路の交わるところに喜光寺(菅原寺)があり、その西北約1kmの丘陵の頂部に菅原遺跡が所在する。喜光寺の本堂は東大寺大僧正の行基(668-749)が大仏殿の試作モデルとして造営したものとされ、この寺で行基は生涯を終えた。
菅原遺跡は標高105mの高台にあり、遺跡から東を望むと、左手に平城宮大極殿、正面に若草山や東大寺、右手に喜光寺や唐招提寺、薬師寺が望めます。

上の写真は菅原遺跡の位置を示した地図
出典:2021年5月21日(金)神戸新聞

菅原遺跡の住所は奈良市疋田町四丁目 
菅原遺跡の位置をGoogleマップでを添付しておきます。
(赤の点線で囲まれた場所が菅原遺跡)
拡大していくと多宝塔跡の位置を確認できます。

 上の写真は発掘調査で確認された円形の建物跡と回廊跡
出典:元興寺文化財研究所
円形建物部分では中心から半径4.7mの範囲に土台の石材を抜き取った跡が、
また半径7.3mの範囲で15カ所の柱穴が同心円状に確認された。
区画は推定で1辺36~38m。回廊幅は3m。

発掘調査の詳細は下記PDFファイルに記載されています。
 140087_1_菅原遺跡.pdf  

上の写真は多宝塔の復元イラスト
出典:元興寺文化財研究所
推測ではあるが行基上人を供養するための仏塔(円形の多宝塔)の可能性があります。
行基の業績を纏めた「行基年譜」によると行基が建立した長岡院は「菅原寺の西の丘にある」
と記されており、菅原遺跡が長岡院であることと符合します。

行基(668~749)は聖武天皇の天平17年(745)には大僧正にまでなり
 奈良東大寺の大仏建立にも寄与した。行基は多くの弟子と民衆を率いて参加した。
四十九院に代表される多くの寺院を建立した。
 公共事業にも力を入れ、摂播五泊(室生-韓泊(福泊)- 魚住泊 - 大輪田泊 - 河尻泊)を開いた。
また、橋などの土木工事にも貢献した。 

行基大僧正について纏めたYoutube動画がありましたのでGooで共有させていただきました。
行基(日本語字幕)

元興寺法輪館にて「菅原遺跡と大僧正行基・長岡院展」が令和5年(2023)10月21日
から11月12日に開催され菅原遺跡からの出土品や関係資料が出展されています。
関係サイトは下記






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