CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ジョセフ・ヒコの命の恩人オークランド号のウィリアム F ジェニングス船長

2018年02月09日 06時22分52秒 | Weblog
現在、ジョセフ・ヒコ関連の書籍を兵庫県立図書館より借用しています。
その関係でジョセフ・ヒコに関する話題「ジョセフ・ヒコの命の恩人
オークランド号のウィリアム F ジェニングス船長」について記します。

漂流の状況

13歳のジョセフ・ヒコは他の16名乗組員と共に永力丸に乗り込み

嘉永3年(1850)10月22日(新暦換算1850年11月25日)江戸を出航

栄力丸が漂流状態となったのは、嘉永3年10月30日 (1850年12月3日)熊野灘大王崎沖である。

嘉永3年11月3日(1850年12月7日)伊豆雄ケ島に接近上陸を見合わせ漂流続く

52日間の漂流後
嘉永3年12月21日(1951年1月22日)、
  米商船オークランド号(乗組員11人)に救われる


上の写真は永力丸(左)と米国の商船「オークランド号」

 出典:The Narrative of a Japanese
   What he has seen and the people he has met in the course of
   the last forty years By JOSEPH HECO Edited by James Murdoch,M.A
(FROM THE TIME OF HIS BEING CASTWAY IN 1850 DOWN TO THE FIGHT OF SHIMONOSEKI


表題でオークランド号のウィリアム F ジェニングス船長と述べたが
上記の自叙伝ではThe Captainという表現で名前の表記なし

1851年1月22日 William F Jennings船長以下オークランド号の
乗組員は永力丸の乗組員17名を救助し、食事を与え、寝る場所も提供し
42日かけてサンフランシスコまで送り届けてくれた。
まさに命の恩人である。

ジェニングス船長は1820年の生まれなので永力丸を助けたのは30歳
であった。

ジェニングス船長はその後、ボストン籍のベーリング号の船長になった。
彼はハワイに来た時に病気にかかり1853年5月28日33歳の若さで
亡くなっている。

墓はオアフ・セメタリーに建てられているそうである。
ハワイに行く機会があれば是非、墓参したいと思っています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第30回 南京町 春節祭 o... | トップ | 2017年1月以降の神戸本 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事