チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

ドボルザークのチェロ協奏曲に感涙

2008年12月08日 01時49分45秒 | コンサート
 千葉県で二番目に歴史のある習志野フィルハーモニーの定期演奏会があった。
曲目の一つ「ドボルザーク チェロ協奏曲」が目当てだったが、ソリストの「山崎伸子」さんの演奏は、感動を通り越して驚愕としか言えないほど素晴らしいものだった。

 チェリストの映像だけならNHKのBSでも、YOU TUBEでも見ることもはできるが、生のフルオーケストラをバックに有名な協奏曲を聴いた経験はなかった。(YO-YOMAとか堤剛さんとか、著名な演奏家のコンサートは気がつくと申し込んでみたがいつも当らなかった)。今回のコンサートは習志野フィルから我が交響楽団に贈られた定期演奏会の招待状をラッキーにも入手できたのだった。

 一曲目が終了し、チェロ奏者用の椅子が指揮台の隣にセットされると気分は盛り上がってきた。今回はよく見かけるチェロ用の演奏台は用意されないようだ。ソリストの山崎伸子さんは、桐朋大学卒業後様々な賞を獲得され、現在東京芸大の准教授もされているとプロフィールにある。自分の座席は最前列のかぶりつきだ。

 いよいよ拍手に迎えられて、青いドレスに身を包んだ山崎さんの登場だ。意外と小柄。五十代(失礼)かとお見受けした。チェロ協奏曲も初めて、こんなかぶりつきで演奏者と目が合うような場所で聴くのは初めてだ。演奏者に失礼にならないかな・・などとこちらが勝手に緊張してお迎えしたけど、山崎さんはというと、オケの演奏が始まってから、弓を下に構えて目を閉じ、うつむき加減で集中している様子。その凛々しい姿は下段に構えたサムライのようにも感じる。

 習志野フィルの演奏は繊細ですばらしい。長めの前奏部が終わると、あの印象的なチェロの導入だ。一体どう入るのだろう・・バッチリ行くのか、それとも・・などいろいろ身構えていたが、最初の力強い一弾きから、何といえばいいんだろう・・チェロの演奏を見てやろう、できれば勉強しようなどというちっぽけな魂胆は完全に吹き飛ばされてしまった。「信頼感」とでもいうのだろうか、演奏を聞くとか、見るという距離感の必要性が全くなくなって、ただただ音楽に身体を委ねられる安心感を初めから感じることができたのだった。

 山崎さんと一体となってオレンジ色のチェロから流れ出す音色の美しさ。伸びやかで繊細な高音。ドボルザークが作曲し、山崎さんが今目の前でこの世に音楽として再現してくれている音楽に、いつの間にか涙が出てきてしまうのだ。
 ドボルザークの旋律が涙腺を緩めてしまうのだろうか。いや違う今目の前でチェロと一体となっている山崎さんの姿なくしてはこんな感動は無かったはずだ。山崎さんのスカートの中にくるまれ、愛され、あやされる赤子のようにチェロは響きに響き渡る。渾然一体となった「そこ」から僕の中の「ここ」に直接届いてきているんだ。
 コンサートで、こぼれそうな涙をこらえながら演奏を聞くことがあるなんて、聞いたことはあるものの、わが身に起こるなんて、我が人生捨てたものではない。

 もう一つびっくりしたこと。3楽章が終了したとき「ブラボー」って叫んでしまっていた。自然に飛び出した自分の声にびっくりしたんだっけ。そして山崎伸子さんをステージに呼び出す会場からの拍手は止まなかった。何度も何度も。これもテレビなどでコンサートを見ていると「一つの儀式?」などとクールに眺めていたけど、そんなもんじゃないんだ。本当に何度でも賞賛したいんだ!

 ドボコン終了時点でもはや限界。目いっぱい。習志野フィルさんごめんなさい。僕はチェロ協奏曲を最後にホールからサヨナラしてしまいました。

 きょうしみじみ感じたこと。僕はチェロの素晴らしさ、美しさ、表現の豊かさを知らなかったんだ。僕が演奏しているのはチェロじゃない。いや、まだ「チェロ子さん」を「チェロ」にしてあげていないんだと。
 それからチェロって「バイオリンの仲間だったんだ」ということ。これまでチェロといえば「低弦楽器」で、コントラバスの仲間だと思っていた。違うんだ。チェロも、そしてきっとコントラバスもバイオリンの兄弟だったんだ。美しい高音も、豊かな低音も自由に奏でることができる素晴らしいバイオリンなんだと。
コメント
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