チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

来年もアンサンブルで会おうとそれぞれの新年に

2008年12月31日 12時22分15秒 | アンサンブル
 同級生とレストランであわただしい昼食を終えて、貸スタジオへ。たまたま近所に住んでいた小学校の同級生の「女子」(いまではおばあちゃんになったそうだが)を加えて夫々が楽器を持ち替えてのアンサンブルの始まりだ。今回バイオリンを弾くのはかつてトロンボーン、その後長らくフルート奏者だった。そしてフルートを持っているのはテナーサックス担当。僕が中学一年のときにサックスをかれに譲ったんだっけ。かくいう私はかつてユーフォニュームからホルンに転じていた。そして見守る「女子」はかつてピアノを習っていたが今回はギャラリー。

 3人で合奏できるハイドンの「皇帝」から合わせがスタート。始めは途中でずれてしまったが2回3回と繰り返すうちに呼吸が合ってくるものだ。「皇帝」ではチェロも無論主旋律を演奏するけど2楽章のVa4ではビオラが主旋律なので一時中断。どうするか協議したものの、練習をしてきた自分のパートをやりたいと譲らない。仕方無しに僕がビオラの部分を演奏することになってしまった。チェロだってVa4では変奏があって面白いのになー・・

  こういうとき、やっぱり自分は損な役回り。いつでも譲り役だったよなー。中1のブラバン入部の時、サックスに憧れていたけど結局1台しかないテナーサックスをフルートの彼に譲ってしまった。このことは実に何度も何度も思い出してしまう。別に哀しいわけでも悔しいわけでもなく「これ以外の生き方、自己主張の仕方ってなかったのかなー・・」なんて。それに、そもそも僕が五十代後半になってチェロを始めたのは、大1でオケに入る時に空いている団所有のチェロが1台しかなくて、結局僕が自分を通さなかったからだよなー。自己主張する人が我がままに見えて、清清しくない、格好悪いと感じたからか・・いやこれは後付で、単に弱い自分だからだ。だって結局主張しなかったことを後悔していたりもするからなー。そのとき譲ったチェロの学友は今でも都内のセミプロのオケで活躍している。そのことは良いことなれどだよなー・・

 さてさて、スタジオでのアンサンブルでは、唯一のギャラリーをしてくれている「女子」のうっとりと聞きほれてくれている姿や、「すごいすごい」と終わるたびに拍手してくれる大サービスにはげまされて、「皇帝」を何回か通しているうちに、貸スタジオから追い出された。モーツアルトの曲は結局一回もチャレンジしないままだった。

 「では良いお年を」と別れようとすると、フルート氏が「うちのカミサンがみんなを連れてこいっていうんだよね。聴きたいって」「演奏できるの?」「リビングなら広いから」「なんだ早く言ってよ、初めからスタジオ取らなけりゃ良かったねー」とか何とかワイワイ言いながら車に分乗し、速攻駆けつけるのもこれまた愉快だ。

 「ちわー、アンサンブルの出前でーす」とか言いながら、またしても唯一のレパートリーとなった「皇帝」をリビングで繰り返すうちに、奥さんは次から次へと料理を繰り出してくれ、「室内楽」の夕べは暮れていったのだった。

 「またやろうね」「来年はトリオソナタにしよう」「奥さんチェンバロやって」「じゃ近所でも聴きたいっていう人がいるから」「来年もみんな元気に、音楽しよう!」「ありがとう!」

・・・愉快な年の瀬だった。

 
コメント
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