たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

熱海からの招待状

2007年12月15日 | 脳脊髄液減少症

ついに、というか
やっと、というか

熱海からの招待状が届きました~~~~~


1年以上待って、待って、待って、待って、待って
ようやく手にした
プラチナチケットです

もし、一等の当たり宝くじ券と交換してほしい、と言われても
絶対にゆずれない、宝物です。
(でもチョットは揺れるかも

封筒の「国際医療福祉大学熱海病院」という文字を見たとき
思わず心が波うちました。
封を切る手が震えていました。
ついに来たんだ。

「平成20年2月日 14時」

A4のペラ1枚の紙には
ごくごくシンプルに、そう記されてあるだけですが、
キラキラと光って見えました。
その時間は、
あの超多忙な篠永先生が、私のために作って下さった
私だけとの約束の時間です。

感激です。
この1年半……。
長かったような、あっという間だったような。
初診までに、1年以上という、途方もない時間を
みなさん、どのような想いで過ごしているのだろうか・・・

待ちきれなくて、他の病院の扉をたたく方
ひたすら、じっと、便りがくるまで耐える方
さまざまな民間療法を試される方
宗教やスピリチュアルな世界に目覚める方
残念ながら心身共に力尽きてしまわれる方……

百人いれば百通りのストーリーがあるでしょう。
百通りのドラマがあります。

熱海は
「脳脊髄液減少症患者たちの聖地」です

(ゆめさんブログで知った、アタミステリー「恋人たちの聖地」のパクリ)

熱海の病院にたどり着くまでには、
多数のドクターショッピングにドクハラ経験、
心療内科や精神科に回されて
身も心も人間関係もぼろぼろになっている方が多いのでは、と思います。

そして、終着駅の「熱海」
同時にここは始発駅でもあります。
やっとスタートラインに立てるのです。

この1年半。
ほぼ引きこもりの生活を余儀なくされてきましたが、
見かたを変えれば、とても濃くて、深い年だったと思います。
世の中に、こんなにも原因不明の病で苦しんでいる方が多いなんて。
こんなにも、現代医学が無力だったなんて。
こんなにも、「初心」を忘れた医師が多いなんて。

この病気にならないと、知らないことばかりでした。
一体、私は今までの人生、何を見て生きてきたんだろう。。。。
「病気を苦に自殺」なんてニュースにも
厚生労働省前で座り込み、の報道にも
ひどく敏感に反応するようになりました。

運良く、「脳脊髄液減少症」という診断を早期にもらえ
早期のブラッドパッチで順調に回復~~~~と
とんとん拍子にことが運んでいたとしたら
こんなにも、深くつきつめて考える事もなかったでしょう。

おそらく、この「待つ時間」は、私にとって必然の時間だった、
と今では思えるようになりました

ところで、
話は熱海受診にもどりますが

病院のサイトによれば、

「初診の患者様は15分再診の患者様は10分
質問事項は数項目にしていただけると助かります。 」

そ、そんなぁ~
1年以上待って、たったの15分なんて~

病気の経緯や症状については、申し込み時に
詳しく書いたのですが、状況は、時間と共に当然変わります。
この1年の経過や、今の症状をお伝えして、
先生のご意見を伺って、これからの治療についてのお話が、
とても15分で済むとは思えません。

初診の時って、
どの程度のお話ができるのでしょうか?
脳脊髄液減少症かどうか、は問診である程度解るのでしょうか?
この時点で入院の日程も決定されるのかしら?

もし熱海でも
「異常なし」「漏れなし」と宣告されたら……、
と考えると、いささかコワイのですが
とりあえず、前を向いていくしかありません。

2007年。
この1年は「待」「耐」「忍」でした。

2008年。
「快」「望」「夢」になればいいなあ。

同病仲間の皆さんと
お散歩とか、デパート巡りとか、温泉旅とか
「あんな苦しい時もあったね」なんて
思い出話ができる日を夢見ています。