一生で一番面白いコース

 先日『セラヴィ古今亭志ん輔落語会』が10回目を迎えた。

年一回10年目である。

初めの落語会は20人弱だったかもしれない。

でも10年も経つと100名近くなる。

これは管理人ではなく志ん輔師匠と

管理人の周りの人のお陰なのだが

自身に力なぞ無くても

続けることだけでも価値があるのだと思った。

『また来年もやってね。』のたった一人の一言。

それが今を作り出している。

それが誰だかも忘れているだが^_^;

3日坊主の管理人だが

続けられる。「やめない」ということは

自分に合ったものを選んだということ。

そんなものに出会えたことが何より尊いと思う。

気が付くと年を重ねているものを幾つも発見して

そうかそうかと嬉しくなった。

人より秀でているものは無いと思っていたけれど

好きなものを見つける力はあるのだと思う。

人は好きなものの傍には居たくなる。

好きな人のために何かしたくなる。

自然に傾く方向に居るだけのこと。

だから続くのだ。

意外と管理人は素直な性格なのだ^m^

でもいいね。長く続けるだけで

人から「偉いね」なんて言われる。

「お陰様で」といいながら

心から感謝できる人が周りに沢山できている。

良いことずくめ。

だからね。

ただただ続けようと思う。

『好き』のエッセンスが足らなくなったら

それを足す方法を見つけながらも楽しいだろう。

これからもっともっと楽しもう。

欲張りの管理人

もっともっと深く面白い人生の極みまでたどり着いてみたいのだ。

 

長く続いたものは

結婚生活28年

セラヴィ32年

好きなもの好きな人は重ねる年の数だけずーっと変らない。

「偉いね」

「お陰様で」

「ありがとうm(__)m」

   

     [ 人間の一生 ](読み人知らず)

職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、
何をしようと自由である。
しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
それから十年本気でやる。
すると四十までに頭をあげるものだが、
それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると、五十までには群を抜く。
しかし五十の声をきいた時には、
大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。
すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
それから十年頑張る。
すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
しかし、それからまた、十年頑張る。
するとこのコースが一生で一番面白い。

 

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