スパイラルゼロ-14 アギュレギオン-3
あの時カプートがピクニックで「厄災の星」の出身だと口を滑らしたあの瞬間、アギュにはすべてがわかったのだ。
その一言で、彼はカプートの正体に気が付いてしまった。
彼はそれまで、カプートに注意を払ったことなどなかった。彼はケフェウスの助手の一人にだった。ケフェウスが画策しているソリュートの兵器実験にたずさわり、ユウリと知りあった人間。いくらか良心的で、ユウリに思いを寄せるありがちな男。実験中、何かと彼女を気づかってはくれるが、大した権力はないので所詮庇いきれない程度の奴。そんな彼とユウリが自然に仲良くなったとしても自分には関係ないことだった。ユウリがピクニックに彼を参加させたがった時ですら、ユウリの為に彼はそれを許した。不可能とわかりながらもユウリが自分に誓った言葉をアギュはどこかでそれを信じていた。
最初はその気持ちだけで充分に満たされていたはずだ。
彼は自分にも、けして認めはしなかっただろう。
ユウリが命が尽きるまで彼と一緒にいると誓った時から、彼はそれにすがり付いてスクールの日々をしのいでいたのだ。
だけどカプートの存在がアギュを現実と対峙させた。もっとも、悪い形で。
どっちにしろ、アギュはいつかスクールを脱走することを常にシュミレーションしていたのだ。他の臨界進化体達が果たしてきたように。それは、彼の長い一生の夢。
別に急ぐ必要はなかったのだが。
その夜。
アギュがピクニックに参加しなくなった夜。
その日から、第23番惑星に何かが訪れたのだ。
遊民出身である、特定の者たちの夢に。繰り返し。
彼等の一人は悪魔が訪れたと思った。
別の一人はカバナの神だと思った。
又、別の一人はカバナ人達の夜明けが近づいたことを告げる預言者だと。
彼等は自分達の希望の星こそ、前所長代理を務めた男であると信じた。
オリオン人によって不当にその地位を奪われた男。
我等はその男と共に輝けるカバナシティに赴き、その力を持ってこのオリオン連邦から虐げられたカバナ人達を解放するのだと。
そして。
ユウリがシドラ・シデンに別れを告げられず、カプートがガンダルファに別れを告げていたあの夜。
第23番惑星で眠る幾人かに、最後の訪れがあった。
神であり悪魔である者は彼等に告げた。
時は来た・・と。
彼等はその夢から跳ね起きると武器を忍ばせ、すぐに指定されたドッグに向かった。
そうやって、お告げのとおりに仲間がそろった。
彼等はお互いに確信した。
そしてそこには、予言通りにスクールへと向う船があった。
ユウリを父親のもとに送る為に急遽、整備された船。
「果ての天蓋号」が。
「すべておのれのお膳立てか。」吐き捨てるシドラ。
「でも、なぜ?」ガンダルファは途方に暮れていた。
「あんたはユウリが好きだったんじゃないの?なのに何故?」
輝く面をアギュレギオンは背けた。目を閉じる。
「カプートがアギュのクローンだったからだ。」
船は速度を上げて宇宙をすべっていた。振動もない無音の部屋。
ヒシヒシと迫り来る時を思っていつの間にか沈黙が支配する。
二人はいつしか寄り添っていた。
どちらからともなく、手を握りあった。
「ユウリ・・」
カプートの顔に暗い影が差した。
「ぼくはいつも気に病んでいた・・自分の不甲斐なさに・・」
彼は身を起こす。
「あんなことがあったのに・・君はぼくのこともいつも気にかけてくれた。」
ユウリは彼の肩に頭をもたせかけた。
「ぼく達、あの時のことは・・ちゃんと話すことを避けてきましたね。ぼくは・・」
「いいんです。」ユウリは悲しげに微笑んだ。
「断れなかったのはあたしも一緒だから。」
カプートも悲しげにユウリを見る。
ユウリは、ほっと言葉を吐き出す。
「でも・・あなたで良かった・・」
「もし・・」若者は真剣な響きを込めた。
「もしも、ぼくらの子供のたった一人でもいいから生き延びていてくれたなら・・」
「ぼくが存在したことにも意味があったのに・・」
「子供?」シドラ・シデンとガンダルファは思わず声を上げた。
「二人の間に子供があったのか!」
「・・ケフェウスの考えそうなこと。」アギュレギオンも悲しげだった。
「臨界進化体はだいたいにして生殖能力がないと言われる。未成熟なうちに流体化が進んでしまうので・・。まして、アギュは閉じこもってしまった為に成長を止めたまま流体化が進んでしまった。」
「我は・・知らなかった。」シデンは絶句する。
「研究所の規律に従っていては、クローン体は12歳までに臨界状態かその前段階に達していなければ、違法なクローンとして処分される。ケフェウスはアギュのクローンの子供が欲しかった。アギュがただ一人、心を開いたユウリならそれにふさわしかった・・」
「そんな・・」ガンダルファも言葉が続かない。
「二人はそんな素振りはまったく・・」
「所長代理の采配のもと、二人の意思など関係ない。存在するべきではないと知らされたカプートには拒否権はない。父を人質に取られてるユウリには強く騒げない事情があった。その時は、ケフェウスが次の所長になると言われていたから。それに、ユウリはカプートの孤独に強く感ずるものがあったのかもしれない。カプートはアギュでもあったわけだから。ユウリは許した。
彼女は無重力リングでアギュに教えられるまでカプートがクローンであることを知らなかったはずだったが。
しかし、ユウリの遺伝子も中央の管理下にある。すべては秘密裏に行われた・・イリト・ヴェガが着任するまでの間・・」物憂げに光が揺れる。
「我はソリュートの実験と研究だと聞かされていた・・!あやつはケフェウスのパートナーだから、そこで助手として知りあったとばかり・・」
「そんな、ユウリは・・特別に守られてるんだと、僕は・・!」
「研究もしていた・・それ以外の目的もあった。」アギュは痛ましそうに二人を見た。
「二人の受精卵は12個まで確保され・・そして、ほとんどが処分された。」
「臨界しなかったからか?」シドラは言葉を絞り出す。
「凍結保存されていた、残りは逃亡の時に持ち出された・・」言いよどんだ。
「ただ、ひとつ・・」
「わかった!」察しの良いガンダルファがようやくほんの少し笑顔を見せた。
「それが、おぬしの育ててる・・だな?」シドラも付け加える。
「臨界進化の細胞をちょろまかしたケフェウスのその部下・・やることは同じということ。」アギュレギオンが笑い、光が散った。
ケフェウスのもくろみでユウリとカプートとの子供が作られた時、アギュはその企てのすべてを知っていた。
アギュが閉じこもり、スクールの原形が作られ始めた頃から、彼は徐々に研究所の実態を把握していった。彼は見ていた。スクールの夜に彷徨う影の一人として。
その頃の第23番惑星ベラスではあらゆる原始人類のDNAの組み合わせが日常的に試されていた。肉体的配合、遺伝子的配合。細胞移植、培養、クローン作成。
カプートのことは意識していなかったが、彼にもたくさんの子供が配合されているだろうことは単純に認識できたはずだ。
事実、細胞組み換えによる受精卵からなら、アギュにも大勢の子孫が作られ、そして廃棄されていた。
ただし、まだ認定されていない混血の原始人類であるユウリとの配合は違法であったというだけのことだ。
かと言って、彼には止める手だてはなかった。秘密実験を知ってることを打ち明けることは、彼の流体化が進んでいることを感づかれてしまうことだった。
嫉妬心がまったく湧かなかったと言ったら嘘になるだろう。深いあきらめと共にアギュはそれを受け入れるしかなかった。
アギュは二人に施されたその繁殖実験を、自分が知っているということをけしてユウリ言うことはなかったのだ。
彼とユウリの関係の中ではそれは起こらなかったこと。
だけど、カプートが自分のクローンであるとわかった時。
ユウリのただ一人の相手が、なぜカプートなのか。
なぜ、ケフェウスが法を犯してまでユウリに子供を作らせたかったかを理解した。
アギュは、初めてカプートに憎しみを覚えた。
「あんたはユウリに行って欲しくなかったんだろ?」
ガンダルファは悲痛な面持ちで尋ねる。
「本当は断って欲しかったんだ。そうだよね?、自分といると言って欲しかったんだ。」
「ガキの言動だ!」シドラは首を振り続ける。「おのれは心底愚か者だ!」
「その通り・・」輝きは答える。
「そう言っていたら、ユウリは助かったのかな?どうなのよ?」
「さあな。こやつの言い訳を聞いて見るか?」吐き捨てる。
「アギュは・・自分が誰にも好かれていないと知っていました。無条件で愛してくれたのは・・ユウリが初めてだったのです。・・ユウリを失えば、誰も側に残らない・・。初めて出来た理解者を失うという・・その現実にとても耐えられなかった・・。その絶望は自身への破壊衝動へとアギュを追いやった・・でも、アギュは死ぬことはできない。ユウリを殺すことは・・アギュ自身の自殺だったのです。自分自身を殺すことはユウリの取った行動とは基本的には関係ない衝動です・・」
「出口なしか!」二人はため息を付いた。
「ただひとつ・・」ためらいがちの光。「ユウリがゆるがなかったなら・・あるいは。」
そのささやきは彼の内だけの声だったので、二人には聞こえなかった。
身近な存在と遠い存在。ユウリにも迷いがあっただろう。静かに歳を取って行ったかもしれない、どちらにも決めかねる思い。その思いは混乱のうちにアギュに強引に押し流されて、今やカプートと共にその船に閉じこめられてしまった。
ひた走る「果ての天蓋号」。所在なくユウリは語る。カプートに体を預けたまま。
アギュに最初に会った時、彼は無意識に何重にも包まれて、無心に眠っている赤ん坊の様だったわ。無垢で美しかった。弱々しく、壊れそうに見えたの。
彼の光はあたしに故郷を思い出させた。彼を見ていると悲しくて懐かしくて。でも、辛くても見ずにいられなかった。彼の青い光は染み入るようにあたしの心になじんでいった・・もし、私が恋をしたのだとしたら・・その悲しい青色になのかしら。
あたしは彼に唄いかけ、揺さぶり注意深くその防壁を崩して行ったわ。こんなに心を込めたことって、それまであったかしら。どんなことをしても彼を目覚めさせたかった。
あたしにできる、ありったけの技で。
そりゃ、父さんには会いたかった。牢屋から出してあげたかった。でも、あたしと一緒に暮らせるようになるのか、あたし達のアースに帰れるのかもわからなかった。
いつのまにか、あたし自分の手柄とか意地や見栄よりも、途中から彼が目を開けてあたしを見てくれることを待ち望むようになってしまった・・。彼と会って見たかった・・彼と話をして見たかった・・。彼があたしを見て笑ってくれたらって思うようになった。
彼はあたしより何百年も年上だったけど、あたしには弟のようだった。あたしは彼に教えてあげたかった。初めて、宇宙そらに来た時に私が受けた衝撃。星に帰りたくて、父に会いたくて、泣いてたあたしがちっぽけに思えるくらいの世界があるの。一人の人間の小さな悲しみや苦しみを簡単に凌駕する程の、驚異の世界が。
それを知れば・・死にたいと思っていたあたしがどうにか前に進むことができたように・・
アギュも・・彼の逃げ込んだその場所から誘い出せれば・・それが、アギュの幸せだとあたしは固く信じていた・・あたしが彼を闇から救い出すんだと。
あたしは世間知らずだったから。アギュはあたしよりも・・その世界に近かったのに。
でも・・今になってもやはり、アギュを起こしたことは正しかったのだと思わない?。
どんなにつらくても、現実を生きて行く事であたし達は輝くでしょ?。
あたしはあなたにも会えたし、シドラやガンダルファや色んな大切な人にも会えた。
それはアギュもきっと変らないとあたしは信じてるの。
いつのまにか、まどろみかけていた。
「あたし達、どうなるのかしら?」ユウリが目を閉じたままつぶやく。
「きっとむごい死に方でしょうね。」カプートは前方の閉じた扉を睨んだ。
「生きていたって同じことですけど。ぼくらはペルセウスへの手土産にされるんですよ。」
「・・アギュはそれを承知で・・」ユウリは目を開いた。
「あなたにはつらいでしょうが。ぼくは予感していました。」
ユウリは思い詰めた顔でカプートを見た。
「あたし、言わなくちゃならないことがあるの。」
「・・それも知ってます。」
「なんでもお見通しなのね。」ユウリは目を瞬かせ、かすかに笑った。
「あなたは大人だし、男らしい・・真直ぐで強い人だわ。」
「アギュとはまるで正反対。彼が臨界化しなかったとしたら、そうなったであろう完璧な?」
そう、カプートが完璧だったからこそ・・その時のユウリはアギュに余計に魅かれたかもしれない。
「ごめんなさい。」消え入りそうな声だった。
「やれやれ、死を前にして・・どうしても言わなきゃいけない?」
「だからこそなの。」震えながらも、ユウリは目を反らさなかった。
カプートはフッと力を抜いた。
「あなたは正直な人だ。だから・・」目が彷徨う。
「アギュはあなただけに心を開いたんでしょう。」そして、ぼくも・・これは口に出さなかった。
「あたしと二人の時はあんなに手に負えない人じゃないのよ。」
ユウリは気が付かず、そのまま続けた。
「ソリュートで触れ合っているとあたしにはわかるの。あの人は臆病で傷つき易い人。
モンスターみたいに恐れられていることに心を痛めてる。あの人の心の中には、とても深い傷があるわ。」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「ソリュートを弾くとそこが音で満たされていくのがわかる。だからあの人はあんなに、あたしを必要としたのよ。あたしのソリュートだけがそれができるんです。あたしがいなくなったらアギュは・・どうするというの?。」カプートはただ見守る。
「あたし、あの人に生きてる限り一緒にいるって誓ったんです。アギュが言わせたわけじゃない、あたしが自分から誓ったの。あの人に目覚めて欲しかったから、ただそれだけの理由で。それが彼にとってどんなに大きな意味を持つか、わかっていたはずなのに。」
ユウリはにじんできた涙を指で振り払った。
「でも、あたし、あなたがアギュのクローンだから迷ったわけじゃないわ。あなたはあなただから。あなたとアースで幸せに暮らすなんて言うのも・・ありなのかしらと思ったの。アギュがほんとに心から望んで、許してくれるなら。」
古風な星の人並みな幸せ。それは、やはり目をくらませたのだ。
「あたし、あなたと幸せになりたい。なりたかったの。アギュのことを記憶から切り抜いてあなたを選べたらどんなに良かったか。でも、どうしてもできない。シドラが言うように、恋じゃないのかもしれない。自分でもわからない。でもあたしにはできない。今やっと、わかったの。許して、カプート。」
一気に言うと顔を覆った。
「ユウリ、顔を上げて下さい。」カプートは穏やかに言った。
「アギュはあたしをずっと試していたのね。」ユウリは泣き笑う。
カプートも皮肉な調子で笑う。
「アギュがあんなに大人な振る舞いをするなんて。そんなはずないのに。ぼくも騙されかけました・・」
「あたしは何をされても仕方ないわ。私がさせたのだから。
ただ・・あなたには申し訳なくて・・」
もはやぬぐわない、頬を涙が伝う。
「あなたに彼を見捨てることなんてできなかったんです。それはそれで、ぼくは彼の為になんだか嬉しい気もする。矛盾ですけど。だって・・彼はぼくなんだから。」
思わず漏れる、震える声。
「だいたい、アギュはぼくを憎んでいたんですよ。自分のクローンだと知った時から。
彼の持てないモノをぼくが持っていたからです・・」
友達。成長。男であること。子供。そして、限りある未来。
「あたしは正直なんかじゃない。アギュに嘘を付いた・・」
うなだれてユウリはカプートの前に立った。
「もしも、仮にですよ。仮にこんな状況じゃなかったとして。」彼は低い声で続けた。
「アギュはああ言ってたけど。もともと僕は一人で身を隠すつもりでした。」ちょっとだけ苦笑い。「いえ、嘘です。ちょっとはあなたが付いて来てくれたらいいなと期待してました。」ユウリは悲しそうに彼を見る。
「だけど、あなたは・・あなたのアースに戻ったとして、どうするつもりだったんですか?。お父さんと暮らせれば・・幸せでしたか?。」
「・・いいえ。」沈黙の後、ユウリは言った。「父と会えれば嬉しいわ。また、一緒に暮らせて。でも、もうあたしは子供じゃない。父と母と幸せに暮らした子供じゃないの。」
感情が堰を切る。「あたし、待ったわ。きっと、アギュを。ずっとアギュを待って待ち続けたと思うわ。」それを食い止めるようにまぶたを閉じた。
「彼があたしを許しに来てくれると信じてるの・・」
次第に声が小さくなる少女に、若者も自重気味に続ける。
「一緒です。ぼくも彼の影から一生逃れられないのですから。自分がオリジナルでないと言う事実を忘れることことなんてない。」
「こんな二人が寄り添うことなんて、不自然だったんです・・」
彼は歪む唇を手で覆い隠した。
「こうなることはわかってたんだ。まったく、アギュは意地が悪い・・」
彼は何かを吹っ切るかのように首を振った。そして、次の瞬間、別人のように強い眼差しで彼等を閉じこめてるドアを見据えた。
「ユウリ。何があっても、あなたを故郷に返してあげます。」
「カプート?」
彼は懐から小さな工具を取り出した。
「この程度の鍵ならこれで僕にも開けられます。スクールでは武器は手に入らないけど、いざとなったらこれでも充分だ。」
あの時カプートがピクニックで「厄災の星」の出身だと口を滑らしたあの瞬間、アギュにはすべてがわかったのだ。
その一言で、彼はカプートの正体に気が付いてしまった。
彼はそれまで、カプートに注意を払ったことなどなかった。彼はケフェウスの助手の一人にだった。ケフェウスが画策しているソリュートの兵器実験にたずさわり、ユウリと知りあった人間。いくらか良心的で、ユウリに思いを寄せるありがちな男。実験中、何かと彼女を気づかってはくれるが、大した権力はないので所詮庇いきれない程度の奴。そんな彼とユウリが自然に仲良くなったとしても自分には関係ないことだった。ユウリがピクニックに彼を参加させたがった時ですら、ユウリの為に彼はそれを許した。不可能とわかりながらもユウリが自分に誓った言葉をアギュはどこかでそれを信じていた。
最初はその気持ちだけで充分に満たされていたはずだ。
彼は自分にも、けして認めはしなかっただろう。
ユウリが命が尽きるまで彼と一緒にいると誓った時から、彼はそれにすがり付いてスクールの日々をしのいでいたのだ。
だけどカプートの存在がアギュを現実と対峙させた。もっとも、悪い形で。
どっちにしろ、アギュはいつかスクールを脱走することを常にシュミレーションしていたのだ。他の臨界進化体達が果たしてきたように。それは、彼の長い一生の夢。
別に急ぐ必要はなかったのだが。
その夜。
アギュがピクニックに参加しなくなった夜。
その日から、第23番惑星に何かが訪れたのだ。
遊民出身である、特定の者たちの夢に。繰り返し。
彼等の一人は悪魔が訪れたと思った。
別の一人はカバナの神だと思った。
又、別の一人はカバナ人達の夜明けが近づいたことを告げる預言者だと。
彼等は自分達の希望の星こそ、前所長代理を務めた男であると信じた。
オリオン人によって不当にその地位を奪われた男。
我等はその男と共に輝けるカバナシティに赴き、その力を持ってこのオリオン連邦から虐げられたカバナ人達を解放するのだと。
そして。
ユウリがシドラ・シデンに別れを告げられず、カプートがガンダルファに別れを告げていたあの夜。
第23番惑星で眠る幾人かに、最後の訪れがあった。
神であり悪魔である者は彼等に告げた。
時は来た・・と。
彼等はその夢から跳ね起きると武器を忍ばせ、すぐに指定されたドッグに向かった。
そうやって、お告げのとおりに仲間がそろった。
彼等はお互いに確信した。
そしてそこには、予言通りにスクールへと向う船があった。
ユウリを父親のもとに送る為に急遽、整備された船。
「果ての天蓋号」が。
「すべておのれのお膳立てか。」吐き捨てるシドラ。
「でも、なぜ?」ガンダルファは途方に暮れていた。
「あんたはユウリが好きだったんじゃないの?なのに何故?」
輝く面をアギュレギオンは背けた。目を閉じる。
「カプートがアギュのクローンだったからだ。」
船は速度を上げて宇宙をすべっていた。振動もない無音の部屋。
ヒシヒシと迫り来る時を思っていつの間にか沈黙が支配する。
二人はいつしか寄り添っていた。
どちらからともなく、手を握りあった。
「ユウリ・・」
カプートの顔に暗い影が差した。
「ぼくはいつも気に病んでいた・・自分の不甲斐なさに・・」
彼は身を起こす。
「あんなことがあったのに・・君はぼくのこともいつも気にかけてくれた。」
ユウリは彼の肩に頭をもたせかけた。
「ぼく達、あの時のことは・・ちゃんと話すことを避けてきましたね。ぼくは・・」
「いいんです。」ユウリは悲しげに微笑んだ。
「断れなかったのはあたしも一緒だから。」
カプートも悲しげにユウリを見る。
ユウリは、ほっと言葉を吐き出す。
「でも・・あなたで良かった・・」
「もし・・」若者は真剣な響きを込めた。
「もしも、ぼくらの子供のたった一人でもいいから生き延びていてくれたなら・・」
「ぼくが存在したことにも意味があったのに・・」
「子供?」シドラ・シデンとガンダルファは思わず声を上げた。
「二人の間に子供があったのか!」
「・・ケフェウスの考えそうなこと。」アギュレギオンも悲しげだった。
「臨界進化体はだいたいにして生殖能力がないと言われる。未成熟なうちに流体化が進んでしまうので・・。まして、アギュは閉じこもってしまった為に成長を止めたまま流体化が進んでしまった。」
「我は・・知らなかった。」シデンは絶句する。
「研究所の規律に従っていては、クローン体は12歳までに臨界状態かその前段階に達していなければ、違法なクローンとして処分される。ケフェウスはアギュのクローンの子供が欲しかった。アギュがただ一人、心を開いたユウリならそれにふさわしかった・・」
「そんな・・」ガンダルファも言葉が続かない。
「二人はそんな素振りはまったく・・」
「所長代理の采配のもと、二人の意思など関係ない。存在するべきではないと知らされたカプートには拒否権はない。父を人質に取られてるユウリには強く騒げない事情があった。その時は、ケフェウスが次の所長になると言われていたから。それに、ユウリはカプートの孤独に強く感ずるものがあったのかもしれない。カプートはアギュでもあったわけだから。ユウリは許した。
彼女は無重力リングでアギュに教えられるまでカプートがクローンであることを知らなかったはずだったが。
しかし、ユウリの遺伝子も中央の管理下にある。すべては秘密裏に行われた・・イリト・ヴェガが着任するまでの間・・」物憂げに光が揺れる。
「我はソリュートの実験と研究だと聞かされていた・・!あやつはケフェウスのパートナーだから、そこで助手として知りあったとばかり・・」
「そんな、ユウリは・・特別に守られてるんだと、僕は・・!」
「研究もしていた・・それ以外の目的もあった。」アギュは痛ましそうに二人を見た。
「二人の受精卵は12個まで確保され・・そして、ほとんどが処分された。」
「臨界しなかったからか?」シドラは言葉を絞り出す。
「凍結保存されていた、残りは逃亡の時に持ち出された・・」言いよどんだ。
「ただ、ひとつ・・」
「わかった!」察しの良いガンダルファがようやくほんの少し笑顔を見せた。
「それが、おぬしの育ててる・・だな?」シドラも付け加える。
「臨界進化の細胞をちょろまかしたケフェウスのその部下・・やることは同じということ。」アギュレギオンが笑い、光が散った。
ケフェウスのもくろみでユウリとカプートとの子供が作られた時、アギュはその企てのすべてを知っていた。
アギュが閉じこもり、スクールの原形が作られ始めた頃から、彼は徐々に研究所の実態を把握していった。彼は見ていた。スクールの夜に彷徨う影の一人として。
その頃の第23番惑星ベラスではあらゆる原始人類のDNAの組み合わせが日常的に試されていた。肉体的配合、遺伝子的配合。細胞移植、培養、クローン作成。
カプートのことは意識していなかったが、彼にもたくさんの子供が配合されているだろうことは単純に認識できたはずだ。
事実、細胞組み換えによる受精卵からなら、アギュにも大勢の子孫が作られ、そして廃棄されていた。
ただし、まだ認定されていない混血の原始人類であるユウリとの配合は違法であったというだけのことだ。
かと言って、彼には止める手だてはなかった。秘密実験を知ってることを打ち明けることは、彼の流体化が進んでいることを感づかれてしまうことだった。
嫉妬心がまったく湧かなかったと言ったら嘘になるだろう。深いあきらめと共にアギュはそれを受け入れるしかなかった。
アギュは二人に施されたその繁殖実験を、自分が知っているということをけしてユウリ言うことはなかったのだ。
彼とユウリの関係の中ではそれは起こらなかったこと。
だけど、カプートが自分のクローンであるとわかった時。
ユウリのただ一人の相手が、なぜカプートなのか。
なぜ、ケフェウスが法を犯してまでユウリに子供を作らせたかったかを理解した。
アギュは、初めてカプートに憎しみを覚えた。
「あんたはユウリに行って欲しくなかったんだろ?」
ガンダルファは悲痛な面持ちで尋ねる。
「本当は断って欲しかったんだ。そうだよね?、自分といると言って欲しかったんだ。」
「ガキの言動だ!」シドラは首を振り続ける。「おのれは心底愚か者だ!」
「その通り・・」輝きは答える。
「そう言っていたら、ユウリは助かったのかな?どうなのよ?」
「さあな。こやつの言い訳を聞いて見るか?」吐き捨てる。
「アギュは・・自分が誰にも好かれていないと知っていました。無条件で愛してくれたのは・・ユウリが初めてだったのです。・・ユウリを失えば、誰も側に残らない・・。初めて出来た理解者を失うという・・その現実にとても耐えられなかった・・。その絶望は自身への破壊衝動へとアギュを追いやった・・でも、アギュは死ぬことはできない。ユウリを殺すことは・・アギュ自身の自殺だったのです。自分自身を殺すことはユウリの取った行動とは基本的には関係ない衝動です・・」
「出口なしか!」二人はため息を付いた。
「ただひとつ・・」ためらいがちの光。「ユウリがゆるがなかったなら・・あるいは。」
そのささやきは彼の内だけの声だったので、二人には聞こえなかった。
身近な存在と遠い存在。ユウリにも迷いがあっただろう。静かに歳を取って行ったかもしれない、どちらにも決めかねる思い。その思いは混乱のうちにアギュに強引に押し流されて、今やカプートと共にその船に閉じこめられてしまった。
ひた走る「果ての天蓋号」。所在なくユウリは語る。カプートに体を預けたまま。
アギュに最初に会った時、彼は無意識に何重にも包まれて、無心に眠っている赤ん坊の様だったわ。無垢で美しかった。弱々しく、壊れそうに見えたの。
彼の光はあたしに故郷を思い出させた。彼を見ていると悲しくて懐かしくて。でも、辛くても見ずにいられなかった。彼の青い光は染み入るようにあたしの心になじんでいった・・もし、私が恋をしたのだとしたら・・その悲しい青色になのかしら。
あたしは彼に唄いかけ、揺さぶり注意深くその防壁を崩して行ったわ。こんなに心を込めたことって、それまであったかしら。どんなことをしても彼を目覚めさせたかった。
あたしにできる、ありったけの技で。
そりゃ、父さんには会いたかった。牢屋から出してあげたかった。でも、あたしと一緒に暮らせるようになるのか、あたし達のアースに帰れるのかもわからなかった。
いつのまにか、あたし自分の手柄とか意地や見栄よりも、途中から彼が目を開けてあたしを見てくれることを待ち望むようになってしまった・・。彼と会って見たかった・・彼と話をして見たかった・・。彼があたしを見て笑ってくれたらって思うようになった。
彼はあたしより何百年も年上だったけど、あたしには弟のようだった。あたしは彼に教えてあげたかった。初めて、宇宙そらに来た時に私が受けた衝撃。星に帰りたくて、父に会いたくて、泣いてたあたしがちっぽけに思えるくらいの世界があるの。一人の人間の小さな悲しみや苦しみを簡単に凌駕する程の、驚異の世界が。
それを知れば・・死にたいと思っていたあたしがどうにか前に進むことができたように・・
アギュも・・彼の逃げ込んだその場所から誘い出せれば・・それが、アギュの幸せだとあたしは固く信じていた・・あたしが彼を闇から救い出すんだと。
あたしは世間知らずだったから。アギュはあたしよりも・・その世界に近かったのに。
でも・・今になってもやはり、アギュを起こしたことは正しかったのだと思わない?。
どんなにつらくても、現実を生きて行く事であたし達は輝くでしょ?。
あたしはあなたにも会えたし、シドラやガンダルファや色んな大切な人にも会えた。
それはアギュもきっと変らないとあたしは信じてるの。
いつのまにか、まどろみかけていた。
「あたし達、どうなるのかしら?」ユウリが目を閉じたままつぶやく。
「きっとむごい死に方でしょうね。」カプートは前方の閉じた扉を睨んだ。
「生きていたって同じことですけど。ぼくらはペルセウスへの手土産にされるんですよ。」
「・・アギュはそれを承知で・・」ユウリは目を開いた。
「あなたにはつらいでしょうが。ぼくは予感していました。」
ユウリは思い詰めた顔でカプートを見た。
「あたし、言わなくちゃならないことがあるの。」
「・・それも知ってます。」
「なんでもお見通しなのね。」ユウリは目を瞬かせ、かすかに笑った。
「あなたは大人だし、男らしい・・真直ぐで強い人だわ。」
「アギュとはまるで正反対。彼が臨界化しなかったとしたら、そうなったであろう完璧な?」
そう、カプートが完璧だったからこそ・・その時のユウリはアギュに余計に魅かれたかもしれない。
「ごめんなさい。」消え入りそうな声だった。
「やれやれ、死を前にして・・どうしても言わなきゃいけない?」
「だからこそなの。」震えながらも、ユウリは目を反らさなかった。
カプートはフッと力を抜いた。
「あなたは正直な人だ。だから・・」目が彷徨う。
「アギュはあなただけに心を開いたんでしょう。」そして、ぼくも・・これは口に出さなかった。
「あたしと二人の時はあんなに手に負えない人じゃないのよ。」
ユウリは気が付かず、そのまま続けた。
「ソリュートで触れ合っているとあたしにはわかるの。あの人は臆病で傷つき易い人。
モンスターみたいに恐れられていることに心を痛めてる。あの人の心の中には、とても深い傷があるわ。」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「ソリュートを弾くとそこが音で満たされていくのがわかる。だからあの人はあんなに、あたしを必要としたのよ。あたしのソリュートだけがそれができるんです。あたしがいなくなったらアギュは・・どうするというの?。」カプートはただ見守る。
「あたし、あの人に生きてる限り一緒にいるって誓ったんです。アギュが言わせたわけじゃない、あたしが自分から誓ったの。あの人に目覚めて欲しかったから、ただそれだけの理由で。それが彼にとってどんなに大きな意味を持つか、わかっていたはずなのに。」
ユウリはにじんできた涙を指で振り払った。
「でも、あたし、あなたがアギュのクローンだから迷ったわけじゃないわ。あなたはあなただから。あなたとアースで幸せに暮らすなんて言うのも・・ありなのかしらと思ったの。アギュがほんとに心から望んで、許してくれるなら。」
古風な星の人並みな幸せ。それは、やはり目をくらませたのだ。
「あたし、あなたと幸せになりたい。なりたかったの。アギュのことを記憶から切り抜いてあなたを選べたらどんなに良かったか。でも、どうしてもできない。シドラが言うように、恋じゃないのかもしれない。自分でもわからない。でもあたしにはできない。今やっと、わかったの。許して、カプート。」
一気に言うと顔を覆った。
「ユウリ、顔を上げて下さい。」カプートは穏やかに言った。
「アギュはあたしをずっと試していたのね。」ユウリは泣き笑う。
カプートも皮肉な調子で笑う。
「アギュがあんなに大人な振る舞いをするなんて。そんなはずないのに。ぼくも騙されかけました・・」
「あたしは何をされても仕方ないわ。私がさせたのだから。
ただ・・あなたには申し訳なくて・・」
もはやぬぐわない、頬を涙が伝う。
「あなたに彼を見捨てることなんてできなかったんです。それはそれで、ぼくは彼の為になんだか嬉しい気もする。矛盾ですけど。だって・・彼はぼくなんだから。」
思わず漏れる、震える声。
「だいたい、アギュはぼくを憎んでいたんですよ。自分のクローンだと知った時から。
彼の持てないモノをぼくが持っていたからです・・」
友達。成長。男であること。子供。そして、限りある未来。
「あたしは正直なんかじゃない。アギュに嘘を付いた・・」
うなだれてユウリはカプートの前に立った。
「もしも、仮にですよ。仮にこんな状況じゃなかったとして。」彼は低い声で続けた。
「アギュはああ言ってたけど。もともと僕は一人で身を隠すつもりでした。」ちょっとだけ苦笑い。「いえ、嘘です。ちょっとはあなたが付いて来てくれたらいいなと期待してました。」ユウリは悲しそうに彼を見る。
「だけど、あなたは・・あなたのアースに戻ったとして、どうするつもりだったんですか?。お父さんと暮らせれば・・幸せでしたか?。」
「・・いいえ。」沈黙の後、ユウリは言った。「父と会えれば嬉しいわ。また、一緒に暮らせて。でも、もうあたしは子供じゃない。父と母と幸せに暮らした子供じゃないの。」
感情が堰を切る。「あたし、待ったわ。きっと、アギュを。ずっとアギュを待って待ち続けたと思うわ。」それを食い止めるようにまぶたを閉じた。
「彼があたしを許しに来てくれると信じてるの・・」
次第に声が小さくなる少女に、若者も自重気味に続ける。
「一緒です。ぼくも彼の影から一生逃れられないのですから。自分がオリジナルでないと言う事実を忘れることことなんてない。」
「こんな二人が寄り添うことなんて、不自然だったんです・・」
彼は歪む唇を手で覆い隠した。
「こうなることはわかってたんだ。まったく、アギュは意地が悪い・・」
彼は何かを吹っ切るかのように首を振った。そして、次の瞬間、別人のように強い眼差しで彼等を閉じこめてるドアを見据えた。
「ユウリ。何があっても、あなたを故郷に返してあげます。」
「カプート?」
彼は懐から小さな工具を取り出した。
「この程度の鍵ならこれで僕にも開けられます。スクールでは武器は手に入らないけど、いざとなったらこれでも充分だ。」