茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

石灯籠

2009年10月11日 | Weblog
この石灯籠は
箱根白雲洞茶苑にいました
実にかわいくて
もうかわいくてかわいくて
「撮るよ-」というと
右足をぴょんとあげそうでした♪

石燈籠というのは
そもそもは寺院や神社のものであって
庭園や個人宅にあるものではありませんでした
でも
そんな常識を変えてしまったのは
もしかしたら利休さん

ずいぶん後の資料ですが
1830年の喜多村信節著『嬉遊笑覧』に
「古代は庭に石燈籠を置くことなし、
 石燈は寺院のものなるを、
 茶湯者取りて庭に置きて見物とす」
とあります

実際
石灯籠が寺社以外の所に見られるようになるのは
織豊時代からだそうですから
やっぱり茶湯者の仕業かもです

利休さんのメモにも
どこどこの寺の石灯籠が形がいいなどと記されていて
あれこれ物色している様子がわかります
また台子のお点前に関して記したものに
「朝にても夜にても、
 石とうろに火ともしては、
 しゃうじを立る物也」
とあります

朝から点(とも)すのですから
照明ではなく燈明の意ですね
献灯には十種の功徳があるそうです

一、世をてらすこと燈の如く、
二、所生の処に帰って肉眼壊せず、
三、天眼を得る、
四、善悪の法に於て善智慧を得る、
五、大闇を除滅する、
六、智慧の明を得る、
七、世間に流転するも常に黒闇の処に在らじ、
八、大福報を具す、
九、命終して天に生ず、
十、速やかに涅槃を証す、

茶の道ですね
明かりを点すと言う字と
茶を点てるという次は同じですね