茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

売茶翁調査員その3:中国茶の記憶

2009年10月19日 | Weblog
今日も嬉しいばい茶Oh!
茶坊主様からのリポートその2です

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田中新一先生が講演でおっしゃったことで印象的なことは、

◎売茶翁は佐賀で出家して間もない頃、
 師に連れられて長崎へ出向いた形跡がある。
 13歳頃か。
 このとき、明から渡来していた中国茶を
 はじめて飲んだらしいことがわかっている。
 この茶はとても美味しかっという。
 唐人居留地で飲んだらしい。

◎14歳で、佐賀の雷山で仏道修行・滝行など行を行っている。

 ・・・ここは鎌倉時代に栄西が日本に持ってきた茶の初期栽培地に近い。
 当時の寺なら寺社経営の茶園があったとしてもおかしくない(茶坊主 説)
 
  後年、釜炒り茶が伝わった佐賀嬉野にも遠くない距離。(茶坊主 説)
 
◎ 宇治・万福寺の隠元さんの頃は、お茶は黒茶で、苦くて飲めない
  という世間の評判だったらしい。・・・(当時の文献から田中先生談)
  ・・・売茶翁が京の街に出る少し前の頃ですね。

◎ 売茶翁終焉の地とその遺構の幻玄庵の場所が判明。

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13歳の売茶ボーイが喫したお茶は
何だったのでしょうね
そのおいしいと感じた記憶をたどって
近くの茶園でいろいろに製茶を試みたりもしたのかしら
その後どこでも体験できなくて
万福寺でも体験できなくて(?)
え?ほんとに黒くて苦くて飲めたものではなかったのですか~
釜炒りが過ぎていると言うことですね
隠元さんは製茶できるお伴を連れてこなかったの?
でもその頃の九州には
おいしい釜炒り茶を作る人はたくさんいたはず
ん~
当時のお茶の流通はどんなだったのでしょうね