茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

隠逸の花

2008年09月09日 | Weblog
今日は重陽の節句です。
一番大きい陽(奇数)の数「九」、それが重なるので重陽。
1月・七草の節供、3月・桃の節供、5月・菖蒲の節供、7月・笹の節供ときて、
9月は別名、菊の節供と呼ばれています。

菊の節供の行事として、
菊の花に被綿(きせわた)をして、
その綿に朝の露をたっぷり浸みこませ、
それで体を拭き清め穢れを祓うというものがありますが、
これは陰暦の9月9日を待った方が風情がありそうです。

ところで、
菊の花は、別名、隠逸花(いんいつのはな)と言うのをご存じでしょうか。

一介の町民であった千宗易(利休)が、
正親町天皇より「利休居士」の号の賜った時、
大徳寺の古溪和尚はそれを祝って以下のような歌を贈りました。

庚老は神通の作家
飢え来れば飯を喫し、茶に遇うては茶
心空及第して等閑に看る
風露新たに香る隠逸の花

庚老は神通力さえもつ唐時代の名だたる禅者であるが、
利休居士も、喫茶喫飯の中に自由無碍なる神通力が現れていて、
仏法優れた境地を得ている。
庚居士は大悟して「心空及第して帰る」と述べているが、
利休居士も庚居士と同等に悟りの境涯に及第している。
ふと庭を眺めれば、菊の花が露を宿し、
風を受けてその気高い香りを放っている。
と言うような意味だそうです。

隠逸の花とは、
闇夜その所在がわからなくても、
その清香によって存在が知れる、ということろからきています。
古溪和尚は利休の存在を、まさに、隠逸の花の様であると賛美したのです。

菊の花の花言葉は、「高潔」、「高貴」だそうです。