クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

元はベルマーレ応援サイト「STweb」の別館で2005年7月開始も、2010年12月の韓国赴任を機に半ば休業中。

北村尚人の「伝説」と「現在」

2006-09-03 22:51:55 | サッカー(その他)
本来なら先に昨日の観戦記を2つUpすべきところだが、
先にこの記事を。

今日(日曜)は
(1)とある荷物の到着待ち(今日受取不可欠)
(2)午前、車の点検、オイル・バッテリー交換
(3)昼、ちょっと外出
(4)夕方、クラブハウス問題での署名活動の締め
・・・と予定があったが
(1)が午前中になされなかったので(4)の為の
平塚行きは不可になってしまった。
(2)を済ませた後、(3)の実行に移り
車で玉川学園へ向かった。
玉川学園前駅周辺は車では行きにくい。
道はわかりづらいし狭いし小田急の踏切はあるし・・・

本日、玉川大学・記念グラウンドで
東京都大学サッカーリーグ戦・2部第1節・
玉川大学対山梨大学が行われた。
12時10分開始のこの試合、道に迷ったこともあって
私は前半15分頃からの観戦となった。
玉川大学の記念グラウンドへは
駅からは踏切を渡って15分ほど歩く必要がある。
土だが広いグラウンドで、
半分をラグビー部とアメフト部、
そしてもう半分をサッカー部が使っている。

まずは都リーグのプログラムを入手する。
東洋大(1部)の頁には宮崎明浩の名もあった。背番号は22。
そして、玉川大の頁には北村尚人の名があった。背番号は30。
昨年のユース3年生のメンバーから
北村が玉川大に進学してサッカーを続けている、とは聞いてはいたが、
ネット上ではそのことがわからずにいたので
まずは紙上だけでも本当に続けていることがわかってほっとした。
ただ、肝心の本人の姿がなかなか見えない。
ピッチ上を見てもSUBメンバーを見ても30番の選手がいなかったので、
後半途中にスタンドにいた他のサッカー部員に聞いたら、
「向こう(反対側のゴール裏)の芝生にいる」とのことだった。
彼はボールボーイをしているようだった。

早速、向こうの芝生へ向かう。
そして彼に声をかけた。
私としてはちょうど1年ぶり、Jユース・川崎戦(等々力)以来の
念願の再会である。
ただ、至近距離で顔を合わせたのは今回が初めてである。
私が太鼓を使った応援を始めた頃には
既に彼はユースから遠ざかっていたのだ。


元・ベルマーレユース、そして現・玉川大学1年・北村尚人。
北村は5年半もの間、松田町から大神へ通い続けた。
鈴木嵩之、加藤敦士、宮崎明浩と同級生で、
ともにジュニアユースからベルマーレに所属し、
彼らとともにベルマーレの下部組織の一つのハイライトをつくった。
JYの時は2年、3年と2年連続して高円宮杯全国大会に出場。
しかも2年の時はベスト4、3年の時はベスト8。
あいにくネット上や他人からの伝聞でしか知らないが、
県内・関東でもFマリと互角の勝負を演じていたほどの強さだった。
そしてユースの時は3年の時にクラブユース全国大会出場。
2年の時も県U-17リーグや地区選抜研修会でほぼ全勝で優勝。
あまりにも不運だったのは、先輩のだらしなさもあって
彼らは3年間関東CYで2部リーグ所属だったこと、
そしてプリンスリーグ昇格はクラブ枠の制限のために
叶わなかったことだ。そしてトップチーム昇格も
トップチームの大人の事情があって誰も果たせなかった・・・・・


実は北村のユース時代のプレーはあまりよく見ることができていない。
3年の時は関東CY・全国CY・親善試合(1860ミュンヘン戦)・Jユース(川崎戦)と
計5試合見たが、1860ミュンヘン戦と川崎戦は後半途中からの出場。
私が見た試合では彼の得点は見れなかったが、相手に掴まれても
反転して前へ突進する彼のプレーはとても印象に残っている。
川崎戦にはEFSが数人来て応援していた。
その中の1人はハーフタイムで彼のシュート練習を見て、
「彼の右足シュート、すごいね。ボールを蹴る音からして違う」と言った。
そしてそのプレースタイルは、後輩の岡や西野の目にも焼きついているだろう。
2年の時のJユース・清水戦(馬入)や3年の時の関東CY・千葉戦(大神)などで
彼が決勝ゴールを挙げたことは残念ながら文字上でしか知らない。
私にとっては、北村尚人はちょっとした「伝説」だった。
そんな彼の「現在」に少なからず驚いたのは確かだ。
あの北村が、都リーグの2部で試合のメンバーにも入ってない・・・・・


ボールボーイをしながら、彼とは30分以上話した。
幸いにしてこっち(玉川大の陣地のゴール裏)にはボールは数回しかこなかった。
初対面のようなものなのに、よく話が続いたものだと思う。
彼はネット上でベルマーレ(ユース含む)の現況をよくチェックしていた。
いずれここも彼の目に留まるかもしれない。
彼は2年の途中の頃には既にプロサッカーではない進路を
歩もうと考え始めていたようだった。
その裏には、なかなかメインで使われない、途中出場で点をとっても
なかなかスタメンをつかめない当時の現状からの諦めもあったようだ。
2年の夏~秋の時の1トップの定位置は中山のもの。
しかも中山はDFからコンバートされた選手だった。
それでも彼の情熱はなんとか続き、4年ぶりの全国大会出場へ
彼が果たした功績は小さくないだろう。
しかし、その情熱も3年の8月が限界だったようだ。
彼のユースでの最後の試合となった
8月28日のJユース・川崎戦での完勝(2対0)、そして
試合後の歓喜は今思えば彼の為だったのだろう。
引退したはずの彼はJユース・決勝Tでもメンバーの1人として登録されていた。
それは哲さんらの彼への気持ちの顕れだったのではないかと私は思う。
今でもキタは俺たちのメンバーだという・・・


彼は教員を目指そうと玉川大学の教育学部へ進学した。
彼にとってここは学力レベルは高かったが
教員を目指す為、この大学に行きたかったとのこと。
彼のそういう目は素晴らしいと思う。
私は最終的に目指す職業まで真剣に考えて大学に
進んだわけではなかったし、それゆえに
大学で勉強する気になかなかなれず後で苦労もしたから・・・
サッカーは体育会で続けることになったが、
かつてのような情熱はまだ取り戻せていないようだ。
最近の試合(練習試合?)でスタメンだったようだが、
それでもいいプレーができていないとのこと。

試合は5-1で玉川大が勝利。
「またやる気が出てきたら、やりますよ」という北村。
ジュニアユース、ユースの頃のように、
ひたすらトップレベルを追求して頑張るサッカーの道に
彼がまた戻ることはもうないかもしれない。
でも、もともとは好きではじめたであろうサッカー。
サッカーをもう一度楽しもう、という気持ちになる日がくることを
私は待っている。そのことを伝え聞いたら、
また彼を見に来たいな、と思う。


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