現実と夢!!

今日は曇り

新東京タワー

2006-07-08 14:45:09 | Weblog
地上波デジタル放送用の新たな電波塔が建設されることは
今は昔の決定事項。
墨田区に建設されることになったようです。
まだ仮称であるが「すみだタワー」となる模様。

約610mとなり、携帯用ワンセグに対応することにもなる。
ワンセグ用に610mとなっている。

この電波塔の必要性の意義は未だに議論の対象らしいが、
作るといったら作るでしょう。
東武鉄道はこれでうはうは。2011年完成予定である。

さて、このタワーを建設することで様々な問題があるといわれている。
確かにご指摘どおりだが、少しここでは観点を変える。

今存在している東京タワーは役目を終えようとしているわけだ。
この東京タワーはいわば、昭和の象徴であると私は思う。

地方の人からすれば、都会への憧れの具現化となっていた。
あこがれ?様々あろう。
しかし、その大半はかつての高度成長期への仕事への憧れだ。
いわば20世紀のビジネスの象徴ということができる。

その時代には内資が外人の幹部を置くなんてことは
非現実的であった。
しかしながら今や、ヘッドハンターの仕事に
外人の幹部を求めるが増加しているようだ。
各会社が優秀な外人が欲しているためである。
なぜ欲するのか?ビジネスが国際化してきたためだ。

これから各会社のビジネスは変貌をとげる。
変貌をとげれない会社にまっているのは突然死だ。

これからのビジネスの象徴は何か?
これは新東京タワーになるのではないかと私は思っている。

しかしながら、自由化という聞こえのいい言葉を政治家は使うが
小出しにしている状況では、
いつか国際化により価格の適正化がおきたときに対応はできない。

ビジネスモデルは大きな変貌はとげるだろうが
日本国の規制の嵐は20世紀も21世紀にも共通だ。

規制がとか政治がとか文句をいう暇があれば
国際的に通用する人材になればいい。

そのために必要な要素は残念ながら私が学んできた
教育プログラムに存在しない。
まあ日本の教育内容の無能さは今や周知の事実。

いかに21世紀を意識できるか。
なにが21世紀に必要なのか?
昭和のノウハウは殆ど通用しないだろう。おそらく。

このボーダレス(国際化)の象徴が新東京タワーと私は言っているが
地上波デジタル放送という考え方事態、
民放を守るための愚かな方法。

また世界に遅れをとるのだから皮肉なもんだ。

人の身勝手も個人差あるわけで

2006-07-02 20:41:16 | Weblog
人は得てして身勝手なもんだと思う。
それを証明してくださいとお願いすると
まあ色々な事例を持って証明に加担できる人は結構いるだろう。

例えば、何かしら成功した際は自分の力を過信するだろう。
いや自分一人の力ではないと思っても、
大半は自分の貢献と思う人は多い。
ただし失敗した際、自分のせいと思いながらも
大半の割合は何かしら他のせいにすることが多い。

これは遊びでも仕事でも共通するのだから
人はとはそういう特徴が平均的になるのだろう。

なんとも身勝手なもんだ。

最近感じるのは、
人は罪を共有化して自分の罪をできるだけ減らすように
行動する特徴があるということ。
余談だが私の場合は、笑いというリターンがあるなら
一人でも罪を背負うことは多々。

これは自分の身近なところでも証明に加担することができる。
例えば私のマンションの一シーン。

私のマンションには駐輪場がある。
なので住人はそこに自転車を止めるわけだ。当たり前のことだが。
しかしながら人数分には程遠く足らず、また狭い。
更に駐輪場に入るためにはひと手間かかり、入るのも面倒だ。

そう。面倒だし面倒なので
路上に自転車を私はとめだすと、真似をする人が
増えてきた。
その現実をマンション管理会社は許容せず、
移動命令の張り紙を幾度もなく自転車に巻き続けると
一時的に路上自転車の数が減ったが
また今や昔と同じ状態。

一言で言うと
悪いことだと思っているけど皆やっているから。

昔はゴミは、本来はごみ箱に捨てるわけだが、
近くにゴミ箱はない。しかし微妙にゴミがたまっている所がある。
おそらく色々な人が捨ててたまったのだろうと思い、
ついついごみを捨てることが多かったし、
それが自分達の文化の中では当たり前だった。

ちょっと、ポイ捨てだめでしょ。
こういう風に注意してくれる人はとても重要だ。特に私のような場合。
そう言われても、なんでやねん、かまへんやんけ
といえば、大体 さいあく と返ってくるわけだ。

皆やっているからといっても個人差は勿論ある。
いったいあなたはどんな悪いことをやっているか
アンケートをとってみたい。

最初の質問はポイ捨てはしますか?かな。