京都には三十三間堂というものがある。
日本広しといえども、これだけ多くの仏像が一度に見られる場所はない。
また観光客も多い。この寺が何かを知らなくても
圧倒的非日常の空間は、観光に来た甲斐がある、と言ってもいい。
三十三間堂といえば、成人式で弓矢を射る場所であるとか
ガイドブックに載っている所であるとか、
宮本武蔵が吉岡と戦った場所であるとか
1000体の仏様の顔は全部異なる
でお馴染みかもしれない。
また、ちょっと歴史に詳しい人は
後白河上皇が平清盛に金を出させて作らせたと知っているだろう。
ただ三十三間堂に祀られている1002体の仏像について
知る人は少ないのではないだろうか。
1002体の仏像は、観音様である。
観音様とは観世音菩薩の略であり、
人の顔をまるで聞くかのように見られ
苦しみや悩みを読みとりお救い頂ける。
中心におられる仏さまも観音様で千手観音である。
千手観音は手が千本あるのではない。手は40本しかない。
一つの手が25の世界を救うとされているので
25かける40本で合計1000の世界を救われる。
それで千手観音と呼ばれている。
また薬師如来や阿弥陀如来などの如来様は
仏様のなかで最も偉い。
彼らは悟りを開かれすべてを知るものである。
その一つ下におられるのが菩薩になる。観音様はまだ修行の身なのである。
その下に位置するのが、明王だ。
不動明王とかはここに位置する。
そしてその下が天と呼ばれる。
いわゆる神様たちである。風神や雷神、帝釈天などはここに位置する。
三十三間堂は1002体の観音様の前に28人の天が祀られている。
彼らは28部衆と呼ばれる。
こういった仏教の世界のルールであったり
三十三間堂が建立された経緯を知ることで、
グッと深い体験ができる。
なんとなく来て、単に非日常を味わうとは比べようにならない
体験ができるだろう。
これは三十三間堂や神社仏閣めぐりに限った話ではない。
様々なものや歴史にはその背景があるものだ。
そういったものを知る、知った上で体験する。
最近は体験の重要性が口うるさく言われているが
量も種類も重要かもしれないが、その質をあげることも
重要であることはいうまでもないだろう。
日本広しといえども、これだけ多くの仏像が一度に見られる場所はない。
また観光客も多い。この寺が何かを知らなくても
圧倒的非日常の空間は、観光に来た甲斐がある、と言ってもいい。
三十三間堂といえば、成人式で弓矢を射る場所であるとか
ガイドブックに載っている所であるとか、
宮本武蔵が吉岡と戦った場所であるとか
1000体の仏様の顔は全部異なる
でお馴染みかもしれない。
また、ちょっと歴史に詳しい人は
後白河上皇が平清盛に金を出させて作らせたと知っているだろう。
ただ三十三間堂に祀られている1002体の仏像について
知る人は少ないのではないだろうか。
1002体の仏像は、観音様である。
観音様とは観世音菩薩の略であり、
人の顔をまるで聞くかのように見られ
苦しみや悩みを読みとりお救い頂ける。
中心におられる仏さまも観音様で千手観音である。
千手観音は手が千本あるのではない。手は40本しかない。
一つの手が25の世界を救うとされているので
25かける40本で合計1000の世界を救われる。
それで千手観音と呼ばれている。
また薬師如来や阿弥陀如来などの如来様は
仏様のなかで最も偉い。
彼らは悟りを開かれすべてを知るものである。
その一つ下におられるのが菩薩になる。観音様はまだ修行の身なのである。
その下に位置するのが、明王だ。
不動明王とかはここに位置する。
そしてその下が天と呼ばれる。
いわゆる神様たちである。風神や雷神、帝釈天などはここに位置する。
三十三間堂は1002体の観音様の前に28人の天が祀られている。
彼らは28部衆と呼ばれる。
こういった仏教の世界のルールであったり
三十三間堂が建立された経緯を知ることで、
グッと深い体験ができる。
なんとなく来て、単に非日常を味わうとは比べようにならない
体験ができるだろう。
これは三十三間堂や神社仏閣めぐりに限った話ではない。
様々なものや歴史にはその背景があるものだ。
そういったものを知る、知った上で体験する。
最近は体験の重要性が口うるさく言われているが
量も種類も重要かもしれないが、その質をあげることも
重要であることはいうまでもないだろう。
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