現実と夢!!

今日は曇り

格差

2012-01-21 11:59:39 | Weblog
格差は問題だ、これがよくメディアから聞く言葉である。
では格差を全くなくせばよいのか。
それは結果、共産主義へとつながり、本意ではないだろう。

ということは正確には、
1.なくすべき格差
2.いきすぎを是正すべき格差
3.容認する格差
と3種類くらいに分類することができるように思われる。

例えば、
2は今アメリカやイタリアなどで民衆が叫んでいる富の集約についてだろうか。
3は学校や市場での自由競争原理だろうか。


おそらくメディアがいいたいのは1についてのことだろう。
そのためメディアは今主張したい格差は、2でも3でもなく1であることを
しっかりと主張した上で、論議をする必要がある。

1については、医療や教育機会、就職機会など様々あるのかもしれないが、
それもあまりにも大きく一まとまりにすると、また様々な議論を呼び
結局混乱を招くだけ、ということもあろう。


医療機会については、全世代、全病気に対して格差をなくしていくべきなのか。
ある一定の条件において、そうなのか等こちらもしっかりと
わかりやすく主張するべきであろう。


ではどういう条件にすれば納得性があるのか?という問いに結局はぶちあたる。
これは、なぜ格差をなくす必要があるのか?という問いにわかりやすく答える必要がある。
単に、不公平であるから、ということが回答になるような時代環境では
今はどうもないようである。
努力したものが報われない、努力しなくても報われる。これはやはり理不尽であるのだから
しっかりとその問いの答えを導くべきである。



例えば、教育問題において、東大に入学する人は、やはりそれなりに教育費をかけていた人が
多い傾向は見て取れる。
そのため、みんなが東大にいけるべきチャンスを与えるべきで
そういった教育費の格差をなくすべきだ。
これは果たして正しいのだろうか?残念ながら正しいとは思えない。
少なくとも子供の教育に関して言えば、偏差値を上げたいのであれば定期的なに審査有りの
奨学金制度の導入や、スポーツで上を目指したいのであればスポーツにあった奨学金など
目的に沿って、ある程度中期スパンで物事を見てチャンスを与えればよいのでは
ないだろうか。
少なくとも闇雲に高校の学費を無料にするよりかは、そこそこのプレッシャーがあって良いし
今の緊縮財政のなかでは妥当だと思われる。
これは子供たちが伸ばしたい部分を平等な競争環境の中で伸ばす機会を与えるものである。
そういった格差は極力なくしていくべきだ、というスタンスだ。


十把一絡げの議論は、格差問題においては、あまり有意義ではない。
しっかりと個別な議論を体系的にメディアは、して欲しいところである。