かつて,ネットで見つけた北朝鮮学者の「告訴状」(?)を訳したことがあるので,ご紹介します。将来,拉致問題が解決し,北朝鮮と日本の間で国交正常化協議が始まるときには,北朝鮮は以下のような歴史認識に基づき,天文学的な賠償を要求してくると思われます。
日帝が敢行した100余万人の朝鮮人虐殺蛮行は,人権・人道に対する大罪
チョン・ヨンニュル(社会科学院歴史研究所)
日本帝国主義者たちが,かつての41年間の非法的な朝鮮強占(=強制占領)期間に犯した犯罪の中でも最も大きな犯罪の一つは,朝鮮人民を虐殺した人的被害に関する大罪だ。日帝は,かつての朝鮮強占期間,100万人以上の無辜の朝鮮人民を,もっとも野蛮かつ暴悪な方法で虐殺するという,千秋(=永遠)に許すことのできない反人類的犯罪を犯した。これに対して朝鮮国際法学会は,1993年3月31日,告訴状を通じて,日帝の朝鮮人民虐殺蛮行を国際社会の前に告訴した。
日帝の朝鮮強占期間,日本政府側の資料で明らかにされた朝鮮人人的被害者数を,種類別に分ければ,次のとおり。
1)義兵,独立軍,政治運動弾圧などで,13万9600余人
2)強制連行(徴用,徴兵,「挺身隊」)などで,71万1600余人
3)国内での獄死などで,1万9900余人
4)収監者のうち虐殺された者,9900余人
5)植民地統治に起因するその他の死亡者,12万3900余人 計100万500余人
かつて朝鮮を強占した日帝は,自分たちのみが「優秀な民族」と自任し,朝鮮人は必ずや自分たちの支配と蔑視を受けねばならぬとうそぶいて,わが人民を思うままに虐殺した。
日帝の朝鮮強占初期,初代「朝鮮総督」寺内は「朝鮮人はわが日本の法律に服従するか,さもなくば死ぬべし」と公公然にしゃべりまくった。これは当時の朝鮮人民に対する日帝の,最も暴悪な殺人「指令」であり,植民地殺人統治の基本方式だった。
日帝はこのような強盗的論理にしたがって朝鮮を非法的に強占した全期間に,数百万人の無辜の朝鮮人民を手当たりしだいに逮捕,投獄,虐殺する蛮行を敢行した。朝鮮人民に対する日帝の弾圧と虐殺蛮行は,1919年3・1蜂起のとき,いっそう露骨化した。日帝はこの年の3月1日から5月末までの3カ月間に,7,500余人の朝鮮人民,愛国者を無残に虐殺し,1万5900余人に負傷を負わせ,4万6900余人を検挙したのを始め,蜂起の全期間にわたって,無慮数万人を殺傷した。日帝は,朝鮮国内のみならず,中国東北地方,日本などの地で朝鮮人民に対する弾圧と虐殺に狂奔した。
1920年10月初め,日帝は自国の官憲と居留民を「保護」するという口実のもとに,ナナム第19師団を始めとする多くの兵力を動員し,間島地方で延べ3カ月間も,血生臭い殺戮蛮行を敢行した。そうして日帝は,1920年「間島大討伐」(「庚申年討伐」)と呼ばれる討伐で,無慮3万余人の朝鮮人たちを殺害した。
1923年「関東大震災」における日帝の虐殺蛮行は,いまも多くの人々の記憶の中にまざまざと残っている。 1923年9月1日,日本の関東地方で大地震が起こると,当時の日本政府内務省,水野錬太郎は,在日朝鮮人たちを弾圧するためのでたらめな噂を広め,朝鮮人を虐殺することに関する殺人指令を全国各地に下し,これとともに日本の反動勢力は,「戒厳司令部」といったものまででっちあげ,軍隊,警察,テロ団,「自警団」などを煽って朝鮮人を手当たりしだいに殺害しまくった。こうして当時,東京だけでも9月1日から18日までの間に6,160人に達する朝鮮人が無残に虐殺されたのをはじめ,日本各地で2万3000余人の在日朝鮮人が殺害された。こうした殺人蛮行は,日帝が強行した殺人大罪のなかでもその一部にすきない。
日帝植民主義者たちが朝鮮人民に敢行した野獣的虐殺蛮行について,当時のある記録は「…日本人が数千数万の朝鮮良民に対して敢行した,そのような乱打と悪刑は,あまりにも凶悪,残酷で,人の耳で聞いても信じられないほどの,人の意思では理解することのできない行為となった。日本人は,このような極度の凶悪な蛮行を敢行しても,むしろそれでは足りず,それ以上のもっと苛酷な方法がないのが残念に思っているほどだ」(「韓国独立運動之血史」pp.120~123)と書き,日帝御用学者,信夫清三郎は「日本憲兵は,とても正視できないほど残酷な弾圧に興奮した。日本憲兵の暴悪さは名状しがたいもので,銃剣で刺し殺し首をぶら下げて処刑した」(「大正政治史」東京1955年p.841)と告白するほかなかった。
当時のある外国人は,憤怒に満ちた文章で,朝鮮人民に対する日帝の野獣的蛮行を糾弾し,「冷静に考えるとき,世界的に他人の国を滅亡させたものは数多あるが,だれがこのような歴史上類例のない残酷な方法を適用した者がいたろうか? このような人類の仇,国際的毒蛇は,なんぴとを問わず,すべて立ち上がってこれを追い出す責任がある」と訴えた。このような内外の世論は,あまりにも人間の想像を絶した日帝のファッショ的な暴圧と虐殺蛮行に対する吐露であり,糾弾だった。まことに日帝が朝鮮に敢行した殺人大罪は,その規模と残忍性において,古今東西の侵略者と戦争者において類例を見いだしがたい,最も野蛮な人権蹂躪行為であり,殺人大罪だった。
また日帝は,1925年6月17日ジュネーブで日本を含め105カ国が署名した「窒息性,毒性その他ガス,細菌学的手段の戦争への使用を禁じることについての議定書」を乱暴に蹂躪し,無辜の数多くの朝鮮人たちを強制的に捕らえ,生体実験の対象とし,虐殺するという天人共怒すべき犯罪を敢行した。
(中略)
1930年~1940年代には,朝鮮で,いわゆる「文化統治」の看板さえ投げ捨ててファッショ的暴圧統治を実施し,朝鮮人民に対する野獣的な虐殺蛮行を,日帝は前例のないほど悪辣に敢行した。1931年末~32年初めにかけては4万余人の朝鮮人を殺害し,日帝が過少に発表した資料によってさえ,彼らは1933年だけでも「思想法」という名のもとに6万6000人を検挙,投獄,虐殺した。また数多くの朝鮮人を強制して苦役場に引き立て,奴隷労働を強要し,後には「秘密厳守」という口実のもとに無残に集団虐殺した。
日帝は,1930年代末~1940年代前半,「大東亜共栄圏」の野望実現のために悪あがきしていた時期に,各種の悪法をでっちあげ,公布し,些細な反日的要素に対しても無慈悲に弾圧する一方,さまざまな動員令を公布して,15歳から60歳までの男性と16歳から40歳までの女性を,ことごとく「大砲の弾」(=北朝鮮用語。犬死する人の譬喩)として,工事現場へ駆り立てた。そして1939年1月,「国民総徴用令」を公布したあと,わずか数年の間に「徴用」をはじめとした各種の名目で,600余万人を強制動員し,そのうち150余万人以上に達する青壮年を,日本の炭鉱や軍事施設工事現場などへ連行し,罪囚のように扱い,奴隷労働を強要し,後に「秘密厳守」という口実のもとに無残に集団虐殺した。このような暴悪で野蛮な方法により,当時,平壌ミリム飛行場で「徴用」で連行した朝鮮労働者800余人を,日帝は4年間酷使し,工事が終わるころ,すべて虐殺し,クリル列島のある軍事施設工事現場では5000余人,エムジ島では2500人の朝鮮労働者たちを残酷に集団虐殺した。1939年から45年の敗亡までの期間だけでも,強制連行し,奴隷労働を強要し,殺害された朝鮮人労働者の数は,無慮57万余人に達した。
このような,朝鮮人を手当たりしだいに逮捕,投獄,拷問,虐殺し,戦場・苦役場に駆り立てて殺し,さらには細菌兵器の生体実験対象として虐殺した日帝の,前代未聞の大虐殺惨状は,アジアと世界を全覇するための帝国主義的,植民主義的野望の実現に,まるごと一民族,一国家をことごとく犠牲にすることを画策したもので,人類道徳と国際法を無残に踏みにじり,人類共同体に無謀に挑戦し刃向かう,容納できない大罪である。現代の国際法は,国家が国際法規範を蹂躪する不法行為を敢行した場合,国家の国際法的責任に対する問題が提起され,このような国際法的責任の当事者は,ほかならぬ国家であるということを規定している。したがって,日本政府は,日帝が過去,非法的に朝鮮を強占した期間に100余万人の朝鮮人を虐殺するという,人類に対する犯罪を敢行した国際法的責任を,決して免れることができないのだ。
しかし,日本政府は,朝鮮人民と人類の前に,過去日帝が犯した千秋に許すことのできない人権,人道に対する大罪を,半世紀が経過した今日まで,はっきりと認定,反省,補償する代わりに,軍事大国化,核大国化の策動に明け暮れながら「自衛隊」の兵力を海外侵略の道に駆り立てている。これは朝鮮半島とアジア,そして世界の平和と安全を著しく威脅する行為だ。日本政府のこのような姿勢は,冷戦時代の古い考え方の表現として,今日の国際社会では絶対に許容することができないものだ。
日本政府は過去,日帝の朝鮮強占期間,朝鮮人民の民族的自主権を無残に踏みにじり,国際法の規範を蹂躪して敢行した殺人大罪に対して,公式的に認定し,謝罪と補償をしなければならず,罪悪に満ちた過去を,誠実に清算しなければならない。
日帝が敢行した100余万人の朝鮮人虐殺蛮行は,人権・人道に対する大罪
チョン・ヨンニュル(社会科学院歴史研究所)
日本帝国主義者たちが,かつての41年間の非法的な朝鮮強占(=強制占領)期間に犯した犯罪の中でも最も大きな犯罪の一つは,朝鮮人民を虐殺した人的被害に関する大罪だ。日帝は,かつての朝鮮強占期間,100万人以上の無辜の朝鮮人民を,もっとも野蛮かつ暴悪な方法で虐殺するという,千秋(=永遠)に許すことのできない反人類的犯罪を犯した。これに対して朝鮮国際法学会は,1993年3月31日,告訴状を通じて,日帝の朝鮮人民虐殺蛮行を国際社会の前に告訴した。
日帝の朝鮮強占期間,日本政府側の資料で明らかにされた朝鮮人人的被害者数を,種類別に分ければ,次のとおり。
1)義兵,独立軍,政治運動弾圧などで,13万9600余人
2)強制連行(徴用,徴兵,「挺身隊」)などで,71万1600余人
3)国内での獄死などで,1万9900余人
4)収監者のうち虐殺された者,9900余人
5)植民地統治に起因するその他の死亡者,12万3900余人 計100万500余人
かつて朝鮮を強占した日帝は,自分たちのみが「優秀な民族」と自任し,朝鮮人は必ずや自分たちの支配と蔑視を受けねばならぬとうそぶいて,わが人民を思うままに虐殺した。
日帝の朝鮮強占初期,初代「朝鮮総督」寺内は「朝鮮人はわが日本の法律に服従するか,さもなくば死ぬべし」と公公然にしゃべりまくった。これは当時の朝鮮人民に対する日帝の,最も暴悪な殺人「指令」であり,植民地殺人統治の基本方式だった。
日帝はこのような強盗的論理にしたがって朝鮮を非法的に強占した全期間に,数百万人の無辜の朝鮮人民を手当たりしだいに逮捕,投獄,虐殺する蛮行を敢行した。朝鮮人民に対する日帝の弾圧と虐殺蛮行は,1919年3・1蜂起のとき,いっそう露骨化した。日帝はこの年の3月1日から5月末までの3カ月間に,7,500余人の朝鮮人民,愛国者を無残に虐殺し,1万5900余人に負傷を負わせ,4万6900余人を検挙したのを始め,蜂起の全期間にわたって,無慮数万人を殺傷した。日帝は,朝鮮国内のみならず,中国東北地方,日本などの地で朝鮮人民に対する弾圧と虐殺に狂奔した。
1920年10月初め,日帝は自国の官憲と居留民を「保護」するという口実のもとに,ナナム第19師団を始めとする多くの兵力を動員し,間島地方で延べ3カ月間も,血生臭い殺戮蛮行を敢行した。そうして日帝は,1920年「間島大討伐」(「庚申年討伐」)と呼ばれる討伐で,無慮3万余人の朝鮮人たちを殺害した。
1923年「関東大震災」における日帝の虐殺蛮行は,いまも多くの人々の記憶の中にまざまざと残っている。 1923年9月1日,日本の関東地方で大地震が起こると,当時の日本政府内務省,水野錬太郎は,在日朝鮮人たちを弾圧するためのでたらめな噂を広め,朝鮮人を虐殺することに関する殺人指令を全国各地に下し,これとともに日本の反動勢力は,「戒厳司令部」といったものまででっちあげ,軍隊,警察,テロ団,「自警団」などを煽って朝鮮人を手当たりしだいに殺害しまくった。こうして当時,東京だけでも9月1日から18日までの間に6,160人に達する朝鮮人が無残に虐殺されたのをはじめ,日本各地で2万3000余人の在日朝鮮人が殺害された。こうした殺人蛮行は,日帝が強行した殺人大罪のなかでもその一部にすきない。
日帝植民主義者たちが朝鮮人民に敢行した野獣的虐殺蛮行について,当時のある記録は「…日本人が数千数万の朝鮮良民に対して敢行した,そのような乱打と悪刑は,あまりにも凶悪,残酷で,人の耳で聞いても信じられないほどの,人の意思では理解することのできない行為となった。日本人は,このような極度の凶悪な蛮行を敢行しても,むしろそれでは足りず,それ以上のもっと苛酷な方法がないのが残念に思っているほどだ」(「韓国独立運動之血史」pp.120~123)と書き,日帝御用学者,信夫清三郎は「日本憲兵は,とても正視できないほど残酷な弾圧に興奮した。日本憲兵の暴悪さは名状しがたいもので,銃剣で刺し殺し首をぶら下げて処刑した」(「大正政治史」東京1955年p.841)と告白するほかなかった。
当時のある外国人は,憤怒に満ちた文章で,朝鮮人民に対する日帝の野獣的蛮行を糾弾し,「冷静に考えるとき,世界的に他人の国を滅亡させたものは数多あるが,だれがこのような歴史上類例のない残酷な方法を適用した者がいたろうか? このような人類の仇,国際的毒蛇は,なんぴとを問わず,すべて立ち上がってこれを追い出す責任がある」と訴えた。このような内外の世論は,あまりにも人間の想像を絶した日帝のファッショ的な暴圧と虐殺蛮行に対する吐露であり,糾弾だった。まことに日帝が朝鮮に敢行した殺人大罪は,その規模と残忍性において,古今東西の侵略者と戦争者において類例を見いだしがたい,最も野蛮な人権蹂躪行為であり,殺人大罪だった。
また日帝は,1925年6月17日ジュネーブで日本を含め105カ国が署名した「窒息性,毒性その他ガス,細菌学的手段の戦争への使用を禁じることについての議定書」を乱暴に蹂躪し,無辜の数多くの朝鮮人たちを強制的に捕らえ,生体実験の対象とし,虐殺するという天人共怒すべき犯罪を敢行した。
(中略)
1930年~1940年代には,朝鮮で,いわゆる「文化統治」の看板さえ投げ捨ててファッショ的暴圧統治を実施し,朝鮮人民に対する野獣的な虐殺蛮行を,日帝は前例のないほど悪辣に敢行した。1931年末~32年初めにかけては4万余人の朝鮮人を殺害し,日帝が過少に発表した資料によってさえ,彼らは1933年だけでも「思想法」という名のもとに6万6000人を検挙,投獄,虐殺した。また数多くの朝鮮人を強制して苦役場に引き立て,奴隷労働を強要し,後には「秘密厳守」という口実のもとに無残に集団虐殺した。
日帝は,1930年代末~1940年代前半,「大東亜共栄圏」の野望実現のために悪あがきしていた時期に,各種の悪法をでっちあげ,公布し,些細な反日的要素に対しても無慈悲に弾圧する一方,さまざまな動員令を公布して,15歳から60歳までの男性と16歳から40歳までの女性を,ことごとく「大砲の弾」(=北朝鮮用語。犬死する人の譬喩)として,工事現場へ駆り立てた。そして1939年1月,「国民総徴用令」を公布したあと,わずか数年の間に「徴用」をはじめとした各種の名目で,600余万人を強制動員し,そのうち150余万人以上に達する青壮年を,日本の炭鉱や軍事施設工事現場などへ連行し,罪囚のように扱い,奴隷労働を強要し,後に「秘密厳守」という口実のもとに無残に集団虐殺した。このような暴悪で野蛮な方法により,当時,平壌ミリム飛行場で「徴用」で連行した朝鮮労働者800余人を,日帝は4年間酷使し,工事が終わるころ,すべて虐殺し,クリル列島のある軍事施設工事現場では5000余人,エムジ島では2500人の朝鮮労働者たちを残酷に集団虐殺した。1939年から45年の敗亡までの期間だけでも,強制連行し,奴隷労働を強要し,殺害された朝鮮人労働者の数は,無慮57万余人に達した。
このような,朝鮮人を手当たりしだいに逮捕,投獄,拷問,虐殺し,戦場・苦役場に駆り立てて殺し,さらには細菌兵器の生体実験対象として虐殺した日帝の,前代未聞の大虐殺惨状は,アジアと世界を全覇するための帝国主義的,植民主義的野望の実現に,まるごと一民族,一国家をことごとく犠牲にすることを画策したもので,人類道徳と国際法を無残に踏みにじり,人類共同体に無謀に挑戦し刃向かう,容納できない大罪である。現代の国際法は,国家が国際法規範を蹂躪する不法行為を敢行した場合,国家の国際法的責任に対する問題が提起され,このような国際法的責任の当事者は,ほかならぬ国家であるということを規定している。したがって,日本政府は,日帝が過去,非法的に朝鮮を強占した期間に100余万人の朝鮮人を虐殺するという,人類に対する犯罪を敢行した国際法的責任を,決して免れることができないのだ。
しかし,日本政府は,朝鮮人民と人類の前に,過去日帝が犯した千秋に許すことのできない人権,人道に対する大罪を,半世紀が経過した今日まで,はっきりと認定,反省,補償する代わりに,軍事大国化,核大国化の策動に明け暮れながら「自衛隊」の兵力を海外侵略の道に駆り立てている。これは朝鮮半島とアジア,そして世界の平和と安全を著しく威脅する行為だ。日本政府のこのような姿勢は,冷戦時代の古い考え方の表現として,今日の国際社会では絶対に許容することができないものだ。
日本政府は過去,日帝の朝鮮強占期間,朝鮮人民の民族的自主権を無残に踏みにじり,国際法の規範を蹂躪して敢行した殺人大罪に対して,公式的に認定し,謝罪と補償をしなければならず,罪悪に満ちた過去を,誠実に清算しなければならない。
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