少し前のことですが,ロシアのチェリスト/指揮者のロストロポーヴィチが亡くなりました(→リンク)。
実は私,歌謡曲やロックなどには一向に関心がなかったのですが,中学3年生のときステレオ・コンポを買ってからクラシック音楽に目覚め,大学時代には「古典音楽鑑賞会」というオタク的なサークルで仲間と音楽批評の真似事をするようになりました。
アルバイトで稼いだお金のほとんどはクラシックのLP(まだCD時代に入っていませんでした)や,海外アーチストの公演につぎ込んでいました。ワーグナー全集を買い揃えたり,カール・ベーム,ヘルベルト・フォン・カラヤン,スヴャトスラフ・リヒテル,ウラディーミル・ホロヴィッツなど錚々たる巨匠のコンサートに通ったり。韓国の演奏家では鄭京和。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチもその一人でした。
N響との共演(だったと思います)で,曲目はドボルザークのチェロ協奏曲。かなり前の席で聞いたのですが,いかつい手でチェロを鷲掴みにし,巨躯を揺らしながら野牛のように弾いていたのを思い出します。
アンコールで弾いたのがバッハの無伴奏チェロ組曲。これは心に染みわたるような情感あふれる演奏。
レコードで思い出深いのは「史上最大のコンサート」と銘打たれたオムニバス。カーネギーホール竣工何十周年かを記念し,レナード・バーンスタインの呼びかけで世界の巨匠が一堂に会したコンサートです。
ロストロポーヴィチは,ピアノのホロヴィッツ,バイオリンのアイザック・スターンとともに,チャイコフスキーのピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出』第一楽章を共演しました。
ピアノ三重奏というのは,アンサンブルの調和を命とする弦楽四重奏曲などとは違い,スターが個性をむき出しにしてぶつかり合うところにその魅力があります。この演奏がまさにそれで,ピアノ,バイオリン,チェロの巨匠が火花を散らすように競い合っていました。
よく知りませんけれど,ジャズにもそういう魅力があるんじゃないでしょうか。
大学卒業とともに私のクラシックの季節も終わり,ソ連ウォッチに没頭していたころ,再びロストロポーヴィチを見直す機会をもつことになりました。
ソ連を研究するようになれば,自然に目は反体制活動家に向けられます。当時,最大の反体制活動家は言うまでもなく,作家のソルジェニーツィン。彼は,ソビエト体制と共産主義イデオロギーが根本の部分に持つ非人間性を暴き出し,世界に告発した大作『収容所群島』の刊行により,国外追放されました。
その大部分の作品を翻訳したロシア文学者木村浩さん(当時,ソルジェニーツィンの作品を訳すことは,自動的にソ連へのビザ不発給につながるため,ほとんどのロシア文学者が二の足を踏んでいました)に知遇を得,ソルジェニーツィンについてのさまざまな裏話をお聞きするうち,ロストロポーヴィチがソルジェニーチィンの支援者,庇護者であることを知ったのです。
彼は,ソルジェニーツィン氏を数年に渡って匿い,執筆活動のための仕事場を提供していたとのことです。これはまさに命懸けの行為であり,ロストロポーヴィチもまた,外国への亡命を余儀なくされました。
そして,90年,ベルリンの壁崩壊に際し,壁の前で行われたロストロポーヴィチの演奏は,世界じゅうを感動させました。
彼は,音楽家としても人権活動家としても巨人でした。
なお,チャイコフスキーの『偉大な芸術家の思い出』は,早世したピアノの名手,ニコライ・ルビンシュタインを偲んで書かれた曲とのこと。
あの曲を聞くとき,ルビンシュタイン,チャイコフスキー,ホロヴィッツ,ロストロポーヴィチ……さまざまな「偉大な芸術家」たちが私の胸に去来します。
実は私,歌謡曲やロックなどには一向に関心がなかったのですが,中学3年生のときステレオ・コンポを買ってからクラシック音楽に目覚め,大学時代には「古典音楽鑑賞会」というオタク的なサークルで仲間と音楽批評の真似事をするようになりました。
アルバイトで稼いだお金のほとんどはクラシックのLP(まだCD時代に入っていませんでした)や,海外アーチストの公演につぎ込んでいました。ワーグナー全集を買い揃えたり,カール・ベーム,ヘルベルト・フォン・カラヤン,スヴャトスラフ・リヒテル,ウラディーミル・ホロヴィッツなど錚々たる巨匠のコンサートに通ったり。韓国の演奏家では鄭京和。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチもその一人でした。
N響との共演(だったと思います)で,曲目はドボルザークのチェロ協奏曲。かなり前の席で聞いたのですが,いかつい手でチェロを鷲掴みにし,巨躯を揺らしながら野牛のように弾いていたのを思い出します。
アンコールで弾いたのがバッハの無伴奏チェロ組曲。これは心に染みわたるような情感あふれる演奏。
レコードで思い出深いのは「史上最大のコンサート」と銘打たれたオムニバス。カーネギーホール竣工何十周年かを記念し,レナード・バーンスタインの呼びかけで世界の巨匠が一堂に会したコンサートです。
ロストロポーヴィチは,ピアノのホロヴィッツ,バイオリンのアイザック・スターンとともに,チャイコフスキーのピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出』第一楽章を共演しました。
ピアノ三重奏というのは,アンサンブルの調和を命とする弦楽四重奏曲などとは違い,スターが個性をむき出しにしてぶつかり合うところにその魅力があります。この演奏がまさにそれで,ピアノ,バイオリン,チェロの巨匠が火花を散らすように競い合っていました。
よく知りませんけれど,ジャズにもそういう魅力があるんじゃないでしょうか。
大学卒業とともに私のクラシックの季節も終わり,ソ連ウォッチに没頭していたころ,再びロストロポーヴィチを見直す機会をもつことになりました。
ソ連を研究するようになれば,自然に目は反体制活動家に向けられます。当時,最大の反体制活動家は言うまでもなく,作家のソルジェニーツィン。彼は,ソビエト体制と共産主義イデオロギーが根本の部分に持つ非人間性を暴き出し,世界に告発した大作『収容所群島』の刊行により,国外追放されました。
その大部分の作品を翻訳したロシア文学者木村浩さん(当時,ソルジェニーツィンの作品を訳すことは,自動的にソ連へのビザ不発給につながるため,ほとんどのロシア文学者が二の足を踏んでいました)に知遇を得,ソルジェニーツィンについてのさまざまな裏話をお聞きするうち,ロストロポーヴィチがソルジェニーチィンの支援者,庇護者であることを知ったのです。
彼は,ソルジェニーツィン氏を数年に渡って匿い,執筆活動のための仕事場を提供していたとのことです。これはまさに命懸けの行為であり,ロストロポーヴィチもまた,外国への亡命を余儀なくされました。
そして,90年,ベルリンの壁崩壊に際し,壁の前で行われたロストロポーヴィチの演奏は,世界じゅうを感動させました。
彼は,音楽家としても人権活動家としても巨人でした。
なお,チャイコフスキーの『偉大な芸術家の思い出』は,早世したピアノの名手,ニコライ・ルビンシュタインを偲んで書かれた曲とのこと。
あの曲を聞くとき,ルビンシュタイン,チャイコフスキー,ホロヴィッツ,ロストロポーヴィチ……さまざまな「偉大な芸術家」たちが私の胸に去来します。
芸術家達の精神性の豊かさや深さが好きです。
音楽は特に。
いまの北朝鮮でも,たぶん。