今年結婚した長女が、東京で友だちの結婚式があるというので岩手から上京してきました。夫婦共通の知人の結婚式なので、新郎も一緒。
長女は、少し前に懐妊がわかり、まもなく安定期に入るとのこと。安産祈願で、神社にお参りに行きたいというのです。東京の水天宮が有名だけれども、埼玉からだと遠い。秩父方面にある高麗(こま)神社に車で行きました。
娘たちの七五三の祝いに行って以来なので、20年以上振りです。当時は田舎のひなびた神社という印象でしたが、今回行ってみると、かなり立派な神社になっています。何度か改築されたようで、改築のために寄付をした人の一覧が貼り出されていました。日本人の名前に交じって、コリアン系の名前も多い。在日だけではなく、韓国の政治家や実業家が散見されます。
実は、高麗神社は古代の朝鮮半島とゆかりが深いのです。
高麗(こま)とは、新羅時代の次の高麗(こうらい/コリョ)王朝とは関係がなく、新羅の前の三国時代の高句麗(こうくり/コグリョ)と関係があります。
高句麗は、新羅・唐の連合軍によって滅ばされるまで、満州地域で栄えた王朝で、6世紀ごろには、新羅、百済とともに朝鮮半島の覇権を争いました(三国時代)。
しかし、高句麗、百済は新羅に滅ぼされ、新羅時代が幕を開けます。
そして、高句麗や百済の亡民は、友好国であった倭(日本)に渡ってきました。8世紀の初め、日本の朝廷は、今高麗神社がある一帯に武蔵国高麗郡を設置、高句麗の遺民をここに居住させました。高麗神社は、高句麗の王族、若光を祀った神社ということです。
高句麗は、中国の東北工程(中国東北地方の歴史研究)の中で、中国の地方政権という扱いを受け、韓国が激しく抗議したことがあります。
でも、高句麗は民族的に満州族に近く、新羅などの韓民族とは別系統であるという説が有力です。歴史的にも、新羅とは対立し、最終的に新羅に滅ぼされている。新羅が韓国の祖先だとすれば、高句麗は現韓国と敵対関係にあるわけで、今の韓国人が高句麗に親近感を覚えたり、高句麗王族を祀った神社に寄付したりというのは、見当はずれだと思うのですが…。
一方、高句麗、百済、新羅からの渡来人・帰化人が古代日本の国づくりに貢献したといわれています。それが理由かどうかわかりませんが、つい昨年、天皇陛下が高麗神社を参拝し、韓国で大きく報じられました(リンク)。
歴代の天皇が高麗神社を訪問したのは今回が初めてだ。
1989年の即位から「(訪韓の)機会があれば親善関係の増進に努めたい」と述べてきたが、来年末に退位を控えていて訪韓は事実上難しいとみられる。このためこの日の高麗神社訪問をめぐり「韓国側に反省と和解のメッセージを送ることを望んだ」という解釈も出ている。
私的な訪問だし、特別なメッセージがあるわけじゃないと思いますが。
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