半年振りに韓国に行ってきました。
台風7号が日本列島をかすめて韓半島に上陸するというので、飛行機が予定通り飛ぶかどうか心配だったのですが、運航に支障はなく、夕方6時過ぎに金浦に到着しました。
空港に列を作っているタクシーに乗り込むと、キサ(技師=運転手)は白髪の老人。70歳以上と思われます。
久しぶりの韓国だったので、昔私が住んでいたあたりがどうなっているか、ちょっと見てみたい気持ちもあり、オリンピック道路から漢江大橋を渡るルートを指定しました。
「漢江大橋の途中の島のオペラハウスはもうできましたか」
「ああ、あれね。取りやめになったよ。市長が代わったから」
漢江の中洲にテニスコートがあって、日本人の駐在員たちはそこで練習をしたり大会を開いたりしていたのですが、あるとき「オペラハウス」を作るからといって閉鎖されました。それが今から5年以上前。そろそろ完成するのかと思ったら、中止になったのですね。
「あそこはね、チュンジドっていうんだけど、今は韓国人でも知ってる人は少ない」
(中止島…。名前がよくなかったかも)
キサニム(運転手さん)は、ずっとソウル在住だそうで、さながらソウルの生き字引。
「東部二村洞といえば、ソウルでいちばんの金持ち地域だったよ。江南が発展したのはそのあとだね。逆側にソブイチョンドン(西部二村洞)があるだろ。あそこも今ではマンションが建ってるけど、昔は処刑場だったんだよ。それを見に来る人達が何千人も集まったそうだ」
話は、朝鮮時代の死六臣(政変の中で処刑されその後名誉回復された義士)から、朝鮮末のカトリック大虐殺にまで及びました。
二村洞は、線路の向こう側が大発展を遂げているようで、高級・高層アパートが林立していました。
犬「最近は、再開発で、お店がどんどん変わっちゃいますね。教保文庫の裏のピマコルもなくなっちゃったし…」
技「あそこね。私が若いころはよくカムジャタンを食べたよ」
犬「ナクチ(蛸)が有名じゃないですか」
技「私は辛いのは苦手でね。こっちは貧乏で金がないだろ。だから酒だけ頼むんだけど、アジュンマが気の毒に思って、カムジャタンを出してくれるんだよ。金払ったことは一度もない。ガハハ」
犬「いつごろの話ですか」
技「そうさな。5~60年前かな」
犬「…」
あとでネットで調べたところでは、中洲の現在の名前はノドゥルソム(ノドゥル島)。チュンジドは漢字で中之島と書き、日帝時代に付けられた名前だということです。日帝残滓追放のあおりで、名称変更されたとのこと。今年2月のニュースによれば、オペラハウスの代わりに農業公園(家庭菜園?)ができるようですね。
オペラハウスから農業公園へ ソウル市が計画変更[KBSニュース(2012年2月8日)]
ソウル市は7日、漢江にある島、ノドゥル島に計画していたオペラハウスの建設を白紙に戻し、その代わりに市民のための「農業公園」を造ると明らかにしました。
それによりますと、ソウル市はノドゥル島の敷地6万平方メートルあまりのうち、2万平方メートルあまりを農業公園として整備し、10平方メートルごとに区切って市民に1年単位で分譲するということです。そして、分譲後に残った空間には、子ども農業展示場など多様なテーマの農場を造り、森になっている漢江大橋の東側には散策路を整備するとしています。
当初、ソウル市は、2014年の完成を目指して6700億ウォンの予算を投入し、ノドゥル島にオペラハウスとコンサートホールを建設する計画を掲げ、すでに敷地の買取や設計を終えていましたが、朴元淳ソウル市長の就任と同時に工事は中断されていました。
農業公園の造成は、都市の菜園などによる町のコミュニティーの活性化を強調してきた朴元淳ソウル市長の強い意志が反映されたものとみられます。
昔、東京に箱庭のような家庭菜園ができはじめたとき、福島出身の友人がそれを見て驚きあきれていました。でも、農作業への郷愁をもつ都会人は多いらしく、いろんなところで続いているのを見ると、それなりの需要があるのでしょう。
日本で流行るものは韓国でも流行るという法則に従えば、家庭菜園もうまくいくかもしれないけれど、私はいまだかつて「農業をやりたい」という人に出会ったことはありません。
ノドゥルソム(旧称中之島)については、こんな記事がありました。
郷土の話-竜山二村2洞 [ソウル新聞2004年11月30日]
ソウル市龍山区二村2洞(西部二村洞)は、1970年、二村洞が漢江路を中心にして東西に分かれてできた。二村洞は、朝鮮時代まで「移村洞」と呼ばれていたが、1914年、日帝によって名称変更され現在の名前になった。
「移村」という地名は、漢江大橋の途中にあるノドゥル島(旧称チュンジド=中之島)に由来する。ノドゥル島は、朝鮮時代末まで二村洞に属する中洲だった。ここの住民は、昔から大水の出るたびに水魔を避けて河岸に移って難を避けたが、「移ってきた村」という意味で、「移村」という名前が付けられた。現在のノドゥル島には人が住んでいないが、以前は「納泉井里」と呼ばれていた。井戸水の味がよく、王に進上するほどだったからだ。
ノドゥル島は総面積4万5千坪の楕円形で、一時ソウル市関係者は、私有地だった島を買い取って、オーストラリアのシドニーオペラハウスのような大規模な劇場を建設すると発表したが、現在は何の計画もなく放置されている。
二村2洞は龍山区でも屈指の富裕地域だ。総面積は1.22平方キロ(区の4.4%)で、人口は3513世帯9370であり、住宅全体の70%以上をマンションが占める。特に漢江に面した現代漢江、大林、北漢江、東亜グリーンアパートなどは漢江の恩恵をたっぷり享受している。しかし、二村2洞には漢江から受けるメリットと同時に、鉄道から受けるデメリットもある。特に二村洞道を中心に漢江路3洞にある鉄道工作場敷地のために、ここに面した二村2洞地域は発展が遅れている。
二村2洞には、現在、小·中·高校が一つもない。管轄中部教育庁によれば、鉄道工作場の移転が終わってから、その敷地に小学校を建設する計画とのこと。
二村2洞でも、漢江に面したマンションと鉄道工作場の一帯はセナムトと呼ばれる。セナムトという地名は、死んだ人の霊を慰めるための「ジノギセナム」(死者の魂を極楽に送るお祓い)に由来する。
実際、セナムトは朝鮮時代の処刑場だった。ここには一般の囚人だけでなく、ソン・サムムンなど死六臣もここで処刑された。1846年には金大建神父がこの地で殉教し、1866年の丙寅邪獄ではフランスの神父9人が公開処刑された。セナムトはカトリックの聖地に指定されており、1946年、カトリック殉教聖地という塔が建てられた。韓国カトリック教会創立二百周年だった1984年にはセナムト大聖堂の建設工事が始まり、3年後の1987年に大聖堂が完成、現在1300人以上の信徒がいる。
丙寅邪獄というのは、朝鮮史上最大の宗教弾圧・虐殺事件で、フランス人神父9人のほかに八千人以上の信徒が処刑されたそうです。
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