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1 BOOK、CDなどを断捨離、コンサート、リウマチ(膠原病)などのメモ
2 失念防止のためのメモ

散々虐待された三女が祖母と母に下した復讐  女子高生は絶対君主が支配する家で殺害した (朝日新聞社会部 2017/12/07)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

散々虐待された三女が祖母と母に下した復讐 
女子高生は絶対君主が支配する家で殺害した (朝日新聞社会部 2017/12/07)

北海道であった事件。
南幌町? 記憶が不確かだった。
3年前。
朝日新聞は、ねつ造報道、虚偽報道、ヤラセ報道が得意。
注意を要する。
そのような前科があるので、割引しないとならない。
印象操作の可能性もある、要注意。

記載内容のとおりなら、正当防衛的。
違法性が阻却される可能性もあり得る。
切迫性に欠けるのがネック。
検察官、裁判官、弁護士、みんな法曹界の仲間。
無罪としたら、検察官の失点になるから、無理。
これが順当なところかも…

 
殺人など事件が起きると、警察、被害者の遺族、容疑者の知人らへの取材に奔走する新聞記者。その記者がほとんど初めて、容疑者本人を目にするのは法廷です。
傍聴席で本人の表情に目をこらし、肉声に耳を澄ましていると、事件は、当初の報道とは違う様相を帯びてきます。
自分なら一線を越えずにいられたか? 何が善で何が悪なのか? 記者が紙面の短い記事では伝えきれない思いを託して綴る、朝日新聞デジタル版連載「きょうも傍聴席にいます。」。毎回大きな反響を呼ぶ人気連載が新書『きょうも傍聴席にいます』としてまとまりました。記者が見つめた法廷の人間ドラマをお届けします。

「絶対君主」。自らそう名乗る祖母と、付き従う母。二人の10年以上続く壮絶な虐待に、女子高生は殺害を決意した。計画を打ち明けられた姉がとった行動は――。
2016年2月23日、札幌地裁806号法廷。
「二人を殺害してほしくないと思っていました。でも、彼女の願いをかなえることが自分のできることだと思いました」。黒のスーツに身を包み法廷に現れた長女(24)は証言台に立ち、裁判員の前で弁護人の被告人質問に答えた。母と祖母を殺した三女(18)を、睡眠導入剤や手袋を用意して手助けしたという殺人幇助(ほうじょ)の罪で起訴された。


祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた

14年10月1日午前0時半。当時高校2年生だった三女は自宅で就寝中の母(当時47)と祖母(当時71)を台所にあった包丁で刺して殺害した。二人の遺体には多数の刺し傷があった。三女は殺害後、家を荒らし、強盗による犯行に見せかけていた。

当時、姉妹は祖母と母との4人暮らしだった。両親は10年ほど前に離婚。次女は父と暮らしていた。祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた。長女は祖母に従順という理由で、虐待を受けることはほとんどなかった。

弁護人:「(三女は)祖母と母が嫌いだったのですか」
長女:「はい。祖母に暴力を振るわれ、母はそれをただ見ているだけでした」

弁護人:「どんなことをすると祖母は暴力を振るうのですか」
長女:「家の中を歩いていたら、突然たたかれていました」

弁護人:「祖母は三女を嫌いだったのですか」
長女:「『子どもは一人でいい』と言われていました。『犬猫みたいで嫌だ』とも」

弁護人:「暴力を振るわれて、(三女が)泣いたりすると祖母はどうしましたか」
長女:「うるさいと言って、声が出ないようにガムテープを口に巻きました。涙でテープがぐちゃぐちゃになってとれそうになると、口から頭にも巻き付けていました。鼻が少し出るか出ないかくらいの状態でした」
三女は小学校に上がる前の04年2月、児童相談所に一時保護された。祖母に足を引っかけられ、頭に重傷を負い、児童相談所が「虐待の疑いがある」と判断したためだった。

弁護人:「そのときのことを覚えていますか」
長女:「(三女が)自宅で顔を真っ白にして倒れていました。すぐに救急車で運ばれました」

弁護人:「その後、どうなると思いましたか」
長女:「ようやく祖母らが警察に怒られ、助かるんだと思いました」

弁護人:「児相の人には話を聞かれましたか」
長女:「はい……でも、聞かれた部屋の扉のすぐ向こう側に祖母と母がいました」

虐待がエスカレートするなかで

その後、母親が児相に三女を迎えに行き、三女は自宅に戻ることになる。
弁護人:「どう感じましたか」
長女:「大人を頼ることはできないと思いました」
児相の一時保護の後、三女への虐待はさらに深刻化していった。

弁護人:「方法が変わったのですか」
長女:「床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されたりして水をかけられていました」

2月24日、裁判官からも虐待の内容を問われた。
裁判官:「今まで見た妹の虐待で一番ひどいのは」
長女:「食事が一番印象に残っています」
裁判官:「どのような」
長女:「小麦粉を焼いて、マヨネーズをかけて、生ゴミを載せられていました。はき出しても、無理やり口に入れられて、食べさせられていました」

裁判官:「生ゴミというのは、台所の三角コーナーにあるようなものですか」
長女:「台所の排水のところにあるものです。柿やリンゴの皮やへた、お茶の葉が多かったです」

虐待がエスカレートするなか、周りに助けを求めることはできなかったのか。
弁護人:「親戚に相談することは」
長女:「祖母は親戚の悪口を言っており、連絡を取ることはできませんでした」

弁護人:「近所の人には言えなかったのですか」
長女:「以前、妹たちが相談しましたが、結局は祖母らに話が行って、ひどいことをされていました」

弁護人:「どんなことを」
長女:「『お前、よくもありもしないことをペラペラ言いやがって』と言って、風呂場で冷水をかけられたり、床下に閉じ込められたりしていました」
三女が高校に通い始めると、祖母らからの暴力は少しずつ減っていったという。三女の高校生活について、長女は「楽しそうで、友人にも恵まれていた」と話した。

検察官:「三女が高校生になって、祖母とはうまくいくようになったのですか」
長女:「三女は、(家の)仕事さえやれば何も言われないというのがわかってきていました。ただ、暴力や嫌がらせが全くなくなったわけではありません」

1人になってしまう!

では、三女の殺害動機は、どこにあったのか。
検察側は論告で、三女の殺意の直接のきっかけについて「親しい友人との関係から家を出たいという思いだった」と指摘した。
ちょうどそのころ、長女も自宅を出るという話が持ち上がった。
長女は高校を卒業後、医療福祉の専門学校を経て、近所の薬局に勤めていた。事件前、長女は男性との交際について祖母に相談。男性の職場の事情などから冬場は二人で札幌市中心部の近くに住みたいと伝えた。

弁護人:「祖母に何と言われたのですか」
長女:「何回も『出てけ』と言われました。月3万出せば、縁を切ってやると言われ、悲しくなりました。私はお金目的なんだと」

弁護人:「どう思いましたか」
長女:「もう何を言っても無駄だ。縁を切って、家を出て行こうと思いました」

弁護人:「三女のことは」
長女:「出て行ったら、三女は一人になります。家事や金銭面、二人の重圧がすべて行くと思いました」

検察官は三女の供述調書を読み上げ、その胸中を明らかにした。
長女に家を出たいと伝えられた三女は「『出て行ってほしくない』と思い、どうすれば一緒に住めるかを考えたが、思いつかず、沈黙が続いた」。そして、長女は三女に愚痴をこぼした。
「おばあちゃん、いなくなればいいのに」

二人は、祖母と母がこの世からいなくなるという妄想に会話を弾ませた。車のタイヤをいじれば事故死に見せかけられる。強盗に入られて、二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇ってみようか――。
長女はストレスを発散するように冗談半分で話していた。だが、三女は違った。「これまでも殺すことを考えたことはあったが、一人で全部やるのは無理だと思っていた。でも、姉も同じ気持ちだと知った」

「自分とお姉ちゃんの自由のため」
 
三女は事件前、友人との電話の中で、身内を殺害することを伝えた。友人から理由を問われると、「自分とお姉ちゃんの自由のため」と答えた。
そして、三女は殺害の準備を始める。二人を眠らせるための薬、強盗に見せかけるために使う手袋を手に入れるよう長女に頼んだ。
長女は「いざとなったら殺害することなんてできない。高校生ができるわけない」と思っていたが、三女は心を決めていた。「姉は『本気なの?』と聞いてきたが、計画は完全にできていた。殺すとき、殺した後のことを何度も想像した」
あの日。勤務先から帰ると、三女が裸のような姿で家にいた。風呂場には血のついた包丁が落ちていた。「聞かない方がいい」。三女は静かに言った。
逮捕前、長女は三女にひたすら謝罪の言葉を述べたという。「私が止められなかったこと、解決策が見つからず三女の生活を壊してしまったことを謝りました」

2月24日の被告人質問。
検察官:「人を殺す以外の選択肢は本当になかったんですか」
長女:「(三女が)一度、札幌に逃げたことがあったけれど、二人に見つかりました。どこに行っても追いかけてくるのが恐ろしかったです」

検察官:「殺害前、三女に『やめよう』とは言えなかったのですか」
長女:「この家族にいい思い出、家族らしい思い出がなくて、(三女がやろうとしていることが)正しいと思ってしまいました」
三女は逮捕され、今は医療少年院にいる。月に1度、二人は手紙をやりとりしている。長女は事件後、交際相手との間に子どもができた。「妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい」

裁判長は2月26日、長女に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。

裁判長は姉妹の置かれた状況に同情を示し、「犯情が低い事案」としながらも、「これからやり直していくにあたって、事件を絶対に忘れないようにしてください」と説諭した。長女は涙声で「はい」と小さくうなずいた。
2016年3月5日(光墨祥吾)
*追記  検察側、被告側とも控訴せず、判決は確定した。


指示され祖父母刺殺、17歳少年の苛酷な生活  社会に訴える「一歩踏み出す」ということ (週刊女性PRIME編集部 2017/08/05)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

指示され祖父母刺殺、17歳少年の苛酷な生活 
社会に訴える「一歩踏み出す」ということ (週刊女性PRIME編集部 2017/08/05)

現実は、悲惨。 
悪い親の存在、嫌な社会になってしまった。


「大人に対しては、疑う心しかありません。自分(少年)に対して得なことを差し出してくる時は、その後、相手にはもっと大きな得があり、そのための小さな損をしているとしか考えられない」

2014年、埼玉県川口市で祖父母を刺殺し、金を奪ったとして強盗殺人罪に問われた少年(事件当時17歳)は、裁判で大人に対する絶望的なまでの不信感をあらわにした。幼いころから母親らに金を得るための道具のように扱われ、虐待を受け続けてきた。

裁判を機に少年が育ったあまりに過酷な境遇が明らかになると、複数の大人が支援を名乗り出た。少年は支援者に感謝しながらも、裁判や手記では「人を信じて裏切られ、傷つくのが怖い」「どうせいつか関係が切れるなら、今壊したほうがいいという破壊衝動に駆られる」などと胸の内を語った。長く続いた虐待は、少年から人を信じ心を通わせることの喜びを奪っていた。

少年が育った境遇の悲惨さ
 
少年は埼玉県内で生まれ、10歳のときに両親が離婚し母親に引き取られた。毎日のようにホストクラブに通った母親は、ホストを追って家を出たきり1か月間帰ってこないこともあった。

母親がそのホストと再婚すると、少年は両親に連れられ、各地を転々としながらラブホテルに泊まり、生活費が尽きるとホテルの敷地内にテントを張ったり野宿したりする生活が2年以上続いた。家も住所もなく、小学5年からは学校にすら行っていない「居所不明児童」だった。

少年はその間、両親から身体的、心理的、性的、ネグレクト(育児放棄)の虐待を受け、親戚に金の無心を繰り返しさせられていた。16歳で義父が失踪すると少年が塗装会社で働き家計を支えたが、すべて母親の遊興費に消えた。

母親の命令で給料の前借りを繰り返したが、それ以上、前借りができなくなって金が尽きると、祖父母を殺害して金を奪うよう母親に指示され、事件を起こした。

私は、さいたま地裁での裁判員裁判で少年が育った境遇の悲惨さを知って衝撃を受け、当時、拘置所にいた少年と面会や手紙のやり取りを始めた。

児童相談所などの公的機関や両親以外の大人とも接点があったにもかかわらず、なぜ誰も少年を救い出すことができなかったのか。理由が知りたくて少年の足跡をたどる取材を始めた。その過程でいくつか記事を書くうちに、ある「恐れ」を感じるようになっていった。

少年がやり取りを拒むことはなかった
 
それは、冒頭のように虐待の後遺症で大人に極度の不信感を抱く少年に対し、「自分が中途半端に深入りすることで、さらに傷つけてしまうのではないか」という恐れだった。

少年との手紙は、主にこちらの質問に少年が答える形でのやり取りだった。普通にやり取りが続いても、一つ記事が載るごとに、わざとこちらを怒らせるようなことを書き、自分から関係を断とうとしているように感じることもあった。

まるで「必要な情報は得られたでしょう。ボクはあなたにとってもう利用価値はないですよ」と言っているようだった。しかし、取材すればするほど明らかにしたいことが出てきた。もう少し事件の背景を取材したいと伝えると、少年がやり取りを拒むことはなかった。

「恐れ」を感じつつも取材を続ける中で、ポプラ社から書籍化の話をいただいた。文字数に制限がある新聞では書きたくても書き切れないことがたくさんあったため、ありがたい話だった。
しかし、その少し後に妊娠が分かったこともあり、本当に書けるのかどうか自問自答を続けた。「必ず書き上げる」と覚悟を決め、少年に書籍化の話を伝えたのは、最初に話をいただいてから10か月ほどが経ち、私が産休・育休に入る直前だった。
少年の答えは、「いいんじゃないすか?」という意外にもあっさりしたもので、少し拍子抜けした。出産してからは、子どもが寝た細切れの時間を使って少しずつ原稿を書きため、約1年かけて書き上げた。少年は私にさほど期待していなかったかもしれない。しかし今思い返すと、あのとき私を動かしていたのは、「少年との『約束』を破って傷つけたくない」という一点だったように思える。
 
少年には、自分と同じような境遇の子どもたちを助けてあげたいという強い思いがあり、本には、「一歩踏み込んで何かをすることはとても勇気が必要だと思います。その一歩が目の前の子どもを救うことになるかもしれない」「やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一歩です」という、少年の手記も掲載されている。

今回、少年を取材し本を書くという作業を通し、私は身をもって「一歩踏み出す」ことへの恐れや難しさを体験していたのかもしれない。踏み出すことで負う(負ったと自分が感じる)責任はあるが、その先には思ってもみなかった大切な出会いや「気づき」があり、私を支えてくれた。

私は「一歩」を踏み出す前にあれこれ考えすぎて躊躇(ちゅうちょ)してしまう人間だった。今回、私が踏み出したかもしれない「一歩」は、私がこれまで、心の中で「踏み出してみたい」と思い続けながら、勇気がなくてできずにきた「一歩」だったように、今は感じている。
(文:山寺香)

山寺香(やまでら・かおる)◎毎日新聞記者 1978年、山梨県生まれ。2003年、毎日新聞社入社。仙台支局、東京本社夕刊編集部、同生活報道部を経て、2014年4月からさいたま支局。事件・裁判担当だった同年12月に本事件の裁判員裁判を傍聴し、取材を始める。これまでに犯罪被害者支援や自殺対策、貧困問題などに関心があり取材してきた。共著(取材班の一員として)に「リアル30‘s “生きづらさ”を理解するために」(毎日新聞出版)など。本書執筆期間中に長女を出産し、1児の母となる。


女子大生は、なぜ「売春」せざるをえないのか 「大学は最悪の"組織的詐欺"を行っている」 (東洋経済online 中村 淳彦/鈴木 大介 2016/08/09)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

女子大生は、なぜ「売春」せざるをえないのか 「大学は最悪の"組織的詐欺"を行っている」 (東洋経済online 中村 淳彦/鈴木 大介 2016/08/09)

学校の先生は、社会経験が豊富でない。
お金の大切さの教育をしてくれず。
資格は、すこし役に立つが、得る金銭は少ない現実。
自分で社会勉強しないとならない。
同級生で奨学金にて進学した者はいない。
奨学金は、借金であることを認識。
マイナスからのスタートなんてありえない。

私は、自動車整備士の資格を取って、ディーラーに就職。
給料が安い現実。
4年間転職を考え続けた。
公務員の問題集を3、4冊買って勉強。
公務員に転職した。
資格は、役には立たない。
回り道した。
奨学金は、借金と教育する必要がある。

東洋経済オンラインで貧困に喘ぐ女性の現実を連載するノンフィクションライターの中村淳彦氏と「貧困報道」は問題だらけだを連載するルポライターの鈴木大介氏。この2人が、性産業の問題から教育・福祉・介護の悲惨な状況、日本社会の構造的問題にいたるまで、計12時間にわたる対談を行った。その全容は8月10日刊行の『貧困とセックス』(イースト新書)に収められているが、ここでは前後編に分けて、そのうちのエッセンスを紹介する。今回は、その前編。

親世帯の収入が下落し、学費は高騰している

中村:僕は「裸の女性たちは社会を映した鏡」だと思って日々取材しているけど、それを痛切に感じたのは大学奨学金問題。いくら話を聞いても家庭に問題があるわけではなく、本人の性格も普通のいい子。裸になってリスクが高い仕事をする理由がないわけ。彼女たちから奨学金という言葉がたまに出てきて、若者の貧困問題だったと気づいたのは2011年くらい。女子大生風俗嬢の当事者も貧困という自覚がなかったから、しばらくはわからなかった。

鈴木:これは反省ですが、組織売春の援デリ界隈で現役大学生というのは、あれだけ取材しても3人しか会ったことがなくて、全員が実家住まいで、家族からひどい虐待を受けている子たちでした。逆に、男の子だと、2009年ごろから大卒の闇金スタッフや現役大学生の振り込め詐欺プレイヤーが現れたのを取材してきましたが、そこで思ったのは、「奨学金を払ってまで受けなきゃいけない教育ってなんだろう」ということです。大学教育がその後の人生で明確に役立っているケースを見るほうがあまりないなって。
 
中村:なぜ、女子大生が風俗嬢になるのかというと、単純な話で、学生生活を送るためのお金が足りないわけ。親世帯の収入が20年前と比べると20%下落するなかで、学費は高騰している。大学は昔と違って出席に厳しくなっていて時間もない。大学生が1日に消費できる金額のデータも、20年前は2500円だったのが、いまはなんと900円を切る水準にまでなった。お金と時間が足りないとなると、当然、一部の女の子は売春するよね? それが一般化して広がってしまった。

鈴木:一般化というキーワードはふに落ちます。たぶん、この時期は風俗業界の求人革命と重なっています。ナイトワーク系の広告代理店がすごく勉強し始めた時期で、ウェブ求人が増えて、ナイトワークの求人媒体でも学生歓迎や非接触を強調して、すごく明るい業界のように演出した時期ですよ。

中村:親の援助が少ない女子大生はカラダを売る環境と条件がそろいすぎている。そのような中で、2004年に政府は高等教育費の削減のために日本学生支援機構という独立行政法人を作って大学奨学金を金融事業化した。原資を財政投融資に切り替えて、回収も厳格になった。親の世帯収入が低いと審査で認められると有利子の貸し付けを受けられるというありえない制度で、何も持っていない貧乏育ちの子たちが、社会に出る前に300万~800万円という巨額の負債を背負わされる。未成年に数百万円の負債を決断させるのは非常識だし、返せなくなったら連帯保証している収入の低い親に返済の義務が行く。本当に逃げ場がない。

鈴木:どう考えてもちょっと悪質ですよね、その大学教育で得るものにそれだけの負債の価値があるかを考えると。しかも、淳彦さんは、奨学金で大学に通うことに、そもそも無理があると考えていると。

奨学金で大学に通うことに、そもそも無理がある
 

中村:だって、そうじゃないか。まず、いちばん厳しい環境にいる自宅外通学の学生たちが長時間のアルバイトに行きづまって風俗を選択する。大ざっぱに生活費と学費を計算すると、月15万円くらいはアルバイトで稼がないと学生生活を維持できないわけ。学生しながら最低賃金に近い時給で15万円を稼ぐのは無理だよね。時間的に無理のある生活を送って、肉体的、精神的に疲弊して、どちらかというとまじめな層や頭のいい層が裸の仕事を選択する。

鈴木:そこに「明るい求人」が来ると。実際に非接触をうたっている求人でも、最初はサクラの客をつけて稼がせて、おいしい思いをさせて、「接触系ならこの3倍は稼げるよ」といった誘因で普通のデリヘルに移るように仕込まれていますから、あっという間に女子大生風俗嬢の完成ですね。

中村:風俗は稼ぎづらくなっているけど、18~22歳の現役女子大生はカラダを換金しやすい。学生生活を維持するために月15万円を稼がなければならないとなると、いままで月150時間のアルバイトをしていたのが、風俗では5日間で稼げる。労働に割かれていた時間が月100時間くらい浮くわけ。現役女子大生は年齢的に価値が高いから、激安店のようなところにはいないし、アルバイトで時間に追われる学生と比べると充実した学生生活を送っている。

鈴木:本当に将来に必要になるかどうかもわからない教育を受けて、履歴書に書く「○○大学卒業」という1行を買うために、18歳の子に数百万円の借金を押しつける。「日本で最悪の組織的詐欺は大学だ」。これはそこそこの大学に通っていながら振り込め詐欺をやっていた子の言葉です。僕は反論できませんでした。教育がここまでビジネス化されていることに、何で誰も文句を言ってこなかったんだろう。

中村:いまの風俗業界から貧困女性のセーフティーネットとしての機能が失われているのは、女子大生みたいな子たちが参入したから。奨学金問題は共産党や社民党に伝わったことで一般の人たちも知るようになったけど、奨学金返済のために女子大生たちが風俗で働いているって誤解されがち。奨学金の返済が始まるのは卒業して半年後から。社会の欺瞞(ぎまん)のようなものを理解している頭のいい子ほどカラダを売る。逆に、ポエムのようなものを信じる層ほど返済が始まってから現実に気づいてパニックになる。

鈴木:愛人クラブや交際クラブ系の取材でもまったく同じ話を聞きます。頭のいい子は在学中、頭の悪い子は卒業後に就職できなかったり所得が低かったりして、あとから参入してくる。だから、愛人クラブ業界では22歳までの子に客が集中するとか。

中村:頭のいい子ほど、風俗で働くことを早く決断する。根拠なく明るい将来を夢見て奨学金をフルで借りてしまう子は下位大学に通う「意識高い系」で、社会で活躍するという夢があるから前向きな気持ちで借金しちゃうわけ。上位大学の頭のいい子は社会の欺瞞と現実を見つめながら、価値が高い段階で裸になって、Fラン大学のポエム好きの子が「風俗嬢なんて汚らしくて恥ずかしい人たち、私たちと一緒にしないで!」みたいな差別をしている構図がある。

鈴木:子どもと教育をお金稼ぎの的にした結果ですね。明らかに「大学全入」という方針を取るところがおかしい。そんなことを考えていると、職能教育は何歳からできるんだろうと思う。少なくとも中学を卒業するぐらいになったら、その子の職業適性がわかる。インターン制度もある中で、職能の発掘に専門性を持った人間が子どもの適性を見きわめて本人や親と相談することのほうが、よほど重要ではないかと僕は思います。

「ポエム」に支配されてしまった若者と教職員

中村:職能教育は、昔と比べれば「している気」になっているよ。学生をターゲットにしたインターンや研修とかたくさんある。「夢」という言葉が浸透して、東日本大震災が原因でポエムを信奉する若者が激増して、それが本格的に拡散されてしまった。職能教育のような将来への準備が具体性のないポエムに支配されて、行政や教職員まで洗脳されてしまっている。

鈴木:まだ世間を知らない学生にリアリティーのないキラキラした就業のイメージを「私たちの輝く未来」といったポエムをつけて見せる。そんなもん、カルトや自己啓発セミナーと何の差があるのか。それは職能教育でも何でもないですよ。

中村:本来、職能教育は現実と向き合う作業だけど、具体性のないポエムでモチベーションを上げさせようってことばかり。それによって生まれているのは現実感のないポジティブな若者と、奨学金の残債だけ。言葉で操るだけでモチベーションが上がっちゃう若者が量産されているから、ブラック企業が流行したのも当然のことだよね。

鈴木:その層のキラキラポエム系の学生とブラック企業にありがちな自己啓発的な新人教育の親和性の高さは、僕もずっと感じてきたこと。やはりその界隈はかぶっているのでしょうか。

中村:若者に提言したがるのは、ベンチャー経営者とか、名誉欲にまみれた社会起業家とか、ブラックで一財産を築いた居酒屋の社長とか。そんな連中の職能教育は自分の利益になる方向に誘導する。今こそ「夢はない、明るい未来はない」と言い切る指導者が必要でしょう。

鈴木:政策提言の場にどんどんポエムやキラキラの親玉が入ってきて、お役所の役人さんは自分の目で現場を見ない人ばかり。加速度的に状況が悪くなっている。どうしても僕がいらだちを抑え切れないのは、学校の教員の問題です。たとえば、なぜ学校教員に奨学金問題の責任追及が行かないんですか。すごく密接に関与していますよね、学校教員と奨学金って。

中村:貧困家庭の子には、高校の先生が当たり前のように負債を背負って進学することをすすめている。子どもの将来のことなんて何も考えてない。ベルトコンベヤー式に業務をこなしているだけ。

学校の先生がどれだけ世間のことを知っているのか
 
鈴木:僕には彼らが進路決定やその後の人生に大きく関与する現場にいるべき人材とはとても思えません。進路指導をするなら、当然、そこに進路指導の専門家がいるべき。学校を出てから一度も社会に出ることなく学校の先生になった人が、どれだけ世の中のことを知っているのでしょうか。学校の進路指導は、ガイドラインに沿っているだけでしょう。進路指導は本来、極めて難しい仕事。今の世の中にどんな仕事があって、目の前の生徒に何が向いているのかを自分で調べないで、安易に用意されたキラキラ系のガイドラインに乗っかっているだけ。学校教員が本気で進路指導をしてきたら、「大学全入時代」なんて絶対にありえなかった。

中村:確かに、高校の先生は子どもを相手に同じ授業を繰り返す狭い世界ではあるよね。社会経験が少なくて、マニュアル対応だろうから、生徒への個別対応は能力的に難しいかも。続々と奨学金制度に生徒を流している高校が、恵まれている人が貧困層に対して間違った支援をする典型例かもしれないね。

鈴木:まず、学校教員には自省してほしい。自分たちがしっかりしないと、子どもたちが将来つらい目に遭うと。また、多くの人、とくに親が教育というものについて懐疑的になってほしい。僕はFラン大学の卒業生を取材して、けっこう就職率が高いことに驚いた。でも、劣悪な就業先が多くて、「この大学に何百万円も投資して、ブラック企業に就職かよ。それって意味あるのか」って、そういう懐疑を共有したい。

中村:教育もビジネスと同じ感覚で損得勘定をすることが絶対に必要。飲食店や介護施設といったサービス業は高卒でも入れるわけだから、借金して大学に投資する意味がない。

「学校はビジネスでウソをつく」ことを知るべき
 
鈴木:そして、親は「学校はビジネスでウソをつく」ことを知ること。学校だから正しくてウソをつかないということは絶対にありません。学校の評価に資格取得率が何%というのは関係ない。その資格を取った人が、その資格を生かせる職業に何%が就けているのかが評価基準でしょう。

中村:みんな資格にしか流れないよね。特に貧困家庭のまじめな子が資格に走るイメージがある。でも、弁護士や歯科医でも食いっぱぐれる時代に資格を取るなんて時間のムダ。さらに資格の怖いところは、職業の選択を狭めること。取得した資格を捨てる覚悟がないと、ほかのことにチャレンジできないでしょう。

鈴木:キラキラしたオブラートで無計画を包んで売りつける高利貸したちが世の中にいっぱいいるということです。そう考えたら、教育も住宅業界やカードローンと同じ臭いがする。キラキラを見せて、お金を貸す。最近は消費者金融の過払い金の問題がずいぶん注目されましたけど、それこそキラキラできなくなったら、大学に対して「学費を返してください」と言う権利があるんじゃないですか?

中村:高校の先生と進路指導の先生が何年何月何日に「君の未来には夢がある」とウソをついたとか、大学が発表している就職率の内訳は労働基準法違反が常態化するブラック企業だらけだったとか、法律をこねくり回して因縁をつければ、「カネ返せ」のロジックが成り立つかもね。

鈴木:それこそ大学も授業料を取るのなら、満足のいく就職ができたら後払いでもらうというシステムにしたらいいのに。成功報酬は一般社会では普通の話ですから。なぜか教育だけが崇高なところとされて批判から逃れているのは気に食わないです。

 

中村淳彦(なかむら あつひこ)/1972年東京都生まれ。アダルト業界の実態を描いた『名前のない女たち』『職業としてのAV女優』『日本の風俗嬢』『女子大生風俗嬢』『図解日本の性風俗』など著書多数。フリーライターとして執筆を続けるかたわら介護事業に進出し、デイサービス事業所の代表を務めた経験をもとにした『崩壊する介護現場』『ルポ中年童貞』が話題に

『職業としてのAV女優』『日本の風俗嬢』を読破した。

鈴木大介(すずき だいすけ)/1973年千葉県生まれ。「犯罪する側の論理」「犯罪現場の貧困問題」をテーマに、裏社会や触法少年少女ら の生きる現場を中心とした取材活動 を続けるルポライター。近著に『脳が壊れた』(新潮新書・2016年6月17日刊行)、『最貧困女子』(幻冬舎)『老人喰い』(ちくま新書)など多数。現在、『モーニング&週刊Dモーニング』(講談社)で連載中の「ギャングース」で原作担当

『最貧困女子』(幻冬舎)『老人喰い』(ちくま新書)を読破した。


高学歴で低年収、30代女性の明るすぎる貧困 彼女を救ったのは宗教とセックスだった ('東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/05/11)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

高学歴で低年収、30代女性の明るすぎる貧困 彼女を救ったのは宗教とセックスだった ('東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/05/11)

極端な実例、しかし現実。
コミ障害? 
セックス依存症?  
  
  
一部上場メーカーの社員時代は、年収400万円だった。なぜ彼女は貧困層に転落したのか
東洋経済オンラインでは、風俗業界やアダルトビデオ業界で働く女性を取材し続けてきた中村淳彦氏のルポルタージュを連載していく。ここで取り扱うのは「総論」ではなく「個人の物語」。具体的な物語から浮かび上がる真実があると考えているからだ。ぜひ、日本の貧困問題について思考を巡らす契機としてほしい。
 
神奈川県のある工場の多い地域、中小の工場と民家が入り交じる街のアパートに、現在、非正規で食品工場に勤める山口恭子さん(仮名)は住んでいる。家賃6万円。9年前、国立大学大学院修士課程を卒業し、有名企業に就職のため上京。一部上場メーカーの商品開発部に勤めたときから住んでいるアパートだ。

インターホンを押すと、恭子さんは玄関を開けて顔をのぞかせた。童顔でかわいらしく、年齢より若い。部屋の中に入ると、カーテンは閉めっぱなしで薄暗かった。

部屋の掃除はしていないようで、フローリングの床にはゴミやホコリが何重にも積もっている。

備え付けのベッドの周りや部屋の四角には洋服や新聞、書籍が散らばり、足の踏み場がないほどだった。
掃除機は一度もかけたことがない
 
「掃除機の音が怖くて、掃除できないんです。あの大きな音は、なにか男の人に怒鳴られているような感じがするから。たまに掃き掃除くらいはしますけど、収納がないので全部は片付けられないし」

小さな1DK。折り畳み式のイスになんとか座って、話を聞くことにした。自覚はないようだったが、貧困女性の取材と伝えてある。1週間前に支給された平成28年3月分の給与明細を見せてもらった。

支給総額は17万円ちょうど。

厚生年金と雇用保険、健康保険、所得税で2万8700円が控除され、差引支給額は14万1300円だった。

「非正規なのでボーナスはありません。年収200万円です。29歳のとき新卒入社した会社を辞めて、それから介護職になりました。そこはすさまじいブラックな施設で、長時間労働とか残業代が支給されないとか、パワハラとかすごかった。辞めてもほかに行き場所がないので、我慢に我慢をしてきたけど、去年の年末に限界を超えたので辞めました。いろいろ仕事を探して、やっと見つかったのが今の工場です。給料安いけど、介護のときみたいにブラック労働がないのでいいです。みんな優しいので続けていけそうです」

一部上場メーカーの社員時代は、年収400万円。新卒入社した会社でもいじめとパワハラのターゲットになって、29歳で逃げるように会社を辞めている。

転職活動に失敗。

唯一、採用されたのは非正規の介護職だった。正社員を辞めてから貧困生活が始まる。

退社をしたのは4年前、収入は半減、現在の年収は170万~210万円程度だ。彼女はある新興宗教の熱心な信者であり、ギリギリの生活を強いられても地元に帰るつもりはないという。

社会人10年目で貯金0円

つねに財政は厳しい。14万円の手取り金額から6万円の家賃を支払うと、残るおカネは8万円。

携帯代や光熱費も含めた可処分所得は年間108万円しかない。

相対性貧困に該当する低収入だ。

現在、単身女性の33%(国立社会保障・人口問題研究所調べ、2012年)が貧困と言われている。

大学院を卒業して社会人になって10年目に突入したが、貯金はゼロである。

「毎月のかかるおカネは、家賃6万円で携帯代1万円ですね。電気・ガス・水道で1万円くらい。あとは県民共済が月2000円。食費はあまりかけません。近くに5キロ1400円のお米を売っているお店があって、そのお米を買います。朝ごはんはバナナで、お昼にはご飯を炊いておにぎりとか。たまにちょっとだけ、おかずを買う。夕食は野菜炒めとか、適当に作って食べます。会社を辞めてから牛肉は買ったことないです。気が向いたときに豚肉か鶏肉を買うくらい。ぜいたくは、近くにあるのでたまにサイゼリヤとか。あとiPhone6くらい。貧乏とは思うけど、14万円あれば十分に生きてはいけますよ」

取材時は晴天の13時。外に出れば、青空が広がる。なぜか、部屋はカーテンを閉め切っている。

暗く、じめっとしている。暗くてわかりづらかったが、よく眺めると両腕にリストカット痕があった。古い細かい傷痕が何十カ所とあり、左手首の1カ所だけ大きな縫い傷が目立つ。

「全部、学生時代にやったもの。私、子供の頃からずっといじめられて、大学生のときたくさん切っちゃった。いじめは社会人になってからひどくなって、4カ月前に今の職場に就くまでずっとそんなことばかり。怒鳴られたり、いじめられたり。精神的に追い詰められてリストカットを繰り返した。けど、今の宗教を始めて自分を傷つけることはなくなりました。大きな傷は、大学4年生のころに本当に死のうと思ったとき。もう12年前のこと」

ある新興宗教の熱心な信者だった。取材に同行した女性編集者もさっそく勧誘を受けた。

消えない昔の自傷は、誰にも見られたくないと思っている。普段は長袖の服と髪の毛で傷痕を隠す。現在、働く工場は作業着、帽子とマスク着用が義務なので周囲にバレていない。

国立大学大学院の卒業証書を見せてもらった。証書には、彼女の名前が記されていた。

日本有数の国立大学院を卒業した高学歴女性が、どうして自傷を抱え、誰でもできる作業である低賃金の食品工場で働き、貧困状態から抜けられずにギリギリの生活を送るのか。

大学院時代、就職活動をしてすぐに一部上場メーカーから内定が出た。希望した会社だったので、そのまま入社した。大学院での研究を生かせる商品開発部に配属されて順風満帆だった。15~16人の部署で実験や試作品開発に取り組んだ。

「私、コミュニケーション能力っていうんですか、それがないのかな。宗教活動が部署の全員に広まって、当時の直属の上司から『お前は、バイ菌みたいな女だ。臭いし、消えろ』って毎日、毎日、言われた。ののしられ続けました。上司がそんな感じだから、ほかの人にも広がって通りすがりに“気持ち悪い”とか“どうして生きているの”みたいな。反論しても、もっとヒドくなると思ったから聞き流した。でも人として扱われない環境は、本当にツラいですよ。結局、自主退職しました。5年で辞めています」

29歳。退職届を提出、有給休暇の消化を含めて3カ月間、転職活動をした。本当は、大学院での研究が生かせる転職をしたかった。

二十数社に応募して、書類審査は通過する。しかし、面接になると必ず落とされる。その繰り返し。

わずかながら貯金はあったが、もうこれから何百社応募しても面接には通らないと思った。

一人暮らしなので、生活費は稼がなければならない。フリーペーパーの求人誌に掲載されていた自宅近くの介護施設に応募した。

いじめ、パワハラ、長時間労働

「それまでは介護って立派な仕事だと思っていた。これから高齢化社会になるし、福祉だから優しい人たちが多いだろうって。そのときは、私でも誰かの役に立てるかな、みたいな前向きな気持ちがあって、頑張ろうって。未経験、無資格で介護職になった。でも、介護は本当にひどかった。すごくブラックで、連続出勤、サービス残業、経験したことない長時間労働。あと、いじめとかパワハラがすごくて、おかしくなりました。地獄みたいなところでした」

無資格、未経験だったのでパート採用、時給950円。

介護施設は心優しい人たちが高齢者や地域のために笑顔で働く、というイメージだったが、彼女が働いたのはお泊りデイサービスという業態だった。

お泊りデイサービスとは、デイサービスがオプションで宿泊を提供し、24時間年中無休という法の隙間をぬった業態で集客する。

数ある介護サービスの中でもブラック労働の温床となり、問題視されている。

「今思えば、労働基準法をいっさい守ってなくて無茶苦茶でした。みんな朝9時から夜10時とか長時間労働をさせられて、イライラしてその矛先が私に向かってくるみたいな。最初の会社の比じゃないほどひどかった。何人かの男性の介護職員から些細なことで怒鳴られすぎて、そのトラウマで掃除機がダメになった。小さい施設だったけど、毎週誰かが辞める。私は欠員要員みたいにされて、ひどいときは15連勤とか30時間労働とか。あと介護職は読み書きが苦手な人が多くて、介護保険事業はたくさん書類があるので、全部私がやらされた」

勤務したお泊りデイサービスでは、介護職だけでなく、長時間労働に耐えられなくなって、3カ月から半年のペースで管理者が変わった。ほとんどの上司は長時間労働でうつ病になって辞めていった。

長時間労働はすさまじかった。

日勤からそのまま夜勤、さらに帰れずに日勤をして、さらに残業で書類仕事をするという異常といえる労働が日常茶飯事だった。

過酷な労働環境で離職は延々と続き、つねに人手不足。彼女は休日も呼びだされて延々と働かされた。

「残業代不払いとか、休憩がないとか、残業を割増賃金にしてくれないとか、どれだけ頼んでも社会保険に加入してくれないとか。介護時代におかしなことは、挙げていけばキリがないです。どんなひどい扱いをされても、ほかに行き場所がないから辞めるわけにはいかなくて、3年間続けました。どれだけ人が入れ替わってもいじめみたいなことはなくならなくて、意味なく怒鳴られたり、いじめられた思い出ばかり。
長時間労働は12時間を超えたあたりから精神的にツラくなる。イライラするんです。でも“どうして普通に帰れないのですか?”とか不満を言ったら、クビになるって思って我慢しました。非正規のパートだから仕事を入れてもらえないと、家賃が払えないから死活問題です。介護施設には、そういう自分の状況をうまく利用されました」

セックスすると、みんな優しくなる
 
労基法無視の長時間労働、パワハラ、いじめ、残業代不払い、社会保険未加入と、これ以上ないひどい労働環境。一人暮らしで、日々、生活費を稼がなければならないプレッシャーがあったことは理解できるが、どうしてそのような過酷なブラック労働を3年間も継続できたのか。

「それはセックスを覚えたからです!」

突然、笑顔になった。これ以上ない、満面の笑顔でそんなことを言いだした。劣悪な労働環境とセックスになにが関係あるのかわからないが、彼女は「セックス」という言葉が出てから人が変わったように明るくハイトーンになる。

「長時間労働で低賃金、家と介護施設の行き来だけ。介護職の人たちは弱い者いじめが好きなので、文句を言わない私はいつ怒鳴られるかわからない。ずっとビクビクしていました。さすがに我慢ばかりしている私もおかしくなります。長時間労働させられて私生活みたいなのがまったくない状況は、みんな同じだった。介護施設に勤めて1年くらい経ったとき、なんとなく帰りが一緒になった同僚の2つ年上の介護職の人とセックスしちゃった。近くの公園で。そしたらその人が突然、優しくなって、好き、好きみたいになって、セックスってすごいって思った」

その男性介護職は未婚、恋人なしでさまざまな職業を転々とするフリーターだった。周囲に流されて彼女に対して横暴な態度をとっていたひとりだったが、セックスした瞬間から態度が急変した。

「一緒に働いていてもいつもデレデレした感じで、キレイだとかかわいいとか言ってくれた。それでまた公園でしたいみたいな感じで、何度もするようになりました。最初はよかったけど、私、頭が悪い人とかあまり好きじゃなくて、3カ月くらいでほかの人がいいなってなっちゃった。ちょっと距離を置こうとしたら、ストーカーみたいになっちゃって。施設の前とか駅で待っていたり、逃げたら家まで来るようになっちゃった。最終的には警察ざたになりました」

お泊まりデイサービスという全職員が10人もいない小さな職場で、彼女は同僚と次々とセックスした。当然、職場では話題になる。

上司からどんなに怒られても、セックスすると男が優しくなることが面白くてやめられなかった。

「セックスすると、みんなカラダにおぼれて優しくなる。ハハハ、すごく楽しかった。年齢が上の人が好きで、未婚の人じゃないと付き合えないので年齢は40歳とか50歳とか。介護の職場しか出会いがないので、いろんな職を転々としているような学歴ない人たちですね。セックスすると『女性と付き合ったのは初めて、君のことは生涯忘れない』みたいなことを言い出す。それで振るとおかしくなって、ひとりは精神病院に行っちゃいました。本当に楽しい。でも、あまりにひどい職場だったから3年続けるのが限界でした」

貧困かもしれないけど毎日楽しい

笑顔がおさまらない彼女は、テーブルにあったiPhone6を取り出した。そして、写真を見せてくれた。そこにはジャージ姿の老人が写っている。

「この人、今の彼氏ですぅ。83歳!」

驚いたので何度か確認したが、本当に「彼氏!」と言う。日本人男性の平均寿命は80.5歳、その年齢を超える余生を過ごす後期高齢者だ。

「宗教の勧誘で団地を回る。そこで知り合いました。ドキっとして私から声かけた。もともと学校の先生をしているインテリ男性で、スペイン語とか堪能なの。熊本地震の翌日だったかな、4月15日に出会ってその日にセックスした。今はやっと普通の仕事に就けたから、仕事が終わって夜9時ごろにチャリで彼氏の住んでいる団地に行く。シャワー浴びて、たまに一緒に浴びたりして、それで一緒に寝るの。必ずセックスします。たまにしか勃起しないから言葉で責めてくるの。スペイン語で『僕のカラダに思い出をたくさん残してください』とか叫ぶんですよ」

今日もこの取材が終わったら自転車で団地に行き、83歳の彼氏とセックスをするそうだ。

「低賃金でおカネはないし、世間で言う貧困かもしれないけど、長時間労働もなくなったし、彼氏もできたし、今は本当に楽しい。こんな楽しかったことは、今までないかも。将来のこととかなにも考えていないかな、50歳年上の彼氏が死んじゃったらそのときに考えればいいことだし。はは」

セックスの話になってから終始笑顔の彼女と、一緒に部屋を出た。暗い部屋から一歩出ると、目が痛くなるほどまぶしい。

彼女は待ちきれないといった様子で自転車に乗り、猛スピードで団地へと向かっていった。立ちこぎする後ろ姿を見送った。


「格安デリヘル」に流れ着いた25歳女性の現実 「風俗嬢は超高収入」は過去の幻想である (東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/04/27)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

「格安デリヘル」に流れ着いた25歳女性の現実 「風俗嬢は超高収入」は過去の幻想である (東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/04/27)

現実は、厳しい。  
不良少女の末路、風俗嬢にも格差。

 
60分7000円の「格安デリヘル」は、学歴も容姿もキャリアも持たない女性の最後の砦となっている

リーマンショックで打撃を受けたのはビジネスマンだけではない。性風俗のデフレ化が進み、ほとんどの風俗店は価格競争に巻き込まれて単価を下げながら、さらに集客を減らしている。需要と供給のバランスが崩れ、約半分の女性は風俗嬢になりたくても店側に断られている現状だ。

東洋経済オンラインでは、風俗業界やアダルトビデオ業界で働く女性を取材し続けてきた中村淳彦氏のルポを「貧困女性の現場」として連載していく。

そのスタートに先がけた第2弾として、4月27日発刊の中村氏の著書『図解 日本の性風俗』から、格安デリヘルに流れ着いた20代女性が直面した貧困の実態をお伝えする。


「風俗嬢は超高収入」は過去の幻想
 
1980年代、1990年代の性風俗の全盛期を知る中高年の男性を中心に、この数年間の風俗業界の深刻な不況と、風俗嬢の収入の下落を理解していない方が多いです。

たとえば「風俗嬢は超高収入で、ラクして稼いでいる。消費と遊びが大好きな女ども」みたいな意識は、過去の栄光に基づいた時代錯誤な認識です。

風俗業界に大打撃を与えたリーマンショック以降、その傾向は特に顕著となって、現在風俗嬢の大半は中小企業のサラリーマンと同程度か、それ以下の賃金でカラダを売っています。カラダを売って中小企業のサラリーマン以下の賃金とは夢も希望もないですが、本当のことです。

風俗嬢たちがそのような厳しい状況なので当然、経営者たちも儲かっていません。風俗嬢への誤解と同じく、たまに「風俗経営者は女性たちから搾取して暴利を貪っている!」みたいな批難をする人がいますが、大きな間違いです。この10年間ほど、風俗業界から景気のいい話はまったく聞こえてきません。

そのような現状でも、風俗嬢と聞いて多くの人がイメージするのは、派手な化粧して複数のブランド物で派手に着飾り、ホスト遊びするみたいな華やかな若い女性でしょうか。そのような風俗嬢は、当然減っています。

歌舞伎町などの繁華街の活気が失われた原因のひとつは、堅実になった風俗嬢たちがお金を使わなくなったからです。理由は単純で、風俗嬢の可処分所得が減ったからです。性風俗の単価が下がり、さらに男性客数は減ってしまいました。この数年の性風俗店は志願者の半数を断っている状態です。

もう、人並みの女性では裸になっても稼げないのです。

では実際に性風俗から弾かれた女性たちが、いかに厳しい状況になっているかを見てみましょう。

「薬物関係の施設に3年半いた。私がやっちゃったのはシャブ。クスリを抜いて立ち直る施設ですね。そこを出たのが半年くらい前、それからずっとここに住んでいるよ」

あきれ顔でそう語るのは、都内の格安デリヘル嬢である西村麗美さん(仮名25歳)。

きれいな顔立ちで25歳と年齢は若いが、体型に難があり、かなり太っていました。西村さんには助けてくれる家族も知り合いもいなく、デリヘルの待機所に半年間以上も住んでいる状態でした。所持金は常に3000円~2万円程度で「貯金して部屋を借りるなんて無理、夢みたいな話」と溜息をつきます。

2000円渡されて「じゃあ、さようなら」

「薬物関係の施設はタバコも吸えないし、酒も飲めないし、嫌になって自分から出たいって出所した。

施設の人に車で新宿まで送ってもらって、2000円だけ持たされて『じゃあ、さようなら』みたいな。

自主退所者はとりあえず県外に出すって決まりがあるみたいで、私の場合は新宿のバスターミナルに置いて行かれた。それから行政が運営する女性用のシェルターに2週間くらいお世話になって、担当者に『お金もないし、家族もいない』って言ったら、施設に戻れって言われた。

規則だらけの施設に戻るのは絶対に嫌だったので、仕方ないので風俗の仕事を探した。昔はすごく痩せていたけど、太っちゃったでしょ。風俗はいろいろ面接に行ったけど、何軒も断られて、やっと見つかったのがココ。

家がないのは、マジでツライ。絨毯の上で眠るから、カラダが疲れる。疲れが全然とれない。布団が薄いのしかないから床が硬くて、腰が痛い。布団は欲しいけど、買うお金もないし。このままでは不味いと思うけど、疲れてカラダがダルいし、あまりやる気が起こらなくて、ダラダラと風俗しながらここにいる」

ホームレスで現金2000円しかなかったら、生存するためにはすぐ日銭を稼げる仕事に就くしかありません。毎月月収が支払われる一般的な仕事では明日、明後日が乗り切れないので、必然的に風俗に流れることになります。デリヘルは積極的にホームレスの女性を囲っているわけではなく、お金も家もない風俗嬢に対して、仕方なく待機所に宿泊することを許可していました。

店側は行政や警察に事情を話して「宿泊させることは仕方ない」と、口頭で許可をもらっているようでした。

店側は待機所を提供するだけであり、布団もなければ食事もありません。男性客をとって自分で稼ぎ、自分で買わなければなりません。待機所で生活をする西村さんは、とりあえず毎朝デリヘルには出勤します。

朝起きて10時には事務所に顔を出し、待機所で男性客を待ちます。指名やフリー客が入れば、徒歩圏にある指定された近くのラブホテルへ行ってサービスを提供します。待機所に誰もいなくなって、自分の時間が持てるのは深夜23時ごろです。気が休まる時間はありません。

西村さんは埼玉県出身。子供の頃に両親から虐待を受けて、中学生になってグレました。物心がついた頃から、父親に毎日ように殴られていたようです。14歳でシンナーに手を染めて、15歳で覚醒剤を覚えて薬物中毒になってしまいました。21歳のとき、見かねた親に通報されて矯正施設に入所します。現在、両親には勘当されています。

10代の頃はスレンダーでモデルのような風貌でしたが、覚醒剤を止めて施設で暮らすうちに30キロ以上も太ってしまったようです。

体型は風俗嬢の生命線です。いくら風俗店をまわっても断られて、現在勤務している激安店でようやく採用されました。

毎日カラダを売って月収15万円

「10代のときにキャバクラで働いていた頃、月80万円くらい稼いでいた。あの頃は簡単に稼げたから、すぐに使っちゃた。クスリにもお金がかかったしね。今は太ったから、どうにもならない。稼ぎは、毎日働いても月15万円くらい。貯金なんてしようがない、食べ物を買ったらなくなっちゃうから」

西村さんが働く格安デリヘルは、60分7000円という価格でした。

1人お客がついて4000円にしかなりません。

朝から深夜まで待機所にいても、1日つくお客は1人か2人。

日給は4000円か8000円しかありません。

西村さんは3食コンビニ弁当を食べて、タバコも吸う。膨大な待機時間があり、タバコは1日2箱をあけてしまう。

現在の収入では、この生活から抜け出すのは現実的に不可能といえます。

「太っているので、激安店以外は無理。どこの店に行っても収入は変わらないかな。普通の仕事に就こうにも、そんな経験ないから、どうすればいいのかわからないし。こんな収入では部屋を借りるために必要なお金なんて貯まりようがないでしょ。マジ、絶望的だよね。覚醒剤はやめられても、なにもない。これからの人生どうしていいかわからない」

格安デリヘルは、容姿も学歴もキャリアも、なにも持たない女性の最後の砦となっています。昔から西村さんのような「なにも持たない」女性はたくさんいました。

1990年代の店舗型の時代は、風俗で働く覚悟をして店舗に住み込めば、フリー客などがついて月収30万~50万円にはなっていました。

2カ月間も住み込みで風俗嬢をすれば、お金は貯まり、部屋を借りて新しい再出発ができたのです。

しかし、現在は風俗店に住み込みで働いても、今日明日は生きていくことができるだけ。なんの解決にもなりません。性風俗のデフレ化は、風俗嬢を直撃しているのです。


国や社会が「保護」するべきは誰なのか
 
日本には売春女性を「保護」するための売春防止法があります。1957年制定と戦後の混乱期に作られた古い法律が、改正をされずにそのまま残っています。

現状を考えると「保護」することは現実的ではありません。

現在、国や社会が「保護」するべきは、性風俗で働いたり売春する女性ではなく、最終手段であるカラダを売っても最低限の生活も叶わない女性たちと言えるでしょう。

対象は性風俗に志願をしても半数が門前払いとなっている女性や、デフレ化で価格が徹底的に安くなった格安店でも男性客がつかない女性たちです。

そのような女性は未婚で家族もなく、友達もなく、知識もなく、生活保護制度を知らなかったりします。

福祉関係者や行政は性風俗から目を背けるのではなく、そのような性風俗や売春から弾かれた女性たちに目を向けることが急務でしょう。


震災で職を失いAV女優になった66歳の現実 日本の底辺でいま何が起きているのか (東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/04/20)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

震災で職を失いAV女優になった66歳の現実 日本の底辺でいま何が起きているのか (東洋経済オンライン 中村 淳彦 2016/04/20)

嘘みたいな話。
極端な実例、しかし現実。 

女性の貧困が社会問題となっている。1990年代までは風俗やAV業界で働けば「高収入」が得られたが、2000年頃から人妻・熟女風俗嬢が急増し、数万円の生活費を稼ぐために普通の主婦がカラダを売っているのが現実だ。
東洋経済オンラインでは、風俗業界やアダルトビデオ業界で働く女性を取材し続けてきた中村淳彦氏のルポを「貧困女性の現場」として連載していく。そのスタートに先がけ、2月発刊の中村氏の著書『熟年売春』から、ある熟年女性が直面した貧困の実態をお伝えする。

4畳半の木造アパートで一人暮らし
 

練馬区のある私鉄駅前。年齢66歳、元ピンサロ嬢、現在超熟AV女優の香川夕湖さんと待ち合わせた。近年、風俗嬢やAV女優に高齢女性は多い。視聴者の高齢化と若者の草食化、性の細分化で裸の世界で働く女性に実質年齢制限がなくなったためだ。風俗の世界では55歳を超える女性は「超熟女」と呼ばれている。

「どうも、こんにちは。夕湖です」
夕湖さんは年齢通りの老女だった。水商売の老齢ママといった雰囲気だ。何度も洗濯し、ゴムが伸びるシャツを着ている。駅から徒歩5分のアパートに一人暮らし、家族はいない。

「このアパートは外国人と生活保護受給者ばかりですよ。1Kに4人家族で暮らす外国人もいますよ」夕湖さんは、そう言う。

古びた玄関の扉を開けると、4畳半程度のおかしな形をした狭い部屋があった。部屋が四角くない。よく眺めると、建物が建つ土地が台形だった。一番手前の最も狭い101号室が自宅だった。少し傾いている。まるで、うさぎの小屋のようだと思った。

平成25年厚生労働省は、65歳以上の女性一人暮らし世帯の貧困率は44.6%と半数近くに達したことを発表している。台形のおかしな形の老朽した部屋で暮らす夕湖さんは、明らかな貧困層だった。

「家賃は4万8000円、狭いですよ。貧乏だけど、なんとか生活はできますよ。夜は電球を点けないでテレビを観るし。暑いときは窓を全開にしてエアコン切っているし。食生活も大丈夫です。お金が入れば、まず5キロ1500円の格安米を買います。5キロあれば1カ月半から2カ月はもつ。おかずはもやしとか安いじゃないですか、20円とか。もやしを買って肉とか魚はあまり食べないから、なんとかなりますよ」

自宅でくつろいでいるからか、夕湖さんは饒舌だった。夕湖さんはTシャツ姿、左手首と左腕にリストカット痕があった。

「ああ、これね。死のうとして切ったの。血がたくさん出るだけで全然死ねなかった。それでAV女優になったの」
タングステンの電球が一つしかない部屋に、夕湖さんの低い声が不気味に響く。

震災の煽りでホテルの仕事を失った

昭和24年生まれ、団塊の世代。高齢女性が「死ねなかったのでAV女優になった」とは凄惨な話だが、その言葉を当たり前のように言う。

「15年前に離婚して、50歳のときに一人で東京に来たんですよ。前は仙台に住んでいて、元旦那と3人の子供は仙台に置いてきた。東京に来てからはこの部屋に住んでいます。ずっと目黒のホテルでベッドメイクの仕事をしていたの。おかしくなったのは、東北の震災から。そのホテルは外人がメインのお客さんだったけど、突然旅行客がホテルに来なくなった。それでベッドメイクを解雇になった。私、その後に仕事を一生懸命探した。毎日、毎日探した。でも、どんなホテルに応募しても、何度ハローワークに行っても、福島の被災者が優先みたいなことを言われて断られてばかり。年齢的にも60歳過ぎて厳しくて、本当に仕事が全然見つからなかった」

ベッドメイクの仕事は時給1000円だった。朝9時半~15時まで、月給は10万円ほど。

家族から逃げて東京で暮らしてからは月給10万円、年収120万円程度の質素な生活をした。

2011年に東日本大震災が起こり、突然の解雇。最低限の暮らしもできなくなった。

「クビになったのは、震災から1カ月後くらい。2011年4月ですね。それからいくら探しても仕事は見つからなくて、クビになって半年くらいでお金が完全になくなった。仕事探すのにも面接に行くのにも電車賃がかかるじゃないですか。頑張って毎日、毎日仕事を探したけど、最終的には電車賃もなくなった」

通帳の残高が底をつき、所持金は数枚の10円玉だけになった。部屋に閉じこもって、何日間か飲まず食わず、じっとしながら、これからどうやって生きればいいのか考えた。

なにも浮かばなかった。

飢えをともなう貧困である。

高収入求人誌を必死に眺めると「AV女優、セクシーモデル」という募集広告があった。年齢は「18歳~70歳迄」と書いてある。

「10円玉があったから公衆電話から電話したんです。女の人が出て、私『62歳です。62歳です』って言って、すぐに面接に行った。お金がなかったからプロダクションのある新宿まで歩いて、女性のマネジャーさんに事情を話したら1万円を貸してくれました。

あのときは本当に助かりました。それで採用してくれて、AV女優になった。裸になるのが恥ずかしいとか、そういうのはなにもなかったです。捨てるものとか、なにもないですし、元旦那とは絶縁状態だし。とにかく貯金がなくなって、焦って、お金が欲しかった。

70歳までOKと書いてあって、仕事があったって。もしかしたらできるかも、お金になるかもと思って。あのときは、ただただよかった」


62歳でAV女優デビューしたものの……

2011年6月、超熟AV女優になった。夕湖さんはカメラの前でセックスをして数本のマニアックな超熟AVに出演する。

「最初の数カ月間だけ、たまに仕事があった。男優さんと絡む仕事ですよ。AVに出演して5万円とかもらったことあるけど、ほとんどは3万円くらいです。最初だけ月収15万円くらいもらえて、普通に暮らせました。それでしばらくして、だんだんと撮影の仕事がなくなって、家賃も払えなくなって、もう一度ベッドメイクの仕事を探したけど、また断られてばかりで食べ物にも困るような状態になった」

超熟AV女優は、数えるほどのメーカーしかリリースがない。覚悟を決めて裸になっても、すぐに消費される。ギャラも安く、出演料は1本3万円程度。ほとんどの超熟AV女優は多くても10本も出演すれば終わり、必然的に使い捨てとなる。

2012年、AV出演の依頼は完全になくなった。ベッドメイクの仕事をしたくても、どこのホテルに電話しても年齢を言っただけで断られる。

もやしを食べるばかりの最低限の暮らしも維持できなくなり、再び100円もなくなった。

そもそも夕湖さんは、どうして家族を置いて仙台から逃げ、飢えをともなうレベルの貧窮に喘ぎながら、東京で一人暮らしをしなければならなかったのか。

「離婚した旦那が最悪の人間だった。DVとかギャンブルとか。私は仙台では旦那の借金の返済に追われて、地獄だった」

ずっと無表情でしゃべっていたが、元旦那の話になると顔をしかめてウンザリしたような顔になった。夕湖さんは22歳のとき、土建業経営者だった元旦那と結婚している。

「離婚したのは東京に逃げたときだから、15年前ですよ。もう、ずいぶん前ですね。酷過ぎる旦那だったけど、親の責任として下の子が20歳になるまで我慢しようと決めたんです。結婚生活は嫌なことしかなくて、旦那は外見もすごいデブで、なにもかも最低の人間だった。ギャンブルやめられなくて、人の財布からお金を盗っていく人だったから。お金盗られるし、暴力ふるわれるし。だから下の子が20歳になった15年前、息子の誕生日の次の日、仙台の家から黙って東京に出て来た」

高校を卒業して、19歳からホステス。元旦那は土建系の会社経営者で客だった。しつこく口説かれて、結婚している。結婚するまでは気前のいい優しい男だったが、一緒に暮らすようになってすぐに暴力をふるうようになった。

ギャンブルに狂った経営者のDV夫

「DVは凄まじくて毎日ですね。一度だけ子供の前でDVしたけど、そのとき子供に『お父さんの鬼』って言われて、それから子供がいるときは暴力ふるわなくなった。元々、そういう人間なんでしょうね。
もう40年くらい前だけど、元旦那は結婚したとき土建系の有限会社をやっていた。経営者ですね。代表取締役で、使っている従業員の人たちがいて、新婚の頃は自分も現場仕事に出ていたけど、そのうちギャンブルとか賭場に出入りしだした。仕事に行かないどころか、家にも帰って来なくなった。従業員の人たちも、社長の賭博狂いに嫌気が差してみんな辞めちゃって。経営がおかしくなって、不渡り2度だして倒産させているんです。それから借金取りとか、自宅に毎日、毎日来る。借金取りが家に来ても、本人はいつも家にはいないから、私が脅されるわけ。借金取りの人に『見ていてあまりにもかわいそうだから、離婚した方がいい』って言われて。そうすれば楽になるって。子供はまだ小学生だし、離婚は無理だと思って、私が昼夜働いて借金返済した」

借金取りに対して、なんの規制もない時代である。昼夜問わずに自宅にやってきて、恫喝と脅迫。ダンプやユンボ、自宅を売却しても全然返済額には達することはなく、数千万円の借金が残った。

「玄関に“金返せ、ドロボー”とか貼り紙を貼られたり。すごかった。借金は、銀行は当然、いろんなところ。サラ金とか闇金にも手をだして。本人はお金を借りても返済するんじゃなくて、賭場に持っていく。本人は借金を返さない。私が働いてちょこちょこ返した。結局、何千万円ってあったから、働いて返せる金額じゃなかったけど」

借金を背負わされた夕湖さんは、昼は飲食店でパート。夜はホステスを辞めて、時給のいいピンサロで働いた。

「借金抱えたのは長女が小学生のときだから、30代。その頃はけっこうお客を呼んで、月50万円か60万円はもらっていた。旦那は倒産した後、タクシーに乗った。タクシーで勤務しても、車をどこかに隠してパチンコに行く。だから給料はほとんど入れてもらえなかった。人間の屑ですよ。飲食店と風俗しながら、子育てはなんとかやりましたよ」

働き詰めの生活が祟って45歳でカラダを壊し、風俗嬢を引退している。それから仕事は、ずっとホテルのベッドメイキングである。

「元旦那は去年死んだ。汚い生き方をしてきた人だから、死んだときに兄弟、親戚、友達、誰一人も葬式に来なかったって。子供3人だけで通夜と葬式をしたって。最低。旦那のお姉さんは生きているけど、『死んで清々した』って。それくらい酷い男。息子には言いましたよ。『あんた、この惨めな葬式を覚えておけ』って。『あんたは間違っても、そういう生き方はしないでね』って」

そして50歳。下の息子が20歳の誕生日の翌日、夕湖さんは単身で東京に逃げた。3人の子供は仙台で独立し、現在はそれぞれの生活を送っている。

空腹で死のうと思って手首を切った

話を戻そう。夕湖さんは「70歳まで可」というAVプロダクションの求人に飛びつき、超熟AV女優になった。

AV女優として細々と活動できたのは半年程度。使い捨てられた。そして再び貧窮状態に陥る。

「あれは2年半くらい前かな。100円もなくなっちゃって、何日間かは飲まず食わず、お米もなくなって、この部屋に閉じ籠って動かないで我慢した。動かなくてもお腹が空くわけで、1週間くらいでどうにもならなくなって、死のうかなって頭に浮かんだ。本当に死のうと思って、包丁で手首を切ったんですよ。切ったのは、あそこの玄関のあたりですね。けど、血がだらだらでるだけで、全然死ななくて。紐でくくって部屋で首を吊ろうと思った。紐みたいなのを見つけて首輪を作ったけど、ここで自殺しちゃうと大家さんとかに迷惑かかるなって。それで首つりは諦めて、包丁を持ってそこの公園に行ったんです。誰もいなかったし、大丈夫かなって、カラダを刺して死のうとしたけど、どうしても包丁を自分のカラダに刺す勇気がなかった」

部屋は天井が高く、ロフトがある。部屋の灯りは電球が一個で薄暗い。夕湖さんがこの部屋で首を吊り、ロフトからぶら下がる姿は容易に想像ができた。寒気がした。

時計を眺めると20時、外は暗かった。自殺の話をする夕湖さんがタングステンの灯に浮かびあがり、気持ち悪さを超えて怖くなった。私は話を遮って外に出ようとしたが、夕湖さんは無表情で語りながら近づいてくる。

「60歳過ぎてから、友達もどんどん自殺しているの。みんな死んじゃったから、私も死のうかなって。死ぬのがこわいってわけじゃなくて、自分を包丁で刺すのができなかっただけ。だって仕事もお金もなくて、ずっと空腹でしょ。そんなんで生きていてもしょうがないし、生きていく術もないし」

夕湖さんは台の下にあるビニール袋から手帳を取りだした。自筆の文字が綴られている手帳をペラペラとめくり、「これ友達、みんな死んじゃった」とあるページを見せてくれた。

友人らの名前とともに「電車に飛び込み」「投身自殺」「飛び降り」など、薄暗い電球の灯りからゾッとする文字が浮かぶ。地元の同級生や、東京でできた友人たちが60歳を超えて、続々と自殺しているようだった。あまりにも多すぎる。

逮捕、留置場、そして福祉
 
「みんな60歳過ぎて、生きていけないから自殺しちゃった。苦しんでいるのは、私だけじゃないの。でも、私はみんなみたいに死ねなくて、ダメだと思った。どこまでもダメな人間だって。死ぬには首を切るのが一番でしょ。何度も何度も首を切ろうとしたけど、どうしてもダメで、包丁を持ったまま駅前の交番に行った。交番でおまわりさんに死ねなかった事情を話して、包丁を出したんです。そしたら刃渡りを測って、銃刀法違反で現行犯逮捕って。その場で手錠されて、逮捕された。なんか大騒ぎになって、パトカーで警察署の留置場に連れて行かれた」

腰縄をつけられて、10日間拘留。毎日、刑事と検事の取り調べがあった。何度も訊かれる「どうして?」という質問に、飲まず食わずで自殺しようとした、とそのまま同じことを話している。

「検事さんに『あなた来るところ間違っているよ』って言われました。警察じゃなくて、福祉でしょうって。検事さんは『事情が事情だから』って不起訴にしてくれた。書いてくれた保護カードを持って『福祉事務所に行きなさい』って。釈放されて、そのまま福祉事務所に行きました。保護カードを見せたらケースワーカーの人が事情を聞いてくれた。それで、すぐにお金が出ました。生活保護です。本当に助かりました。そのとき精神的にもおかしくなっていて、福祉事務所は精神病院も紹介してくれた。留置場では、全然眠れなかったし。精神病院には今も通院して、睡眠薬と安定剤をもらっています。それから、ずっと生活保護ですよ」

時給1000円のパートを解雇になって超熟AV女優、自殺未遂、留置所と遠まわりをして、ようやく福祉にたどり着いている。

日本の高齢者の貧困は餓死をともなうレベルになっている。夕湖さんのケースは氷山の一角で、現在は裸になってセックスを売っても、一時期が救われるモラトリアムに過ぎない。

裸の世界は最後のセーフティネットとして機能せず、カラダを売っても最低限の生活すらできない現実がある。そして、追い詰められる人々の多くは生活保護制度を知らなかったりする。

「今は生きてはいける。けど、一人が寂しくてツライ。私は死ねないから、このまま死ぬのを待っているだけ」

最後、夕湖さんは溜息まじりに、そうつぶやいた。


本マクドナルド、史上初の『ごはんバーガー』3種誕生 人気メニューを“ごはん”でサンド (ORICONnews 2020/01/28)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

本マクドナルド、史上初の『ごはんバーガー』3種誕生 人気メニューを“ごはん”でサンド (ORICONnews 2020/01/28)
食べてみたい。 

 
 日本マクドナルドは28日、午後5時から閉店までのディナー時間帯に販売する「夜マック」の新商品として、人気メニューを特製ごはんバンズでサンドした『ごはんバーガー』を2月5日から全国の店舗で期間限定で販売することを発表した。マクドナルドで『ごはんバーガー』が販売されるのは史上初となる。

 販売されるのはポークパティにしょうが風味の甘辛いてりやきソースを絡めた『ごはんてりやき』(単品390円)、ビーフパティにスモーキーなベーコンとレタス、チェダーチーズを合わせた『ごはんベーコンレタス』(単品410円)、サクサクした軽やかな衣のチキンパティにレタスとオーロラソースを加えた『ごはんチキンフィレオ』(単品410円)の3種類。定番バーガーの具材や味付けはそのままで、バンズを特製ごはんバンズに変わる。ごはんバンズは100%国産米を炊き上げた香ばしい醤油風味に仕立てられている。

 日本マクドナルドの下平篤雄副社長は「夜ごはんに多くの成長チャンス。夜ごはんではパンではなく、お米が食べたいという日本人ならではのニーズがある」と導入の背景を説明し、2016年から構想していたことを明かした。そして「マクドナルドの味をお米で楽しめる」というコンセプトのもと「意外な組み合わせによる微妙なハーモーニーを演出しています」とアピールした。

 また、キャンペーンに合わせて、ナイツの塙宣之と俳優の高橋克実が出演するCMも展開。抽選でマックカードが当たるツイッターのキャンペーン企画も実施される。


「野党がダメ」な理由は英国総選挙の労働党惨敗を分析すれば分かる (DIAMONDonline 上久保誠人 2020/01/28)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

「野党がダメ」な理由は英国総選挙の労働党惨敗を分析すれば分かる (DIAMONDonline 上久保誠人 2020/01/28) 

記載者上久保誠人氏が、自民党政権支持者なのか、野党支持者なのか、判然としない。 
私の理解力不足。
立命館大学政策科学部教授のポストの記載者。
多分左翼系の学者と思う。
自分生活第一主義の私。
政治の優先順位は低いし、よく分からない。
40年選挙に行ってない。
北海道に住むので、石油の確保が優先。

中東への自衛隊の派遣に賛成。

ネット社会、民主党政権時代のお粗末さがyou tubeに存在。
削除されないで、永遠にネットに残る。
立憲民主党、国民民主党は、旧民主党の議員。
擁護記事を記載しても、無理だろう。
 

1月20日に通常国会が招集されたが、「安倍一強」と「野党の衰退」という構図は相変わらずだ。実は、日本でこうした情勢を招いた理由は、英国総選挙における保守党の大勝利と労働党の惨敗という結果に至った理由とよく似ている。英国の労働党が大惨敗した理由を分析すれば、日本の野党がダメな理由も見えてくるのだ。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)
安倍首相の施政方針演説では
政権周辺スキャンダルへの言及なし
 1月20日、通常国会が召集された。安倍晋三首相は施政方針演説を行い、子どもから高齢者まで全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」の構築に向けて、年金や医療などの改革に取り組むことを訴えた。

 また、首相の悲願である憲法改正の実現への決意も示した。外交に関しても、ロシアとの北方領土交渉や北朝鮮による日本人拉致問題の解決への決意を表明。だが、首相は「桜を見る会」「IR(統合型リゾート施設)事業に絡む汚職」「辞任閣僚の公職選挙法違反疑惑」など、政権周囲で噴出するさまざまなスキャンダルについては、一切触れなかった。
野党の疑惑追求は支持得られず
立民・国民民主の合流は決裂
 これに対して野党は、「首相は説明責任を果たしていない」と厳しく批判し、徹底的に追及する構えをみせている。立憲民主党(立民)、国民民主党などは、「IR整備法の廃止法案」を共同提出した。しかし、相変わらず野党による疑惑追及は、世論の支持を得られていない。

 通常国会の開会前には、「野党共闘」を強固なものとするため、立民と国民民主の合流が協議された。しかし、最終的に両党は「当面、合流は見送り」という結論を出した。事実上の「決裂」であった。

 立民の枝野幸男代表は、「立民としてできることは全部やった。これ以上は動かす余地がないので協議のしようがない」と述べた。枝野代表は、立民による国民民主の「吸収合併」にこだわった。議員数が多く、政党支持率でも圧倒的に勝る立民が国民民主を吸収するのが当然と主張したのだ。

 一方、国民民主の玉木雄一郎代表は対等合併を前提にした条件を提示していた。具体的には、(1)党名は立憲民主以外で、民主党も選択肢、(2)原発ゼロ法案は撤回して再協議、(3)新党の綱領に「改革中道」との文言を入れる、というものだった。だが、立民側が飲める内容ではなかった。

 枝野代表が、「吸収合併」を強く主張したことは悪いことではない。政策が一致しない者同士が合併する「寄り合い所帯」をつくることには、国民の強い不信がある(本連載第196回)。野党が1つになるならば、野党の間の「トーナメント競争」を勝ち抜いた政党に、他の党が政策的に無条件で従う形にならなければ、コアな左派支持者以外の大多数の国民の納得は得られないからだ(第209回)。

 しかし、玉木代表が提示した条件にも、一定の合理性があると思う。どの条件も日本の「サイレントマジョリティー(声なき多数派)」である「都市部・中道層」の支持獲得を意識したものだからだ(第119回)。
立民、国民民主、れいわは
英国総選挙の労働党の大惨敗に学べ
 共産党はどうしようもないが、立民、国民民主、そしてれいわ新選組は、昨年12月の英国総選挙の結果に学ぶべきだ。12月12日に投開票が行われた英国総選挙では、与党保守党が、2017年の前回選挙から48議席増やし、下院(定数650)の過半数(325)をはるかに超える365議席を獲得。大勝利となった。一方、労働党は、前回の選挙から60議席減らし、第2次大戦後最低の202議席の大惨敗となった(第228回)。

 労働党が惨敗した理由は幾つかある。まず、総選挙の最大の争点だったブレグジット(英国の欧州連合〈EU〉離脱)について、離脱すべきなのか残留すべきなのか、明確な指針を示すことができなかったことである。

 しかし、より本質的で深刻な問題は、「歩くソビエト連邦」と呼ばれた労働党のジェレミー・コービン党首が掲げた「純革命的な社会主義政策」だった。大企業や富裕層への課税を強化して財源を確保し、雇用の増大と福祉や教育への投資拡大を図るというものだ。労働時間の短縮を図り、労働党政権になれば週休3日制になる、とも訴えていた。

 また、基幹産業を国有化するという政策も打ち出した。総選挙の期間中にブリティッシュテレコム(BT)を国有化し、英国全土をフリーWi-Fi化するとぶち上げて、驚かせた。
 さらに、外交に関しても、コービン党首はまるで東西冷戦期の世界観を思わせるような、米国やEUなど自由民主主義陣営に対する敵意と、ロシアに対するシンパシーを感じさせる発言を繰り返していた。

 コービン党首の「コービノミクス」と呼ばれた政策は、一部の若者とコアな左派層の熱狂的な支持を受け、彼の演説には多くの人が集まっていた。だが、熱狂は「幻想」に過ぎなかった。
サイレントマジョリティーに
そっぽを向かれて負けたコービン党首
 英国総選挙の基本的な戦いの構図は、保守党が南部に、労働党が北部にそれぞれ約100~150議席のセーフティーシートと呼ばれる強い地盤を持っていて、その上で都市部の票を取り合うという形になっている。

 都市部の票を取れるかどうかが選挙の勝敗を決めるため、両党はコアな支持者よりも都市部に支持される政策を訴えるようになった。自然と、両党の政策は似てくることになる。

 例えば、1960~70年代の「福祉国家」の時代は、保守党は「貧しき者には分け与えろ」、労働党は「労働者の権利拡大」という具合に、考え方は真逆ながら、福祉拡大というよく似た政策を打ち出す「コンセンサス政治」が行われた。

 また、1980年代から2008年までの「新自由主義」の時代も、トニー・ブレア労働党政権の「第3の道」は、マーガレット・サッチャー保守党政権の「サッチャリズム」を引き継ぎ、発展させたものだった。
 だが、それは両党のコアな支持者を置き去りにすることと同義だった。その結果、不満を持ったコアな支持者が左右のポピュリズム政党に流れることになった。「ポピュリズム」の広がりは、英国に限らない世界的な潮流となっている。

 しかし、現在の選挙においても、この都市部・中道層という「サイレントマジョリティー」の重要性は何も変わらない(第115回)。彼らは、普段はビジネスなど日常生活が忙しく、政治に対して大きな声をあまり上げず、静かである。しかし、有権者全体の中では、圧倒的な多数派なのである。

 コービン党首の失敗は、このサイレントマジョリティーに徹底的にそっぽを向かれたことだ。彼らは確かに、かつてのように新自由主義的な改革を支持してはいない。しかし、彼らは仕事や子育ての「現役世代」として、教育や社会保障などのサービスの充実と、その財源を考慮した財政とのバランスを重視する。自分たちの世代がよければいいのでなく、子どもたちの世代の負担増も憂慮する。また、経済が自国だけで成り立っていないことも、日ごろの仕事から理解し、グローバル社会・経済を全否定はしない。

 つまり、サイレントマジョリティーにとって、主要産業の国有化や財源を考慮しないバラマキ、富裕層を敵として狙い撃ちするような政策は、到底受け入れられるものではないということだ。何よりも、彼らは「EU残留派」の中心的存在である。思い切りケンカを売られるような政策を出された上に、ブレグジットには曖昧な態度というのでは、労働党に投票しようという気にはなれなくても仕方がない。

 一方、ジョンソン首相はキャメロン政権以降続いていた「緊縮財政」を転換した(第106回)。そして、減税の約束や国民医療制度(NHS)の支出拡大など、穏健で中道的な政策課題を並べた。「何が何でも離脱する」というような過激で派手なパフォーマンスが目立つジョンソン首相だが、内政面では、したたかに都市部・中道層を確実に取り込んで、選挙に勝利したことがわかる。
安倍政権は「右傾化」に見えて
実は中道票を確実に押さえてきた
 英国の保守・労働両党の現状が、日本の安倍政権と野党の関係によく似ていることに、お気づきになるだろうか。安倍政権は、一見「右傾化」しているように見えながら、実は都市部・中道層の「サイレントマジョリティー」の票を確実に押さえようとしてきた。

 安倍政権が打ち出してきた政策は、「働き方改革」「女性の社会進出の推進」(第177回)や事実上の移民政策である「改正出入国管理法」(第197回)「教育無償化」など、社会民主主義的傾向が強いものばかりだ。

 特に、「教育無償化」は、2%の消費増税によって得た財源を教育無償化や子育て支援など、現役世代へのサービスの向上に充てるとしている。これは、17年10月の衆議院選挙で打ち出された公約だったが、元々は前原誠司・民進党代表(当時)が主張してきた「All for All」とほぼ同じ内容だ。安倍政権が野党の政策をパクったのだといえる(第169回・P3)。
 これに対して野党は、都市部・中道層の「サイレントマジョリティー」を安倍政権と奪い合うために政策的な競争をするのではなく、共産党に引きずられて左翼にシフトした。消費増税に反対し、大企業・富裕層への増税で財源を賄って「子ども国債」を発行するとして、安倍政権以上にバラマキ策を打ち出していた(第216回)。それは、コアな左派支持層には熱狂的に受けても、サイレントマジョリティーの支持を決定的に失うことになった。その結果は、安倍政権の国政選挙6連勝であった。

 要するに、「安倍一強」の形成と野党の衰退という情勢を招いた理由は、英国総選挙における保守党の大勝利と労働党の惨敗という結果に至った理由とよく似ている。それは、「コアな左派支持層」だけの「熱狂」を国民全体の支持と勘違いし、都市部・中間層の「サイレントマジョリティー」の支持を保守に渡してしまったことで起こったのである。
安倍政権の全否定しかできない野党
その先に何もないと見透かされている
 だが、今国会の野党は、今のところ何も変わっていない。「IR整備法の廃止法案」を衆議院に共同提出しているが、結局、安倍政権が取り組んだ政策を全否定することに終始している。だが、全否定の先に、新しい日本の国家像の構想が何もないことを国民は見透かしている。

 野党にとってさらに問題なのは、山本太郎代表率いる、れいわ新選組が影響力を増していることだろう。化石のような古ぼけた考えのマルクス経済学者をブレーンにして、「消費税ゼロ%」を訴えている。これは、山本代表個人の「生き残り策」としては、合理性がある(第218回・P5)。

 しかし、これは都市部・中道層のサイレントマジョリティーからは相手にされることのない、「日本版コービノミクス」ともいえる、究極の大衆迎合だ。山本代表だけが存在感を増して生き残り、万骨枯れる「万年野党」への道である。

 野党がもう一度政権を担いたかったら、「寄り合い所帯」をつくることばかり考えてはいけない。そして、「スキャンダル追及」と「何でも反対」という安易な道に逃げるべきではない。政権奪還の鍵は、経済や財政、社会保障、女性の社会進出などで、真っ向から自民党に政策論戦を挑むことだ。


麻生氏「マーケットと仕事してますんで。野党とでない」 (朝日新聞社 2020/01/28)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

麻生氏「マーケットと仕事してますんで。野党とでない」 (朝日新聞社 2020/01/28)

そのとおり、野党でないことは、間違いなし。
支持政党なしの私、麻生氏に賛同。
最高傑作の答弁。
外国人(韓国人)から政治献金を受領して、外相辞任の前原氏。
前原氏に信用なし、説得力なし。
you tubeに答弁が存在している。
前原氏の汚点は、削除されない。
ネット社会になって、前原氏及び朝日新聞は、名誉回復が困難な時代に。
従軍慰安婦の捏造報道した朝日新聞。
韓国側から接待を受けていた記者。
メディアの金もうけの実態が露呈。
メディアの信用か失墜した。


 「我々、マーケットと仕事してますんで、野党と仕事してんじゃない」
 麻生太郎財務相は28日午前の衆院予算委員会で、国民民主党の前原誠司氏から「(安倍晋三首相の)施政方針演説はウソじゃないか」と追及され、こう反論した。

 前原氏が取り上げたのは、首相が施政方針演説で来年度予算案について「公債発行は8年連続での減額であります」と述べた部分。前原氏は、財政法上は余ったお金の半分以上を借金返済にあてなくてはいけないのに、特例法で全額財源に繰り入れるという政府の手法を指摘。「財政健全化を遅らせ、来年度予算案に繰り入れ、結果的に公債発行を減らすことができたというのは、矛盾。ウソをついている。粉飾ではないか」などと批判した。

 首相は「ウソというのは言い過ぎだ」と反論した。

 麻生氏も「8年連続減らすという姿勢をきちんと示している。マーケットに与える影響が極めて大きいんで」と指摘。

 続けて「我々、マーケットと仕事してますんで、野党と仕事してんじゃない。マーケットが『財政再建やってないじゃないか』という方向になればものすごく大きいですから、そちらの方を優先させていただいた」と答弁した。

 前原氏はこの答弁に対し、「すごい答弁。マーケットに手の内を示している。粉飾決算している国の国債、信用されますか」と批判した。(三輪さち子)


「世界的にも高リスク」 新型コロナウイルスでWHO訂正 (時事通信社 2020/01/28)

2020年01月28日 | ネット・ニュースなど

「世界的にも高リスク」 新型コロナウイルスでWHO訂正 (時事通信社 2020/01/28)

WHOが共産中国に忖度して発表した。
しかし、無理だった。
訂正せざる得ない状況。

 【ベルリン時事】世界保健機関(WHO)は、中国で感染が拡大してる新型コロナウイルスについての26日付の日報で、これまで高くないとしてきた世界的な危険性について、表記が誤っており、正しくは「高リスク」だったと訂正した。

 日報では、25日までは「(リスクが)中国は非常に高い、周辺地域は高い、世界的には中程度」とされていた。しかし、26日付の日報によると、これは「誤った要約」であり、実際には直近で危険性の判定を行った22日以降、一貫して「世界的にも高い」という評価だったという。