ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

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三連休に関西へ(京都編2 その2・これで終了)

2015-09-05 22:04:36 | 旅行

観光バスでの観光、最後のスポットは「清水寺」です

<清水寺縁起>  ⇒  http://www.kiyomizudera.or.jp/about/history.html  (HPより縁起)

音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)は、宝亀9年(778)に奈良子島寺(こじまでら)の賢心(けんしん)、後の延鎮上人(えんちんしょうにん)によって開創されました。

 

 

開創以来、1200有余年の間、幾度もの災害戦災にあいながら、その都度、再建・復興を果たしてきたのも、人々の信仰の篤さのたまもの。現在の伽藍(がらん)は、徳川三代将軍家光により寛永10年(1633)に再建されたもので、平成6年(1994)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

◇ 仁王門(重要文化財)◇

 応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。
入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています

 

美しい丹塗りに映える正面軒下の「清水寺」の額は、平安時代の名書家、藤原行成の筆と伝わっています。

 

今、登って来た坂を振り返ると人・人・人   さすが、観光名所ですよね~

早速、中へ・・・・

 

 

 遠くに、京都タワーも見えました

 

◇ 鐘楼(重要文化財)◇

慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。
牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころだそうです

中の梵鐘は、五代目として平成20年4月20日に、清水寺門前会の寄進によって奉納されました。

 

◇ 三重塔(重要文化財)◇

平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987)に解体修理したもの

三重塔としては日本最大級の約31メートルの高さがあります

 

次は本堂です

 

 ◇ 出世大黒天 ◇

 本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像を拝みました。大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿。平成20年(2008)に修復された物だそうです   ご利益有りそうなお顔ですね

 

 

◇ 本堂と清水の舞台(国宝) ◇

寛永10年(1633)に再建された、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂

下を覗くと、吸い込まれそうな感じです

 

外国の方も多いですね~ 

 

昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。
錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。
本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。
この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。

私も、飛び込んだ気分に(笑)wwwww(;'∀')   えいやっ!!!

 

地主神社 へお参り

◇ 由来 ◇

社伝によれば、地主神社の創建年代は、神代(かみよ)つまり日本の建国以前とされ、 あまりの古さにその歴史は明らかではありませんでした。 しかし近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、 本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明されました。

http://jishujinja.or.jp/jishu/history/index.html ⇒ 地主神社 HP

 

 

社殿では、「縁結びのお守り」「おみくじ」が所狭しと並んでいました

その、天井には ◇にらみ龍◇

地主神社のご社殿には狩野元信によって描かれた丸竜がいます。この竜は音羽の滝の水を飲むために夜ごと天井を抜け出しことことから、恐れられ、目を釘で打ち付けられたという伝説もあり、いずれの方向から眺めても自分の方を睨んでいるようにみえるところから「八方にらみの竜」とも呼ばれています

 

◇ 本殿 ◇

 

 

 

◇ 恋占いの石 ◇

これを目的にここに来られる方も多いですよね。テレビでも良く紹介されているのを見ます

一方の石からもう一方の石へ、目を閉じたまま歩いて無事にたどり着くことができれば恋がかなうと言われています

私は、とりあえず記念撮影だけ  人が多くて、とても歩ける感じではなかったですよ~~

 

◇おかげ明神◇

どんな願い事も一つだけなら必ず「おかげ(御利益)」がいただけるという一願成就の神様「おかげ明神」。

 

◇ 水かけ地蔵 ◇

水をかけて祈願するとご利益がいただける、「水かけ地蔵」。
地中からお出ましになった不思議なお地蔵様です

 お水をかけて「健康」を祈願

 

◇ 撫で大黒さん ◇

大国様のお体を撫でると、その箇所に応じてご利益がいただけます。
あなたの願いを大国様はどの御身で聞き届けてくださるかなぁ????  信じる者は救われる

 

 お金が沢山貯まりますように  福袋をナデナデ

 

 

 

清水寺より地主神社の方が人が多かったかも  

 

地主神社のお参りも終わったので、清水寺の境内を散策です

奥の院は丁度工事中でした ただ仮通路が設置されていてそこから本堂を見る事は出来ました

     

 

 

散策路を歩いて行くと、さっき本堂から向かいに見えていた赤い塔の所に到着しました

 

 

◇ 子安塔<こやすのとう> (重要文化財) ◇

子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていないそうです

これは、修復が完了しているそうです。創建当時は、こんな鮮やかな色をしてたんですね

 

舞台から見えていた、人の行列  ここは「音羽の瀧(おとわのたき)」です

 

 

◇ 音羽の瀧 ◇ 

清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています

殺菌もしっかりされていました  作られた時にはこんなところはなかったですよね(当たり前ですね)

ここも行列に並びご利益を受けて来ましたよ

 

 

 

これで、清水寺のお参りも終了 

 

 

  

  

 お腹も空いて来ました  お昼は「自由」

 

ということで、今回は「イノダコーヒー」でお昼タイムです

 

タマゴサンド  アイスコーヒー  アイスカフェオレ

暑い中を観光して来たので、冷たい飲み物が体に染み透る !(^^)!

 そして、バスの集合場所へ・・・・・   後は、京都駅へ向かうだけです

 

3日間の関西旅行も終了   新幹線で帰途へ

お天気が心配で四国行きを急遽変更したのですが、なかなか楽しい旅でした

でも、暑かったなぁ~   奈良・京都はやっぱり 紅葉や花の時期に再びゆっくりと散策したい

 

お☆ま☆け

今回もご朱印を頂いて帰りました

  長谷寺

法起院  

 安倍文殊院

安倍文殊院  

  仁和寺

金閣寺  

 銀閣寺

清水寺  

 


三連休に関西へ(京都編2 その1)

2015-09-02 23:19:23 | 旅行

  

京都二日目 

午後の新幹線で帰るので、午前中を有効に使う為に、「観光バス」に乗りました

    観光場所     金閣寺、銀閣寺、清水寺
京都の名所三ヶ所をめぐる人気のコースで、ここさえ行けば間違いなし!と

 

京都駅前郵便局の前で・・・・牛若丸のオブジェと茶色のPOST

なんとなく、京都らしいかな(笑)

 観光バスのイラスト  これも  ザ・京都!って思えます

   

 

市内を走り、もうすぐ「金閣寺」に到着    京都五山送り火 の「左大文字」が車窓から見えました

金閣寺の駐車場からも、左大文字が見えます

 

 

 

金閣寺 HP   ⇒  http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html

正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。

 元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。(HPから抜粋)

そして、金閣寺観光出発!


<金閣(舎利殿)>

「金閣」(左の写真)にはお釈迦様の骨が祀られているといわれ、舎利殿とも呼ばれている。

 金閣の二層と三層には金箔が貼ってあり屋根の上には金張りの鳳凰が置かれている。一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は禅宗仏殿造りで、それぞれの様式がよく調和しており、これが華やかさを醸し出しているようである。


 以前の国宝に指定されていた金閣は昭和25年(1950年)に若い寺僧の放火により全焼、5年後に再建された。更に、昭和62年(1987年)には金箔を厚いものに張り替える修復工事がなされている。再建された金閣は国宝に指定されていない。

金閣の傍の鏡湖池を中心として、大小の島々、諸国から集めた岩、石を配し、背景の衣笠山を借景とした室町時代の「池泉回遊式庭園」が造られている(直上の写真)。  この「庭園」は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。

 

綺麗な庭園と金閣をバックに、まずは、記念撮影ですよね (#^.^#)

 

 

時間まで、寺内を参拝します

<方丈>

 

<陸舟の松>

鏡湖池の東側、方丈の北側に建てられている書院の庭に京都三松の一つに数えられている松の木で、船の形をしています。 この五葉松は義満の盆栽から移植され、帆掛け船の形に仕立てられたものとされており、舳先は西の方角を向いている。これは、この船に乗って西方浄土に向かうという発想からこの形に仕立てられたものという。

樹齢は約600年といわれているが、一見した感じではそんなに年月を重ねた樹には見えないなぁ・・・・・

 

 

 <銀河泉>

義満公がお茶の水に使ったといわれている

 

<巌下水> 

義満公が手を清めたとされている

 

<金閣寺垣>

石段の横に低い竹垣があり、これが金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされています。

 

<龍門滝と鯉魚岩>

鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事「登竜門」に因んだ「鯉魚石」が置かれている。鯉魚石は水飛沫のかかっている尖った石です

<白蛇の塚>

西園寺家の守り神といわれる

 

少し高い所から、金閣寺の屋根が見えました。

屋根の上で「鳳凰」は羽ばたいていました

 

<貴人榻>

 

 

<夕佳亭(せっかてい)>

金森宗和が造営したといわれる茶室。この名称は、「夕日に映える金閣が佳い」ということに由来しているという。

夕佳亭内正面の「南天の床柱」、その横にある「萩の違い棚」が有名である。

現存の夕佳亭は明治時代中期に再建されたものといわれており、平成9年に解体修理が行われたようである

 

集合時間があるので、まあ、見どころをざっと見て、バスへ向かいます

遅れるわけにはいかないですもんね! 

 

 

車窓から ①  「紫式部の墓所」 

 

車窓から ②  同志社大学

 

車窓から ③  右側 高野川  左側 賀茂川   この二つが合流して  鴨川になります

 

 

 次は、銀閣寺にお参り

 

銀閣寺 HP   ⇒  http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html

正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。

 九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています。(HPより抜粋)

 

<観音殿 銀閣>

銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿(シンクウデン)、二層を潮音閣(チョウオンカク)と命名しました。鹿苑寺(ロクオンジ)の舎利殿(シャリデン)(金閣)、西芳寺(サイホウジ)の瑠璃殿(ルリデン)を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。
白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)とのコントラストは、訪れる人々を立ち去り難い世界に誘います。

 

<銀 沙 灘>

方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説がありますが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと思われます。しかしこのような奇想天外な行き方は独創的で他に例がないでしょう

  向月台

 

<北斗石>

銀閣寺の観音殿(銀閣)前にある北斗石。正面に見える石橋は「分界橋」と呼ばれ、向月台と銀閣の間を架け渡している

 

方丈の中の戸にも色々な絵が描かれていました

 

 

<千代の槇> 

樹齢500年  すごい!

 

 

金閣寺も庭園は綺麗でしたが、銀閣寺の方が木々が多く緑が溢れているような印象を受けました

銀閣寺の庭園は銀閣(観音殿)前に広がる錦鏡池(きんきょうち)を中心に池泉回遊式庭園を形作っています。この庭園は西芳寺(通称:苔寺)の庭園を模して造ったと言われています。現在の庭園は江戸時代に改修されたもので、創建当時とは異なっています。

 

山道を登ると、銀閣と庭園全体を見下ろすことが出来ます

 

 

今、平和公園で生きつづける被爆樹のアオギリは爆心地より1.3kmのところで8時15分までは立派な木の姿として仲間の桜や柳と共に生きつづけ人間に勇気を与えておりました。あの日の一瞬の強い原爆の熱線を浴び大火傷をしました。桜、柳は熱線で命を失いましたが、アオギリは体に火傷を受けながらも生きることができました。1973年に平和公園に移植をされ現在地で孫や子供がふえてあの日の事実を語り継いでおります。
毎年きれいな花が咲き種ができます。
アオギリの願いの声は種を人間の智恵によって各地に「平和の種」として核兵器廃絶と生きることの命を大切に・・・本当の平和を創り後世に幸せが続くことを訴えるのです。
人間の手によりアオギリの願いを叶えましょう。
銀閣 慈照寺   と書かれていました

前方の山にアオギリが植えられているそうです

 

銀閣寺の屋根にも鳳凰が!

 

   

 

 

 

銀閣寺も参拝が終わりました   まだ集合時間には時間が有るので、次は哲学の道へ

 

 

 

  

<哲学の道>

哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道。明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。日本の道100選にも選ばれている散歩道である

前にも来たことは有りますが、ワイワイおしゃべりしながら歩くと言うより、静かにゆっくりと歩くのが何となく似合いそうな道だと思いました

私達も、物思いにふけりながら歩く・・・・な~~んて(笑)

 

次は 清水寺へ・・・・

車窓から ④  平安神宮の大鳥居

 

 

車窓から  ⑤  知恩院

 

 

車窓から  ⑥  八坂神社

 

車窓から ⑦ 花見小路

 

車窓から ⑧ 祇園会館

 

車窓から ⑨ 京都南座

 バスの中からでも、色々な観光名所を見る事が出来ます

さすが、京都だな

 

そして、最後の観光  「清水寺」へ・・・・・  

 

まだ観光の続きあるよ   (そろそろ、書き上げないとだなぁ~~~ (~_~;))