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「原爆地上起爆」という黒い嘘4 虚構の終焉 メモ

2016-08-28 18:05:03 | 原爆・原発・放射能攻撃
すでにおそらくはマイナーな世界の話題で申し訳ないのですが、以下をメモしておきます。私の中では、騒動の初期から「原爆地上起爆教」については一応「決着済」ですが、もしかすると疑問を持ってみているかもしれない若者たち(若者でなくても)の頭の整理が必要な場合のための独り言メモです。一応というのは、何事も100%確かというわけではないからです。実際は頭ではパラレル比較できますが、「問題」の都合上、逐次式で記述しました。

まず 「科学的発見の論理」 について

「科学」とは?について前段階の説明は、科学哲学の本でも読んでいただくとして省きますが、とりあえず基本として以下をリンク

論理実証主義

科学革命の構造

科学的発見の論理

『科学的発見の論理』(かがくてきはっけんのろんり、独: Logik der Forschung)はカール・ポパーの1934年の著書。本書はもともとドイツ語で書かれたのだが、何年かのちにポパー自身によって英語で再執筆され、1959年に『The Logic of Scientific Discovery』として出版された。主要な著書がこのようにして二つの言語で公表されるのはまれなことなのだが、他の人によって翻訳されることなくどちらも著者によって書かれた。

ピーター・メダワーは本書のことを「20世紀の最も重要な著書の一つ」だと言った。[1]

本書の中でポパーは、科学は反証に基づいた方法を採用するべきだ、どうしてかと言ったら、 実験が理論を証明できたことはかつて一度もなかったが、たった一つの実験が理論を反駁するということならありうるからだ、と論じた。ポパーは、経験的理論は反証可能性によって特徴づけられると考えた。―wiki引用ここまで

仮説の実証というのは「反証に耐える」ということでもある。

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/803c0b2ec5344e90650c5aa6434e6b01

トリニティ実験

・・現地時間(アメリカ山岳部戦時標準時)の5時29分45秒に爆弾は爆発し、TNT換算で約19kt(87.5 TJ)のエネルギーを放出した。この爆発で砂漠の爆心地には放射能を帯びたガラス質の石からなる深さ3m、直径330mのクレーターが残された。

中国・天津の大爆発、死者44人に 威力「TNT24トン分」 2015年08月13日 17:14 発信地:天津/中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3057266

大爆発の瞬間!中国の火薬工場暴発【閲覧注意】
https://www.youtube.com/watch?v=1nUG0AOzksw

天津爆発で直径100mの巨大クレーターが出現(画像集) The Huffington Post | 執筆者: 安藤健二 投稿日: 2015年08月19日 15時12分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/19/tianjin-blast-crater_n_8007512.html
↑これこそ「たった」「TNT24トン分」で、直径100 mのクレーター
(蛇足追記:この爆薬が地上1mの所にあったとすると、20 mの時に比べて、直下では地表単位面積あたり20^2=400倍のエネルギーを受けることになる。別の言い方をすれば、高さ20 mの位置に24×400=9600 t = 9.6 ktあったことに相当する)

「原爆地上起爆」仮説は、ヒロシマでもナガサキでも「クレーターがなかった」という反証的事実を、違う話を持ち出さねば耐えられない。

「セメントや石などに焼き付いた影の角度」も合理的に説明できない。

「橋の欄干や柱石の移動方向」も合理的に説明できない。

「特に鳥居のような縦長の建造物について爆心近くのほうがより遠い場所より被害が小さい」ことを説明できない。

「建造物や木などについて爆心真下の近場そして地表投影中心からの距離で300m以内なり400mより500mほど遠方の方がより被害が大きい」ことも合理的に説明できない。


「原爆地上起爆」仮説は、廃棄するか、うまく修正するか、あるいは事実を無視・非認し他の話で繕う言い逃れに終始するしかない。

では、「空中爆発」仮説(当時もすぐに周辺の被害状況から推定された)について考えよう。
まず、「打ち上げ空中爆発」仮説 はどうだろう。

花火技術活用が主張されているので、現在の大玉でも数百kgであるが、約5tの玉で技術的にできたと考えよう。550mの高さで静止するように打ち上げるとすると、打ち上げ後頂点に達するまでに約10.6秒かかる(t=√(2H/g)=√(H/4.9)=√(550/4.9)=10.59456) その後、ピカ (長崎では高度約500mと推定されているので、同様に計算すると10.1秒)

他方、8月なので気温t=30℃とすると、音速は、20.055√ (t + 273.15 ) =349.18 m/s、2km先なら、打ち上げの音は(とてつもない大砲なので、十分大きな音だろうし)2000/349.18=5.73秒で届いてピカの前に聞こえていたと思われる。

この場合、生き残りが覚えているのは、「ぴかどん」ではなく、「どんひゅるひゅるぴかどん」ではなかろうか? そんな話は聞いたことがない。数十トンにはなるだろう巨大な「打ち上げ用の筒」も私の親族も含め誰も目撃していないようだ。上空爆発なら爆発後も筒は残って目撃されてしまうはずだが、目撃情報がない。検証というか反証に耐えないと思われる。花火的に真上に打ち上げたのではなく、「戦艦ヤマトのものどころではない馬鹿でかい大砲で郊外から発射した」説は、可能性としてはありえるが、この音についても証言はない。大砲は見つかっていない。

で、ここでこれをもう一度
鳥越不二夫(とりこし・ふじお)さん(80)=広島県府中町 忘れたい過去 残す喉元
www.hiroshimapeacemedia.jp/hiroshima-koku/stories/index_20111226.html 

広島市西部の山手町(現西区)で生まれ育った鳥越さん。家は山裾の小高い所で、市街地が一望できました。

1945年8月6日の朝、14歳だった鳥越さんは、学徒動員を休み、健康診断の再検査のため家で病院に行く準備をしていました。

米軍の飛行機音を聞き、外に出て市街地がある東の空を眺めていた時でした。空に黒っぽい塊が見えた瞬間、ものすごい閃光が目に突き刺さりました。同時に、炎のような熱風が顔を襲いました。「ザーッ」というごう音とともに風が押し寄せ、7、8メートル離れた防火水槽まで飛ばされました。

(引用注:閃光の前は、「打ち上げ音」への言及はなく、飛行機音のことしか述べられていない。《空に黒っぽい塊》はある)

となると

「落ちてきた」か「テレポーテーション」で現れたか?後者は考えにくい。

「落ちてきた」いや「誰かが落とした」説が仮説として残っている。

そして、

「クレーターが事実上なかった」という現象を、説明できる。500~550m上空からの爆圧では地面がえぐられ吹き飛ぶあるいは蒸発するような現象はほとんどないからである。他方、例えば高度10mで爆発したとすると、500mにくらべて(500/10)^2=2500倍単位面積あたりの力(つまり圧力)が強くなるので、「クレーターはできない」「クレーターはたいしたことはない」などという命題はただ言っているだけの世界となる。そもそも、直接の衝撃波は地面で反射して、その結果破壊効果が最大になるように計算されていた(後ででてきます)。 これだけでも蓋然性が高い。

「大砲が見当たらない」ことも説明できる。

「セメントや石などに焼き付いた影の角度」も熱線の方向で合理的に説明できる。

「橋の欄干や柱石の移動方向」も衝撃波の方向で合理的に説明できる。

「特に鳥居のような縦長の建造物について爆心近くのほうがより遠い場所より被害が小さい」ことを衝撃波の方向で説明できる。

「建造物や木などについて爆心真下の近場そして地表投影中心からの距離で300m以内なり400mより500mほど遠方の方がより被害が大きい」ことも、直接波と反射波の複合衝撃波(マッハステム, Mach Stem)により合理的に説明できる。近場では直接衝撃波のみだが、距離が遠くなると地表からの反射波と合力化した複合衝撃波が大きくなっていくからである。なお、これはあらかじめ計算されていた。




とますます蓋然性は高まった。(これが、科学的思考の結論というものです)

そして、この打ち上げではない空中爆発を反証する事実があるかどうか?である。今のところないようだ。

原爆の場合は「動物実験」だったので、撮影しているハズである。本当にないとすると無いのは怪しい状況だ、とはいえるが、「フィルムがない」では反証にはなっていない(ある事件が起こったとして、記録フィルムがないから、事件はなかったとは言えない)。おまけに存在が述べられており、空中爆発がわかるかもしれない現物を取り寄せて検討せずに再び・・文章の一部を都合よく解釈では「科学」なしの妄言としてあきれられるだけである。

あとは頑張ってください。もちろん歴史推理において幻想的推論は重要ですが、検証可能な物証があるにも関わらずそれを避け、文章資料を自説に都合よく解釈しているだけでは、幻覚あるいは妄想史学に終わります。反証無視の世界が宗教です。政治とも言えますが。やはり、低強度戦争 ともとれる。

日本の古代史について、歴史史料あるいは考古学的試料を、なんでも自説に都合よく解釈して、考古学的試料についての放射性同位体による年代測定結果を無視して年表上に並べていた人たちを思い出しもします。これは学術的というより政治的立場によるものでしょう。

私は反証無視状態になった他人の幻覚の中で議論を続けるつもりはありませんし、偽りはいずれ自己崩壊していくとはいえ、最初にも述べましたように、これ以上の(理科が不得意な人たちへの)悪影響を防ぐために書き残しておく次第です。

ちなみに

空中で爆発してますね。きれいに爆発雲の影が地面に映っています。


そしてだんだん火球からキノコ雲になっていく


これがナガサキ原爆炸裂映像のようです。「ハロルド・アグニュー・フィルム」なのかどうかはわかりませんがネ。

https://www.youtube.com/watch?v=7UAUKtEGr6k ← これと同じです






Fat Man, The Nagasaki bomb ← これも参照
https://youtu.be/SPV3m2RaP60


Fat Man - Nagasaki Atomic Bomb
https://www.youtube.com/watch?v=9yj7h1hQYmA


関連

なんでも日本が悪い? 「原爆地上起爆」という黒い嘘1
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/ecd4886cdbdc0a2ab1ba6bb9d1b34805 

666 に 777 + 「原爆地上起爆」という黒い嘘2
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/803c0b2ec5344e90650c5aa6434e6b01

黒霧の「原爆地上起爆」デタラメ記事   「原爆地上起爆」という黒い嘘3
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/7ce7d6f50237dbccb7951f7e9f7e7cad

『暮しの手帖』96号 + Legacy of Ashes&相生橋 + 高江道路封鎖
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/835735635ca27831b2b48e91df11ac77

そして↓
長崎原爆 爆風の衝撃波マッハステムの脅威 フロイデ 2014年8月21日 (木) (この記事はよくまとまっているので、使わせていただきます。少しだけ修正&補足あり)
http://susumuito.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-1903.html



17日、NHKスペシャルで 「長崎原爆 知られざる衝撃波 マッハステムの衝撃」が放映された。最初の先入観では、こういう物理的な検証はどのくらい意味があるのだろう?と思ったのだが、実に貴重な検証内容だった。

今でこそ、原爆、水爆はもちろん、原子力発電所の事故による被曝イコール放射能、放射線の問題が常識だが、1945年以降、1950年代の、米軍の少なくとも実践部隊関係者においては、原爆といっても巨大な新型爆弾という認識が強かったのか、放射能、放射線より、強大な爆風にこそ関心があり、実際、長崎での死者の死因の半数は爆風によるもので、熱線熱風や放射線によるより甚大だったと知り、呆然とした。

アメリカ国立公文書館で見つかった資料によると、アメリカは事前に、原爆により、具体的にはマッハステムと呼ばれる衝撃波による爆風により生じる被害の規模、どれくらいの広範囲で人を殺害できるか事前予測するようトーマス・ファレル准将が指示していた。





具体的には(住宅を全壊させ得る)「5 psi, Pounds per Square Inch」という最大効果値を生じるには、上空どのくらいで原爆を爆発させればよいか、ということだ。

上空100 mだと中心部にマッハステムが生じるが、5 psiの威力は1.4 kmまでしか拡がらず、1000 mだと中心は希薄になり5 psiに届かないなどから、長崎に投下されたプルトニウム原子爆弾は上空503 mで爆破された。これにより、1.7 kmまで5 psiのマッハステムが及んだ。(引用注:上空500 mあたりは、ずっと上空から見れば地面のようなものですが、トリニティ実験とは火球の広がり方が違ってくることでしょう)







ナガサキ、高度503mと考えられている → 大量破壊に最適



トリニティ実験、設置高度は20m程度(鉄塔の高さが20mとのこと)→ 破壊・殺戮範囲が「狭すぎる」


具体的には爆心地(から)300 mでマッハステムが発生し、その最大値は爆心地500 mで生じた。




そこにあったのは鉄筋コンクルートでできた頑丈な建物の旧城山国民学校(現 長崎市立城山小学校)だった。




当時、生徒たちは自宅待機とされ不在だったが、北側の校舎には教員、南側の校舎には三菱兵器製作所の社員や九州各地から動員された若い女性たちがおり、原爆投下により 138人が死亡。生存者は20名のみだった。

損傷の激しい遺体が多く、親族に知らされることなく校庭でダビにふされた。後、その校舎を解体する際も、壁などから多くの遺体が発見されたという。

なお、ファットマンと命名された投下された原爆の威力は、広島に投下されたウラン型原爆の1.3倍、実際にも壊滅された面積は広島の10倍に及んだという。




今回、爆風に関する研究のキッカケとなったのは、竜巻の研究者 故・藤田哲也博士の遺品から、被曝後の長崎市の写真34枚と、赤い円などが見れる地図が昨年になり発見されたことからで、




今回、熊本大学で、600分の1規模で爆風に関するモデル実験がなされた。



その前に、マッハステムとは何か。

巨大爆弾が上空で爆発すると、その爆風は地上に向かい、それが地上にぶつかるとドーム状に広がる。地上では同心円状に拡がるのだが、その横に水平に拡がり、進んでいく爆風が、上からの爆風と重なることで倍加されて、進行する圧力の壁が、進行することで更に高さと威力を増したものをマッハステムと呼ぶ。



8月9日午前11時2分の原爆炸裂後、わずか0.1秒でマッハステムが城山国民学校に到達。そのときの圧力は8000トンと推測されるという。

生存者20人のうちの1人が、北側校舎の校長室で会議していた教頭 荒川秀男さんだった。会議していた校長を含む同室の4人は死亡。後、荒川さんは他の地域での生存者らからも実態調査して 「原爆の記録」として残している。同室の4人の状況も書いていて凄絶だ。

番組では、先述の実験のほか、シュミレーションにより、北側校舎の校長室と、南側校舎に、どうマッハステムとが襲いかかったかも説明された。

北側校舎には炸裂後0.04秒後に1万2000トンのマッハステムが届き、ガラスを破って突き当りの壁に炸裂後0.1秒で届いた爆風は、後ろからの爆風とぶつかり威力を増した。更に、南側校舎との間にあった中庭にも強い圧力がかかったが、その力も、中庭にも面していた校長室に向かい 結果、一層強大な爆風が校長室に入ったと推測された。

南側校舎の被害も甚大だった。100人いたうち96人が死亡した。

生き残った金谷(旧姓 武藤)弘子さん(86歳)は当時17歳。三菱兵器製作所の経理で同僚3人と同室で働いていた。皆さん良い先輩で、良い職場で良かったと思っていたという。

9日はたまたま金谷さんが防空壕を掘る登板に当たっていたので、11時少し前に部屋を出て防空壕に行って作業を開始した。そして原爆が爆発。弾き飛ばされたが助かった。

すぐ同僚のいる部屋に行こうとした。中村千代子さんは体中にガラスが刺さり 「痛いを通りこしてる」と言い、野元久子さんは目が2cmほど飛び出ていて 「ぼんやり、半分くらい見える」と言ったという。けれど2人もその後死亡。

野元さんは生前、金谷さんに 「平和になったら私の故郷の鹿児島に遊びに来てね」と言っていたという。

もう1人の奥サナエさんは見当たらなかったが、米軍の記録に残されていた。

米軍の記録とは、原爆投下後1ヶ月後に米軍は日本人医師や科学者を伴い、被害状況を調査に来た。その資料の中に、城山国民学校の状況に関するものもあった。



建物の見取り図に即死者は●、しばらく生存していたがやがて死亡した人を○の横半分を黒く塗った記号で記し、そそれぞれの人についての死因も書かれていた。

No.33 AIKO TANAKA 22歳女性 死因=爆風
No.7 WAYATA FUJIWARA 30歳男性 死因=圧死
No.34 SACHIKO YAMAZAKI 20歳女性 死因=判別不能



そして、奥サナエさんも、No.63 として爆風による即死とされてあった。
これらの「データ」は、その後のアメリカの核開発に利用された。




放送では、鹿児島から初めて同地を訪ねて来た奥サナエさんの妹さんが、金谷さんと初対面するシーンがあった。妹さんには戦後、サナエさんが長崎で死亡したとだけ知らせがきただけだったという。もちろん遺灰等はなし。長崎のどこで死亡したかも、今回の調査まで、69年間知らないままだったという。




おまけ







爆発が、地中だと、溶けて、蒸発して、飛んでいって、固化して塵になる・・と
大きなクレーターですなー




広島原爆の破壊力と被害
爆発で放出されたエネルギーは約63兆ジュール(62.8 [TJ(テラジュール)]、6.28 × 1013 [J])、TNT火薬換算で1万5千トン(15キロトン)相当に及んだ。エネルギーは爆風(衝撃波・爆音)・熱線・放射線となって放出され、それぞれの割合は50パーセント・35パーセント・15パーセントであった

ヒロシマ

長崎原爆の威力
長崎原爆「ファットマン」はTNT火薬換算で22,000t(22kt)相当の規模にのぼる。この規模は、広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」(TNT火薬15,000t相当)の1.5倍の威力であった。

ナガサキ


(ここにも反復蛇足追記:直下の地面が単位面積あたり受けるエネルギーは、爆発高さ20 mの時に比べて、500 mなら"5^2=625分の1、550 mなら27.5^2=756分の1)