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徴兵制 ~ その驚くべき不正の歴史は必ず繰り返される 誰も通らない裏道

2016-08-15 08:15:12 | 歴史
徴兵制 ~ その驚くべき不正の歴史は必ず繰り返される 誰も通らない裏道 2015/06/26
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2015/06/post-c470.html より

実に久しぶりにブログを書く。
といっても、以下は昨日読んだ本からの引用である。

集団的自衛権の次に来るのは間違いなく徴兵制であろう。

「いくらなんでもそこまでは、、、」
などということはあり得ない。なぜなら、120%憲法違反である集団的自衛権すらが、いまや認められようとしているのだから。


なにゆえ政府はここまでやろうとしているのか?

私は個人的には、福島第一原発の手の施しようのない現状、アベノミクスの惨憺たる行く末から目をそらすために、いざという時にはいつでもドンパチできるようにしておくことが目的なのではないかと睨んでいる。(引用注:結局、怒りの矛先をよそに向けさせ、他人に殺し合いをさせながら、儲けるためですよね)

当ブログでは3.11の前からチェルノブイリ事故から5年後にソ連という官僚国家が崩壊したのは他人事ではないのではないか?ということを指摘してきた

いまチェルノブイリ後のソ連と同じ道を辿っていると思うのである。

さて、以下に引用するのは森史朗著『松本清張への召集令状』(文春新書)の「第五章 召集令状とは何だったか」の「Ⅱ 召集令状のカラクリ」の冒頭部分だ(太字部分はブログ主)。



********************

 記事は月刊『文藝春秋』誌に掲載されたもので、タイトルは「『兵隊製造人』の手記」(昭和三十年二月号)。筆者は神戸達雄。召集令状の不正のカラクリを告発した文章である。

「兵隊製造人」とは召集令状、いわゆる「赤紙」を発令する立場の人物を指し、筆者は清張さんたち妻帯の中年兵を恐怖におとしいれた「赤紙」が公正に発令されたものではなく、きわめて恣意的におこなわれていた一つの事実を明らかにしている。

「私が、今ここで五千人や一万人の召集令状を誰にしようと私の意のままに出来た」
 と、恐ろしい告白をしている。

 その結果、何が生まれたのか。筆者は冒頭で率直に書く。

「一度『赤紙』を受取ったら、既に好むと好まざるに拘わらず、それは直ちに死を意味した。当人は勿論、その家族のうけるどん底の思いは、現在が平和であるだけに、測り知れないものがあった。 二三〇万人にも及ぶ戦死者と、十五万人の戦傷病者、そして更には問題を今日まで残してきている四〇〇万人の遺族が、一枚の紙片『赤紙』の乱舞に依って生れたのである

 戦後十年を経過しているだけに、率直な告白である。東京裁判が終結し、サンフランシスコ講和条約が発効した段階で、ようやく戦争の真実が語られはじめた時期なのである。今までタブーとされていた軍隊の実態が、はじめて明るみに出されたのだ。

 たとえば、兵隊動員の実態とはこんな具合である。

「南方で飛行場を建設するために、三千人の要員がほしい」という要求が出たとする。軍中央から各連隊司令部が受けた命令は、
「昭和二年から五年までの徴集年次、未教育二国、三千三百人、三月一日午前十時○○海兵団」
 となる。「未教育二国」とは、徴兵検査後、教育訓練を受けなかった第二国民兵の意味である。ただちに、司令部事務官が三、三〇〇枚の赤紙を用意する。

 司令部事務官といっても、実際に作業にかかるのは若い下士官や軍属、ときには徴用の二十歳前後の女性たちである。

 彼らは各地方別にならべられた兵籍名簿に適当に赤紙を差しこみ、一方で混んだ地方からはこれをぬき取ってまばらな地域に回して均一をはかる。この赤紙一枚のさし替えで、その人物の運命が決まるのである。

 赤紙を抜かれたほうにとっては極楽だが、差しこまれたほうに待ち受けるのは、一転して地獄と死だ。赤紙の差しこみ作業は、慣れてくれば瞬時におこなわれ、五時間もあれば赤紙は確実に日本各地の本人の手もとにとどけられた、と記事にある。


「私達の眼にとまった名前の人が、どういう運命の糸に操られていったか。それを思うと、慄然とした気持にならないでもなかった」

 と神戸達雄氏は述懐しているが、その作業が“時には喫いかけの煙草をくわえた気楽さ”で処理されていた実態もあったから、事務処理とは言うものの、かなり杜撰な処理であったことも指摘できるようである。

 事務処理が簡単なゆえに、腐敗の入りこむ余地があった。手記は、筆者が実際に体験した、こんな事例をあげている。

 連隊司令部の事務官にAという男がいた。三十七歳で下士官上がり。経験も古く、半年や一年前に来た佐官級の人物でも、この男にアゴで使われるほどの隠然たる勢力を持っている。

 そのAがある日、在郷軍人十数名の名前を各員にしめし、

「これは俺の親戚の者だ。召集しても、もちろん差しつかえないが、そのときはちょっと俺に連絡してくれよ」

 と、一人ずつ名前のついた赤符箋を全員のまえでさりげなく見せた。この連中には召集令状を出してくれるな、という暗黙の指示である。

 命令ともいえぬ命令で、赤付箋はただちに兵籍名簿の該当者に貼りつけられたこれで十数名の人間は赤紙召集の恐怖からのがれることができ、代わってだれかが召集されて戦場におもむくのである。


 では、この「赤付箋のつけられた人物」とは、いったいだれなのか。記事によれば、Aの親戚縁者とは何のかかわりもない会社重役、食料などの配給事務にたずさわる上役、料亭の主人、知名人など、当時の“儲かる仕事に従事している人”ばかり──。

 また、こんな人物もいる。仮にBとしよう。
 Bも古顔のベテラン格で、連隊司令部に配属されるや、たちまちにして頭角をあらわした。事情通の古参軍属であるだけに、召集免除の手口も巧妙である。

 まず、司令部にある空白の赤紙から一枚をこっそりと抜きとり、勝手に名前を記入する。その相手とは例外なく地域の有数の資産家で、つぎにBは当人を直接訪ねると、おもむろにつぎのように切り出す。

「実は、困ったことになりましてね。今日、司令部を半日留守にしたら、何とこんな召集令状がはいっているではありませんか。あなただけは召集から守ると約束をしていながら、私も面目ない。これは、すぐ戦地に出発する部隊ですからねえ」

 打ち明けられた本人は、顔面蒼白となる。戦争末期になると、軍隊での内務班生活も苛酷なら、輸送船に乗せられて南方戦線送りされるのも地獄である。いずれにしても、未来に希望はない。

 Bはその動揺を見越して、さらにこうつづける。
「あなたは社会的に重要な人です。だから、そんな人物に軍馬の脚などを洗わせたって国家的損失でしょう。これから私は司令部に引き返して、この赤紙を他のだれかに肩替わりしてもらえないか、上役に訴えてみます。

 もし、そのことが実現したら、あなたが社会的に重要な存在だという裏付けだけはして下さいよ。あなたの代わりに、他の人が死ぬのですから」

 神戸手記が真実なら、まるで手練れの詐欺師まがいの口説である。


 架空の赤紙とは気づかぬ相手の資産家は、Bにたいして総力をあげてヤミの物資、ヤミの供応、金銭の奉仕に熱中することは請けあいである。やがてBが上役への工作が成功したとふたたび姿をあらわし、赤紙をかざして、
「これは無用になりましたから」
 と破りすてて、一件落着となる。万が一、実際に召集令状が発行されそうになった場合、前述のAの手口のように「親戚の者」として巧みに除外させれば良い。

 手記の文章はこうなげいている。
「本土決戦、水際作戦の文字が新聞に現れてから間もなく、稀にみる大動員があった。当時兵役のある者は殆んど出尽し、家郷に残ったのは、国民皆兵組の『未 教育二国』が大半であったから、この二国を浚っていったのは当然である。十九歳の少年と四十三歳の父親と、親子仲よく入隊した笑えぬ話のあった頃だった が、丸腰で内地の水際にザン壕掘りに使われた兵隊である」

 神戸氏の体験でも、なぜか血色の良い、立派な体格の若者が「肋間神経痛」とか「脚気」とか、外部からみれば判別のつかない理由で召集免除の恩恵を受けている。

 同氏が実見した臨時召集の場合、二三人召集組のうち一九人が即日帰郷となった。その顔ぶれをみると、Aが「親戚の者」として赤付箋をつけた男たちばかりではないか。代わって、四十歳代の中年兵が「赤紙」を片手に戦場に出て行った。

 これが、召集令状の実態である。堂々と不公正な選抜がまかり通り、それによって戦場に送られることなく生きのびた連中がいる。


 松本衛生二等兵の場合も、そのだれかに代わって臨時召集され、一家六人を残して朝鮮へ駆り出されたのではないか。では、いったいだれがその意図的な選抜とかかわっていたのか?

 清張さんはその記事を「ぜひ読みたい」といい、私は折り返し記事のコピーを浜田山の自宅にとどけた。

「遠い接近」が『週刊朝日』誌上に連載されたのは、それから約半年たってのことである。

********************

もし自公政権の下で徴兵制が実施された場合、もちろん議員連中や支持団体の有力子息が徴兵されることはないだろう。そしてまた、メディア関係者の子息も。


ちなみに、鴨下信一著『誰も「戦後」を覚えていない [昭和20年代後半篇]』(文春新書)によれば、朝鮮戦争当時、著者は学校で「おい、あんまり朝鮮戦争のこと、大声でしゃべると沖縄に引っぱってゆかれるぞ」「軍隊があったら、すぐ徴兵だったな」「戦争放棄だもんな」とヒソヒソ話していたそうだ。





「遠い接近」 珍念のひとりごと 
http://tinnen.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-838c.html




 作家の松本清張に召集令状が届いたのは1943年秋である。当時33歳。男性の平均寿命が50歳ほどの時代になぜ自分なのか。一家6人を養う仕事もある。後の文豪にこんな疑念が芽生えた。

◆出版社で清張番だった森史朗さんが著した「松本清張への召集令状」によれば、清張は令状に思い当たる節があった。係員に短期兵役の令状を出すと「お前、(兵役義務者が対象の)教育訓練にはよく出ていたか」と問われた。

◆「いいえ」「ははぁ、それでやられたな」。こんな体験を基にしたのが小説「遠い接近」だ。清張の分身の主人公は32歳で自営の色版画工。家では妻子と両親の6人が待つ。そこへ赤紙が来た。物語は召集のカラクリを暴き、国家とは何かを問う。

古い作品を思い出したのは、与党の安全保障法制の整備が本格化してきたからだ。法案に盛り込まれる集団的自衛権の行使は、「専守防衛」という戦後の根幹を大転換させるものである。「戦争」が身近になる、と言っていいのかもしれない。個別的自衛権の行使はもとより、集団的自衛権であっても戦争なのだ。戦死者が出る可能性も否定できない。

◆小説で分身が言う。「最後まで親や妻子と同じ所にいたかった。-みんなで抱き合って死んだら、どんなに仕合わせかわからない」。清張翁(おう)が存命なら戒めるだろう。「戦争をしないことこそ、国の最大の務めじゃないか」【南風録】・・


美輪明宏が「安倍首相も自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と一喝! リテラ 2015.07.14
http://lite-ra.com/2015/07/post-1280.html

++
実際には反対する人間を無理矢理・・





被爆マリア像 あすなろおじさんのつぶやき 凡人の独り言 2008/08/1023:48
http://asunaroojisan.blog113.fc2.com/blog-entry-1442.html?sp


 この“被爆マリア像”が全てを語ってくれている。“佐多保彦”氏が語っておられるように「“反核”や“平和”などの言葉によるプロパガンダは要らない」。

「被爆のマリア像が訴えるものは実にパワフルで、世界平和のシンボルにこれほどふさわしいものはないと考えている。それは単なる反核の訴えを越えて、人類普遍の平和に対する認識と熱意を感じさせるからである。お像の廻りに“反核”や“平和”などの言葉によるプロパガンダは要らない。ただ静かに傷ついたお顔を堂々とお見せになられているだけでよい。人々はその前に跪き、各々の祈りを心に唱えることだろう。それは目に見えずとも、平和を訴える大きなパワーとなって浦上から世界へ流れ出てゆくに違いない。」(“Sata Foundation”より)

「世界平和を願う声にこたえ「被爆マリア」は、昨今とてもお忙しいらしい。
 光を失った眼でご覧になったあの8月9日の惨状と人間の罪深さ。それを世界に訴えると共に、深い悲しみに沈む人々に希望を与えるため、とのこと。」(“さわらび通信”さん“日本史を見つめた「聖母」たち”より)


http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/7ce7d6f50237dbccb7951f7e9f7e7cad のコメントより

ちなみにディオニシ氏の「長崎の秘密」について (ネメシス)
2016-07-13 15:43:05

「アメリカを支配している悪魔崇拝の秘密結社「死の血盟団」
(イルミナティーだのフリーメイソンだのスカル・アンド・ボーンズだの、
その時々、場合によって分け方や呼び名は変わる)が、戦後の
日本支配にあたり、現人神とされてきた天皇の「人間宣言」後に
拠り所を失うであろう日本の大衆のさまよえる心が、
キリスト教に流れることを防ぐために、

日本のキリスト教(カトリック)の中心であった長崎を予め
叩き潰しておく目的で、原爆開発の要となる重要ポストに
奴らの息の掛かった人間を送り込み、原爆を完成させ、
そして投下目標を決定させ、実行させたのであった。

最初から「長崎の破壊」が、何よりも重要な第一目標であった。
しかしその事実が明らかになると、全世界の何十億という
カトリック信者(勢力)を敵に回すことになる為、狡猾な奴らは
さまざまな方法と手段でもってその事実を巧妙に隠蔽してきた。

例えば、「マーケティングの理論」 - 「それぞれの分野に於いて、人々は
それを最初に成し遂げた人物や、事象については鮮明に覚えているが、
2番目以降については、殆ど忘れ去られてしまう」というものがあるが、
その理論に従い、

彼らの最重要目標である長崎のカテドラル(浦上天主堂)は、
少しでも人々の記憶から薄れるように、
最初から2番目の原爆投下として決定されており、
そして第1番目の目標には広島が選ばれた。


また、長崎が本目標となるその2番目の原爆投下でさえ、
最初の予定では第一目標は小倉と定めてあり、
その上空をわざわざ3回も通過した挙句(アリバイを作り)、
結局、天候不順による視界不良のため「仕方なく」、
次の長崎に目標を変更した、という風に、あくまで「偶然によって」
長崎原爆投下が決定された…などという宣伝(情報操作)が
大々的になされた。


そして、実際の目標決定という重要な権限を持っていたのは、
オッペンハイマーでもなく、グローヴス将軍でもなく、
実は「死の血盟団」の団員であるスティムソンであったのである…


というのが、ディオニシ氏の論説の主旨なのだが、
これのどこに「原爆の地上起爆説」が関係してくるのであろう?
全く持って「日本の黒い霧」氏が勝手にこじ付けたに過ぎない
というしかないことがお分かりであろう。

長崎の秘密
www.teachpeace.com/japanesetson.pdf

長崎の秘密 on Vimeo (動画版)
vimeo.com/136436907

++
8.15への強い執着を観ればその意図は納得できます。

では、もう一度

なんでも日本が悪い?
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/ecd4886cdbdc0a2ab1ba6bb9d1b34805 より

聖母の被昇天

聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん)とはカトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(815日)のこと。・・(犯人たちはこれに拘っただろう)





http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

ヨハネによる福音書/ 08章 32節

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。


https://twitter.com/sugaseiko/status/764983558792368128
菅聖子@sugaseiko 5:34 PM - 14 Aug 2016

戦死した祖父が、幼かった母に送った一枚のハガキ。写真でしか知らない若い祖父はどこでどんな気持ちでこれを書いたのだろう。思いを馳せ平和を祈る終戦記念日。



https://twitter.com/giovannni78/status/765354878390665216
岡山博@giovannni78 6:09 PM - 15 Aug 2016 

前大戦で、勝つための戦闘で死んだ兵士はわずかだ
死因の大半は
・無責任方針による、飢えと傷病
・「見通しない挽回のための時間稼ぎ」名目に勝つつもりない、硫黄島や沖縄をはじめとする玉砕や特攻含む無駄な戦闘
・不都合な人間を死なせるための戦死配属
・上官によるリンチや強制された自殺


岡山博 ‏@giovannni78 Aug 15

兵士の大半は、軍幹部の保身のために戦闘と無関係に、強制されて死んだ。
国の大義のためでなく、無念の思いで死んだり殺された。
軍幹部は日本国民に対する加害者だ。
「戦死者は戦後日本の発展の礎だ感謝しろ」と加害者の末裔が恫喝する。福島原発と同じ構図だ


岡山博 ‏@giovannni78 Aug 15

戦死配属:死ぬ可能性が高い部隊に配属する。対象は
・ミッドウェー等、敗戦の生存兵
・軍中枢に批判的な軍人
・批判的な文化人民間人
・軍や特高警察が嫌う人たち;結核地域調査に協力した京大医学生多数。栄養の項目が、厭戦気分を煽るとして検挙され、軍医ではなく兵卒として戦死配属された