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長崎平和祈念式典:被爆者代表の井原東洋一(いはらとよかず)さん

2016-08-11 23:20:08 | 原爆・原発・放射能攻撃
2016 08 09 長崎平和祈念式典:被爆者代表の井原東洋一(いはらとよかず)さん
https://www.youtube.com/watch?v=KgHR8FDnZbo&feature=youtu.be

被爆者代表・井原さん、オバマ氏演説にがく然 「原爆は落ちたのではない」 東京新聞 2016年8月9日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016080902000238.html


平和祈念式典で、「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の井原東洋一さん=9日午前、長崎市の平和公園で


 長崎は九日、原爆投下から七十一年を迎えた。五月のオバマ米大統領の広島訪問から初めて迎えた「原爆の日」。被爆者は今も戦争の「加害」と「被 害」に向き合い続けている。改憲など政府の姿勢への懸念表明がこの数年続いている、平和祈念式典での被爆者代表の「平和への誓い」では今年も、安保法廃止 の訴えが盛り込まれた。 

 オバマ米大統領が広島訪問の演説で、原爆が空から落ちてきたと表現したことに、九日の平和祈念式典で被爆者代表を務めた井原東洋一(とよかず)さん(80)はがくぜんとした。

 「落ちたのではない。米国が、落としたんだ」

 広島に投下された原爆はウラン型、長崎に落とされたのはプルトニウム型。この違いに疑念を抱き続けてきた。式典で読み上げた「平和への誓い」で、「二種類の原爆による実験ではなかったのか」と思いをぶつけた。

 九歳の時、爆心地から約六・五キロの自宅近くで、まきを集めるため大木の枝切り中に爆風で吹き飛ばされた。気を失ったが、大きなけがをせずに済んだ。

 だが、爆心地付近で負傷し搬送されてきた人々を手当てし続けた母親は、終戦から七年後に亡くなった。「原因が分からなかった。今思えば、体がだるくなる『原爆ぶらぶら病』に似ていた」

 高校卒業後、電力会社の組合幹部を経て、長崎市議に。三十代前半から平和運動に身を投じた。十年前からは被爆者団体「長崎県被爆者手帳友の会」の会長として、長崎の反核運動を引っ張った。

 「平和への誓い」では、原爆被害を一方的に訴えるだけでなく「日中戦争や太平洋戦争などで日本が引き起こした加害の歴史を忘れていない」との言葉も盛り込んだ。政府に対しては、憲法に反する安全保障関連法を廃止し、米国の「核の傘」に頼らぬよう訴えた。

 スウェーデンの平和問題研究機関の推計では、今なお約一万五千発の核弾頭が世界に残るとされる。「長崎を最後の被爆地に」。全ての核兵器がなくなるまで、諦めずに叫ぶことを、自分に誓っている。


爆心地は語る 被爆71年の長崎(2)オバマ演説に違和感 西日本新聞 2016年08月03日00時22分 (更新 08月03日 18時22分)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/263417

・・ それから53年後の2001年、平和祈念式典で読む「平和への誓い」の文案に「米国が憎い」と書いていた被爆者の文案は、市の担当者が「戦争が憎い」と直すように助言した。

 長崎原爆は、自然現象ではなく、米国が広島での惨状を見た上で、明確な意思で投下した。米国の顔色をうかがう姿勢が本質をゆがめていないか。山川さんは「被爆地が正しく表記することを恐れれば、正しい事実を後世に伝えられない」と指摘する。




ミンキーモモ都市伝説について ミンキーモモを放送・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1260032717

ミンキーモモ都市伝説について

ミンキーモモを放送すると必ず地震速報が入るという都市伝説

ふとおもったのですが

阪神淡路大震災が起きたのが
5時46分
東日本大震災が起きたのが
14時46分
ミンキーモモで地震速報が入る話が
第46話

これって、ただの偶然でしょうか?




関連 再度リンク

黒霧の「原爆地上起爆」デタラメ記事
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/7ce7d6f50237dbccb7951f7e9f7e7cad

なんでも日本が悪い?
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/ecd4886cdbdc0a2ab1ba6bb9d1b34805

666 に 777
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/803c0b2ec5344e90650c5aa6434e6b01

白洲次郎のプリンシプルとは? by 鬼塚英昭 原爆ホロコーストへの道
http://satehate.exblog.jp/9332877/

原爆ホロコースト:広島
http://satehate.exblog.jp/9381417/

原爆ホロコースト:長崎
http://satehate.exblog.jp/9404672/

SWCと「創価学会」の連携
http://satehate.exblog.jp/16803963/

自国の支配層によって三たびも“核の人体実験”に投げ込まれた日本国民 あっしら
http://satehate.exblog.jp/16704685/

安倍晋三 長崎平和祈念式典2016/8/9
https://www.youtube.com/watch?v=WBitpciKIHg

















なぜ原爆の悲惨さや、戦争の真実を伝えるために重要だった長崎の浦上天主堂は取り壊されたのか? ― 2016/08/11 23:12
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/08/11/8150065

欧米人にとって、ヒロシマの原爆ドームよりもっとインパクトの強いものがあるはずだった。それが、長崎の浦上天主堂キリスト教会だった。

もし、この教会が、そのまま残されていたとしたら、世界中から人々が訪れ、原爆の悲惨さについて、戦争の真実について、何よりも多くを語っていたと思われる。

では、なぜこの浦上天主堂は、保存されなかったのか?取り壊されたのか?

調べていくと、様々な事が分かるのである。

以下、その経緯について書かれた文章を抜粋して、引用

前略

しかし、長崎の原爆遺構として、キリスト教会の廃墟が永遠に残されるというのは、アメリカ側としては、どうにもバツの悪いものであった。

ただでさえ、「長崎の鐘」の永井博士は、ヘレン・ケラーから見舞いを受け、当時のローマ教皇ピオ12世からも特使を派遣されて讃えられ、長崎の名誉市民にもなっており、被爆地の聖人視されていたので、教会の廃墟が残る限り、ナガサキは日本人の悲劇というに留まらず、キリスト教信者をも含む、全人類を代表しての原爆に対しての、悲劇の聖地という役割になってしまうのである。


そこで、アメリカ側は、長崎市議会の「浦上天主堂の廃墟を保存する」という決定をくつがえすために、動き始めるのである。

まず最初、アメリカのセントポール市というのが、長崎市に対して突然、姉妹都市提携をしようと提案してきたのである。姉妹都市というのは、今ではよくある話だが、当時は日本初の話であった。

とにかく、仲良くしようという話なので、長崎の田川市長としては断る理由がない。受け入れると、すかさず、提携式典に市長を招待したいと言ってきた。ただ、当時の大学初任給が1万円の頃に、アメリカに旅客機で行くだけで片道30万円かかる。日本はまだ復興の途上にあったので、日本国が役人の出費にも厳しく、許可を出さなかった。

今と違って役人は真面目だったので、田川市長は行かなかった。

ところが、アメリカは翌年になって、国務省から駐日米大使を通じて、さらに招待し、今度はアメリカ側が費用を出すということになった。

それならということで、田川市長は応じて、アメリカに渡ったのであるが、それは、一泊二日どころではなく、一カ月間に渡って、アメリカを東から西まで縦断して視察してもらい、アメリカの文化を見てもらいたいというものであった。あちこちで歓待の嵐に合い、それはまるで竜宮城のような接待だったという。そして、帰ってくると、彼は突然、浦上天主堂の廃墟は、撤去すると言い出したのである。

実は田川市長が渡米する前に、山口・長崎大司教が渡米している。実質上の浦上天主堂の主権者である。彼はあちらでキリスト教会の祭司達と合い、浦上天主堂の再建費用の寄付を募って回った。

すると、あちらの有力者から再建費用は喜んで出すが、それについての条件が、浦上天主堂の廃墟を撤去することだったという。山口は、喜んでそれを呑んだという。彼も、原爆投下は神の摂理であり、平和のためには仕方がなかったと肯定する人だったのである。

その彼が長崎に帰り、田川市長もアメリカで洗脳されて長崎に帰り、相談した結果は、当然ながら浦上天主堂の廃墟の撤去だった。

市議会議員の中には、絶対に残すべきだと主張する人も多く、新しい浦上天主堂は同じ地に建設するにしても、被曝遺構としての浦上天主堂は今の平和公園の土地に移し替えて保存したらいいじゃないかと申し入れたが、田川市長は、あくまでも教会の廃墟は撤去であり、保存しないということにこだわったという。

そして、1958年3月に浦上天主堂の被曝遺構は破壊されたのである。しかも、その2週間後に、市役所が火事になり、被曝遺構としての浦上天主堂の写真をたくさん取り貯めていたことで有名だった池松さんという市職員のフィルムも全て焼けてしまった。

参考資料…「ナガサキ・消えたもう一つの原爆ドーム」 高瀬毅・文春文庫

以上引用

ナガサキ・消えた原爆ドームという話
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/urakami.html


まあ、アメリカにとって都合が悪かったので、撤去し、さらに証拠の写真も燃やしたということだろう。

ちなみに、この浦上天主堂を破壊した1958年というのは、安倍晋三の祖父である岸信介内閣である。 ・・



http://www.f-makuramoto.com/01-nenpyo/01.nenpyo/1957-1959.s13.html

▼1958(昭和33)【昭和】 戊戌(つちのえいぬ)

  《総理大臣》[第56代]岸信介(→06/12)、[第57代]第2次岸信介内閣(06/12→)
  《知事》[第41代(公選3代)]西岡竹次郎(→01/14)、[第42代(公選4代)]佐藤勝也(03/02→)
  《市長》[第19代]田川務

  ★浦上天主堂の再建着工を知った原爆資料保存委員会が廃虚は貴重な資料とし保存を要望
     残すか壊すか世論も揺れ山口愛次郎司教を中心に検討し廃虚の取り壊しはやむを得ないと結論
     →のち☆保存委員会が再度保存を申し入れ、市議会でも取り上げられる
     →02/18☆長崎市議会が元浦上天主堂を原爆資料として保存すること要望
     廃虚全てを移築することは資金的、技術的に困難であるとし側壁一部を原爆中心地に移築保存することで決着
     →1958(昭和33)04/14☆ハンマーによる人力取り壊し作業がはじまる

  03/29★夜、長崎市庁舎市議会事務局付近より出火。2階の大半を焼失
     →のち☆全館が建て替えられる



↓植草先生が井原演説を文字化してくれていたので追加します。

二種類の原爆による実験だった広島長崎大虐殺 植草一秀 2016年8月11日 (木)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-0f1e.html

・・8月9日の長崎での平和祈念式典。

被爆者代表として「平和への誓い」を述べたのは長崎県被爆者手帳友の会会長の井原東洋一氏である。

井原氏は「平和への誓い」で次のように発言した。

「幼い頃、神の国日本、欲しがりません勝つまでは,などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息を潜め、日本の敗戦は近い、と思っていました。」

「原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ7万4千人が無差別に殺され、虫や 鳥や植物などのすべての生き物も死滅しました。」(引用注:アメリカ人はなぜかほとんど死ななかったらしい)

「翌日から救護活動に参加した母や姉兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も、歯茎から血を出し、髪が抜けるなど長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆症で亡くなりました。」

「広島に歓迎されたオバマ大統領は、空から死が降ってきた、と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して、長崎にはプルトニューム型原爆が投下されたことから、私には、二種類の原爆による実験ではなかったのか、との思いがあります。」

「政府には、原爆症や被曝体験者の救済について、司法判断にゆだねず政治による解決を望みます。」

「しかし私たちは、絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで、日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。」

「わが国は過去を深く反省し、世界平和の規範たる日本国憲法をつくり、これを守ってきました。」


「国会および政府に対しては、日本国憲法に反する、安全保障関連法制を廃止し、アメリカの核の傘に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に核兵器の「先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止の為に名誉ある地位を確立されることを願っています。」

「地球市民とともに、核兵器廃絶の実現を!」

・・メディアは安倍首相の朗読原稿などではなく、被曝者代表の的確、痛烈な指摘を広く人々に伝える責務を負っている。



長崎原爆の式典で安倍首相に「改憲反対」と叫んだ参列者を警察が拘束! 取材中の不当聴取なのにマスコミは抗議も報道もせず リテラ 2016.08.13
http://lite-ra.com/2016/08/post-2493.html

 原爆が落とされた8月9日、今年も長崎で開かれた平和祈念式典。しかし、その中でこの国が「平和」とはまったく逆の方向に向かっていることを示す事態が起きた。なんと、安倍首相の挨拶の最中、改憲反対を叫んだ市民が、それだけで警察に連行されてしまったのだ。・・

・・ 警察は「警備上、念のため」などと釈明するかもしれないが、実はこうした事態は警備が必要な式典以外の街中でも起きている。たとえば昨年の10月には、ピーター・バラカン氏が、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『The Lifestyle MUSEUM』(TOKYO FM)で、その日スタジオに向かう途中、こんな経験をしたことを語った。

「めずらしく広尾の方から六本木に向かって有栖川公園の脇を歩いていると、まずひとりの警官にちょっと、変な目で見られて(略)。もうちょっと先を歩くと、中国大使館のすぐ手前のところで2人の警官に、止められました。『あれ? どうしたんですか?』と言ったら、『いや、あの今日これから抗議をする予定ですか?』と聞かれたんですね。ん?いや、特にそんなことはないと『なぜそんなことを聞くんですか?』と言うと、『9条のTシャツを着ているから』と」

・・同じく昨年10月、東京新聞が、「『No.9(憲法九条)』と書かれた小さなタグや缶バッジをつけた市民が国会本館や議員会館に入ろうとすると、警備員らに制止される例が相次ぐ」ことを報じている。

・・さらに同時期ツイッターでは、一般ユーザーによる〈クリスチャンの女性が「平和がだいじ」と書いた可愛らしい絵本袋を持って国会周辺を歩いていたら警官に職務質問されたそうだ。彼女が警官に「どうして聞くんですか」と聞いたら絵本袋をさして「平和って書いてあるから」と。今や「平和」は犯罪!〉という投稿も確認できる。

・・先の参院選で改憲勢力3分の2の議席を得て、安倍首相が描く“改憲スケジュール”は待ったなし。自民党や日本会議、産経新聞などの右派勢力は、改憲の世論づくりのために、あらゆる場所で日本国憲法への攻撃を強めている。一連の憲法排除は、こうした空気を警察権力が敏感に感じ取って、警備・監視行動に反映させているということだろう。

・・この状況を見て、想起させられるのは、前述した戦前・戦中の状況、とくに1925年、治安維持法が制定されて以降に起きた事態だろう。同法は当初、天皇主権や資本主義を否定する運動を取り締まるものだったが、そのうち、反戦や人権尊重などを口にするだけで反政府的主張とみなされ、摘発・拘禁されるようになっていった。そして、その中央政府による恐怖政治の先兵となったのが、警察や地方行政、メディアだった。ようするに、その戦前・戦中の公権力の姿勢が復活しつつあるのだ。

 しかも、唖然とするのは、マスコミがこうした状況に対して、ほとんど批判をしなくなっていることだ。・・



長崎市長、「被爆国の原点に帰れ」政府を批判【全文】
The Huffington Post 投稿日: 2013年08月09日 12時27分 JST 更新: 2013年08月10日 20時53分 JST NAGASAKI ATOMIC
http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/08/nagasaki_zenbun_n_3729476.html

長崎への原爆投下から68年となる8月9日、田上富久長崎市長が「長崎平和宣言」を読み上げた。安倍晋三首相も出席した平和式典で、日本政府がNPTの共同声明へ署名しなかったことや、インドと進めている原子力協定交渉を批判した。以下、宣言を全文掲載する。


68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていた街は一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち74,000人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

このむごい兵器を作ったのは人間です。広島と長崎で二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも人間です。

人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折りにふれ確かめなければなりません。日本政府に被爆国としての原点に帰ることを求めます。

今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有を目指す北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。日本政府には被爆国としての原点に帰ることを求めます。

非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国にはNPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで「核兵器が存在する限り私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

しかし、世界には今も17,000発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」という日本国憲法前文には平和を希求するという日本国民の固い決意が込められています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を戦争がもたらした数々のむごい光景を決して忘れない、決して繰り返さないという平和希求の原点を忘れないためには戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声をあなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そしてあなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか、考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和の求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

長崎では今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は福島の一日も早い復興を願い応援していきます。

先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。