ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

60年

2020年11月19日 | 私事
1960年11月18日金曜日。
この世に生を受けて昨日で満60年となりました。俗に言う「還暦」ってヤツです。
お祝いのメッセージを送っていただいた方々に御礼申し上げ、健やかに生活できていることに感謝いたします。

それぞれの世代の方々が、自らが生きた時代を激動の時代と振り返るのかもしれません。
オヤジも例外ではありません。

60年安保の年に産まれ、「もう戦後ではない」最初の東京オリンピックは4歳になる直前で朧げな記憶。
小学校の頃、低学年の頃は暖房はコークスによるダルマストーブだったものが、高学年の時に出来た新校舎に初めてスチーム暖房が入りました。
まさに高度経済成長期で、今は各家庭にあるものが徐々に割賦販売で揃っていった時代です。
「マルイ」は若者の店ではなく、割賦販売の店「丸井」でした。ラジカセ、ウインカー付自転車・・・親にせがんで度々お世話になりました。
一時期は都電で通学していました。低学年の頃のバス通学ではまだバスに車掌さんが乗ってました。

10歳の頃に自宅にカラーテレビが入りました。ソニーのトリニトロンでした。
新聞のテレビ欄には番組によって【カラー】表示がありました。全部がカラー放送ではまだ無かった時代です。

小学校低学年の頃のクラスの住所録には(呼)の文字が電話番号の最後に付いている家もありましたし、空欄の家もありました。
オヤジの家に電話が付いたのは、記憶が正しければ小学校3年の時。
真っ黒な電話機にジリジリとダイヤル音が響きました。

こうやって振り返ると語るに尽きない変化の時代だったように思います。

60歳。
オヤジの父の世代なら、長年お疲れ様でしたと定年を迎えて、ノンビリ年金生活に入る年齢でした。
が、残念ながら今や65歳にならないと年金はもらえません。
それも5年後にルールが変わっていない保証はありません。

そのためには少なくとも65歳までは元気に働き続けなければと思います。
そのためには今働くヨチヨチ歩きの会社を存続し続けるしっかりした会社にしなければと思います。
そのためには全てにおいて一生懸命取り組み、お金が回る状態を継続させなければと思います。
なかなか楽はさせてくれませんが、面白そうな六十路になりそうです。
コメント
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