この酒蔵はオヤジも何回も見たことがあります。(ココの酒を飲んだことはありませんが・・・)
西宮もオヤジが最初に住んだ今から25年前は、木造ではありませんでしたが臨港線という道路の左右に大きな酒蔵が並んでいました。
それが今ではほぼ全てマンションやショッピングセンターに変わってしまいました。
灘区にも勿論酒蔵は今でもあちこちにありますが、この木造の蔵というのは俄然趣きが違います。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、日本酒も大事な日本の文化。
最後の一つくらい何とか残し、かつ酒造りを続けることができないものなんでしょうかね。

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<灘:最後の木造酒蔵がピンチ 競売で不動産会社が落札>
毎日新聞 http://mainichi.jp/ 2013年06月29日
日本酒最大の生産地、灘五郷(兵庫県西宮市〜神戸市灘区)唯一の木造酒蔵が消滅の危機に陥っている。神戸市東灘区の泉勇之介商店の酒蔵で、国の登録有形文化財。借入金がかさんで競売にかけられ、不動産会社が落札した。住宅開発の可能性があり、近隣の自治会などが7月1日から、神戸市に購入を求める署名活動を行う。
◇阪神大震災唯一の生き残り
同商店は江戸時代末期に建てられた酒蔵を購入して、1882(明治15)年に創業。3代目の泉勇之介社長が杜氏(とうじ)を兼ねる。民間信用調査機関、帝国データバンク大阪支社によると、純米大吟醸酒などで左党の人気を集めたものの、近年は生産量が落ち、酒蔵兼本社約1600平方メートルが競売にかけられた。
1995年の阪神大震災で灘五郷の木造酒蔵の多くが全壊し、唯一残った。六甲山から吹き下ろす「六甲おろし」を室内に入れ、室温を一定に保つ窓があったり、大きな柱や梁(はり)が残り、かつての酒蔵の趣を伝えている。
落札した業者は「どう活用するかは未定」としているが、阪神電鉄石屋川駅から徒歩10分で、住宅が建設される可能性が大きいとみられている。泉社長は「酒蔵は貴重な文化財。市に保存してほしい」と話す。
灘五郷酒造組合によると、資料が残る93年ごろには50社が加盟していたが、阪神大震災後は廃業が相次ぎ、現在は同商店を含め29社。同商店は生産を他社に委託し、近くの倉庫で営業を続ける予定だ。【田畑知之】
西宮もオヤジが最初に住んだ今から25年前は、木造ではありませんでしたが臨港線という道路の左右に大きな酒蔵が並んでいました。
それが今ではほぼ全てマンションやショッピングセンターに変わってしまいました。
灘区にも勿論酒蔵は今でもあちこちにありますが、この木造の蔵というのは俄然趣きが違います。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、日本酒も大事な日本の文化。
最後の一つくらい何とか残し、かつ酒造りを続けることができないものなんでしょうかね。

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<灘:最後の木造酒蔵がピンチ 競売で不動産会社が落札>
毎日新聞 http://mainichi.jp/ 2013年06月29日
日本酒最大の生産地、灘五郷(兵庫県西宮市〜神戸市灘区)唯一の木造酒蔵が消滅の危機に陥っている。神戸市東灘区の泉勇之介商店の酒蔵で、国の登録有形文化財。借入金がかさんで競売にかけられ、不動産会社が落札した。住宅開発の可能性があり、近隣の自治会などが7月1日から、神戸市に購入を求める署名活動を行う。
◇阪神大震災唯一の生き残り
同商店は江戸時代末期に建てられた酒蔵を購入して、1882(明治15)年に創業。3代目の泉勇之介社長が杜氏(とうじ)を兼ねる。民間信用調査機関、帝国データバンク大阪支社によると、純米大吟醸酒などで左党の人気を集めたものの、近年は生産量が落ち、酒蔵兼本社約1600平方メートルが競売にかけられた。
1995年の阪神大震災で灘五郷の木造酒蔵の多くが全壊し、唯一残った。六甲山から吹き下ろす「六甲おろし」を室内に入れ、室温を一定に保つ窓があったり、大きな柱や梁(はり)が残り、かつての酒蔵の趣を伝えている。
落札した業者は「どう活用するかは未定」としているが、阪神電鉄石屋川駅から徒歩10分で、住宅が建設される可能性が大きいとみられている。泉社長は「酒蔵は貴重な文化財。市に保存してほしい」と話す。
灘五郷酒造組合によると、資料が残る93年ごろには50社が加盟していたが、阪神大震災後は廃業が相次ぎ、現在は同商店を含め29社。同商店は生産を他社に委託し、近くの倉庫で営業を続ける予定だ。【田畑知之】