Keep on Sailin', Keep on Dreamin'!!

"先"にある楽しいことを考えながら、"今"を精一杯生きてみよう!

『北風と太陽』(- コーチ活動の振り返り -)

2014-03-30 23:19:07 | SFCかるた部
ここやFacebookにも書きましたが、今年度でかるた部のコーチを退任します。

昨日はそんなかるた部での、高校を卒業するかんくん・K介くん、大学を卒業する仮Ca嬢の壮行会でした。
可愛い後輩の彼らが卒業してしまうことに加えて、「コーチとして、現役メンバーと一緒に作り上げるイベントは最後か~」と一人で感慨に耽っていたところに、
現役メンバーが僕にもサプライズをくれました。

もの凄く手の混んだデザイン、それぞれの「らしさ」が滲み出るメッセージ、
そして何よりも"いちOBのコーチ退任"という小さな出来事に対して現役メンバーが本気で時間と労力を掛けてくれた
…という無形の温かさがあまりに嬉しく、幸せを感じています。

みんなが書いてくれたメッセージや昨日みんながくれた言葉を振り返ると、「僕はそんなに凄いことしたかな」というものばかりですが(笑)、
自分自身でも「コーチの役割に本気を出せた」というのは自信を持って言えます。
でも、それを引き出してくれたのは、みんなが僕に共感して、付いてきてくれたからです。

少し懐かしい例えですが、
僕が「○○する人、この指とまれ!」と叫ぶと、猛ダッシュでこっちに向かって突っ込んできてくれるメンバー達…という表現が一番近いでしょうか。
みんながそんなメンバーじゃなかったら、僕はコーチとして機能しなかったと思います。


とにかく気にしていたのは、変な上下関係を作らないことと、現役メンバーと密接に会話して、双方向で何でも言い合える人間関係を築くことでした。
(少し偏見も入りますが)上から目線で画一的な指示を出し、反省会では厳しい言葉を言うようなコーチ像もあると思います。
昨年不祥事のあった某格闘技の話等を聞いていると、「まだまだそれがメジャーなスタイルなのか?」とすら思ってしまいます。


しかし、そんな厳しくて淡白なスタイルは楽かもしれないけれど、あまり面白くなさそうで。
それよりも、結果に対して部員と一緒に泣いたり笑ったりしつつ、1人1人のキャラクターを知りながら問題や悩みを一緒になって考えるスタイルの方が、
大変だろうけど楽しいし、僕のキャラクターはそっちだし、お互いに成長できるかな…って考えました。

だから僕は、コーチというよりメンバーの良さを引き出すプロデューサーであり企画を打ち込むエンターテイナー、
「北風」じゃなくて「太陽」になろう…と。


とはいえ正直なところ、最初は不安でした。
まずは選手としての自分の衰え。そもそもそこまで強い選手でなかった上に、社会人になって丸3年のブランクがあり、「こんな弱いコーチでも受け入れてもらえるのかな」と。
そして僕と中高生との年齢差。自分が中学生だった時、大学生ですらも"ちょっと怖くて話しかけづらい"という印象を持っていたので、社会人となれば尚更なんじゃないかと。
特に、フラットな人間関係を築くには部活外で会話したり遊んだりする機会が必要不可欠と考えていましたが、果たして社会人からの「遊ぼう!」という誘いに中高生は乗ってくれるのかな…と。

しかし、それらは杞憂でした。
就任挨拶と共に最初のミーティングで語った、「良いチームになるためにはまずはお互いを知ることが大事」という話に共感してくれて、合宿での花火大会企画に乗ってくれて。
ちょっと実現のハードルが高いかと思ったボウリング&カラオケも静岡遠征も、二つ返事で参加してくれて。
S乃さん・K介くん・かなちんの3人は、その年のSOの役員までやってくれて。
(それが発展して、今となっては泊まりでスキーに行く企画までできる仲になったのは、正直なところ驚いています。笑)

代が変わって主将になったK介くんは、かるたは僕より遥かに強いのに、何か困ったことがあると(部活でもそれ以外でも)すぐ電話くれたり「晩飯行きませんか?」と言って頼ってくれるし、
主務のかなちんも、僕が見られない普段の部活のことをよく見て教えてくれるし。
始めたばかりで、最初は伸び悩んだたっきーやK松さんも、団体戦や近江神宮の話をすると目の色変えて聞いてくれるし。。

そのメンバーでのデビュー戦だった夏職はストレートの陥落だったけど、、みんな教えに忠実に、どれだけ劣勢でも声掛けで盛り立て、敵陣に飛び込んで札クロスを作ろうとしてくれるし。
試合後に言ってくれた「色々指導してくださってるのに、結果出せなくて申し訳ない」「もっと強くなりたい」という言葉に手応えと嬉しさを感じたら、
半年後の春職では準優勝での再昇級という結果を残してくれて。
そして…近江神宮には行かれなかったけれど、格上チームに全力でぶつかり、運命戦まで持ち込めるチームになることができました。

最初にほんの少しの刺激と考え方を伝えただけで、それに共感してくれて、自分たちで増幅して、僕の想像を遥かに超えるスピードで個々人もチームも成長する。。
本当に、「中高生のパワーって凄い」と思わずにいられません。

そんな彼らを見ていて僕自身にも、「ショボい大人になったら彼らに合わせる顔がないな」という思いが湧いてきて、"仕事の傍で色々チャレンジできる人間に変われた"…って思えます。
よく同世代から、「Fはアグレッシブだね!」と言ってもらえますが、そんな20代中盤を送れたのは彼らの存在が大きいです。
DEENの『桜の下で逢いましょう』という曲にある
「君の存在が無かったら僕は今でも 分かれ道では楽な道を選んだでしょう」
というフレーズが、まるで自分のことのように思えます。

それともう一つ。
笑ってしまうような話ですが、中学以来(特に女性陣に対して)自然と苗字+さん付けで呼ぶ癖が付いていた僕を変えてくれたのも彼らでした。
文化祭のポスターにあった「かるた部の良いところ」の1つに「全員あだ名で呼び合える」というのを見て、「やば、乗り遅れた!」と。笑
恐る恐る訊いたら「やっぱりあだ名の方が嬉しい」とのことで。
当たり前のことかもしれないけれど、それが人間関係を深めるための1つの手段ということを、改めて気付かせてもらいました。


K介くん達の代の近江予選の後、僕から何かを発信する機会は減りましたが、先の4人が軸になって後輩たちに受け継いでくれて、
新しく始めたメンバーが選手・人間として成長できる良い部活環境を作ってくれました。
加えて、いっくんを筆頭に新しいメンバーも「この指」に向かって猛ダッシュしてくれるメンバーで(笑)

偶然にも、今年に入ってメンバー1人1人とそれぞれ1時間くらいに亘って会話する機会を作ることができました。
みんなそれぞれ、かるたのこと・部活のこと・自身の将来のことを考えていて頼もしく思うし、彼らともそうやって色々話せる人間関係を作れたことが凄く嬉しいです。


コーチに再就任した頃は
「かるた以外の部分はコーチの領域を超えている」とか
「甘やかしすぎじゃないか」
という手厳しい外野の意見もありましたが、「こういうスタイルのコーチがメジャーじゃないだけ。」と信じて「太陽」を貫いて良かったです。
(もっとも、特にK介くん・かなちん・いっくんには時々厳しいことも言ったから、実際は「晴れ時々雷雨」くらいかもだけど。笑)
最近では「SFCの仲の良さが羨ましい」というコメントを頂けるようになったし、
何よりも昨日もらった寄せ書きとメッセージが、それが間違っていなかったことをフィードバックしてくれた気がします。


案の定、長くて纏まらなくて、しかも偉そうな感じになってしまいましたが(汗)
本当に、コーチやって良かったです。
文中にも散りばめましたが、みんながくれたメッセージ以上に、僕がみんなからもらったものは多いです。
新しい体制の下で、(きっと!)新入部員を加えて、ますます良い部活になってくれることを心から祈り、応援しています。

本当に、4年間ありがとうございました!!
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朝帰り中。。

2014-03-22 07:48:01 | Weblog


武蔵野線を逆走して帰れなくなるという、大ドジをやらかしました。。
例によって素面なのに。

昨夜は仙台へ異動になった同期の壮行会で、千葉に住む別の同期夫妻の家に本社文系メンバーの計4人で集まっていました。
帰る方向は主賓と一緒で、何の躊躇いも無く彼に付いて行ったら逆で。
彼とは今まで何度となく一緒に飲みましたが、毎回しっかりしていたので僕も信頼しきっていたのですが、、
振り返ってみれば、昨日はいつもよりハイペースだったし。。やっぱ寂しいんだろうな。。

逆走の道中で本人が言っていましたが、同じ拠点に同世代がいないのは不安ですよね。
考えてみれば僕も工場から本社に異動して来るとき、仕事の内容以上に「行き先の部署に大先輩しかいない」…という点に対して身構えてたし。。
(幸い部内でも温かく迎えていただいて、部署は違えど同じ本社に同期がいてくれて今回のように時々集まることができて、今となっては杞憂でしたが)

でもまぁその環境下だからこそ、「社外で同世代の人脈を作りたい」とのことで。
…やっぱり、頼もしい奴でした。

逆走はしましたが、道中でこんな話ができたので、それはそれで良かったです。
他のメンバーも異動があるから、次集まれるのは何年後か分からないけれど、集結した時は是非また凱旋式を!
そしてその時こそ、新入社員の時から言っていた「この4人で駅伝に出よう」って企画もやろうね!(^^)
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同志の同期

2014-03-17 00:20:06 | Weblog

昨日の話ですが、同期のスイマーM田くんの日本記録挑戦を応援してきました。

仕事で行かれない線が濃厚でしたが、久しぶりに「企画の神様」(たまに閃くブレイクスルーのアイディアのこと)が降臨して…
奇跡的に午前中で仕事が片付き、行ってきました。

日本新記録は残念ながら0.2秒差で達成できなかったけれど、
隣のコースを泳いでいたアテネ五輪(?)に出ていた選手に勝ったっていう。。
その五輪経験者の選手は僕達の1歳下らしいので、「仕事と水泳を両立する」という条件はM田くんと同じ。
もうアテネから何年も経ちますが、M田くんは同じ条件の下でコンスタントに練習時間を捻出して力をキープし続け、元オリンピック選手を上回ったって考えると…
ホント凄いよ。。


最近、「同じ競技に長く携わり続けることが、どれだけ大変で尊いか」を感じます。
勝てない時期や上手く行かない時期・成長実感が持てない時期の回数は継続年数に比例するだろうし、
自分より後から始めた人に抜かれたり、過去の自分自身とのギャップに凹んだり。
中には、「練習時間が取れないから仕方ない」とフォローしてくれる優しい人もいるけど、それを言い訳にしたくない自分がいて。。

僕は、決して人に誇れるレベルではないけれど、かるたを続けてきて。
競技やレベルは違うけれど、(恐らく)同じようにそれらと闘いながら長く水泳を続けてきたM田くんの存在は、もの凄く刺激になります。

午前の仕事中、隣の島から「昨日の夜は同期から愚痴を3時間聞かされて…」みたいな話が聞こえてきて尚更。
"僕には、愚痴じゃなくて特大の刺激をくれて、高め合える同期がいる"
…というのが凄く頼もしく、有難く、恵まれたことに思えます。

本当に、応援に行って良かった!
誘ってくれてありがとう!!
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3.11のこと

2014-03-13 00:26:24 | Weblog
日付変わって一昨日の話ですが、うちの会社でも本社勤務の社員全員が集まっての黙祷がありました。

14:26ちょうどから一分…ということで、黙祷前に時報を聞いていました。

「三年前のこの瞬間は生きてたのに、26分何秒かになった瞬間に命を落とした方がいるんだな」
「26分何秒かの瞬間を凌いで、『今のヤバかったね』とか言い合ってたのに、その後の津波で亡くなった方も…」

なんて考えて、表現しようのない気持ちになっていました。
ありきたりな言い方になってしまいますが…
謹んで、ご冥福をお祈りします。


でも、そういう僕自身も割と危険でした。
うちの会社でも、東日本大震災で幾つかの部屋で陥没や器具倒壊がありました。
地震発生時は幸いどこも無人で、社内で死傷者は出ませんでしたが、、
僕は数分前までその一つ、図面保管倉庫にいました。


当時僕は工場勤務でした。
普段から倉庫で調べ物をすることは多く、その時も同様でした。
調べている途中にたまたま用を思い出して工場の生産現場に下り、その直後に14:26を迎えました。

その日は徹夜明けだったので、最初は目眩かと思いました。
しかし近くにあった台車が自走を始め、至る所で轟音が鳴って工場内の電気が消え、初めて大地震だと気付いたと同時に、死を悟りました。

怖さと同時に、「まだ言いたいこと、やりたいことがたくさんあるのに、ここにいたばかりに物に潰されて死ぬ」
というのが、悔しくて仕方なかったのを覚えています。

しかし、工場は何とか地震に耐えてくれて、生産中だった装置も全て天井からロープで吊っていたお陰で倒壊せず、
今に至ります。


図面倉庫の惨状を知ったのは、後日でした。
「もしあの時に用を思い出さなかったら」…と思うと、背筋が凍りそうです。
徹夜明けの体であそこにいたら、アウトだったかな...


去年の夏に、確かFacebookに書いた御巣鷹山の墜落事故、そして東日本大震災。
(前者は僕が生まれた年の出来事で、祖母から聞いた話ですが…)
比較的死に近かったこれら二つを思い出すと、いかに自分の人生の根本がコントロール不能かを感じ、
意識的であれ無意識であれ、運命を決める選択が存在することに気付きます。
明日の同じ時間に、こうしてblogで何かをアウトプットできる保証はどこにもないわけで。
(もちろん、選ぶと大きなプラスに働く選択もある)


そう考えると、僕は「いつか会おう」とか「次会ったら言おう」の類をやめたいな…って思います。
なので行きたい所も、やりたいことも、ちょっと体力や時間が厳しくても詰め込みたいのです。
(もちろん、実際はなかなか上手く行かないけど…)

「自分は、限られた時間を精一杯生きているか」
事故や災害の日が近付く度に、そんな自問自答をするのが、
御巣鷹山や震災を回避できた自分の役割だと思っています。
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ハインリッヒの法則

2014-03-09 23:34:05 | Weblog

1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する。
これを「ハインリッヒの法則」と言います。

この法則は"大事故"を主人公にした構図ですが、"成功"を主人公にしても、これに近い構図がある気がします。

成功の背後には小さな29の成功があり、その背景には300の人知れない努力や試行錯誤がある
そしてその300の試行錯誤が、その人ないし組織の強みや競争力
…という具合に。(※既にこれを表す別の名称があったら、無知ですいません。。)


前置きが長くなりましたが、採用の面接官をやることになりそうです。
「限られた時間の中で、大成功に至っていない29の成功や、何れの場合でも"300の試行錯誤"のポイントを引き出せるか」
これが、いわゆる"人を見る眼"の要素なのかなって思い、何をどう訊こうか考えています。

もっとも、それこそ僕自身の中で300の試行錯誤を繰り返すことをスタートにして、最終的な成功("人を見る眼"の獲得)に繋がるものだと思いますが。。
でもせめて、今までしてきた他の経験の中でこれに通ずるような試行錯誤がなかったか、ちょっと振り返ってみます。
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