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SOの先へ… ~タンザニア赴任~

2019-12-31 19:53:58 | 診断士×途上国
何人かの方にはお伝えしましたが、来年の4月から2年もしくは3年間、タンザニアへ行くことに決めました。
昨年11月にJICAの企画調査員というポストの選考に合格し、それにチャレンジします。

タンザニアは農業中心の国ですが、同国はこれから工業を育てていこうとしています。
日本もそれに対してODA(政府開発援助)で支援をしており、それにあたって「何をすれば(ODAを何に使えば)同国の工業が発展するか」を考えていく必要があります。
インフラなのか、人材なのか。人材だとしたら、誰にどのような教育を施したら良いのか…?
自分の仕事は、現地の政府や他国の支援機関と協力しながら、その最適な方法や仕掛け・仕組を考えることです。


僕が国際協力に興味を持った接点は、小学生時代に遡ります。
(中高大ではすっかり忘れていましたが笑、大人になってから振り返るとそこに行き着きました)
通っていた学校がカンボジア(当時、内戦からの復活の最中だった)に毎年文房具を贈るプロジェクトをやっており、「同世代なのに何でこんな可哀想なんだ!?」と子供ながらに感じました。

新卒の就職で選んだ会社は、"交通インフラ"という形で途上国に貢献しているメーカー。
当時は、「ここで途上国プロジェクトに関われたら良いな」と考えての選択でした。

しかし3年目の24歳(前回の年男)の時にふと、「36歳(次の年男)を迎えるときも、『やりたいこと』目指して走ってたいな。少なくともカッコ悪いオッサンにはなっていたくないな」…なんて思いました。
と同時に、「エンジニアではない自分がメーカーにいて、は、果たして主体的に途上国に関われるのか?」という疑問が浮かびます。
途上国のニーズを拾うことは自分にもできますが、"それを具現化する(装置を実際に設計したり改良したり)は自分にできない"…ということに気付いてしまいました。

では自分が、途上国に対して主体的にできることは何か…?

その結論は、"仕掛け・仕組づくり"という結論に至りました。"大学時代からやっているSOのような仕掛け・仕組を企画して、それを通じて人に無形の何かを提供すること"…それこそが、最も僕が途上国に対して主体的に関われる手段なんじゃないか…と。

そして、そのやりたいこと(途上国に対して主体的に働きかけられる社会人になる)を叶えるため、まずは翌年の1月から中小企業診断士の勉強を始めたことが、一歩目でした。

5年掛かりで2014年に診断士に合格し、インド駐在を経て2017年に開発コンサルタントに転職し、今に至ります。

今の僕は34歳。10年がかりでようやく、そのスタートラインに立てた気がしています。
そして、赴任中に36歳の誕生日を迎えるはずなので、(完全ではないけれど)24歳の時に考えた目標に少しは近づけたかな…って思います。


とはいえ、、、正直なところ不安で一杯です。
「自分ってこんなネガティブだっけ!?」というくらいに、胃が締め付けられるような感覚があったり、日本で過ごせる日常がとても有難く思えたりしている今日この頃です。笑

沢山失敗しながら、少しでも前進できる2年もしくは3年間にできたらと思います。
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Another story for SO2019 (SO Final) -Nothing Special-

2019-12-30 22:37:03 | スーパー近江予選
FacebookやTwitter、そして個人のLINEで既に散々書いてしまいましたが、お蔭様でスーパー近江予選は15年間の歴史に幕を閉じました。

2002年の神奈川総文祭で大敗した夜にメンバーを中心に結成した「気合かるた会」を軸に、県内の繋がりを増やし、永岡くんのアイディアが引き金となって2005年に第1回を開催。
当初は「大学卒業したら終わり」と思っていたので、言い出しっぺの2人とも抜けた時期があったけれど、数名の後輩たちの思いによって大会は繋がり、
ちはやふるブームで2010年くらいから参加者が急増すれば、(僕らの現役時代を知らない)多くの後輩たちが実行委員に立候補して僕達を支え続けてくれて…

何度か開催のピンチもありながら、必ずそこを誰かが助けてくれて、こうして15年間歩き続けることができました。
本当に、これまで関わってくれた方々への感謝しかありません。


最終回のテーマは「Nothing Special」にしました。
日本語にすると、「日常」とか「普段」です。
1年以上前、永岡くんにSO終焉を提案するよりも前に、僕の中では「最終回はこのテーマにしたい」と決めていました。

それは、15年間のSO企画を通じて僕らが得られた大きなものは

・続けることの難しさ
・"当たり前"のように何かをしてくれる人の尊さ

であって、その存在を感謝とともに"最大のメッセージ"として伝えたいし、少しおこがましいけれど「これからも、それを大切にできる神奈川でいてほしい」と思ったからです。


正直、SOやってて大変なことも沢山ありました。
SOを年末にやってきたのは、年末が中学生から社会人までが揃って何もない、唯一の時期だからです。しかし、殊更社会人になると、11月から12月中旬は、ある意味で最も仕事のピークだったりします。("師走"という言葉があるくらい笑)

僕自身、「なんでそんな時期に、毎週末に埼玉から神奈川に通わなきゃいけないんだろう」とか「なんで本業以外のことで、こんな悩まなきゃいけないんだろう」って思ったことも、正直ありました。
SOは間違いなく僕らにとって「やりたいこと」でしたが、それを実現するために避けて通れない「やるべきこと」が山ほどあって、その量と質に押しつぶされそうな感じでした。

その中で、"SOがラッキーだった"と感じるのは、それらの壁に一緒にぶつかってくれる仲間に恵まれたことでした。
「SO実行委員やりたいです!」とか「SO楽しみにしてます!」とか「神奈川でかるたやって良かったです!」…そんな言葉をかけてくれる人達がいました。
本当に僕らがつらい時は、その言葉にどれだけ励まされて、支えてもらったか分かりません。

たぶん僕達だけだったら、SOは第7回大会あたりで力尽きてたと思います。
毎年僕が閉会式で喋っていた「企画は、仕掛ける人と協力してくれる人と参加者が揃って、初めて良いものになる」という言葉は決して社交辞令とかではなくて、SOを通じて心の底から感じたことでした。

このような状況は僕達のSOに限った話では無く、日常生活の中にもある気がしています。
例えば部活の中でも、エースが勝ち続けてくれること、部長とか雑務担当とかが、部の連絡やイベントの取りまとめをしてくれること。「勝ち計算だから」「部長だから」「係だから」…そんな言葉で片づけてしまうのは簡単ですが、その維持や継続のために、彼らももの凄いエネルギーを使っていると思います。
当人は、「なんで自分ばっかり…」って感じることもあると思うんです。

かく言う僕達も、"当たり前の尊さ"を忘れていて、人知れず支えてくださっていた先輩方や先生方、参加者の皆さんに沢山迷惑をかけたので、あまり偉そうなことを言える立場ではありません。
でもだからこそ、"当たり前に何かをしてくれる人の尊さ"に気付いてあげて欲しい…と、失敗もした僕らだからこそ大切さを伝えたいと、切に願っています。

「いつもありがとうね!」「めっちゃ助かった!」
…その一言で救われる人、気持ちが晴れる人は、実は沢山いる気がします。

繰り返しになりますが、SOの最後ではこのメッセージを伝えたいと、これからもそんな神奈川でいてほしいと思い、この「Nothing Special」をテーマに選びました。


SOはこれで終わり、僕自身も来年の春から日本を離れてしまいます。
でも、そういう形あるものが無くなっても、ふとした瞬間に「あれ、そういや僕らって、なんで仲良くなったんだっけ? あ、SOで喋ったのが最初だったね!」とか「あの人がいたから、あいつと繋がったんだな~」みたいな形で、これまでSOに参加してくださったの日常(Nothing Special)の中に、目に見えない形でSOが残ってくれたら嬉しいです。

本当に、これまで沢山の素敵な神奈川の仲間に囲まれ続けて、やりたいことやらせてもらえて、幸せ者だと思っています。
15年間、ありがとうございました!
これからも宜しくお願いします。

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