Keep on Sailin', Keep on Dreamin'!!

"先"にある楽しいことを考えながら、"今"を精一杯生きてみよう!

3.11のこと

2014-03-13 00:26:24 | Weblog
日付変わって一昨日の話ですが、うちの会社でも本社勤務の社員全員が集まっての黙祷がありました。

14:26ちょうどから一分…ということで、黙祷前に時報を聞いていました。

「三年前のこの瞬間は生きてたのに、26分何秒かになった瞬間に命を落とした方がいるんだな」
「26分何秒かの瞬間を凌いで、『今のヤバかったね』とか言い合ってたのに、その後の津波で亡くなった方も…」

なんて考えて、表現しようのない気持ちになっていました。
ありきたりな言い方になってしまいますが…
謹んで、ご冥福をお祈りします。


でも、そういう僕自身も割と危険でした。
うちの会社でも、東日本大震災で幾つかの部屋で陥没や器具倒壊がありました。
地震発生時は幸いどこも無人で、社内で死傷者は出ませんでしたが、、
僕は数分前までその一つ、図面保管倉庫にいました。


当時僕は工場勤務でした。
普段から倉庫で調べ物をすることは多く、その時も同様でした。
調べている途中にたまたま用を思い出して工場の生産現場に下り、その直後に14:26を迎えました。

その日は徹夜明けだったので、最初は目眩かと思いました。
しかし近くにあった台車が自走を始め、至る所で轟音が鳴って工場内の電気が消え、初めて大地震だと気付いたと同時に、死を悟りました。

怖さと同時に、「まだ言いたいこと、やりたいことがたくさんあるのに、ここにいたばかりに物に潰されて死ぬ」
というのが、悔しくて仕方なかったのを覚えています。

しかし、工場は何とか地震に耐えてくれて、生産中だった装置も全て天井からロープで吊っていたお陰で倒壊せず、
今に至ります。


図面倉庫の惨状を知ったのは、後日でした。
「もしあの時に用を思い出さなかったら」…と思うと、背筋が凍りそうです。
徹夜明けの体であそこにいたら、アウトだったかな...


去年の夏に、確かFacebookに書いた御巣鷹山の墜落事故、そして東日本大震災。
(前者は僕が生まれた年の出来事で、祖母から聞いた話ですが…)
比較的死に近かったこれら二つを思い出すと、いかに自分の人生の根本がコントロール不能かを感じ、
意識的であれ無意識であれ、運命を決める選択が存在することに気付きます。
明日の同じ時間に、こうしてblogで何かをアウトプットできる保証はどこにもないわけで。
(もちろん、選ぶと大きなプラスに働く選択もある)


そう考えると、僕は「いつか会おう」とか「次会ったら言おう」の類をやめたいな…って思います。
なので行きたい所も、やりたいことも、ちょっと体力や時間が厳しくても詰め込みたいのです。
(もちろん、実際はなかなか上手く行かないけど…)

「自分は、限られた時間を精一杯生きているか」
事故や災害の日が近付く度に、そんな自問自答をするのが、
御巣鷹山や震災を回避できた自分の役割だと思っています。
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