「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       ”KUEは食え” インドネシアのお菓子造りの講習会

2012-05-28 05:55:12 | Weblog
昨日、日本インドネシア協会文化交流委員会主催のお菓子造り講習会に参加した。と言っても僕は造り方を学ぶのではなくてもっぱら食べるほうであったが。講師の石井マリさんは、スマトラ.メダン生まれの二世で、お父さんは元日本軍軍属で、アチェで終戦を迎えたが、そのまま現地に残留、インドネシア独立戦争に従軍して同国政府からゲリラ勲章を授かっている。

インドネシア語(マレー語)ではお菓子のことをKUEと言う。戦争中南方へ行った日本人は従軍に先立って次のような諺風の言葉で現地の言葉を学んだと言う。”人はOrang(おらん)飯しはNasi(なし)サカナはIkan(いかん)菓子はKue(食え)”なかなか言い当てていて面白い。当時インドネシア(マレーシア)は、日本に比べて人口は希薄だったから”おらん”で、植民地経済でお米の生産量が少なかったたため”なし”。サカナは熱帯で腐りやすいから、食べるのは”いかん”。食べてよいのはkue(食え)だった。

昨日の講習会ではパステル.ゴレンという焼き餃子風のお菓子とビジ.サラックというサツマイモのお団子の入ったお汁粉を習った。男性を交えて日イ両国の女性が日本語、インドネシア語半分半分、手真似を交えて勉強したが、僕は出来たのを食べ、お土産にして貰って帰った。

戦争中、戦地にいた軍人たちはほとんどが兵舎内で、ご飯に味噌汁といった日本の食事をしていたから現地の料理についての知識はないし想い出もない。しかし、お菓子については休みの日、街で食べたのであろう。戦後の戦友誌にはよく登場してくる。マリさんのお父さんと同じアチェから復員してきた木下廸介さん(近衛捜索連隊)は”想い出のインドネシア”の中で「オンデ.オンデ」という南方ではとてもポピューラーなお菓子の歌を楽譜を添えて紹介している。

左党の僕でもいくつかインドネシアのお菓子を知っている。大半は南方華僑の物だが、メダンのビカ.アンボンみたいなオランダからの渡来のものもある。インドネシアは菓子の宝庫である。(写真はパステル.ゴレン)